第174話
足元は石と砂利で寝心地は悪いものの、比較的開けた場所に辿り着いた俺達隊商の一行は、此の場所で野営をすることに成った。地形はともかく常時吹き抜ける風がピューピューと煩わしいのと、山奥だけあって日が落ちるのが早いのは困りモノだ。荷下ろしを始める隊商の面々を横目に、護衛の方々は周囲の警戒の為、PTごとに別途動き始める。あざっす。お勤めご苦労様でっす。
今や小さな隊商の自称護衛と化した俺は、他の護衛の動きには目もくれず草臥れた天幕をおっ建て、隊商の二人の付き人が夕餉の仕度を始める。もう一人の護衛である樽女は警備と称してその辺をブラブラしている。ふむ、コイツは近いうち適当に難癖付けた上で強制的に野営の準備を手伝わせてやろう。もし不平不満を垂れるならば即時地獄の鉄拳制裁を敢行する。叩けば良い音を奏でそうだ。樽だけに。
「おっカトゥー君。この石がいいかな。天幕の傍まで運んで下さい」
「承知した」
天幕を建てた俺は、荷運び生物であるモジャ(俺命名)のブラッシングと餌やりを終えた行商人のおっちゃんに声を掛けられた。訊けば今日の夕餉はおっちゃんが景気付けに何やら馳走してくれるらしい。もしや先の戦闘と顔見知りの落伍で俺の気分がちょっとばかり滅入って居るのを察してくれたのだろうか。であれば何とも気遣いのデキる男である。若い頃はきっとモテモテだったに違いない。
馳走は此の石を使った焼き物か何かであろうか。俺はおっちゃんの指示に従い、長径50センチ程の楕円形をした平たい石を片手で持ち上げる。砂が付着しているので、後でコッソリ湧水の魔法で洗浄しておこう。
天幕に戻ると付き人達が天幕を風上において即席の竈を作っていたのだが、風のせいで火起こしに苦労しているようだ。そこで俺は漲る体力に物を言わせて矢継ぎ早に石を運び、竈の周囲に囲いを建造した。竈の燃料は薪・・では無くカラッカラに乾燥したもじゃもじゃ生物や、その辺で拾い集めた野生動物の糞を利用する。この辺の空気は乾燥しているので糞が直ぐに乾燥する。其れは良いのだが、逆に水魔法の魔力効率はかなり悪い。周囲には万年雪の巨大な雪渓が其処かしこに存在するのだが、雪や氷は水分子が安定しているせいか、魔力に拠る収集の手応えがかなり固いのだ。
竈に火が灯り、おっちゃんや付き人達の顔にも笑顔が浮かぶ。俺はとある理由で寒さにすこぶる強くなりつつあるが、おっちゃんや付き人達にとっては竈で暖を取る事が出来て漸く一息付けたといった所だろう。何時の間にか戻って来た樽が竈近くの最も良いポジションに居座ってるのは気に食わないが。
今日の夕餉は既に何度か食したバターのような物体を隊商ごとに分配された推定俺水で溶かし、カサカサに乾燥させた根菜と一緒にグツグツ煮込んだ簡素な汁物である。最大限に過大評価しても全然美味そうに見えない汁物を横目に、俺はおっちゃんの指示で二つ目の竈を作る。幾つかの石を土台に先程の平らな石を上に置くその簡素な形状から察するに、矢張り先程運んだ石を使って何かを焼く模様だ。うおおおっ期待に胸が膨らむぜ。すると握る手に力が籠り、我知らず頭上に掲げた乾燥うんこが砕けた。ぎえええっ目が痛えっ!
俺達は味気無い汁物をビルダーのプロテイン補給の如く淡々と摂取し終えると、おっちゃんが空鍋を指差して一言。
「カトゥー君、まだ水は出せる?」
矢張りおっちゃんには薄々勘付かれていたか。
「ああ 問題無い」
本当は問題しかないが問題は無い。デキるおっちゃんならば魔力量を偽って水を提供した事を隊商の他の連中にチクることはあるまい。今日はおっちゃんの指示で他の天幕からちょっと離れた場所で野営の準備をしたので、他の隊商の連中に覗かれるリスクも僅かだ。
俺の応えを受けたおっちゃんは満足気に一つ頷くと自ら鍋を砂で洗浄し、水を張るよう促して来た。鍋を受け取った俺は無言で湧水の魔法を発動し、改めて鍋を丁寧に洗浄する。その様子を見たおっちゃんは驚いて目を丸くしている。だが美味い飯の為ならば、俺は手間と魔力を惜しむ気は微塵も無い。そして清浄な俺水を張った鍋を再び竈の火に掛ける。
その様子を見たおっちゃんは、モジャの背から降ろした荷物をゴソゴソ探ると、折り畳まれ紐で丁寧に縛られた巨大な葉っぱを取り出した。そして取り出したブツをひとしきり見せ付けたおっちゃんは、俺達に向けてまるで故郷の非合法な粉の売人のような不気味な笑みを浮かべると、葉っぱを固く縛る紐を丁寧に解いて其の中身を披露した。
「ふふふ、これは若いリュティルクの牝。其の背肉を私が調合した香辛料に漬け込んだ、特別な肉です」
其処には濃い茜色に染まった幾つものブロック肉が、圧倒的存在感を放ちながら鎮座していた。
むうっ、見れば確かに肉全体に細かく刻まれた物体が付着しており、独特な刺激臭が俺の発達した嗅覚にほのかに香る。だがしかし、だ。この肉、確かに見た目の存在感は物凄いし、其処等の干し肉と比べれば幾分水分を含んでいるようにも見える。だが其れでもこんな肉を石の上で焼いた所で、成れの果てはジューシーさの欠片も無いパサパサ肉になるだけではないか。俺の中で先程迄の高揚と期待が急速に萎むと共に、俺のおっちゃんに対する評価が紐無しバンジーの如く落下を始める。
だが俺の内心の落胆を余所に、おっちゃんはケツ穴産のオーガニック100%燃料で加熱された石の上に躊躇い無くブロック肉を乗せ、更に慣れた手付で煮沸した鍋に野草を投入した。そして木匙を器用に使って鍋に浮いたアクを取り始めた。
その様子を自家発電後の賢者の如き醒めた目で眺めていた俺ではあったが。何時しか肉が乗った焼石の上はテラテラと濡れぼそり、バチバチと何かが小気味良く跳ねる音が耳に入って来た。俺は驚愕した。ま、まさか。突如肉から溢れ出したこの液体は、肉の背油かっ。そして其れとほぼ同時に、俺の鼻孔と脳に凄まじい衝撃が襲い掛かった。
こ、これはっ。座っていた俺は思わず撥ね起きる。弾みで隣に座っていた付き人の一人が勢い良くハネ飛ばされるが、そんな些事を気に掛ける余裕は無い。
鼻孔を瞬時に埋め尽くした暴力的な香り。分かるぞ。俺の中の嗅覚受容体ですら感じ取れる。目の前の食材から迸る、旨味成分の底知れぬ圧倒的パワーを。
俺は半ば無意識に一旦仕舞った五代目となる自作の箸を再び取り出し、パチパチと迸る命の輝きに包まれたブロック肉を口腔内に招き入れた。その時、不覚にも隊商のトップであるおっちゃんの事すら脳内から消し飛んでいた。そして、
こ、此れは。
その瞬間、其処に在ったのは予想に反して単なる旨味の暴力では無く、調和。肉の旨味、油の旨味、スパイスの刺激、咀嚼を楽しませる絶妙な歯応え、そして肉それ自体の芳醇な香り。全てが過不足なく、何れもが尖る事無く極めてバランス良く、俺の五感を程良く刺激する。
此れは、此れは・・レ ベ ル 高 え っ !!!
何コレ凄えっ。ちょっと美味すぎるぞ。単純な味だけでも此の精緻なバランス、単に旨味を乗せるだけの足し算では断じて成し得る代物では無い。何てことだ。何てことだ。確かにこの異界にも美味い飯は沢山存在する。だがしかし。懐かしき故郷における美食と同等、いや其れ以上を味わったのは、此れが初めてだ。
何時しか俺は、天を見上げて滂沱の涙を流していた。
飢えては食を択ばず。郷に入れば郷に従え。あらゆる粗食、ジビエどころか迷宮のスカベンジャーの叩きすら食い切った俺は、今更故郷の飯が恋しくなる事など二度と無いと思って居た。だが俺は今、異界の果てで頬を濡らしながら初めて想う。例え情けなくとも、女々しいと誹られようとも想わずには居られない。
あぁ、米、食いてえ・・・!
其れにしても。このおっちゃん、一体何者だ。此の仕込みのバランス感覚は、如何に才能に恵まれて居たとしても一朝一夕で身に付く代物では断じて無いだろう。ましてや故郷に比べれば基本薄味でメシマズな此の異界である。料理人でも無いのに一体どれ程の研鑽を積めばこれ程の・・。
いや、待てよ。そういえば以前お世話になった行商人のヴァンさんが作った飯も矢鱈美味かった覚えがある。彼が今日は俺が飯を作るぞ~と宣言した瞬間、周りで歩く連中が厳冬期に八甲田山を雪中行進する東北民からカーニバル真っ只中のブラジル人に転生したかの如くはしゃいでたっけ。長年研鑽を積み重ねて美味い飯を作る。此れは常に旅から旅へ、肉体的にも精神的にも苛酷な人生を歩む行商人達が、己や仲間を鼓舞する為に身に付ける素晴らしき技能スキルなのかもしれんな。
そんな事を考えつつ視線を戻した俺は、予め石の上で寄り分けられた残りの肉に箸を伸ばす。焼き過ぎれば格段に味が落ちる可能性がある。早く残った俺の分の肉を救出せねば。
すると次の瞬間、目の前で俺の肉が、野太い手に横からかっ攫われた。
石の上には唯、肉から溢れ出た油が空しく輝くのみ。余りの出来事に俺は数瞬の間、一切の思考が停止した。自失から回復した俺が攫われた無二の宝の方を見ると、其処には樽女が、口と手をヌラヌラと汚く濡らしながら、ニタニタと厭らしい笑みを浮かべていた。
俺は無言で立ち上がった。
良いだろう。俺は崇高なジェンダーはフリーダムな精神に則り、此れより貴様を処刑する。改めて見れば此奴俺の3倍以上肉食ってんじゃねえか。断じてギルティ。よもや此の世界での初めての殺人を此の場面で、しかも立場上一応は仲間に対して遂行する事に成るとはな。こんな状況で馬鹿な事?知らんな。糞馬鹿で結構。
「何だい。アタイに何か文句でもあるってのかい」
樽も俺を睨み付けながら威勢良く立ち上がる。
「言いたい事は 其れだけか。貴様は此処で死ね」
俺は指をバキボキと鳴らして心身共にこの樽を破壊する準備を整え・・ようとしたのだが。どうやら指の骨や腱が強靭に成り過ぎたせいか、滅茶苦茶頑張っても全然音が鳴らない。ちょっとだけテンションが下がる。やっぱしボコボコにぶちのめす程度にしといてやるか。
だが俺が動こうとしたその時。何者かの手によって、俺の下穿きが引っ張られた。
「まあまあ、落ち着いてカトゥー君」
俺は足許に視線を移すと、其処には困った表情を浮かべたおっちゃんの姿が有った。
幾らおっちゃんの頼みと言えど、此ればかりは聞き入れる訳にはいかん。此処できっちりと上下関係と己の罪深さを分からせてやらねば、また直ぐにでも同じことを繰り返すだろう。であればヤるなら今、しか無いでしょ。
「ホラホラ。そろそろ野草が焼けるよ。食べないのかい」
なんだとっ!?
慌てて焼き石の上を見ると、其処には先程湧き出た肉汁の残滓に絡まれテラテラと輝きながら芳しい香りを立ち昇らせる、彩り豊かな野草の姿が有った。なんと、先程湯通ししていた野草か。ううっ何という良い香りだ。むううううっ・・。
俺は無言でどっかとその場に座り直すと、おっちゃんに先に野草を取るよう促した。先程はつい我を失ってしまったが、おっちゃんは此の場で一番の年長者でしかも雇い主でもある。俺が先に手を付ける訳にはいかねえ。
そしておっちゃんの後に改めて実食した野草、美味過ぎた。下手すりゃ先に食った肉より上かも知れん。改めて言おう。滅茶苦茶美味かったぜ、おっちゃん。こんな美味い飯を食わせてくれて、本当に本当にありがとう。
夢中になって野草を食い捲ってるうちに、何時しか俺の怒りのボルテージはすっかり冷え込んでしまった。後で冷静に考えてみれば、たかだか肉切れ数個盗られた程度で仲間を殺害しそうになった俺って相当にヤバいな。猛省せねば。
樽は野草には興味無いのか、さっさと天幕に入ってグースカと馬鹿デカい鼾をかき始めた。お前ちっとは野菜も食いやがれ。そんなだから樽みたいな身体になっちまうんだよ。




