どこかにサムライ
「サムライがやってくるぞっ」
僕が玄関のドアを開けると、彼はそう言いながら飛び込んできた。こんな時僕は、彼を部屋の奥のソファへと招き入れ、温かい紅茶をだしてやる。
ここはマンションの5階だというのに、エレベーターを使わず階段を駆け上がってきたらしい。ソファにどっかと腰をおろし肩で息する彼も、紅茶を出すころにはようやく落ち着きを取り戻した。
目の前の紅茶を彼は砂糖もミルクも入れずにそろりと口に含んだ。そして「ふぅ」と息をついてからソーサーにカップを戻した。
「それでどうしたの」
と言う僕の声に答えようと彼はこちらを上目づかいに見やったが、その視線はそのまま僕の頭の上へと移動した。
「お前のちょんまげ、変だぞ」
たしかに今日の僕のちょんまげは寝ぐせがついて先っぽが右にニョロリと曲がっている。でも今日は一日部屋で仕事をするつもりだからこれでも構わないのだ。それに、突然やってきた彼とは身なりに気を使って会う間柄でもない。
「あぁ」
理由をいちいち説明してほしいわけでもないだろうから生返事ですませておいた。彼はかまわず続けた。
「今朝おきたらな、オレんちのロフトに登る階段あるだろ、あそこにな、矢が刺さっててな、それに紙がくくりつけてあったんだ。それに“何々近日参上”とか書いてあんだよ。でもその何々ってとこがにじんじゃって読めないんだよ。水性ペンで書きやがったんだな、きっと。でもそんなことするのって奴しかいないだろ、サムライしか」
「あぁ、そうだな」
僕はまたも気のない返事をした。
「でも今あいつに会うのはまずいだろ。これじゃ」
そう言って彼は自分の頭の上を指さした。彼の頭にはふたつのちょんまげが並んで乗っている。最近流行のダブルちょんまげ、通称“ダブちょん”だ。おしゃれさんの彼はここ2ヶ月ほどこの髪型にしている。
「とりあえず元に戻そうと思ってさ、ここ来る途中に“サロン・ド・髪結い”に行ったんだけどさ、休みなんだよ、来週まで。“従業員慰安のためお伊勢参りに”とか書いてあんだよ」
「他のとこへ行けばいいじゃん」
「だめなんだよ、オレはあそこしか行かないんだよ」
どちらかというとおしゃれに無頓着な僕には彼のこだわりがよく分からないのだが、ダメと言われちゃしょうがない。
「オレがやってやろうか」
冗談まじりに言うと
「やだよ、寝ぐせをつけたやつなんかに」
と笑いながら返したが、すぐ真顔に戻った。
「まいったなぁ」
と言うと腕をかかえこんで黙ってしまった。
やがて懐から扇子を取り出して親指と人さし指でパチリパチリといじりだした。
「うちには昨日来たけどね」
僕がそう言うと彼のパチリが止まり、びっくりしたようにこちらを見た。
「それを先に言えよっ」
彼はその扇子で自分の膝をパチリとたたいた。
「で、どうだった?」
「どうだったって、別に・・・お前と同じとこに座って紅茶を飲んでっただけだよ。」
「どんな話をした?」
と身を乗り出して聞いてくる。
「まぁ、今度のシルバーライノス対ターキーズの試合のこととか」
「他には?」
「んー、それくらいかな」
「それだけ?」
「うん、まあ」
「そうか・・・お前は特に問題なさそうだしな。でもなんで寝ぐせの奴が何も言われなくて、ダブちょんがダメなんだよ」
「昨日は寝ぐせじゃなかったけどね」
僕の言うことには答えず彼はまた扇子をひざでパチリとやると紅茶に手を伸ばした。これでやっとふた口目だ。そして
「今度の試合って、どうせまたターキーズなんだろ?」
と少し投げやりに言った。ここからは僕の守備範囲だ。
「ところがね、今度はライノスの圧勝と見てるんだ」
「うそ?なんで」
「こんどライノスに入った38番、こいつがすごいんだ」
「38番?でもあいつは向島でシジミばっか食べて使い物にならないって話だぜ」
彼はきっとそこらへんのスポーツ新聞か何かで読んだんだろう。でも僕のような通のあいだではそんなことを信じてる奴はひとりもいない。
「あれはな、相手を油断させる作戦だよ。実は極秘に肉体改造をしてるらしい。今度の試合はテレビでやるから見てみな。かなり絞りこんだ体で出てくると思うよ」
「ふぅん」
彼はあからさまに興味がないといった風でソファにふんぞりかえった。僕はふとあることを思い出した。そしてそれを彼に伝えることにした。
「38番がヘルメットをとったとこ見たことあるか?あいつもたしかダブちょんにしてるぞ」
「ホントか!?」
思ったとおりの大げさな反応で彼は体を起こした。僕はつけ加えて言った。
「あいつも選手の間じゃかなりのおしゃれさんで知られてるんだ」
「そうかぁ、お前が言うなら間違いないな。じゃオレがこのままダブちょんにしてても大丈夫だな。だってそういう、公に出る人がやってるんだもんな」
彼は俄然元気を取り戻した。
「このままサムライと会ってもおとがめなしってわけだ」
そう言いながら彼は立ち上がり、さっさと玄関へ向かう。僕もあわてて彼のあとを追って見送りにいく。
玄関のドアを開けながら彼はこちらに振り返り
「ヘルメットを取ったとこってテレビに映る?38番がどんなダブちょんにしてるか見てみたいな」
と、うれしそうに聞くので
「あぁ、たぶんハーフタイムの時かな」
僕も思わず笑顔で答えてしまった。
「よしっ今度の日曜だな。絶対見るよ。じゃあな」
そう言って、ふたつあるちょんまげの向かって左側のほうをなでながら、ゆっくりとドアを閉めた。
結局彼は、出した紅茶の半分も飲んでいかなかった。