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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第五章 弱女公の国
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四一 弱女公の国~アーヌプリン公の宮殿

 アーヌプリン公領の首都メントは人口三〇万を超える、帝国中部では帝都に次ぐ規模の大都市である。

 広大で肥沃な穀倉庫を抱えるアーヌプリンの首都だけあって、メントには数多くの穀物倉庫が立ち並んでいる。アーヌプリン産の小麦は、まず、メントに集積され、ここの小麦市場で売り買いされる。その多くは最終的に帝都と北部に向かうが、まずは、帝国を東西に横断する街道を西へ進んで、十字の町エレスサンクロスを中継し、そこから目的地へと運ばれていく。

 ここで売り買いされた小麦には、全てアーヌプリン公の税がかかっており、俗にアーヌプリン公の麦税と称される。税率は低いが、商われる小麦の量が大量である為、公の懐に入る麦税は莫大な額に昇る。

 また、アーヌプリン公自身も広大な小麦畑を所有しており、小作人を働かせて、小麦を収穫し、小麦市場に持ち込んで取引を行っている。自身で生産した小麦は当然免税であるからして、その分安く販売することができ、大きな収益を得ている。

 アーヌプリン公は、帝国諸侯の中でも随一の豊かさを誇るのだ。

 そのアーヌプリン公の御膝元であるメントは、大変立派で、よく整備された町だった。古くからの城壁を潜ると、平らな石畳が敷き詰められた広い道路が延び、煉瓦造りの立派な家々や建物が建ち並ぶ。職域や身分によって住民の住む地区は区分けされ、あちこちに小さな広場が設けられ、共同の水場が設けられている。水場には水道により水が引かれており、市民は誰でも自由に利用することができた。また、地区ごとに公衆浴場が設けられ、市民は低価格で温浴を楽しむことができる。

 中心部のゴドルフ大公広場には、特に壮麗にして重厚、堅牢な建物が建ち並んでいる。

 市参事会議事堂に、メント大聖堂、聖ルイーズ教会、競技場。そして、アーヌプリン公の住居兼政務所であるアンプ宮殿である。

 美しく輝く白壁に、巨大な円柱、金の装飾や神話や草花をモチーフとした彫刻。庭園には大理石の噴水が設けられ、水しぶきは日の光に反射して煌めいている。花畑には色とりどりの花が咲き乱れ、菜園には香草や野菜が植えられている。

 キスはそれらの花々、香草、野菜にすっかり目を奪われていた。

 宮殿の庭園に植えられている植物の中には、遥か遠い地から運ばれてきたものも多く、キスが初めて目にするものも少なくなかった。

 本来であれば、生育が難しいものもあるが、土や水、庭のつくりから植え方までを工夫して、何人もの庭師が手間をかけて育てているのだ。

 農業や畑仕事、庭いじりが趣味である彼女からすれば、宝の山のような光景である。

「わわっ、これはテリーデンブルー。こっちは、初雪草っ。こんな低地で見れるなんて奇跡ですっ。これは水豆の花ですね。若しかして、これは、真珠草ではっ。本で読んだことがありますっ。真珠のような実を付けるとかっ」

 キスの質問や言葉に、宮殿付の庭師が懇切丁寧に答える。

 その背後で、側近のクレディアは呆れた顔をしつつも黙っていた。こうなったが最後、我が主君は、満足するまでこのままだと知っているのだ。

 更にその後方には、こじんまりとした東屋があり、椅子とテーブルが用意されていた。

 椅子には白い絹衣に金糸や銀糸で刺繍を施したドレスを着て、金細工のような長い髪に銀の星形の髪飾りを付けた少女が座っている。肌はミルクのように白く照り輝き、緑色の瞳は、春に芽吹く若葉のように瑞々しく清らか。桃色の唇はぷっくりと柔らかそうで、幼さを感じさせると共に、どこか艶っぽくも見える。幼さを残しつつも、大人になりつつある美しさを持つ容姿は、見る者の視線を釘付けにする。

 少女は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと陶磁のティーカップを傾ける。遥々、南方から運ばれてきた極上の茶葉から淹れられた茶を唇を濡らすように飲む。

 まるで絵に描いたような、貴族令嬢の姿である。

 実際、彼女は帝国でも屈指の家柄で、豊かな財力を持ち、帝国からも厚い信を得ている大貴族である。

 当代のアーヌプリン公アンナ・ティーリッシュ・リヌアが彼女であった。

 彼女のような若い小娘が大貴族の当主であることは、帝国では珍しいことではない。かつて、疫病が大流行した際に、男子が途絶える家が続出した結果、女子が当主を務めることが広く認められるようになって以来、帝国貴族家の多くは男子相続を原則としていながらも、女子相続を排除していない。つまり、当主の子が女子しかいなければ、その女子を当主とすることになっている。わざわざ、遠縁の男子を引っ張ってくるなり、養子を迎えることなく、娘を当主とする家が多いのだ。

 となれば、子供が女子しかおらず、当主が不幸にも若くして没すれば、若かろうが女だろうが、その娘が家を継ぐのが帝国式であった。

 対して、疫病の影響が限定的であった西方各国においては、女子相続は、レアケースであった。その為、女子相続が多いのは帝国貴族の特徴の一つである。

 さて、その女公爵であるところのアーヌプリン公の宮殿に、キスたちがいるのは他でもない。アーヌプリン公の領地内にある温泉郷インザールックに滞在し、手紙のやりとりや金策に思い悩んでいたキスの許に、アーヌプリン公からご招待の手紙が届いたのだ。

 アーヌプリン公とキスは、先日まで続いていたエレスサンクロス戦争においても、キスはアーヌプリン公の軍に身を寄せていたこともあって、その関係は浅いものではなかった。

 貴族社会での人脈が極めて薄いキスの基準では、かなり親しい方の人間といって間違いない。

 そして、アーヌプリン公の方も、キスを自身の宮殿に招く程度には親しく思っているようだった。

 公の招待は、実は社交辞令とか挨拶みたいなものであったのかもしれない。しかし、キスはあえて、その招待に素直に応じて、ほいほい向かうことにした。

 というのは、先の戦争でかかった経費や、尽力して頂いた高等法院の高官らへの贈り物代、長らく放置されていた自領にある館の改修費用など、彼女の財政は火の車であって、目も当てられず、考えたくもない状況に陥っていた。彼女はそこから目を背けるべく、半ば現実逃避的にアーヌプリン公の誘いに乗り、その宮殿を見物することで気を紛らし、現実を忘れようと画策したのであった。

 返事も寄越さず、唐突にメントに現れたキス一行は、城門の兵には、詐欺か何かかと疑われ、公の家来には訝しがられ、市民には魔女だと恐れられたが、アーヌプリン公には愛想よく迎えられ、何日でも滞在してよく、その間の費用は全て公が出すという寛大かつありがたい言葉を賜った。

 キスたちはその言葉に甘え、宮殿のふかふかのベッドで一夜を明かし、翌日、朝食の後、アーヌプリン公直々に庭園の散歩に誘われ、案内されているところであった。

 宮殿の敷地は極めて広大であり、当然ながら、庭園も巨大なものであった。植物が大好きなキスは大興奮で、花や草木を見て回り、宮殿の主人であるアーヌプリン公を置き去りにして放置していても全く気付かぬ様子であった。

 それでも、気を損ねることもなく、穏やかに笑みを浮かべて、お茶をしているのだから、アーヌプリン公は大変器の大きな人物であった。


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