四 悪霊の丘〜聖ベント教会の晩餐
「いやぁ、それにしても先ほどはとんだ失礼を致しまして。部下と村の者たちに代わりまして失礼をお詫びいたします」
聖ベント教会の主任司祭は向かいの席に座ったキスに軽く頭を下げた。
教会の大広間で行われている晩餐会には教会の幹部たちが顔を揃えていた。その他にキスを教会に誘った緑髪の女性聖職者とその部下らしき数人の教会騎士。それとキスの配下であるクレディア。他の配下である傭兵三人組は異教蔓延る少数民族出身ということで、教会は彼らが神の家に入ることにいい顔をしなかったし、彼らも教会の世話になるなんざ真っ平御免といった調子だったので、村の旅籠に馬車馬や荷物と一緒に待機していた。というわけで教会の晩餐会と言っては大袈裟だが、それに近い夕食会に参加しているのはキスとクレディアという身分ある騎士二人だけであった。
夕食会の主賓たる主任司祭は齢七〇は超えていそうなよぼよぼの老人で、ふわふわとした白い髭を生やしていた。その髭があまりにも見事で雲みたいなものだったからキスの視線は先ほどから何度も何度もそのふわふわした髭にいってしまっていた。そして、彼女は思うのだ。触ってみたい。
「殿下?」
「あ、あ、あぁ! いえいえ、いや、気にしてません。だ、大丈夫です。はい」
ぼーっと髭を見つめていたキスは主任司祭の訝しげな声に意識を引き戻され、かなり慌てた調子で手をばたばたと振りながら応答した。
「そうですか。しかし、それでも、失礼な行いをしたことは事実。どうかお気を悪くなさらないで下さい。その気を直して頂く為にも今宵は晩餐を楽しんでいかれて下さい」
主任司祭は柔らかい笑顔で言い、銀の杯を掲げた。中には「神の血」、つまり赤い葡萄酒が入っている。出席者たちも杯を掲げた。
「神に祈りましょう」
主任司祭が厳かに言い、それから食前の祈りが続く。帝国の風習では食前酒の杯を掲げながら食膳のお祈りをするわけだが、キスはこれが好きではなかった。反乱騒動終了後、貴族やら上級聖職者やら大商人やらとの食事会に何度か出席することになったキスはその度にこの食前のお祈りに付き合わされたものだが、これは腕が疲れるのだ。お祈りは、まぁ、別にいいとしても杯を掲げながらしなくてもいいじゃないかとキスは思う。この姿勢を何分も続けてどーして皆平気なのか彼女には理解できなかった。
「さぁ、それでは頂きましょう」
キスの腕がぷるぷる震え始めてきた頃、ようやく主任司祭がふわふわ髭をもふもふさせながら言って、杯を傾けた。キスはほっとした気分で杯を傾け、軽く葡萄酒で唇を濡らす。彼女はあまりお酒が得意ではないのだ。
杯を置くと、待機していた給仕がスープの入った深皿を各席に並べていく。トマトやタマネギ、セロリなどの野菜とバジルなどのハーブ、胡椒などの香辛料が入っている透明に近いスープだ。肉や魚の類は入っていない。キスは別に野菜が嫌いなわけではないどころか、好物なので、美味しく頂いた。少し塩気が強い気がしたが、ライ麦パンと一緒に食べるとちょうど良い塩味だ。
スープがそろそろなくなりかけると、続いてふかしたジャガイモの前菜とサラダ。サラダの菜っ葉は水気が少なくあまり美味しくはなかった。まぁ、この時期に生野菜を食べられること自体が贅沢ではあるので文句など言えるものではない。
そして、魚のメインディッシュはウナギの燻製だった。キスはウナギを見たのは初めてであり、当然、食べるのも初めてだったが、気にせず美味しく頂いた。
肉のメインディッシュはキャベツの酸っぱい漬物(これは乳酸発酵によって酸味が出ているので酢漬けではない)の上に豚のもも肉、数種類のソーセージを乗せて蒸し焼きにしたもの。これも美味しく平らげた。
次にデザートとして洋梨の蜂蜜漬けという驚くほどに激甘いものを食べて、あまりの甘さにキスは悲鳴を上げて顰蹙を買った。最後にチーズ。
食事の間中、出席者たちは葡萄酒か麦酒を飲んでいたが、酒が苦手なキスは終始お茶を頂いていた。
教会関係者たちと緑髪の女性聖職者らは食事をしながら色々と、例えば、先の反乱騒動とそれに伴う宮廷や教会上部の人事異動についてとか、南方砂漠の異端討伐の進捗状況とか、そんなふうな興味の無い人には全く面白くも何ともない話だった。そして、キスはそーいう政治とか人事とかいうものには殆ど興味が無かった。当然、面白くもなんとも無い。ひたすら飯を腹の中に納めるばかりだ。クレディアは若さゆえ口を挟むのは遠慮していたが、興味津々な様子で目を爛々と輝かせて話に聞き入っていた。彼女は政治大好きなのだ。陰謀ドンと来い! 賄賂カモーン!
ふと話が一段落したところで緑髪の女性聖職者が口を開いた。
「ところで、あの丘の怨霊の被害は未だに?」
彼女の言葉に教会幹部たちの顔は揃って険しいものとなった。
その中の一人、沈痛な面持ちの四十代くらいの助任司祭が答えた。
「冬になる頃から今まではずっと被害はなかったのですが、雪が溶けて春が近づいてきた頃にまた一人村の者が……」
この会話にキスはようやく興味を示したようで、今まで銀の食器に載せられた料理にばかり向けられていた視線がようやく他の出席者の顔に向けられた。最後のチーズを食べ尽くしてしまい見るものがなくなったからかもしれないが。
「なるほど。まだですか」
緑髪の女性聖職者は線みたいな目を更に細めて呟いた。暫く何事か考えてから、キスに目をやった。
「あぁ、そうだ。殿下は怨霊の丘の話をご存知でしたか?」
突然、尋ねられたキスは少しばかり面食らいきょとんとしてからふるふると首を横に振った。相手によっては失礼だと怒り出す可能性もあるような反応だったが女性聖職者は全く気にせず口を開いた。
「いくらか昔からこのルイトバルトの村の北にある教会所有の丘に怨霊が出るという噂があるのですよ」
「怨霊……ですか」
キスはなんとも反応しがたく、とりあえず呟いてみた。
「さようです」
主任司祭がふわふわ白髭を撫でつけながら頷く。
「今まで、ここ数年、いや、伝承では数十年来、幾人もの村人がその丘で不審な死を遂げておるのです。その為、もう何年も前から立ち入りを禁止しておるのですが、それでも何人もの村人が人知れず夜な夜な何かに誘われるようにふらふらと丘に登っては翌朝死体で発見されておるのです。ついには怨霊或いは悪魔の類が人々を惑わせ、丘に招き寄せ、呪い殺しているという噂が実しやかに囁かれるようになりまして」
そう言うと彼は憂鬱そうに首を振った。髭先もふるんふるんと揺れ、キスの目は自然とその毛先を追って、首が微かに揺れた。
「勿論、教会としても、調査を行いましたが、怨霊やら悪魔やらの姿は見受けられず。ただ、ウサギやらキツネやらの小動物を見つけただけでした」
「なんとかして、その丘の謎を解き明かし、対策を取り、これ以上、村人が犠牲となることがないようにしたいのですが……」
主任司祭と同じように憂鬱そうな顔をした助任司祭が言葉を添え、他の教会幹部たちも揃って暗い顔になっていた。
旅の勇者ならここで「ならば、私がその怨霊の正体を見極め、退治しましょう!」とか言って、怨霊だか悪魔だか化け物だかを倒して、村人に感謝されて村長の娘といい感じになったりするところであるが、生憎とキスは旅の勇者ではなく、断罪官であり、断罪官の職務に怨霊退治は含まれない。それはエクソシストの仕事だ。それにキスは自分から目立つような言葉を発する人間ではないし、村長の娘といい感じにもなりたいわけではない。
そんなわけで、怨霊の丘の話を聞いた彼女は、ただ頷いて、曖昧な反応をすることに終始し、場の流れに身を任せて、お開きと共に教会を出たのだった。