一話目
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雑然とした、どちらかと言うと物の溢れるオフィス内は今日も今日とてそこで働く人間達の慌しい声と高速でタイピングする音が何処そこから上がり。そんな中、高速のタイピング音に貢献している、私も目の前の画面から顔を上げる事はなくとも周りの声には耳を傾ける。
「おーい、誰かM&Cコーポの2015年度の資料知らないか?今日中に仕上げなくちゃならないんだが……」
部屋中に溢れる声の中でも一際大きな、一人の男の快活な声が部屋中に響き渡り。けれどその声が聞こえていながら男に言葉を返す人間は誰一人おらず、誰もが知らないフリを続けた。それは、ここの人間がその男が嫌いだとかそう言うわけじゃ無い。逆に、ここの人間たちから大層好かれている。そういう人間関係云々ではなく単純に、今の自分の仕事で手一杯だから他の人間のことまで手伝う余裕がないというだけの話だ。繁盛期の今なら尚の事。だから、一階下の資料室から探して取ってくるというだけの単純な作業にも我こそはと手を挙げる者はおらず。
そもそも、彼が部長として『命令』をしたら誰もが従うというのに彼は進んで『命令』をしようとはせず、あくまでも『お願い』をするから誰もが正直申し訳なさもありつつ彼の言葉を無視していて。
「おい、お前榊さんのやって来いよ」
「はぁ?俺昼までに終わらせなきゃなんない仕事もあんだよ。そういうお前こそ行ってこいよ」
「いやいや、俺この仕事……」
ここの人間も別に冷たいわけじゃ無い。ただ忙しすぎて他人のことまで気にしている余裕がないだけだ。男も女も、誰もがバタバタと仕事に追われるこの会社じゃ自分の事で手一杯で。
「私が行きましょうか、榊部長」
だから私はそこで初めて画面から顔を上げて斜め向かいにいる、部長に声を掛けたのに。
「いやいやいや、北薗くんにしてもらうほどの事じゃないから!いいよ自分で取りに行けるからね、あはは」
そう早口で返すと部長はそそくさと立ち上がり、部屋を出て行った。そのやり取りを見ていたここの人間たちは小さな声でコソコソと囁き合っていて。
「こっえぇぇ〜。“私が行きましょうか”だって。あんな顔で言われて誰が“はい、お願いします”って言えんだよ」
「今日も健在だな、“お局様”」
「つーか、誰がお局様って言い始めたの?」
「はぁ〜?そんなの知らねーよ。でも誰となく言い始めたんだよ、」
コソコソと話しているけれど、大して広くないこのオフィスではしっかり私の耳にも聞こえてきて。悪かったわね、怖い顔で。そう言ったところでまた彼らは怯えた顔を向けるんだろうことは簡単に想像できたから何も返しはしない。
「仕事は男より出来るけど、眼光の鋭い仏頂面で冴えない格好の北薗 明日香は“お局様”だって」
「今は“嫁ぎ遅れたお局様”だけどな」
「こりゃ一生お一人様コースだな」
「ひっでぇな、お前」
そう言ってチラリとこちらに目を向けてくる男たちの視線を無視して私もまた目の前の仕事に取り掛かった。別に、私も彼らの言葉に反論する気はないけれど。一つだけ言うなら口を動かす暇があったら手を動かせよという事だけ。まぁ彼らの言葉も強ち間違ってはいないし。
私は、化粧をしなくともくっきりとした目鼻立ちで初対面の人からはキツイ印象を持たれる。その顔に嫌気が差した私はいつからだったか前髪を伸ばして、顔を隠す様に野暮ったい眼鏡を掛けるようになって。そんな私の様子を不気味がって男たちは初めのうちは「幽霊」だとか「ダサ女」だとか大分失礼な呼び方をしていたけれど、私が彼らより仕事が出来ることが分かるとこんな見た目の私に負けて悔しかったのか、彼らは今度は「お局様」と言い始めた。どうしてお局様なのかはよく知らないけど十中八九私のこの、鋭い眼光だろう。
正直女としてはどうなんだと自分でも思うほどに身なりに頓着せず眼光の鋭い、大体いつも仏頂面らしい私が誰かと付き合えるなんて事がある筈もなく。
私は今まで生きてきた28年という年月の間一度たりとも誰かと付き合うという経験もなければ、勿論のこと結婚を視野に入れたパートナーがいるわけでもない。
あぁ、違った。28じゃない。
私は、あの日。誰かも分からない男と一夜を共にして目を覚ましたその日、29になったから。正真正銘破瓜の痛みを知ったその日は28歳最後の日であり私にとって人生最大の最悪な日でもあった。
私が自由にしていられる時間はもう一年を切ってしまったというのに。
まぁ、色んな事情もあり嫁ぎ先もない私はとっくの昔に結婚適齢期など過ぎていて。今の私にあるのは「嫁ぎ遅れたお局様」という肩書のみ。そんな私は今、私を怖がる人間しかいない、この会社で毎日働いていた。
大手企業、嵯峨野コーポレーションの末端子会社。瀬名オペレーションシステム(OS)。
主に、IT関連の仕事に携わる会社だ。
そこで私は主任という肩書を持っていた。
ここに就職して5年。私は毎日、ソフトウェア相手に仕事をしていた。この仕事は、人間性とか社交性とかそんな能力は関係なくて。ただコンピュータの処理能力のみを求められる、この仕事は私にとって唯一の自分を救ってくれるものだから。どんなに周りの人間から腫れ物扱いされようとここを辞める気は一切なかった。
だから、まさか約束の日まで既に一年を切ったこのタイミングで私の人生が180°変わることが起ころうとは予想だにしなかった。
全ての歯車は、28歳最後の日。
あの日に既に動き出していた。




