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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第一章 悪霊の丘
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六 悪霊の丘〜ピクニック

 黒髪姫はさほど神への献身、帝国への忠誠、民の救済といったことに熱心な人物ではない。

 当たり前といえば当たり前である。彼女は西方教会の教徒ではあると思ってはいるが、さほど神とか教会に救ってもらった覚えもないどころか、その教会の教えによって十数年の孤独な人生を強いられたのだし、自身が帝国で育った覚えもなく、殆ど見ず知らずの民に愛着があるはずもない。

 そして、彼女の職務である断罪官という職務は不逞の輩を取り締まることが主目的であるが、あくまでその取り締まる対象は基本的に人間であって、怨霊だの悪魔だのを取り締まるのは職務外だ。

 よって、彼女が悪霊の丘によいこら登っていって「悪霊たいさーん」と半狂乱で叫びながら十字架を振り回したりするのは彼女の仕事ではないし、丘に行く必要も全くないわけだ。

 しかしながら、翌日、彼女はルイトバルトの村の南にある小高い丘へと登っていった。

 丘の所有者は聖ベント教会である。丘に立ち入ったり、薪や肥料にする小枝や枯れ草を拾ったり、獣を狩ったりするのには教会の許可が必要となる。昨今の悪霊騒動で教会は許可を下ろすことを渋るようになっていたが、銀猫王女にして帝国男爵の頼みとあれば断り難い。それに彼女が原因を調べてくれるかもしれないという期待もある。主任司祭が少し渋い顔をして、何人かの教会幹部が話し合うのにかかった数十分で許可は下りた。


「嬢ちゃんはなんだってこんな悪霊調査みたいな真似をするつもりになったんだろうな?」

「その呼び方は止めろと何度言えば分かる? 殿下をお呼びなさい」

 カルボットの言葉にクレディアは額に青筋立てながらイライラと言いつつも、暫し考え込んでから、律儀に答えた。

「この旅の目的自体あってないようなものじゃない。我々の職務は殿下のすることに一々疑義を差し挟むことじゃなくて、殿下をお守りすることと殿下のしたいことができるように取り計ることだ」

「相変わらず忠誠心厚いことで」

「貴様、私を愚弄しているのか!?」

 カルボットが皮肉っぽく言うとクレディアは顔を赤らめ激昂した。彼女は中々気が短いところがある。

 しかし、そこは年の功か。おっさんの方が一枚上手だ。すかさず彼女の怒りを他に向ける術を把握している。

「ほれほれ、殿下から目を離して良いのか? あのチビがどんどん殿下を引っ張ってちまうぞ?」

「む! こらーっ! モンッ! 殿下にご迷惑をかけるなぁっ! 転んだら貴様の首じゃ足りんぞっ!」

 クレディアとカルボット、そしてもう一人の傭兵がちんたら歩くいくらか先を彼らの主君キスはモンに手を引っ張られて危なっかしく(少なくとも傍からは危なっかしく見えた)駆けていた。

「だ! だ、大丈夫! です!」

 駆けながらキスは叫んだものの、クレディアには大丈夫そうに聞こえなかったらしい。彼女は猛然とダッシュして敬愛すべき殿下の助力に向かった。

 彼らがちんたら或いは調子に乗っててってけ駆け上っている例の悪霊が出るという噂の例の丘には整備された道はなく、とはいえ、歩けないほど、足の踏み場もないほどに藪草が生い茂っていたり、木の根が跋扈したりしているわけでもない。たまに農民が薪や畑の肥料にする為の小枝や草を刈り取りに来ているせいか獣道のようなものができていて、彼らはそこを進んでいた。人が二人なんとかなんとか横に並んで歩ける程度の幅で、どうしたって履物は汚れそうな道ではあるが、そんなことを気にするほど潔癖な人間は一行の中にはいなかった。

 丘の頂上に辿り着くのにさしたる時間はかからなかった。元よりさして高い丘ではない。

「おぉー。いい景色ーでもない」

 いい景色を見たら真っ先に喜び踊りだしそうなモンは喜びかけてから意気消沈した。彼女の言うとおり、辺りはさしていい景色でもなかった。木が生え並び、枝が生い茂っているせいで丘の周囲や下界を見渡し難い。辛うじて枝葉の間から見える景色もそれほど高いわけでもないし、傾斜が緩やかだから見下ろすような形にもなり難く、いい景色とは全くもって程遠かった。

 しかし、彼らは別にいい景色を見に丘を上ってきたわけではないのだ。ましてや丘のてっぺんでお弁当広げてランチとしゃれ込むわけでもない。

「上る途中、辺りを注意していましたが、悪霊とか悪魔といった類のものは見受けられませんでしたね」

「まぁ、そうでしょうね」

 クレディアの言葉にキスはあっさりと頷いた。その言葉に皆の視線が彼女に集中する。

「嬢ちゃんはこの事件が怨霊だの悪魔だののせいじゃあねえって思ってるんか?」

 カルボットが尋ねるとキスはまたまたあっさりと頷いた。

 神や天使、精霊、妖精、悪魔、幽霊の類が実在すると現代日本よりもずっと個人的ではなく社会的に本気で信じられている世界である。何か不可思議なことがおきれば、やれ神の思し召しだ。やれ天使の仕業だ。やれ妖精の悪戯だ。やれ悪魔の所業だ。やれ幽霊の祟りだと騒がれる社会にあっては、立ち入りを制限している丘で何人もの村人が不審な死を遂げているともなれば、そーいった非科学的なものに原因を求めるのが当然である。

 しかし、キスは違うと断言した。その根拠たるは、

「私、幽霊とか見たことないですからねー。見たことも、いることも分からないものに原因を求めるなんて、それって結局分からないって言って原因究明を諦めているのと一緒じゃないですか。少なくとも、私はもうちょっときちんと調べてみてからそーいうもののせいにしたいですね」

 ということらしく、その旨をごにょごにょと微かに顔を赤くしながら説明した。未だに仲のいい連中相手でも長いこと喋り続けることは難儀らしい。

「じゃあ、原因は他にあるっつーこったな」

「それをこれから調べるんですね?」

 カルボットが頷き、クレディアは勢い込み、キスへと迫る。

「あ、あ、まぁ、はぁ」

 キスは勢いに押されるがままに頷く。

 言えない。本当はただなんとなく丘に登って植物の匂いを吸い込んでリラックスするためにピクニック気分で丘に登ってみたなんて絶対に言えない。さっき、ちょっと悪霊の噂とかについて言ってみたのは、普通に世間話くらいの気分で言ってみただけだったってことなんて言えない言えない。

 そんなふうにキスが居た堪れない気分になっているとふと背後に気配を感じて振り向いた。彼女は教会の離れに幽閉されていた頃、教会領の森の中で狩りなどをしていた為、生物の動きや呼吸、匂いなどから気配を察知することができるのだ。

 背後に立っていたのは一人だけ謎なムールド人傭兵だった。いい加減、名前の一つも教えてくれないといつまでも名前をどー呼べばいいのかキスも仲間たちも作者も困っている正体不明の奴だ。一応、女だということは分かっている。

 彼女はキスが振り返ったのを確認した後、マントをくいくいと引っ張った。

 この動作をキスは付いて来いと言われていると解釈した。

 彼女は引っ張られるがままに付いて行く。

「あ。殿下! どちらへ!?」

 歩き出したキスを見咎めたクレディアが叫ぶ。

「あー。ちょっとー」

「トイレですかっ!?」

「違いますっ!」

 キスは叫びながらクレディアは貴族なのにちょっと品というか配慮に欠けるなぁとか思ったりした。とはいえ、当時の貴族が喜んで見ていた歌劇だとかは下ネタ、色ネタ、駄洒落のオンパレードであるし、官能小説的なものも度々流行していたから貴族という連中は世に思われているほど上品なものではないのだ。

 トイレでないなら付いて行っても構わないと判断したクレディアと他二人もぞろぞろとキスたちに続いた。

 暫く坂を下ると、先頭のムールド人傭兵は立ち止まり、あるものを指差した。

「んー。死んでますかねー?」

「そりゃぁ、目かっぴろげたまんま寝るような奴はあんまいねーと思うぜ。口から泡吹いてんなら尚のことな」

 キスが呟くとカルボットが応じた。彼の言うとおり、瞼を全開まで上に上げて眼球を外気に晒して干からびる寸前にしつつ、口から泡を吹いている奴が生きているわけはない。丘の頂上近い茂みの近くで横たわっていた中年の男は死んでいるようだった。しかし、まだ腐臭はあまりない為、死後よりそれほど時間が経っていないものと思われる。

「よく見つけたわね」

 クレディアが言うと、発見者は微かな声で言った。

「……におい」

「臭い? あんま腐臭はしねーけどな」

 彼女の言葉にカルボットは死体に顔を近付けてくんくんと臭いを嗅いでみた。

「死体の臭いを嗅ぐような悪趣味なことをするな」

 クレディアは嫌そうな顔をしたが、カルボットは無視して、

「ん?」

 何かを見つけたらしかった。

「何か?」

「いや、こいつの手。これ見てみろ」

 皆が中年の男の薄汚れ肉刺まめの出来た手に顔を寄せる。

「血ー出てるー」

 モンが呟き、皆が頷く。

 男は、というか死体は右手の指を深き切っており、赤い血を流していた。

「だから?」

 真っ先に顔を上げたクレディアが冷たい声を出した。

「いや、だから、手から血が」

「藪の枝とか棘なんかに引っ掛けて切ったんでしょう」

「まぁ、そうかもしれんが。もしかすると、これが死因なのかもしれねーだろ?」

「この世の何処に指切ったくらいで死ぬ奴がいるものか。腕切ってもピンピンしている奴もいるというのに」

 カルボットの言うことにも興味惹かれるが、クレディアが言っていることはもっともだな。と思いながらキスは黙って事の成り行きを眺め、ちょうど会話が一段落したところを狙って、

「とりあえず、この死体を村まで運びましょうか?」

 と、この場においては最も適切な指示を出し、可哀想なカルボットは背中に死体を担いで下丘することになった。


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