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短篇集  作者: トリム
3/8

シンクロ深海魚

2月のあるのどかな日。こんな日は午前中の得意先まわりを早々にきりあげ、弁当を買っていつもの土手に向かう。川沿いにつづく細い砂利道。川を右に見ながら車をゆっくりと走らせる。この道からゆるやかな傾斜の土手がくだり、きれいに雑草が生え揃う河原の向こうに川が流れる。

やがて、いつものポイントにたどり着き、土手の傾斜がはじまるギリギリのところに車を止める。そうして車の中から川を見下ろしながらお昼を食べるのだ。

それにしてもいい天気だ。「3月下旬ごろの暖かい陽気となるでしょう」という今朝の予報どおりだ。せっかくだから窓を少し開けてみる。草のにおいと一緒にここちよい空気がスゥーと車内に入ってくる。実に気持ちがいい。おかげでいつもと同じからあげ弁当がおいしく感じられた。こういう時だけは営業でよかったとつくづく思う。

さて、午後の仕事開始まではまだまだ時間があるので、これまたいつものように昼寝に入ることにする。シートを倒しながら何気なく河原を見下ろす。おっ、向こう岸の土手にもスーツ姿のサラリーマンが地べたに座ってるぞ。


(ん?)


あわててシートを起こして目をこらす。あれはなんだ?スーツ姿ではあるが人ではない。顔が、というより頭部全体が、魚だ。ちょうどワイシャツの首の部分に大きめの魚がのっている感じ。さらによく見ると、ズボンのすそと上着の袖から出てるのは、ヒレだ。なんだなんだなんだ?半魚人の着ぐるみの上にさらにスーツを着て、ちゃんとネクタイまでしめて。何かの撮影か?それともどっかの劇団の練習か。それらしき人たちをあたりに探すが誰もいない。彼(?)ひとりのようだ。

驚きと状況把握の混乱に陥っていると、やがてそいつが立ち上がった。ヒタヒタと川の方へ歩いていき、水際までくるとズボンのすそを丁寧にめくり始めた。

川へ入るつもりか?めくったすそから見えてくるのはやはり魚のヒレ、のような感じの足、いや、ヒレ。 時間をかけたわりにはたいしてめくりもしない。そして準備万端とばかりに一歩川へ近付き、ゆっくりと右足ヒレを水面のほうへ伸ばす。 ヒレの先が水に入った瞬間


「うっきゃっほう!」


と、かん高い声をあげ、手足をバタバタさせてピョンピョン飛びはねながら辺りを走り始めた。

思わず笑ってしまった。魚の格好をして水に入れないなんて滑稽すぎる。

やがてしばらくすると動きをピタリと止め、くるりと川の方へ向き直って、何ごともなかったかのようにまたヒタヒタと歩き出した。そして川へ足をゆっくりと伸ばし、水に触れると


「うっきゃっほう!」


またバタバタと走り始めた。こいつは面白い。もっと近くで見たくなり、車を降りてヤツに気づかれないように土手の中腹あたりまで行き、腰をおろした。その間もずっと、水に右足ヒレを入れては「うっきゃっほう!」バタバタバタバタ、ピタリ。ヒタヒタ、そろ〜り、「うっきゃっほう!」を繰り返している。

ここまで来ると頭の部分の魚がはっきりと見える。なんともグロテスクなアンコウのような魚。おそらく深海魚の一種。それにしてもよく出来た着ぐるみだ。質感から何から本物そっくり。そっくりを飛び越えてむしろ生々しい。しかしスーツ着用というへんてこさが妙なおとぼけを醸し出している。

一体いつまで同じことを繰り返すのだろう。いっこうに水の中へ入っていけそうにない。のどかな河原にヤツのすっとんきょうな声だけがこだまする。

でもなんか楽しそうだ。水に入ることよりも「うっきゃっほう!」を楽しんでるようにも見える。顔(?)はあくまでもグロテスクな深海魚なのだが、うれしそうな表情にも見える。きっとそうだ、ヤツはあれを楽しんでいる。

その様子があまりに笑えるのでしばらく眺めていたが、ふと、水がどのくらいの冷たさなのか確かめたくなった。向こう岸のヤツの真正面を避けるように川へ近づき、裸足になってそっと足を入れてみた。なんだ、たしかに冷たいけれどそんなに大騒ぎするほどではない。暖かい陽の光とヒンヤリ気持ちのいい川の水が子供の頃を思い出させるようで、しばらくバシャバシャと遊んでみた。

何か急に静かになったような気がして、無意識にヤツのいるほうに目を向けた。すると、ヤツは微動だにせずこちらをじっーと見ている。

あれ、気づかれたか。あの深海魚ぶりでそんなに凝視されると、ちょっと不気味な感じもするが“どーも”というつもりで頭を下げてみた。するとヤツも同じように頭を下げた。その様子がこちらをほっとさせた。思いきって聞いてみる。


「何かの練習なんですかぁ?」


ヤツも何かを言って返してる様子なのだが声は出ていない。頭の魚をとるわけにはいかないのだろうか。一応もう1回


「よくできてますね、その着ぐるみ」


と自分の体を指差すジェスチャーをしながらさらに大きな声を出した。すると向こうも自分の体を指差しながら何かを言ってるようだが、やはり声が出ていない。これ以上声をかけても同じような気がしたので


「がんばってください」


と会釈し、車に戻ることにした。何をがんばるのかよく分からないが。


(邪魔をしてしまったかな)


靴を履きながらふと気になってヤツの方を見てみた。するとヤツも前かがみになりながらこっちを見ている。靴はないのに靴を履くような仕種をしている。あまりによく目(顔?)が合うので今度は手を振ってみた。ヤツも同じように手ヒレを振る。もっと大きく振ってみた。すると向こうも大きく振る。まったく同じように大きく振る。

なんだ?こっちの真似をしているのだろうか。その確認もこめて両手で軽く万歳をしてみた。むこうも両手ヒレで万歳。次は小さく前ならえをすると、ヤツも小さく前ならえ。アキレス腱を伸ばすポーズ、右手をあげると見せかけて左手をあげる。ジャンプすると見せかけてジャンプしない、息があがるくらい色々やってみたが、全て見事に真似された。


(真似すんなよっ)


失礼なやつだ。そんなの無視すればいいのだが、真似されると気になって、なんとかして振りきってやろうと思ってしまう。


(バカバカしい、子供じゃあるまいし)


そう自分をおさめようとするのだが、なんか悔しい。

そうだ!名案が思い浮かんだ。これならヤツも真似できないだろう。笑いがこみあげてくるのをこらえて川辺へ行き、再び裸足になった。ヤツは相変わらず全ての動きを完璧に真似している。


(ここから先は真似できるかな)


ヤツから目を離さずにゆっくりと右足を水に沈めた。ヤツはたまらず声をあげるに違いない。 

ところが、ヤツも右足ヒレを水の中に入れたままじっとこっちを見ている。

 

(くそっ、やっぱりあれは遊びだったのか)


さあ、どうする。両者右足を川に浸したままのにらみあいが続いた。こうなったら逆にヤツの真似をしてやろう。なるべくかん高い声で


「うっきゃっほう!」


と言ってみた。すると向こうも


「うっきゃっほう!」


と声をあげた。しかしここからが違った。こちらは水にじっと足を入れっぱなしなのに対し、ヤツは例のバタバタバタバタ、ピタリの動きを繰り返し始めた。


(やった!)


勝負はついた。ヤツの「うっきゃっほう!」を背中で聞きながら、余裕で足を拭き、靴下と靴を履いてゆっくりと歩いて車へ向かう。その間、一度も振り返らず。しかし車に乗りこもうとした時、うしろから


「ドボンッ」


と大きな音がしたので思わず振り返ってしまった。川の水面にたくさんの泡がたっていた。そして、ヤツの姿も消えていた。


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