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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第五章 弱女公の国
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四二 弱女公の国~アーヌプリン公の御趣味

「大変素晴らしい御庭です」

 席に戻ったキスは若干興奮気味に言った。

「気に入って頂けたようで何よりです」

 アーヌプリン公アンナは穏やかに微笑みながら応える。

「細かい部分にまで作った方のこだわりが感じられます。とても素敵です」

「過分のお褒めに預かり恐縮です。父も喜ぶでしょう」

 キスが庭について絶賛すると、公は嬉しそうに言って庭を眺めた。

「この庭園は亡くなった父が遺してくれたものなのです。父は庭園の造営が趣味でしたから」

 先代アーヌプリン公である彼女の父は四年前に病死したとキスは聞いていた。母親の方はその前の年に没している。

 両親亡き後、幼年であったアンナを三人の叔父が補佐していたそうであるが、その叔父たちは二年前に謀反の廉で一族郎党諸共合わせて数百名もの人々が尽く粛清されている。先代アーヌプリン公の側近らが主導した粛清であったと云われ、今のアーヌプリン公は彼らの操り人形と化していると帝都ではもっぱらの噂であった。

 実際、彼女はあまり政治に向いている人格ではなかった。大変な顔見知りで人前ではすぐに緊張してしまう上がり症でもある。かつて務めていた帝国議会副議長の職務も満足に全うできず解任されてしまう有様であった。政治的には全くの無力と見做され、アーヌプリン公領の統治はほとんど側近たちによって行われているのが事実であった。

「父が存命であれば、殿下とも話が合ったかもしれませんね。大変申し訳ないのですが、私はほとんど庭師に任せきりなもので」

 そう言って彼女は苦笑した。キスもつられて愛想笑いする。

「政治も有能な家臣に任せきりですしねぇ」

 続けたアーヌプリン公の冗談らしい言葉に、キスは笑顔を凍らせる。これは笑えない。その上、自分も領地のことは家来に任せきりだ。二重に笑えない。

 キスは愛想笑いとも苦笑いともつかぬぎこちない表情のままティーカップに口を付けた。

「閣下は御趣味はないのですか」

 お茶を飲んで、少し心を落ち着かせ、間を置いてから、キスが尋ねる。

 庭が父親の趣味ならば、本人の趣味は何かと少し興味を持ったのだ。話をするのがあまり上手ではないキスなりの話題づくりともいえる。

 アーヌプリン公は少し顔を赤らめ照れ臭そうに言った。

「……狩猟を少々嗜みます」

「狩猟ですか」

 アーヌプリン公の答えを聞いてキスは意外に思った。穏やかでおしとやかに見えるアーヌプリン公が馬に跨り野山を駆けて獣を追い回している姿をあまりうまく想像できなかったのだ。

「大変良い趣味だと思います。狩猟は乗馬、射撃の鍛練になり、また、領内を見回ることができますし、身体、精神の健康増進にも非常に宜しいと聞きます」

 意外には思ったものの良い趣味だと思ったキスは言った。

「かの英雄王ボードゥアン一世は一〇歳の頃より、八〇歳で没するまで毎月欠かさず狩猟を行ったそうです。ボードゥアン王も健康の秘訣は狩猟にあると言っております」

 ボードゥアン一世は数百年前のリトラント王である。南北に分裂していたリトラントを統一し、西方教会に改宗し、異教徒の国々を征服した西方世界では有名な英雄である。

「また、以前読みました「食と水と薬」という医学書によれば、運動の後の食事は体によく、しかも、野生の鳥獣は心身を健やかに保つのに非常に有用であると記されていました」

 とにかく、狩猟は心身健康に役立つ良い趣味だと帝国の貴族階層では思われていた。キス個人としてもそう思っていた。

「確かに、健康には良い気がします。狩りをしている間は日々の悩みや疲れも忘れて夢中になれますし、狩りの後は汗と共に嫌なものを流してしまったように気分爽快といった心持になれますね」

 アーヌプリン公もキスの言葉に同意する。

「狩りにはどれくらい行かれているんですか」

「それほど、多くは行けていませんが、毎月末には行くようにしています」

 キスの問いかけに答えてから、ふとアーヌプリン公は良いことを思いついたとばかりに笑みを浮かべて両手を合わせて言った。

「そうだ。殿下の御都合が宜しければ、明日、御一緒に如何ですか。ちょうど、もうそろそろ行きたいと思っていたところなのです」

 公に誘われてキスは思案した。

 彼女も狩猟はしたことがある。とはいえ、その狩りは公が嗜む狩りとは趣を異にするものである。

 キスはかつて魔女として教会の敷地内に幽閉されていた頃、自由に出歩くことが許されていた教会の森の中で食べる為に野生の鳥獣を狩っていた。そうしなければ一日の食事にも事欠く有様であったのだ。森に生息する鳥獣は彼女の貴重な食料であった。あの狩りは純粋に食べる目的だけの、野生の肉食獣とほとんど変わらない狩りだった。

 しかし、今誘われているのは、貴族の趣味としての狩りである。

 鳥獣を追い回して殺して食べることに違いはないが、その目的や、実際の行動はかなり違う。

 貴族の狩りでは、昔のキスがやっていたように、体中に草と土と獣の糞を塗りたくって、泥の中に何時間も這い蹲って獣が現れるのを待つようなことはしないだろう。

 もっと優雅に一方的に獣を追い回して狩りをする。多くの家来衆や犬が獣を追い立て、馬に乗ってそれを追い、弓矢や銃で仕留めるのだ。

 昔やっていたような狩りならば、今でもできる自信はあるが、貴族的な狩猟はやったことがなく、上手くできるか自信がなかった。

「恥ずかしながら、私は、その、狩猟の作法というか、そういうのがよくわからないもので……」

 キスは困ったような顔で言った。謙遜でも何でもなく、実際、それが彼女の本心だった。

「作法だなんて、そんなもの気にしないで結構ですよ。私も我流ですから」

 アーヌプリン公は大らかに微笑んで言った。

 作法やら何やらを気にしないでいいのならば、行ってみてもよいかもしれない。とキスは考え、狩猟に同行させてもらうことにした。

 たかが趣味の狩猟とはいえ、大貴族のアーヌプリン公が行くとなると、それなりに準備に時間がかかる。数時間やそこらでできる支度ではなく、準備に丸一日はかかるとのことであった。

 そういうわけで、狩猟に出かけるのは明後日の朝からという予定になり、それまでの間、キス一行はアーヌプリン公の宮殿に居候させてもらえることになった。

 夜半に招待された晩餐では、目も眩むような豪華な食事を一緒に食べ、夜は与えられた宮殿の一室で今まで経験したこともないくらいにふかふかのベッドで眠ることができた。

 これは、もう一生アーヌプリン公の御世話になりたいな。と思うキス一行であった。

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