第158話
迷宮都市ベニスを去る事にした俺は、一年余りの月日を此の街で過ごす間に顔馴染みとなった人々に別れの挨拶をすると共に、餞別の品を配って回った。
その選別の品とは、俺謹製の黒猪の燻製である。しかも、其の燻製肉には行き付けの串焼店のおっちゃんから教えて貰ったチージャとかいうこの世界の香辛料を揉み込んである。其れを更に一晩寝かせた後で燻すことにより、食欲を刺激する独特な香りとまろやかな酸味が加わる事となった。その結果、我が黒猪の燻製肉は更なる高みへと至ったのである。
其の自慢の一品を世話になった宿のおばちゃんや武器屋の金パツ店員、馴染みの露店を回って手渡してゆく。もし此れが我が故郷ならば誠に遺憾ながら、何コレキモ~いと間違いなく手を付ける事無く生ゴミとしてポイされてしまう事だろう。だが此の世界の人達はこんな得体の知れない(無論渡す前に説明するが)肉塊を皆ニッコニコで受け取ってくれる。なので贈る俺も実に気持ちが良い。だが手渡したその場で包みを開けて食い始めるのは止めろ。
____そして、俺は何時ものように狩人ギルドの入口を押し開ける。今日で最後になるかも知れないが。目当ては勿論、何時もの受付カウンターである。その前に居並ぶ同業者達の姿が消えるを見計らって、俺は赤毛のおっさんに声を掛けた。
「おおっこいつは美味そうだ。本当に貰っていいのかい?」
手渡された燻製肉を見たおっさんは、とても良い笑顔で俺に確認してきた。うんうん、喜んで貰えて俺も嬉しいよ。
「ああ。おっちゃんには、色々と世話に なったな。」
「微力だけど君達を手助けするのが僕の仕事だからね。金品の譲渡は一応上に許可を取らなければならないけど、まず問題無いと思う。有り難く頂くとするよ。」
「ああ、味には少々自信が有る。遠慮せず 貰ってくれ。」
「ふふ、ありがとう。」
その時チラリと周囲に視線を走らせると、他の受付嬢達が物欲しそうな目で此方を見ていた。フンッ!手前等の分の燻製肉なんて有る訳ねえだろ。世話になった覚えなんぞ全く無いからな。どうしても欲しけりゃ余った脂身の切れ端でもくれてやるからソイツを齧ってろ。
ギルドカードをボコボコにしたり小汚い身なりだったり愚息をポロリした俺にも非が有るのは重々承知だ。だが、其れでも俺の脳内では赤毛のおっさんと他の受付嬢共の立場はとうに逆転しているのだ。
「じゃあ、そろそろ行く。」
「君が行ってしまうと少し寂しくなるね。でも、もう決めたのなら仕方ないか。大山脈はとても危険な場所だ。君の腕ならそう簡単に命を落とす事は無いかも知れないけれど、決して油断しちゃ駄目だよ。」
「ああ。おっちゃんも元気で。」
俺達はガッチリと互いの手を握り合った。その握る手に少なからず込められた力から、おっさんとの間柄が決して社交辞令だけで無い事が確かに伝わって来た。
____狩人ギルドの赤毛のおっさんに別れを告げた俺は、鍛冶職人のトト親方の工房を訪れていた。
工房で何やら武器を一心不乱に研いでいる親方に向けて声を掛けると、親方は俺に背を向けたまま
「おうよ。得物に何かあったらまた何時でも訊ねて来な。」
ぶっきらぼうに別れの言葉を投げかけて来た。如何にも親方らしい。俺は餞別の燻製肉を作業台の上に置いて、仕事の邪魔をしないようそっとその場を離れた。
工房の弟子達とも別れの挨拶を済ませた俺は、最後に出迎えてくれた小坊主にも別れを告げると、互いの拳と拳を合わせた。小坊主流の別れの挨拶らしい。コヤツにも色々な意味で世話になった。最近では登山用具を工房の端材を利用して格安で作って貰った。親方に直接依頼すると高く付き過ぎるからだ。
因みに最近俺がデート代を工面してやった女との交際はすこぶる順調らしい。本来ならそんな事を聞けば嫉妬の修羅と化す俺であるが、こと小坊主に関しては例外中の例外であり、俺は慈悲深い菩薩と化す。其れには無論理由が有る。俺は故郷の漫画や小説に登場するインポ〇郎では無いので、ヤれる時はきっちりヤる男である。だがしかし、俺には長い間どうしても払拭できぬ不安が有ったのだ。
故郷ではクラスメイトのムカつく自慢話や、先輩方からの有難い口伝や、みんな大好きエロ動画等で、ヤる為に必要充分な知識を脳内に叩き込んだつもりの俺であったのだが。此の世界に飛ばされる事により、滾る情熱と共に蓄積された知見は根底から覆される事となった。果たしてこの世界の人族の女って、地球のホモ・サピエンスの女と同じ様にヤる事が出来るのであろうか。もし本来股にあるべき穴が、例えば背中とか後頭部に有ったら・・・。いよいよ来たるべきその時がやって来て、イエローストーン大噴火の如きテンションでズバーンと女の服を脱がせた時に、例えば露出した乳首がスマホのレンズみたいに4つ並んでたりしたら・・・。俺はもしかすると二度と勃ち直れぬかも知れない。そんな不安に慄いて来た。
だがそんな折、俺は小坊主からデート代の代価としてアレやコレやの生の情報を根掘り葉掘り吐かせることにより、其れ等の不安を払拭する事が叶ったのだ。プライバシー?うるせえよ。此処は地球じゃあねえんだ。そんなモノ溢れる知識欲と探求心の前では、ケツに生えたムダ毛未満の代物でしか無い。そして此の結果得られた無上の喜びと安心感は、地球でのほほんとイチャコラしている爆破上等なクソッタレ共には想像も出来まい。
そんな訳で、小坊主は既に俺にとって得難い友であると同時に、長年の不安を解消してくれた恩人でもあるのだ。女如きで嫉妬なんてとんでもねえ。
「カトゥー。此の都市に戻ってきたら、また工房に顔出してくれよ。」
「ああ、勿論だ。だがその頃には もう独立して親方になってるんじゃないか。」
「だと良いけどな。でも親方と比べたら、俺はまだまだ未熟さ。」
謙遜を口にする小坊主は苦笑いを浮かべるが、口とは裏腹にその表情は自信あり気であった。実際今の工房の弟子達の中では最も腕が良いからな。小坊主の癖に。
そして俺は小坊主に改めて別れを告げると、そのまま工房を後にした。暫く歩いた後チラリと背後を覗き見ると、小さくなった姿の小坊主は何時までも手を振り続けて居た。
____そして、俺はその足で魔術師ギルドへと向かった。
俺が旅立つ気で居る事は、とうに婆センパイには伝えてある。
今や勝手知ったる婆センパイの研究室に入ると、センパイは煙管のような筒から煙を吹かしながら、分厚い書物に目を落としていた。
「小僧、行くのかい。」
俺が言葉を発する前に、珍しくセンパイの方から声を掛けて来た。
「ああ。」
「そうかい。」
「・・・・。」
「・・・小僧。お前がもしエリスタルで魔道の伝手を欲するならば、リリィ・マグィストスの唯一人の弟子を名乗る事を許そう。あたしゃの師匠はボンクラじゃったが、マグィストスの名は彼方ではちぃとばかり世に聞こえておるからの。」
え?いや、何か急に弟子に認定されたけど、俺は別に名乗る気なんぞ無い。それに
「だが 俺が婆センパイの弟子だなんて エリスタル王国の人達は誰も知らないだろうし、その事を証明する事も出来無いだろう。あまり意味があるとは 思えんが。」
「ああ。その事じゃが小僧の弟子入りは、既に魔術師ギルドに申請してあるぞい。」
ええ・・。もしや既に魔法の教育期間を超過してるのに誰にも何も言われなかったのはそのせいか。別に申請するのは一向に構わんけど、其れを本人に黙ってやるのはどうなんだろう。其れに、確か魔術師ギルドへの本人だか弟子入りだかの登録は、ソイツの血液か何らかの体液が必要だと聞いた事が有る。つうかそんなモン何時の間に採取されたんだよ。当の本人に全然心当たりが無いんだけど。正直滅茶苦茶怖えよ。
「魔術師ギルドは使い魔と呼ばれる魔物を使役しておる。外聞が悪過ぎるからか最近では専ら獣を使う魔術師の方が多いがの。其れでも小僧の足よりは遥かに速いハズじゃから、通知が定期便に乗れば程無くエリスタルのギルドまで伝わるはずじゃ。」
「ふうむ。」
何とか気を取り直した俺は適当に相槌を打っておく。重ねて言うがセンパイの弟子を名乗る気など一切無い。
「何時如何なる時でもあたしゃが教えた魔法の鍛錬を怠るんじゃないぞい。それに次此処に来る時は、ちゃあんとお前のアスクリンを完成させるんじゃぞ。そしてええか、その研究の成果を洗い浚いあたしゃに全部吐くんじゃ。」
「いや、センパイもう長く無いだろう。その頃には とうに死んでいるのでは。」
その次の瞬間、鬼の形相と化したセンパイは凄まじい速度で机の上に乗り上がると、いきなり俺の顔面を鷲掴みにしてきた。視界が突如塞がって、何も見えない。そして更に、
痛だだだだだっオイオイオイ爪が食い込んで・・痛い痛い痛いって!
「舐めるんじゃないよっ。あたしゃ最低でもあと150年は生きるわい!」
「ぐあああっ!分かった、謝る。謝るから早く此の手を放してくれ!」
「フンッ。」
流石にこんな時まで俺に対してハードなパワハラをぶちかますのは不味いと思ったのか、センパイは思いの外すんなりと鉄のクローを解いてくれた。それにしても何てババアだ。相変わらず老婆にあるまじき身体能力と手癖の悪さである。
「まあええわい。こいつは餞別じゃ。」
婆センパイは俺に向かって何かを投げて寄越した。
「む、これは?」
受け取った俺の手には、黒い石と鎖の付いた小さな金属の筒が有った。
「燃える石と粘水じゃ。餞別代りに持っていくが良い。其れ等は日属性と水属性の触媒として使えるぞい。どうじゃ。額を床に擦り付けてあたしゃに感謝してもええんじゃぞ。」
「・・・・。」
此れ石炭じゃねえか。どうしよう。粘水とやらはともかく、実は石炭は形も色も此れより遥かに良さげなブツを既にトト親方から譲って貰っているのだ。テヘッ残念でしたあぁもう持ってまああっす!なんて煽りは流石にチョット言い難いので、予備の触媒として有難く貰っておこう。
「有難うセンパイ。」
「フンッ。簡単に失くすんじゃないよ。」
「分かった。あと俺からも、此れをセンパイに受け取って欲しい。」
俺は自慢の燻製肉を取り出して、センパイに手渡した。
「小僧、一体どういう風の吹きまわしじゃ。」
「センパイには色々世話になったからな。」
「ふ~ん、仕方無いから貰っておいてやるわい。」
センパイは暫し手にした燻製肉を見て目を丸くしていたが、何らかの心の折り合いがついたのか、早くも包装を解いて肉にかぶり付いた。だから手渡した傍からいきなり食うなっつうの。
・・・さて、用件は済んだしもう行くか。
俺は肉を貪るのを止めて、再び煙管モドキを咥えた婆センパイに背を向けた。
「じゃあ、達者でなセンパイ。」
「・・馬鹿弟子よ。」
背中から掛けられた声に、俺は思わず後ろを振り返った。すると俺に背を向けたまま椅子に座るセンパイから、プカリと丸い煙が宙に浮かんだ。
「・・・詰まらない事で死ぬんじゃないよ。」
センパイ、つい先日滅茶苦茶詰まらない事で俺を殺そうとしたよな。などというツッコミが脳裏に浮かぶが、其れを今口に出すのは野暮ってモンだろう。
「ああ。行ってくる。」
まるで隣家に遊びに行くかのような軽い調子で応えると、俺はもう振り返る事無く婆センパイの研究室を後にした。其処には別れの涙など一滴たりとも存在しない。
だが此れで良い。メソメソとした湿っぽい別れなど、俺達には似合わないのだ。




