第20話 悲しみの向こうへ
「このおおおっ、邪魔だ基地外ぃぃ!」
怒声とともに、誰かが美子の方目掛けて跳び蹴りをかます。
その跳び蹴りは美子の後頭部に直撃、美子は眞智子の方につんのめる形となった。
彼女が握る得物はそのまま眞智子の顔面の方に――行かず、眞智子が顔面を右側に傾けることで逸れ、彼女の髪を僅かに切っただけで済んだ。
つんのめった美子は眞智子の胸に支えられる形で止まった。
眞智子は美子の髪を鷲掴みにして、美子の顔を確認する。
幸い、美子に怪我はなく、元気に目を回して気を失っていた。
――彼女もなんだかんだ丈夫である。
「あっ、ぶねえ……」
眞智子は美子から得物を取り上げると、入口の方に目掛けて投げ捨てた。
万が一、美子がすぐに目を覚ました場合に備えての行為なのだが、投げた方向がまずかった。
その先には一美がの伸びている!
僕はその得物の落下予想地点を確認する。
この落下角度ならば彼女に刺さることはない……うん、大丈夫だ。
そもそも眞智子は、得物が一美に当たらない様に投げていたのだろう……が、眞智子のことだ。何らかの報復を考えている可能性はある。
「う……ううん……」
そして空気読めない地雷女が、そのタイミングで目を覚まそうとしている。彼女が目覚めるころには――
ザシュ……
――刃先が鼻先数センチのところで刃体を床に突き刺しその場に止まった。
「ひいいいいいいいいっ!」
彼女は再び気を失い、股間あたりから見覚えのある液体が漏れ出ていた。
これでもアイドルなのに……とにかくご愁傷様です。
とりあえず得物は後で回収しておこう。
そろそろ彼女の方を注目しないと非常に面倒な事になる。
クリオもそう思ったのか、彼女の顔を見て一気に青ざめていた。
そう……基地っている美子に跳び蹴りを加えたのは――
佐那美であった。
彼女は補習を終えた彼女が遂に京都に参戦しに来たのである。
だが幸いなことに佐那美は僕やクリオを構っているどころではない様だ。
彼女の怒りの矛先は…………眞智子である。
佐那美がキンキン声で眞智子を怒鳴りつける。
「ちょっと、どういうことよ『神守君を美味しく頂いた』って!」
佐那美は、眞智子に掴まれている美子を乱暴に肘で払いのけ、彼女に詰め寄った。
それもそのはず。
佐那美は自分1人だけが補習合宿をくらってしまい、それが気に入らなかった様で、他のヤンデレ娘達から僕を隔離する様に仕向けていたのだが……それを眞智子に看破され、彼女の策により隔離されたのは彼女1人だけとなってしまったのだ。
もちろん、それだけではない。
その鬼畜策士が更に佐那美を煽る。
「おまえ何遊んでいるんだ。危なく刺されるところだったじゃねえか」
助けてもらって酷い言い方である。
その様子を見てクリオが「あーっ!」と声を挙げ、2人の間にズカズカと割り込んだ。
「あんた、基地っている美子に動揺するどころか、逆に煽っていたのって、そういうことだったんだね!」
クリオは眞智子からスマホを取り上げると「やっぱり……」と呆れた表情で、それを僕に放り投げた。
眞智子のスマホにはSNSで……
『神守君は私が美味しく頂いた』
『今から神守君と美子のところに結婚の許しを貰いに京都に行くね』
『可哀想だからクリオと一美も連れて行くことにした』
『まあ、正直嫌なんだけど、この際5Pなら美子も納得するかも』
『佐那美も来れば? あっ、ゴメン勉強終わらないんだっけね……ごめんね』
『大事な神守君が心配だったら、佐那美も早く問題解いて来たら?』
『一応、四条にあるガーデンホテルの〇〇号室にいるから』
そして……
『早く来いよ、この馬鹿!』
……と散々煽り散らしている状況が確認取れた。
虚言も虚言、しかもいくらか妄言も混じっている。
もし仮にそれが事実で『神守君は私が美味しく頂いた』なんて言おうものなら、他の連中が許すハズもなく、5Pどころか即564合いである。
それなのに佐那美は余程頭に血が上っていたのか、疑うことなく信じてしまった。
「アンタ、よくこんな内容でダマされてここまで来たわね……」
クリオが呆れた表情で佐那美を見下ろす。
佐那美は何のことだかまだ理解出来ていない。
「えっ、何、どういうこと?」
「だからさぁ……あんた、眞智子に利用されたんだよ。いくら策略家のヤンキー眞智子でも基地っている美子は丸め込めないと踏んだのでしょうよ。だからあんたを発狂させて自分に向かうよう仕向けたのよ。案の定、あんたは眞智子に絡む基地外を排除して眞智子に突っかかっていった――それが眞智子の本当の狙いだったの!」
「う、うそ……」
「じゃあ、逆に聞くけどぉ、あの煽りメールにあった『私らと5Pする話』美子が納得すると思うの、あの独占欲の塊が?」
クリオの問い掛けに、佐那美は鳩が豆鉄砲を喰らった様な表情で首を傾げる。
そして『そうなの?』と尋ねる様に僕の顔を覗う。
僕は眞智子の話は虚言であるという意味で手を左右に振り、クリオの言うとおりという意味でコクリと頷いた。
そこで佐那美はようやく今の自分がどういう状況なのか理解した様だ。
「あ、あんた……よくも私を嵌めたわね……」
佐那美は眞智子の胸ぐらを両手で掴み前後に揺すった。
だが、眞智子はニタァ……と微笑みながら佐那美のその様子を愉しんでいる様な表情をしている。
――眞智子の奴、絶対何か企んでいる。
眞智子は「佐那美、そう怒るなよ。甘い物食べて落ち着きな」そう言いながらどこぞから紙で包まれた物を取り出す。
そして「佐那美、あーん」と言ってその内容物を彼女の口に放り込んだ。
佐那美は怪訝そうにそれをもぐもぐと咀嚼始めたが……
「ん? 何か味がイマイチ……甘くないわよ」
佐那美は首を傾げている。
「何か食べたことがあるような……ないような」
モグモグモグ……何回か恐る恐る咀嚼する佐那美。
それを見ていた眞智子は満足そうにウンウンと頷きながら、口に放り込んだブツについて勿体ぶりながら語り出す。
「――それ、うまいでしょ?」
「いやいや、全然うまくないんだけど……」
「うまいはずよ」
佐那美は口に放り込まれた物の咀嚼をやめ、顔が段々と引きつり出す。
「あんたにそう言われると余計にマズく感じてきたんだけど……」
「おかしいわね。そんなことはないはずよ。これはおまえの大好きな物のはず」
眞智子はそう言いながら佐那美の背中をさするように叩いていたが、それはまるで夜の浜松町の駅前でうずくまり嘔吐するサラリーマンの体勢に、似てなくもない。
今、そのサラリーマンが憑依したかのように佐那美の顔色が段々青ざめてきた。
「うえっ、なんか気持ちが悪くなってきたんだけど……こんなことがどこかであった様な……」
「そう? でもこれは安全なものだから」
「…………」
佐那美が無口になりふらつき出す。
「だってそれは美子が真似て作った神守君風の八つ橋だから……」
眞智子が北叟笑みながら回答するや否や、佐那美は白目を剥きその場でぶっ倒れた。
眞智子が佐那美の口に突っ込んだものは清水寺あたりで美子から没収した危険物である。京都まで慌てて来た佐那美は、最終的に悶絶する結果となってしまった。
「よし、この馬鹿に対しての仕返しはこれでOK」
おいおい……仕返しっていっているけど、眞智子の策にハマった佐那美とうちの妹が彼女の掌で踊っていただけで、眞智子が実際に被害に遭った訳ではない。寧ろ被害者は佐那美本人と美子である。
そしてトドメに……
「クリオ、お疲れ様。佐那美の馬鹿も片付いたよ。まぁ、正直アンタが美子に何か対策とれるとは思ってもいなかったし、あんまり期待していなかったけどね」
眞智子はケタケタ笑いながら、クリオの肩をポンポンと叩いた。
クリオは眉毛をピクリと動かし首を傾げている。
「ちょ、ちょっと眞智子さん。それは酷いんじゃない? 折角、クリオが美子を宥めようとしていたのに……」
さすがの僕もこれにはちょっと納得がいかない。
だって、今回の件でクリオに泣きついたのは僕の方だ。
クリオだってイヤイヤヤラされた弁護役なのに、その眞智子が調子に乗って美子を必要以上に挑発する発言で、何度肝を冷やしたことだろうか。
クリオは眞智子の言葉に合わせて一応は愛想笑いをしている。
――逆にコレが怖かった。
彼女がプライベートで演じる時って、大抵怒っている。
なんとなくだが、どす黒い何かを背中に吹き出している様に見えてきた。
「お、落ち着け……クリオ、なあ」
僕の呼びかけにも手を振って微笑むだけで、うんともすんとも答えない。
しかも彼女の目からは輝きが失われ、死んだ魚の目の様になっている。
ここまでくると彼女は相当どころか大激怒しているハズである。
クリオはゆっくりと眞智子の前に歩み寄ると「ねえ、眞智子」と微笑みながら彼女に声を掛けた。
眞智子も何となく彼女が怒っていることを理解しているようで「怒るなよ、冗談だ。冗談」と彼女の肩をポンポン叩くと笑いながら謝る。
だが、これがクリオのスイッチを入れる結果となった。
クリオは軽く拳を握り、腕をグルグル回すと、「一発殴るよ~」と言いながら団扇で軽く払うかのように拳を眞智子の顔目掛けてポカリと殴り付けた。
明らかに力がこもっていないネコパンチだ。
クリオのパンチは美子の顎辺りに当たったものの、眞智子が殴り飛ばされる程の衝撃はなく、一見すると女子同士がじゃれ合っている様にも見えなくはない。
眞智子も「何だコイツ?」という表情から、『あぁ、クリオが軽めに怒っているのか』くらいの表情に変わってきたところから察すると、彼女もその様に捉えている様である。
――だが、実際にはそうではなかった。
眞智子がクリオに何か語ろうとした瞬間、彼女に異変が起きた。
彼女の体が急に足がふらつき、その場で膝から崩れる様にひっくり返えったのだ。
一番驚いているのは眞智子本人である。
彼女が必死で何かを語ろうとするも呂律も回らなくなり、彼女が何を訴えているのかこちら側では理解出来なくなっていた。
しかも眞智子は何度も立ち上がろうとするも、半身が起きるのがやっとで、体の自由に出来ずもがいていたく。
「あららぁっ、眞智子さんどうしたのかしらぁ~」
クリオはわざとらしく上品ぶって眞智子を挑発する。そして彼女に見せつけるかのように僕にしがみついた。
「ぷぷぷっ、残念ね~。脳震盪起こしたみたいね。罰としてそこでレイと私のイチャイチャを指をくわえて見てくださいねぇっ!」
「ふぐうううううう! ふぐううう!」
眞智子が必死にもがくが彼女の体は言うことを効かないのか、立ち上がることすら出来ない。
眞智子が空手の有段者である様に、クリオも女子ボクシングの経験者でもある。
だから、どうすれば相手をノックダウンさせるのか、十分にわかっている。
普段は大人しく臆病な彼女なのに、眞智子のやり方に対して相当腸が煮えくりかえったのか、遂に彼女もブチキレしてしまった。
「レイ、時間がないわ。本当は眞智子の目の前で口には言えない事をしてやりたかったけど、この際チューでいいから当て付けてやりましょうよ」
クリオは程良く目をギラギラさせながら鼻息荒く僕に迫って来た。
その横で眞智子が「ふぐーっ、ふぐーっ」と必死でもがいている。
――何か、凄い絵面になってきた……
「早くぅ! チュウ!」
クリオが叫ぶ。
「ふぐうううう!」
眞智子がもがく。
――これは絶対に関わってはいけない状況だ。
どうしよう……そう思っていた時、遂に彼女が動き出した。
「ヤラせはせん、ヤラせはせんぞーっ!」
某公国中将が機関銃を構えて人形ロボットに立ち向かうかの如く、クリオの腰にしがみつきその行く手を阻んだ。
クリオが拳を構え、その顔面を睨み付ける――が……
「あんた、そんなにエロいことしたかったら、次々回作は『コールガール』にするから。ただし神守君は絶対に出演させないっ! 濡れ場シーン盛りだくさんでよろしく!」
――佐那美の奴、所属俳優をAV女優と勘違いしていないか?
もちろん、そんな佐那美の暴挙を許すつもりはない。
だが、いつも佐那美の思いつきで酷い目に遭わされているクリオのことである。タダでさえメンタル弱い彼女にこの一言は痛恨の一撃となった。
彼女の顔から血の気がサーッと引き、「いやああああああああああっ!」と悲鳴を挙げ、完全に戦意喪失。
しかも佐那美はトドメとばかりに、クリオの腰をがっちりホールドさせ「うえええ……」と嘔吐きだす。
こりゃ……今にも吐きそうだ。
「佐那美、私が悪かった。許してぇ! 放してぇ! は・な・し・て・ぇ~」
――何だ、この状況は。ちょっと状況を整理してみよう。
美子と一美は失神状態。
眞智子については脳震盪を起こして身動き取れずもがいている。
佐那美にあってはクリオを抱きかかえたまま嘔吐いている。
クリオはそれでパニック状態。
――神守君とゆかいなヤンデレ娘達、全滅じゃないか。
僕はその光景に唖然としたまま、あの哀愁漂う名曲を口ずさんでいた。
次回の投稿も不定期です。




