八 飛んだ事件〜学園都市ミハ
帝都より東へ三日行った地に帝国自由都市ミハはある。
世の中に都市というものができて以来、都市は城壁に囲まれてきた。そもそも、都市とは交通の要衝にあるものだ。それ故に、都市には人も物も富も集まる。当然、そういった所は敵からの襲撃に遭いやすい。その襲撃から都市と市民の命と財産を守る為に城壁は築かれてきた。
しかしながら、都市が発展するに従い、城壁があることによる弊害が生まれてきた。増加する人口を賄う為には、城壁に囲まれた中の土地だけでは足りなくなってきたのだ。そうなると、仕方なく、住居などの建物を城壁の外に建てる羽目になる。その上、国境から遠く離れた都市ともなれば敵の襲撃とはいってもせいぜいが山賊や獣くらいのもので、頑強な城壁では役不足な相手ばかりだ。獣相手なら柵でも事足りる。しかも、もし、恐るべき敵が身近にいるとしても大砲が登場し始めた昨今にあっては古臭い石の壁などあろうがなかろうが大砲に粉砕されてしまう。城壁は今や帯に短し襷に流しといった存在に身を落としつつあった。
帝国中部の都市ミハも建設以来数百年に渡って石造りの堅牢な城壁に囲まれてきた。そして、ここもまた城壁の内側だけでは人口を抱えきれず、城壁の外に建物がはみ出し、それを獣避けの柵で囲っていた。その更に外側には都市で消費される食糧を産み出す麦畑が広がり、農民の家や農作業の小屋、粉引きのための水車、獣や山賊の襲撃に備えた物見櫓が点在し、その畑も獣避けの柵にぐるりと囲まれている。
麦の種蒔きは既に終わり、多くの畑では芽が伸びていた。
農作業が趣味という変な姫であるキスは馬上から楽しげに畑を眺め、あの畑の耕し方はよくないだの、この畑の麦は育ちが早いだの、そこの畑は水捌けが宜しくないだのと誰も聞いていない農業話を一人でぶつぶつ言っていた。
ところで、このミハという町は帝国自由都市として認められた町の一つである。この帝国自由都市とは何かというと、簡単にいえば独立した自治権を持つ町ということだ。自由都市として認められていない諸都市がいずれも皇帝や貴族、高位聖職者の支配下にあり、その統率下にあるのとは違い、自由都市は諸侯の支配下にはなく、その上には帝国しかない。つまり、諸侯と同じ扱いの位置にあり、帝国議会に議席まで持っている。
この両者には大きな違いがある。まず、第一に、都市の自治権が自由都市の場合は大幅に大きいこと。自由都市は独自の軍隊を持つことも可能なのである。
次に、上に納めるべき税が帝国税しかないこと。他の諸都市は主君である諸侯に税を納め、その上、帝国にも納めることになっており、この点において、他の諸都市より自由都市は税負担が格段に少なくて済むのだ。
また、支配する諸侯の意向というものを気にしないで済むというのも利点である。バリバリの西方教会信徒である諸侯の支配下にある都市ならば、それはやはり宗教的な縛りは大きくなり、教会の威信は高く、教えに従順であることが求められる。当然、金儲けが仕事の商売人の立場は芳しくなく、自然学者や科学主義者は迫害され、魔女裁判やら異端審問といったことが頻繁に行われる。金遣いの荒い諸侯ならば都市は頻繁に供出金を求められるだろう。無能な諸侯の配下にある都市が万事無事に過ごしていられるはずもない。
これに対し、自由都市は、その名のとおり自由なのだ。町を束縛するものは帝国法のみであるから、その範囲内であれば何をやっても自由なのである。都市の空気は人を自由にすると云われる所以である。
そのようなわけで自由都市の多くは商業が盛んで、科学の研究や、異教である東方大陸の文化研究といったことも盛んに行われている。
その中でもミハは特に学術が盛んな町として有名であった。それゆえに学園都市という通称を持つ。
「ミハには学園都市の名に相応しく、三つの大学があります」
誰も聞いていなかったキスの農業話が一段落したところでクレディアが口を開いた。
「ミハ大学、帝国中央学院、聖ワリュンカルト大学がそれであり、三校合わせて一万もの教授や学生が町に住んでおり、日夜、あらゆる学問を究めんとしています。また、芸術も盛んで、町には画家や彫刻家、音楽家などが多く住んでます」
「なるほど。学問と芸術の町ということですか」
キスは丁寧な説明を聞ききつつ、しきりと急がしそうにきょろきょろと首を巡らせ町を見回していた。
ミハの町は全体的に赤茶色に統一されていた。灰色の石畳を除けば、赤レンガの建物に赤い瓦の屋根ばかりが目に付く。
建物が同じような色に揃っていると中々見ていて綺麗な気がするが、これは市の参事会が美的センスから景観を統一しようとして赤茶色にしているわけではない。ただ単にミハ近郊の煉瓦工房で造られる煉瓦や屋根瓦が赤土を原料として作られているだけであり、そこで手に入れるのが最も楽で安価という理由からだった。あと数百年時を経ると赤茶色い街並みが文化的遺産として認知され、景観保護条例(赤茶条例)という法律が定められて赤茶色くない家は市当局にブルドーザーで潰されたりするようになるのだが、これは全く今の物語とは関係がない。
キス一行はその学問と芸術の町ミハに昨日到着し、今日は市内観光と洒落込んでいた。旅の正式な目的は勅任断罪官として正義の実現と秩序の回復なのであるが、それは名目的なものであって、実際の旅の目的は本質的には王侯貴族の子弟の遊学とさして変わらぬものである。
そんな旅をしているキスたちが学問と芸術の町ミハという見識を深め、好奇心と興味を満たすには絶好の地をみすみす見逃すはずがない。彼らはこの町に数日、或いは数週間、場合によっては数ヶ月でも滞在するつもりであった。今日はその第一日目である。
キスは上質な白絹のシャツに羊毛の赤い上着を着込み、首元と襟は白いレースで飾っている。乗馬用の長ズボンにブーツを履き、頭には縁の上反ったグレーのフェルト帽をかぶっていた。彼女に付き従うクレディアもこれとほぼ同じ。
二人はミハの聖堂、市の参事会議事堂、ミハを建設したフェルディナント聖王の立像がある聖王広場、帝国中央学院のキャンパスなどを見て回った。
「おっと、殿下。そちらはダメです」
「え? ダメですか?」
不意にクレディアに止められ、キスはきょとんとした。今まで宿からずっとキスの行きたい所へ行くがままに任せ、自分はずっと付き従い、説明をしてくれていたクレディアが今日最初にした制止だった。
「ええ、そちらは殿下が足を踏み入れるのに相応しい場所ではありません」
「そうなんですか?」
キスはとぼけた顔で行こうとしていた道の先を見やる。
三階或いは四階くらいの建物に挟まれたあまり広くはない道で、中々人通りは多く、露天を開いている商人も見えた。もっと先には店もありそうだ。
「何故でしょうか?」
彼女は小首傾げて配下の騎士に尋ねる。いつもながら従者に尋ねる口調ではないが、今更、そんなことを気にしてもしょうがない。クレディアはいい加減諦めかけていた。
「そちらの道の先は学生街です」
「学生街? 学生が多く住んでいる場所ですか?」
「そうです」
それが何故ダメなのかとキスは更に首を傾げる。
「宜しいですか? 殿下」
クレディアは溜息を吐き呆れたような表情ながらぎらぎらと光る目でキスを睨むように見つめながら説明を始めた。
「殿下は学生という輩がどーいった連中かご存知ですか?」
「えっと、大学にあって自由七科、つまり、文法学、修辞学、論理学の三学。幾何学、数論、天文学、芸術の四科。そして、その上位にある哲学。更に神学、法学、医学、科学といった学問を学ぶ方々であると思いますが」
クレディアの問いにキスは少し戸惑いながら答えた。珍しく長い台詞を喋っていたが、それは以前読んだ本の文章を丸っと引用したからであった。喋る中身が決まっていれば少しは楽に喋ることができるのだ。
「では大学の特権についてはご存知ですか?」
「ええっと、大学は教授組合と学生組合による自治の下にあり、大学の教授と学生は準聖職者身分であります。つまりは世俗の裁判所や法機関には縛られず、教会の保護下にあり、現行犯以外での逮捕・拘留は禁止。逮捕された場合も教会の裁判を受けるとなっていたと思います」
「それはつまり簡単に言えばどーいうことか分かりますか?」
クレディアの言葉にキスは沈黙する。単純に言葉を短く簡略にすることはできる。しかし、そんなことを求められているわけじゃあないことはコミュニケーション経験の少ないキスにだって分かるのだ。では、どのように簡単に言えばいいのかキスは考えあぐねた。
「つまりですね。大学の特権をいいことに法と権威を蔑ろにし、秩序を乱し、如何わしい魔術や奇術、錬金術に現を抜かし、けしからん主義や主張を妄想しては民草を惑わし、金や食事、物品を窃盗、万引き、若しくは強奪し、更には人を侮辱し、暴力を働き、娘を強姦し、殺人さえも犯しかねんろくでなしどもなのでありますっ!」
クレディアはかっかかっかと怒りながら詳細に説明してくれた。
「連中ときたら悪魔と契約したとか何とか抜かし、魔術と称する手品を見せたり、怪しげな品物をお守りやら何やらというを売って、間抜けな百姓やら市民やらから金や食い物、酒を巻き上げ、神と権威を冒涜し、犯罪に走り、欲望を追い求め、その他けしからん振る舞いに及んでおるのですっ!」
「はぁ」
この長い説明にキスは相変わらずの曖昧な反応をして、少し考え込んだ。
「ともかく、そのような輩が住まう地区に殿下のような高貴なる御人が足を踏み入れるべきではありません。下品で不潔で危険で厄介です」
クレディアはまとめるように言ったが、キスは考え込んだまま暫く返事をせず、少しして彼女を見つめて応じた。
「しかし、私は断罪官です。その職務は犯罪を発見し、断罪することです。その断罪官が犯罪の蔓延る場所を避けることなど許されることでしょうか?」
キスの正論にその配下の忠実なる騎士は口をもごもごさせて何か言いたそうにしたが、結局は主君の言葉に同意した。
「まったく殿下の仰る通りです。しかし、学生街は本当に油断ならぬ地区です。私一人とても殿下を守りきってみせますが、念には念を入れまして、傭兵どもを連れて行くことに致しましょう」
新シリーズです。今週中にもう一話更新する予定です。