優れた欠陥
彼には地位や名誉といったものが何を指すのかが分からない。
言葉の意味は理解できても、それが一体どのような点において素晴らしいものであるのかということが、理解できないのだ。
恐らく、地位や名誉といったものの理解を司る脳のある領域に重大な欠陥を抱えているのであろう。
彼は必要最小限の生活費を稼ぎ、豊かな自然の中に身を置いているだけで十分な幸福を感じることができた。
彼には、人がなぜ権力を手に入れたがるのか理解できなかった。
大きなビルの大きな椅子に堂々と座り、いつも小難しい表情で訳の分からぬことが大量に記された書類とにらめっこのしている人間の思想が全くもって理解できないのだ。
彼はどれだけ安物の料理であっても、その中に十分な美味しさを見出し、食の幸福を感じることができる。
人はなぜ、あの薄汚れた紙切れを大量に求めて、来る日も来る日も絶え間無く労働するのかが理解できない。
彼は週に3日、朝から晩まで交通整備のアルバイトに出かける。
彼はなにも考えず、ただ通りかかる車や通行者に対して適切な指示を与える。
全ては感覚のもとに行われる。
世間の人々は彼を馬鹿者呼ばわりする。
いい大人がまともな職につかず、何も考えずに交通整備をしている。
彼は、スーツというものをろくに着たこともない。
けれど、彼にはスーツというものの役割が全くもって理解できない。
なぜ人々は、シワ一つないスーツに身を包み、バタバタとした整髪料で髪を固めるのか。
なぜ会社勤めすることが正義とされているのか。
彼はそのようなことから逃げているのではなく、繰り返すようであるが、本当に理解できないのである。
処刑場に向かうような空気が充満した朝の電車や、やつれた顔のサラリーマンで溢れた夜の電車。
何かに追われるように昼の街中を往く人々。
彼にはそれがなにを意味しているのか全く分からない。
彼は朝ゆっくりと目を覚まし、ただ週3日、ただ立ち尽くすだけの仕事に向かい、夜は何をするともなくボーッとして、眠りに就くだけだ。
人生における成功も失敗も分からない。
彼にとって紙切れはあくまで食料や住居と交換するためのものである。
彼の持つこの性質を致命的な欠陥と取るか。
あるいは、優れた欠陥、天性の才能と取るか。
勿論、この社会が彼のような人間に溢れかえってしまったら、社会は末期の癌に侵された臓器のように、まともに機能しなくなってしまう。
しかし実際は、この社会には彼のような人間は極々少数しか存在しないであろう。
だからこそ、少なくとも僕にとっては、彼のような生き方というのが輝いて見えてしまうのだ。
たとえその人生に起伏というものがほとんど存在しない、つまり喜びや苦しみといったものが存在しない味気ない人生であるにせよ、地位や名誉という悪魔に取り憑かれない精神を、僕は何に代えても手にしたいと思ってしまうのだ。
読んでくださった方、ありがとうございます。
一気に書き上げたので、誤字脱字や読みにくい箇所等がポツポツとあったと思いますが、最後まで読んでくださった方、繰り返しになりますが、ありがとうございます。
長編や短編をいくつか投稿しておりますので、興味が湧かれましたら、そちらの方も読んで頂けると嬉しい限りです。