第149話
此処は相変わらず薄暗い、婆センパイこと魔女リリィの研究室である。
俺とセンパイは机を挟んで顔を突き合わせ、互いの意見を戦わせていた。俺達が連日協議するその議題は俺のオリジナル魔法、尻洗魔法アスクリンの開発についてだ。
「ウ~ム。射出する水を日属性で温める事は一応可能ではある、のう。じゃが。」
「うん?何か思わしくない事が あるのだろうか。」
「んむ。あたしゃが日属性の力を加えると、瞬く間に熱く成り過ぎてしまうんじゃ。こんな熱湯を尻の口にぶっかけたら、尻が溶けて大穴が開いちまうぞい。じゃからどうにかして熱の加減を調節しようとしておるんじゃが、其処らの器に注いだ水を温めるのと違って、中々思うようにいかんわい。」
「ううむ・・無理に温かさを調節する必要は 無いんじゃないか。初めから水と湯の二種類だけに絞って、俺が日属性の魔法を習った時のように 後は身体に覚え込ませてみるのはどうだろう。」
「其れも選択肢の一つとしては有りじゃな。尤も、未だ日属性の丁度良い力加減が分からんから、其れが試せる段階まで行っておらんがの。それに、其れは其れでちと問題が有るんじゃ。」
「問題?」
「一度そうやって身体に魔法を覚え込ませてしまうと、先に小僧の言っていた水流の強弱や振れといった新たな効果を後で魔法に組み込むことが、却って難しく成りかねんのじゃ。」
「ああ。其れは感覚的に 何となく分かるな。魔力の変換や魔法の発動を反復練習で身体に覚え込ませるならば、特別な才能は 必要では無い。だが、その代償として応用が 利き辛い。」
「必ずしも不可能と言う訳では無いがの。じゃからと言って、初めから全ての役割を一度に纏めて身体に覚え込ませるのは、あまり現実的ではないからのう。」そう。必ずしも不可能ではない。それは俺も回復魔法で実証済みだ。それに婆センパイと違って天賦の才能が無い俺には、どの道他に選択肢が無いような気もする。
「うむ。先ずは俺も試してみたい。水流に日属性の力を加える要領を 教えて欲しい。」
「んむ、ええじゃろ。」
俺が目の前で新魔法を披露して以来、婆センパイはそのまま俺に向かってダイヴして来そうなくらい前のめりになって魔法の開発に協力してくれるようになった。それに伴い、センパイの俺に対する振る舞いは、此の婆さん何処かで頭を強打して脳味噌がバグったのではないかと勘違いしそうな程に見違えた。特にアスクリンの開発に関しては、今の俺達は魔法教育を受ける生徒と教師の間柄と言うよりは、まるで共同開発に取り組む同志と言った体である。
尤も、他の魔法の修練の間は相変わらずボロカスに罵倒された挙句、何かヘマすると速攻でハードパンチがカッ飛んで来るのだが。
それにしても、婆センパイは数年とは言え流石魔術師としての先達である。先程のようにいきなり温水を試すなど、今の俺の技量では到底叶わなかった事だ。思い切って魔法を披露して本当に良かったと思う。
とは言え、アスクリン開発の進捗については、未だ大きな進展を見せてはいない。まあ、そう簡単に完成するなら苦労なんて無い。別に期限が決められて居る訳でもないし、焦らずじっくりやっていくさ。其れはさておき。
「そういえば、センパイはアスクリンの事を他の魔術師達に教えて 開発の協力を仰ぐ気は 無いのか。」俺は予てから気になっていた事をセンパイに訊ねてみた。魔法の開発の効率だけを考えるならば、複数名の魔術師により共同開発した方がより捗るだろう。俺は此のギルドにそんな伝手は無いけど。
「あん?全く無いね。当たり前じゃろ。魔術師って生き物はな、例え其れがどれ程正しくて有益であろうが、己の魔法の手の内を気安く相手に伝えたりはせぬものじゃ。それにじゃ。ええか小僧。幸福ってのはな、有象無象の連中なんぞと共有するよりも、己で独占したほうが気分が良く、そしてより付加価値が高まるのじゃ。」センパイは俺に向かってニタリと笑顔を向けて来た。其れは何と邪悪で楽しそうな笑顔であろうか。
「そんなモンかな。」
「フンッ、そんなモンじゃて。此の魔法を完成させて、あの糞生意気な受付の小娘の後ろに座ってこれ見よがしに臭っちゃいと鼻を摘まんでやったら、さぞかし気分がええじゃろうて。ケヒャヒャヒャヒャッ。」
「・・・。」
成程。其れは大変に危険な行為と思われるが、此の婆さんはヤると言ったらヤる女である。後の事は地球の神々に祈って置こう。何に対して祈るのかは良く分からんが。
「ま、此れは飽く迄小僧の魔法じゃ。もしお前が世に広めたいと思うのなら、あたしゃ別に止めやしないよ。好きにすればええさ。」
「ああ、分った。」
婆センパイはああ言っているが、俺は彼女程邪悪で極端な考え方では無い。だが俺もセンパイ同様、アスクリンを敢えて世に広める気持ちははサラサラ無い。何故なら此の魔法は俺の、俺に拠る、俺のケツ穴の為だけに開発した魔法なのだから。此の世界の赤の他人のケツ穴事情なんぞ、俺にとっては果てしなくどうでも良いのだ。
・・・いや、本音を言えばこの世界の女性達の臀部から漂ってくるスメルは結構気になるが。そうだな、例えば此れを足掛かりにして受付嬢のようなお姉さんとお知り合いに成れないだろうか。
おめえの尻臭っせえな。俺がとっておきの魔法、教えてやんよ・・・駄目だな。お知り合いどころかボッコボコにぶん殴られそうだ。
____俺が魔術師ギルドで婆センパイの指導を受ける様になって、地球換算で早くも2か月余りの時が流れた。僅か2か月余りと言えど其の一日一日が途轍もない濃度であり、非常に充実した日々だったと言えよう。
唯一つ気になって居る事がある。俺が最初にギルドを訪れた際に申し込んだ魔法の教育期間はとうに過ぎているのだが、果たして大丈夫なのだろうか。あれから特に延長の申請などはしていない。にも拘らず、俺はすっかり馴染みとなったギルドの建屋に我が物顔で出入りを続けて居る。まあいっか。誰も何も言って来ないし。この世界の連中はかなりいい加減で緩い所が有るので、咎められるまでは取り敢えず知らんぷりしておこう。
季節は夏真っ盛りである。ただ俺が滞在している迷宮都市ベニスは比較的標高が高い上、故郷と違って湿度が低いせいか夏でもかなり過ごし易い。
俺は再び、此の都市で著名な鍛冶師であるトト親方の工房を訪れた。そう、遂に俺の専用装備が仕上がった為、受け取りの時が来たのである。とは言え、親方の工房には今迄何度も訪れて装備の試作や調整を行ってきているので、どんな代物が出来上がっているかは凡そ分かってはいる。それでも新たな武装となれば、ワクワクが止まらないのが男心ってモノである。因みに婆センパイは魔術師ギルドから受注した仕事で留守な為、そういう意味でも今日は都合が良いのだ。
「親方ぁ おるかー!!」
俺は建物の入り口付近を、その辺で拾った石でガンガンぶっ叩きながら銅鑼声を張り上げた。一見すると大変失礼な行為に思われるが、親方や弟子達が奥の工房で鍛冶仕事をしていた場合、このくらいしないと声が届かないのだ。それに以前工房の他の来客をコッソリ覗いて見たら皆コレをやっていたので、恐らくはこの工房のフォーマルな呼び出し方法がコレだと思われる。景気良くリズムを刻んで建物をガンガン叩きまくっていると、奥から人影が此方に向かって来た。
「あっカトゥーか。」
「よう。」
「遅かったな。入れよ。親方が待ちくたびれてるよ。」
俺を出迎えたのは親方の弟子の小坊主では無く、やたら色白で鼻がデカい小男である。恐らくはトト親方と同じトワーフ族なのであろう。こいつは小坊主の兄弟子であり、俺の新たな相棒を鍛えた時以来、顔見馴染みとなった。
二人で連れ立って既に勝手知ったる工房の中に入ると、腕組みをした親方とついでに小坊主がニヤニヤしながら俺を待ち受けていた。そしてその前に据えられた巨大な作業台の上には、長らく待ち焦がれていた俺の真新しい専用装備が、綺麗に並べて用意されていた。




