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七話目

驚くほどに美しい顔をした男はコツコツとこちらに向かって歩いて来て、私の存在を無視するかのように通り過ぎるとこの部屋で一番上等な革の椅子にどさりと腰を下ろした。

それは、先程までチンピラが座っていて……もう、その男は顔を真っ青にして出て行ったけれど。

それでも社長の椅子に間違いはなく。

それは分かっているはずなのに何の躊躇いもなく腰掛けて、さらにはチンピラとは言え大手企業の社長を言葉一つで追い出して。

………何者だろうか、この男。

そう思うと先程とはまた違う、恐怖とも似た感情が顔を出して。

正体の検討もつかない男にどこか警戒した眼差しを向ける私を他所に。


「お前、男いたこと無いだろ」

ひどく平坦な声音で、世間話でもするようにそう、言ってきた男は私が目を見開いたのを確認するとゆるゆると右の口角を上げた。

「………は?」

思わず、そう小さく零れた私の声は男に届いたのか否かは分からないが、男は悠然と脚を組むと今度はあからさまにフッと、嗤った。

馬鹿にしたような目を向けてくる男にそこはかとなく怒りがこみ上げる。

……男がいた事ない?それが一体この男に何の関係があるというのか。

そりゃ、それだけお顔がよろしければ周りの女たちがほっとかないだろう。目の前の男が愛人を10人侍らせていると言われても納得出来るけれど。でも、

会って間もない女に真っ先に言う言葉じゃないだろう。もし、思っていたとしても。

そう、言ってやりたい気持ちはあるけれどそれをぐっと抑え込んだ私は平然を装って口を開く。

「……私はここに、社長に呼ばれて来ましたからこれで失礼します」

男の発言には触れずさっさと退室するべく、口上を述べると。その瞬間つまらなそうな表情をした男がそれを止めた。

「だったらそこの椅子にでも腰掛けとけ」

「……いえ、この部屋にはもう用はございませんのでこれで失礼します」

話の分からない男に疲れてもう一度今度は丁寧に、直接的に断りを入れる私を他所に。

男はもう一度、今度は一言ずつ区切って言った。

「だから、そこに、座っとけ」

………?

この男が何を言いたいのか意味が分からず苛立ちと困惑でいっぱいになる。

「……私は、社長と話があって来ましたから。社長が退室された今、もうこの部屋にいる必要はございませんから、私も退室させて頂きます」

今度こそ、男にも通じるように懇切丁寧に言葉を落とすと。

「だから、お前はここにいればいいだろう?」

まるで頭の悪い人間に言い聞かせるように男も言葉を落とす。

「………?」

けれど男の言いたい意味がさっぱりわからない私からするとただただ苛立ちは募るのみ。

その、私の苛立ちが顔に出ていたのか私の顔をじっと見ていた男はその時初めて表情をガラリと変えた。馬鹿にした顔でも、悪戯を思いついた悪ガキのような顔でもなく、男は初めて楽しそうに表情を崩し、口を開いた。

「——————」

「………はぁ?!」

……まぁ、私からすれば全くもって笑えない発言だったのだが。


実に楽しそうな顔をしている男は平然と言葉を放った。

「ここに、嵯峨山 聡一本人がいるんだからな」と。



………全く頭が追いつかないんだけど。

「……きちんとご説明してください」

ことの次第の多分半分も解っていない私を面白そうに見つめると、男もやっと“正解”を口にした。

「お前が今さっき会った男がいただろう?」

「えぇ」

「あいつは先日お前の“知り合い”のご老人をカモろうとして運悪く居合わせただけの俺に返り討ちにあって、俺に連れてかれた。ここまでは見てたよな?」

「……えぇ」

確かに、あの日百合子さんが何度も何度も頭を下げて見送っているうちにチンピラ男をどこかに引っ張って行った……と、思う。

「でな、俺も最初は警察にでもしょっ引こうと思ったんだが……あの男の利用法を思いついて俺が直々にあの男を雇ったって訳だ」

そう言って机の上に置かれていたペンを玩ぶようにくるくるとこともなげに回す男に

「……利用法?」

思わず言葉を返すと。

「…あぁ、お前の反応・言動を試すためのトラップだな。あいつはあの日お前が居たことなんか知っちゃいないがお前はあいつを覚えている、だから今日本社の社長として対面すればあいつが社長の器じゃない事はすぐに見抜けた筈だ。

それで、だ。そんなチンピラ男と会ったらお前は一体どんな対応をするのか、それを見るためにあいつには偽の社長を演じてもらったんだよ」

……もっとも、あいつは本当に社長になったと思っていたようだがな。そう言ってまた男はくるり、くるりとペンを回す。

その姿はこれ以上する話などないと暗に告げていて。

「……は、ちょっと待って下さい。まるで、私の反応を見るためだけにチンピ……あの男を雇ったように聞こえますが」

まさか、という予感を否定するように私の口にした言葉たちは。

「愚問だな」

そう、即答した男の言葉によって見事に“正解”の烙印を押された。つまり。

この、目の前にいる男が本物の社長で、冷酷非道な生ける伝説と呼ばれる人物で。わざわざ私を試す為だけに人一人を雇ってしまった、凡人には理解不能な思考の持ち主……、らしい。

なら、どうして。

「わざわざ私如きにそんな真似をする意味がございましょうか?」

そんなことに割く時間はこの男には無い筈だ。だからこそ、目の前の社長様の無駄な“仕込み”に疑問が湧くわけで。そうして、問うた私に目を向けた男はクルクルと回していたペンをピタリと止めた。そしてただでさえ鋭いその瞳をさらにキュッと細めたと思うと徐に口を開いた。



「お前、本社に勤務しろ」と。



まさか、あのチンピラ男の戯言ではなく本当に私を呼んだ理由が転勤を促すものだったとは予想だにしなかった。しかも、業界ではそこそこ名が知れていると言っても所詮末端の子会社から大企業本社への転勤となれば世間一般的にも“栄転”と呼ばれる言わば出世街道間違いなしのこれ以上ないオイシイ話が舞い込んできたわけで。この話を蹴る者がいればそれはただの愚か者だと嘲笑されるだろう華々しいまでの栄転。


「……謹んでお断りさせて頂きます」

けれど私はその、愚か者になる事を何の躊躇いもなく選んで栄転の道を蹴った。別に、なんやかんやと言い訳をするつもりもない。ただ、私にとって一番大切な事はパソコン相手に出来る仕事でありたい、それだけだから。

その私の反応に何を思ったか男は「ほぅ……」と言葉を漏らすとピクリと眉を上げた。そして一瞬逡巡するような様子を見せると次の瞬間、部屋の気圧が下がったような感覚に陥る。

それほどまでの威圧を目の前に座る男から感じ、知らず知らずのうちに私はたらりと一筋冷や汗を流した。そんな私の心の内さえ見透かすように男はジッと私に視線を向けていて。私も、ここで目を逸らしたら何かが終わるような予感がしてジッと男を見つめる。私と、男の視線が交差すること数分はたまた数秒か、時間の感覚も分からなくなるほどの極度の緊張感の中。


「……嵐山婦女暴行事件」

男は静かな声でただ、その言葉を放った。けれど、その言葉が聞こえた瞬間、私はひゅ、と息を呑んだ。私には、たったそれだけで狼狽えるに十分過ぎる言葉で。あの酷い雨の日の、薄汚れた廃墟の中。どれだけ振り払おうとも何度も何度も伸びてくるひどく大きなゴツゴツとした男の手—————。

「……なる程、ね。よく調べ上げたものだわ。

はは、初めから、“謹んでお断りする”なんて無理じゃない」

そう言って、乾いた笑いを浮かべた私の声はどんなに取り繕おうとも僅かに震えていて。

一瞬、気まずそうな表情を浮かべた男に「そんな顔をするなら初めから言わないでよ」と、文句を言いたくなるのもしょうがないだろう。

でもこれで、解った事が二つある。

一つ目は、この事を調べあげられてしまったのなら本社勤務は覆せないという事。

それからもう一つは。



「……こちらでも誠心誠意務めさせて頂きます」


「ああ」




—————私は未だに過去に囚われ続けているという事。




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