ルール違反なので、その婚約破棄はお受けできません
「第一条
婚約破棄は必ずパーティ会場や誕生会、即位式など、人目につくところでなんの前触れも根回しもなく行われなければならない。
両家の面目、今後の関係や立場、その場の家族の迷惑など一切気にしてはならない。
破棄する側(以降A)は、破棄される側(以降B)を辱めるためだけに他の全てをぶち壊していいものとする。
第二条
婚約破棄に正当な理由があってはならない。理由は常に自己中心的であるべきである。
権力関係や家の事情が変わった、一方の家の財力不足などの理由で破棄するのは不適切であり、「真実の愛を見つけた」「ほかに好きな人ができた」、「B は釣り合わない」といった滅茶苦茶な理由でなくてはならない。
第三条
婚約破棄の場には、必ずAの新たな伴侶となる人物(以降C)を同席させなければならない。ただしCはBより若い同性であり、外見上はBより同等か、それ以上である者だと好ましい。ただし、Cは必ずBより知性や教養が劣っていなくてはならない。
CのほうがBより爵位などの立場が低いと理想的である。
第四条
Cは、婚約破棄の理由のひとつに「Bからの迫害」を列挙しなければならない。真偽はどうあれAはCの言葉を無条件に信じ、Bやその他の者の言葉がいかに正当なものであろうと耳を貸すべきではない。
Cは「Bのみに露見する泣き真似」などの繊細な演技力を求められる。Bはその演技をその場で指摘してはならない。
第五条
Bは、婚約破棄にて行われる全ての理不尽に対し、その場では言葉以外での抵抗を一切行えない。婚約破棄の影響で生家が没落する等の不利益があっても、賠償請求は出来ない。
ただしBは婚約破棄翌日後に、行われた理不尽への抵抗権を取り戻す。
その場合Bは、幸福追求権を行使し幸福になる義務・権利がある。概ね、外部の人間と一緒になる場合が多い。
またその場合A及びCは、自身に責任がある状況で没落していく必要がある。」
「……以上の条項を鑑みまして」
伯爵令嬢のミシェーラ・アルファードは、分厚い本をパタリと閉じて宣言した。
「殿下。貴方の婚約破棄はひとつも合っておりません。これでは婚約破棄などお受けできません」
「何を言っているんだ? ミシェーラ」
アルファード邸の質素な客間にいるのは、ミシェーラと婚約者のクラウス第二皇子の二人だけだ。ガラスの机と紅茶を挟み座る彼らは、まさにお似合いの美男美女。
落ち着いたブラウンの髪と清楚な藍色の瞳を持つ伯爵令嬢と、金髪に目が覚めるような翠眼を持つクラウス第二皇子。社交界でも話題の二人だが、その表情はどちらも明るくはない。
クラウスがミシェーラに直々に婚約破棄を申し出たからである。
「こんなことになって本当にすまない。申し訳ないと思っている」
クラウス皇子は、婚約破棄を言い渡してからもう十回は謝罪の言葉を口にしていた。
「不服があるのは当然だと思う。けれど国の……僕の家の事情が変わったんだ。財政赤字で、君の家を吸収合併することができなくなってしまった」
アルファード伯爵家と王家は伝統的に仲の良い間柄だ。
アルファード家は王家の分家筋でもあり、歴史的にも重要な立ち位置にいることが多い。ミシェーラの父と兄も貿易事業の中核に関わっている。そのくらい近い関係だったのだ。
そしてこの度、ミシェーラとクラウスの結婚を経て、アルファード家が王家に統合されることになったのである。
幼い頃からの婚約者であるミシェーラとクラウスは誰が見ても相思相愛で、社交界きってのバカップルと有名だった。しかし国の財政赤字で、アルファード家を抱えることが難しくなってしまったのだ。
相思相愛で有名な彼等が婚約解消。しかも、破棄という形で。
しばらく社交界の噂の的になるのは避けられない。
「もちろん、婚約破棄は君の方からということにするよ。僕が嫌われたことにすればいい。正直考えるのも辛いことだけど……」
「そんな! 仮定でもそんなの嫌です!」
クラウスの意図がわかっていても、ミシェーラは叫ばざるを得なかった。
外交面を考えても、婚約破棄の原因が財政赤字だなどととても言うことは出来ない。個人間の問題……どちらかが捨てられたという体裁を繕うしかないのだ。クラウスはそれを自分側にしようとしていた。
ミシェーラがクラウスを捨てたという話になれば、ミシェーラの面目はまだ保たれる。
クラウスは、自分が恥をかくことはなんとも思っていなかった。
「……お義父上、アルファード伯爵には本当に申し訳ないと思っている。国の落ち度のせいで約束を破るなんて……出来る限りの支援はするし、もちろんそちらの評判が落ちないよう根回しもしているが、未だになんとお詫びすればいいのか……」
「クラウス様……」
ミシェーラは感動的に呟く。
なんて人思いの魅力的な人なのだろう。他にここまでできる人はきっと居ない。
いくら婚約が破談になろうと、生家が怒りをあらわにすることはないだろうとミシェーラは確信できた。
だからこそ彼女は我を貫く。
「ーーでも殿下。やっぱりこれは条項違反です!」
「条項?」
「は、はい。大切なものです」
「聞いたこともないが、それは一体なんなんだ?」
「……」
ミシェーラは分厚い本を抱えこみ、拗ねたような表情をした。
とても子供っぽい振る舞いをしているという自覚がある。単に恥ずかしかったのだ。
まさか自分が、大人の対応を放棄してまで婚約破棄を嫌がるなんて。
だがその表情にクラウスは、怒っていると勘違いしたらしい。慌てたようにミシェーラの傍に行く。
「なあミシェーラ。僕だって嫌なんだ」
クラウスは泣きそうな顔をしていた。
「正直僕は君以外の女性など考えられない。君が他の男と一緒になるなんて想像するだけでも辛いし、王家でさえなければ……ずっと結婚を夢見てきた女性なんだ。王家でさえなければ、何をしてでも一緒になりたいよ」
「ーーッ!」
ミシェーラの顔が真っ赤になる。
ここまで甘い言葉を吐かれるとは彼女も思わなかったのだ。本を抱きしめたまま少し俯き、再度顔を上げた時には頬が桃のように赤くなっていた。
一言だけを絞り出す。
「と、とにかく婚約破棄はお受けできません、殿下」
「僕だって嫌だよ。でもミシェーラ、わかってほしい」
「……事情はわかってはいますけど……」
ならば何故、とクラウスは困ったように首を傾げた。普段の彼女なら、絶対にこんなわがままは言わない。それを何処か寂しく感じていたことも記憶に新しい。
彼女らしくないのだ。普段は凛としているミシェーラは、拗ねた少女のように俯いた。
「でも、私は……この条項では……」
「条項って……」
クラウスはいよいよ分からなくなった。その本の内容をクラウスは知っている。
「でもそれ、歴史学の本だろ?」
「……」
ミシェーラは黙り込んだ。
「ミシェーラ?」
「……あ、だ、だから、嫌だと言っているんです。その……」
ミシェーラは明らかに狼狽えつつ、クラウスから顔を背ける。
恥ずかしいのか罪悪感なのか。どちらにも取れるように思えた。
「……その、私は貴方と結婚したいんです。
自己中心的で滅茶苦茶で意味不明なのはわかっています。これは私の子供っぽいわがままです。心配せずとも、ちゃんと最後には諦めます」
ミシェーラは観念したように、分厚い本を紅茶の横に置く。
「でもそれまでは、少しは悪あがきしてみたいと思って……」
「……じゃ、ひょっとしてミシェーラも嫌なのか? ええと、家の面目の話ではなくて……」
「あ、当たり前です! 今更何を仰ってるんですか!」
ミシェーラは心外という風にクラウスを振り向き、そして思わず言葉に詰まった。
クラウスも同じくらい赤面していたからだ。
照れたように表情を隠して、少し顔を背けている。
クラウスのこんな顔を見るのはミシェーラも初めてだった。唖然としていると、クラウスは徐に歴史学の本を手に取った。
適当なページを開き、ひとつ咳払いをして朗々と、演説をする様に読み上げる。
「第六条。Bが婚約破棄を嫌がっても、決して覆らないものとするーー」
ミシェーラは頭に疑問符を浮かべた。
当然そんなことは書いていない。
ぱたりと本を閉じ、クラウスは目を逸らしたまま呟く。
「ーーふむ、確かにこれは条項違反だな」
「え」
「あー……ええと、一応僕も王家だ。条項に従わないわけにはいかない」
そしてクラウスはすうっと深呼吸して。吐き出すのと同時に言った。
「今回は条項違反で、その、婚約破棄は無効というのはどうだろう。虫が良いかもしれないが、」
「は!?」
ミシェーラは思わず立ち上がった。
「ちょっ……よろしいのですか!? そんな簡単に……」
「いや実はね。婚約破棄には父も母も反対していたんだ。せめて延期にしておけと」
クラウスは照れ笑いをする。可愛らしいとミシェーラは思った。
「ただミシェーラをそれに付き合わせるのはどうかと思ってね。アルファード伯爵の唯一のお嬢様だし、婚期という問題もあるだろうし。ミシェーラならきっと引く手数多だろうから」
「そんなことーー」
「でも、君が本当に望んでくれるなら」
クラウスはその場に跪いた。
「今すぐは無理でもいつか、財政が復活したら、君と結婚させて欲しい。もちろん、それまでに君が心変わりしていなければの話だけれど」
「心変わりなんていたしません! 天地がひっくり返っても絶対それだけはありません!」
ちょっとこの人は分からず屋だなとミシェーラは思った。何度も愛を伝え、何度も抱き締めても、何故か拭えない自信の無さ。ミシェーラに気後れしているのだと義兄から言われた時は驚いたものだ。
むしろ逆だと言うのに。
「実は少し不安だった。貴女は魅力的だから、僕なんかよりずっと良い人を……」
「クラウス様」
ミシェーラは呆れ半分に笑った。
「私から見れば、貴方の方がよほど素敵です。どうか私の前だけでも自信を持ってください」
この国の第二皇子で、教養も知性もあり、他の誰をも気遣える方が。
跪いたクラウスの手を取り目線を合わせ、彼女は安心したように、あるいは安心させるように微笑んだ。
「いつまでもお待ちしておりますわ。クラウス」
その後、クラウスとミシェーラの必死の働きで国の赤字は収まり二人は無事結婚。ミシェーラは王族となり、三人の子供をもうけ国母と呼ばれるほどになった。
ミシェーラが若い頃捏造した条項は、家などの関係で結婚が破談になりかけた貴族達の間で流行した。
こじつけとはいえその効果は大きく、婚姻率と出産率が上がり、十数年後にマニュアルは公式なものとして登録された。以降、愛ある結婚が阻害されることはほぼなくなったという。
しかし後に、本当に婚約破棄したい者がその条項を逆手に悪用する例もあったというがーー真偽のほどは定かではない。