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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第四章 十字の町
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三九 十字の町~エレスサンクロス戦争の終わり

 勅任断罪官キスレーヌ・レギアン・ダークラウン男爵が、帝国自由都市エレスサンクロスを逮捕した。という布告を耳にした多くの人々は、まず、仰天し、次に首を傾げた。都市を逮捕するとは、どういうことか。そもそも、そのようなことは可能なのか。

「今回の措置は、一体、どういうことなのかっ。納得できるお答えを頂きたいっ」

 エレスサンクロス攻囲軍の総司令官格であるアーヌプリン公が参集した軍議の席で、コルトグラッツ伯が、会議の場の末席に座るキスに怒声を浴びせる。

 場に集う将軍や諸侯たちは、いずれも苦々しい面持ちで彼女を見つめていた。あからさまな怒りを浮かべている者もいれば、腕を組んで渋い顔をしている者も、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている者もいる。

 彼らの怒りや困惑は尤もなことであった。キスが出した布告は、彼らが思いもしないもので、何の予告も通知も噂もなく、どうやってエレスサンクロスを攻め落とそうかと頭を悩ませていた彼らを無視して、唐突に出されたものなのだ。

 キスがエレスサンクロスを逮捕したことによって、エレスサンクロスは断罪官に捕まった犯人よろしく、彼女の管理下に置かれたことになる。そうなると、攻囲軍は、これに手出しすることができなくなってしまう。

 町を攻め落としたわけでもなく、町が降伏したわけでもなく、和平が結ばれたわけでもない。何やら、今まで聞いたこともないような突拍子もないような方法で、唐突に戦争は終わりを迎え、攻囲軍は解散という流れになりつつある。

 これが、死力を尽くして戦ってきた自分たちを蚊帳の外に置いて行われたというのが、攻囲軍幹部の面々にはどうにも不満なのである。また、そもそも、このような措置が法的に成り立つのかという疑問もある。

 怒りと困惑と不満が渦巻く会議の場で、キスの上司にして最高指揮官たるアーヌプリン公は、ただただ青白い顔でびくびくと震えていた。彼女は、一応、キスから事情を聞いてはいたが、これをずっと外部に漏らさず黙っていたのだ。その為、いつなんどき、他の幹部たちから攻撃の矛先を向けられてもおかしくはない。このことで、彼女は緊張と不安に襲われているらしい。

 一方、当事者であるキスはといえば、いつも通り、涼しげな無表情で、背筋を伸ばして行儀よく椅子に座っている。

「そもそも、今回のような措置は可能なのですかな。あー、都市を逮捕するなど、聞いたことがありません」

 攻囲軍の中では、比較的落ち着いたファーゼルメッツ方伯が尋ねた。彼は温和で、調整のうまい老人である。混乱を収め、皆が納得できる回答をキスに求めたいようであった。

「法的に可能です」

「馬鹿を言うものではないっ。都市を逮捕するなど、そんなことできるわけがないっ」

 キスの回答に、再びコルトグラッツ伯が激昂する。この勇猛な老大将は、勇気と決断力に溢れた人物ではあるが、短気で強情で騒がしい人なのだ。

「人ではないものをどうやって逮捕するというのだっ」

「エレスサンクロスには人格がありますから」

 キスが答えると、将軍たちは一様に困惑の表情を浮かべる。この黒髪の怪しげな外国の王女は何を言っているのか。

「帝国自由都市には人格があるのです。何故ならば、帝国自由都市は帝国議会に一つの議席を持っていますから」

 エレスサンクロスなどの帝国自由都市には、いくつかの特権がある。帝国及び皇帝以外の支配を受けない自治権。帝国法の範囲内において自由に都市内の法律を定め、また、都市内の税を設ける特権。そして、帝国議会に議席を持ち、評決に参加し、発言する権利である。

 帝国議会は、帝国の諸侯、つまりは、公伯らの諸侯、子爵、男爵、帝国騎士のうち、皇帝より任命された者、大司教や司教ら上級の聖職者が参加する帝国の立法機関である。帝国全土で施行される法律は全てこの帝国議会において審議され、採決にかけられる。ここで可決され、皇帝が署名した法のみが帝国法として通用するのだ。皇帝が法律や命令を発布しても、帝国議会の同意を得ていないものは、その効力はないものとされる。いわば、帝国議会は皇帝と並ぶ帝国の最高機関である。

 帝国自由都市は、この帝国議会の一議員としての人格を有する。いわば、一人の諸侯の見做されているのだ。勿論、実際に、議場へ赴き、発言し、評決に参加するのは、都市の中で選ばれた代表者である。しかし、この代表者は、決して帝国議会議員とは呼ばれないのである。あくまでも、帝国議会議員は、帝国自由都市そのものであり、出席する代表者は、都市の代表者に過ぎない。

 この帝国議会において議席を有し、一人の帝国議会議員としての地位を持つが故に、帝国自由都市は人格を持っている。いわば、法的には一人の人間として見做すことができる。と、キスは解釈しているわけだ。

「人格があるならば、逮捕できないわけはありません。勅任断罪官は何人であろうとも、逮捕し、断罪する権限を有しております。ただし、聖職者は除かれ、貴族の場合は、高等法院の許可が必要ですが、今回、私は高等法院から、エレスサンクロスを逮捕する許可を得ています」

 キスの言葉は、屁理屈にも聞こえる。聞こえるが、その屁理屈を高等法院が認めているというのだ。誰も文句を言えなくなってしまった。

 高等法院は帝国法や慣例を解釈し、法令や命令が適法か否か判断し、また、法を犯した貴族や重罪人を裁く機関である。法の番人などともいえるほど非常に強い権限を有し、皇帝の権限拡大に反対する保守派の大貴族の牙城とされ、皇帝の命令ですら高等法院が帝国法や慣例に反するとして無効を宣言することすらある。

 この高等法院がキスの行動の全てを認めたのだ。法の番人である高等法院が認めたのならば、たとえ、この措置が違法であろうが、不合理であろうが、間違っていようが、それが正解とされる。帝国における全ての法律行為の適法、違法を判断するのは、他ならぬ高等法院の役割であり、高等法院の判断に逆らえるものは、実質的にほとんどいないのだから。つまり、キスは強力な後ろ盾を得ているのだ。

 少なくとも、この軍議の場に、高等法院が良しとした判断に異議を唱え、高等法院に喧嘩を売る力を持つ者もいなかった。

 しかし、逮捕とは、犯罪の容疑がある人間の逃走や証拠隠滅を防止する為に、この身柄を拘束し、拘禁することをいう。

 法的には一つの人格を有していたとしても、それはあくまでも、概念上のものであって、実際に、都市に足が生えて走って逃げていくわけではあるまい。これを逮捕するとは、どういうことか。

 この疑問について、キスは誰からも質問が出なかったことを都合よく無視した。

 ただ、彼女はどうあっても、エレスサンクロスを訴追するだけでなく、逮捕する必要があった。逮捕することにより、エレスサンクロスはキスの管理下に入り、他の何人も、これに手出しできない状況になる。逮捕されるということは、罪を裁かれる前段階であると同時に、裁判により、罪が確定するまでは、保護されることとほとんど同義なのである。

 キスが逮捕したエレスサンクロスに攻撃を、危害を加えることは、キスに対する挑戦であり、勅任断罪官に対する挑戦である。勅任断罪官は皇帝の役人にして、皇帝より直々に任命された特別な役人である。勅任断罪官は皇帝の代理として権限を行使するのだ。これに刃向うことは、貴族であっても容易ではない。

 エレスサンクロスを逮捕することによって、彼女はエレスサンクロスを保護下に置き、攻囲軍による城攻めを不可能としたのだ。

 高等法院が、キスの強力な後ろ盾になっているのには、当然のことながら、理由がある。

 ここ数日、キスは頻繁に手紙を書いて出していた。その手紙のうち、いくつかの宛先は帝都に滞在している兄のユーサー王子と、その友人レイクフューラー辺境伯である。

 キスは帝国上層部に広く顔がきくユーサーと、帝国政府の幹部クラスに位置する有力貴族である辺境伯を通じて、高等法院に働きかけを行い、高等法院の後ろ盾を得るに至った。

 それと同時に、エレスサンクロスにも手紙を送り、戦争を終わらせる提案を行い、同意を得ていた。

 彼らも、いつまでも帝国に反抗し続けることは不可能であることを理解していたのだ。現状、戦況はエレスサンクロスにとって悪いものではないが、しかし、援軍も補給も望めない中、不毛な先の見えない籠城戦を続けても、未来がないことは誰の目にも明らかであった。彼らはどこかで、エレスサンクロスにとってできるかぎり良い条件で町を開き、帝国に降伏せねばならない運命にあったのだ。そうしなければ、町は破壊され、人々は殺され、暴行され、財産は奪い去られるだろう。

 ここでも、キスの申し出は、エレスサンクロスにとって都合のよいものだったのだ。彼女や、その後ろに付いている高等法院は、それほどエレスサンクロスに対して悪い感情を抱いていないからである。皇帝や教会が出す条件より、はるかにエレスサンクロスにとってよい条件で降伏を受け入れてくれることが見込めた。

 つまり、彼女の目的は、戦争をできない状況に導き、戦争を終結させることだった。

 そもそも、キスはこの戦争に乗り気ではなかった。エレスサンクロス近隣の諸侯が等しく軍を出すよう命令が下った為、止む無く出陣していたが、はっきり言って、自分とは全く関係ない戦争である。諸侯の義務として参陣してはいるが、生死を賭けて戦いたいものではない。できれば、犠牲を払うことなく、いち早く戦を終わらせて帰りたかったのだ。

 しかし、エレスサンクロスを攻略することは非常に難儀であった。不可能ではない。ただ、大変な時間と費用と労力を要するであろう。和平を結ぶことも難しかった。皇帝や教会は、彼らの権威に刃向ったエレスサンクロスをなんとしても敗北させ、その権威と偉大さと、自分たちに刃向った者の末路を世界に向けて見せつけたかった。

 彼女はもっと楽に早く戦を終わらせる方法を、考え、思い付いた。それが、エレスサンクロスを逮捕するという方法である。和平を結ぶ為には、攻囲軍幹部やその上にいる皇帝や教会の許可を得なければならないが、犯罪人を逮捕するのに、一々、皇帝の許可を得る必要はない。帝国法の範疇である為、高等法院の許可を得れば事足りる。

 そして、運よくというか都合よく、高等法院は戦争の長期化を望んでいなかった。

 高等法院は、大貴族の牙城である。彼らにとって最も重要なことは、皇帝の権限を弱め、諸侯の独立性を高めることである。

 今回の戦争で、皇帝は帝国議会に対し、戦争税を設けることを要求していた。前述した如く貴族たちは自分たちの領地を含めた帝国全土に皇帝の税が課せられることには、絶対反対の立場である。また、戦時に限った税であっても、一度設けられた税が、戦争が終わった後になくなるという保障もないのだ。皇帝は自身の権限を強め、諸侯を弱めることを狙っているからである。戦時に限った戦争税が、恒久化されてしまう可能性も否定できないのだ。

 とはいえ、現実に戦争が起きている中で、反対し続けるのは難しい。どう考えても、道理は皇帝の側にある。どうにか、戦争は解決されなければならないのだ。

 そこで、キスが持ちかけてきたのが、今回の話である。

 ここに、キスの思惑と大貴族たちが支配する高等法院の思惑が一致したわけだ。

 キスは強引とも屁理屈ともいえる解釈で、エレスサンクロスを逮捕、訴追し、高等法院はこれを許可したのだ。

 後ろに高等法院が付いているキスに刃向うことは、攻囲軍の幹部たちにはできなかった。高等法院を支配する大貴族たちは、帝国諸侯の中でも、更に有力な人々であり、彼らの意向に刃向うことは、社会的に大変な危険を伴う。誰も、有力者の不興を買いたくはないのだ。

 結局、彼らは撤収前の最後の軍議の場で、キスに文句を言い連ねることくらいしかできなかったのだ。彼女はそれを涼しい顔で聞き流しただけだった。


 軍議の翌日から、エレスサンクロス攻囲軍のうち、気の早い諸侯はさっさと陣を払い、領地へ帰って行った。他の諸侯も領地へ帰る準備を進めていた。

 唯一、アーヌプリン公軍は、高等法院より命令を受け、エレスサンクロスに入城し、都市の武装解除を行った。入城と武装解除は粛々と行われ、大きな混乱はなかった。

 キスはアーヌプリン公軍の一部としてエレスサンクロスに入り、市長ら市の幹部たちを拘束した。

 帝国と皇帝と教会に反抗したからには、何らかの代償は支払われなければならない。そのことは、彼らも承知しているし、先の手紙での交渉の段階で、大まかな条件は提示されていた。エレスサンクロスの代償は、市長ら市の幹部たちの処刑と、エレスサンクロスの帝国自由都市としての地位の剥奪。帝国や教会に対する賠償金などである。細かくは、高等法院が裁判の中で決めるだろう。キスの関知するところではない。

 エレスサンクロスを開城させ、市の幹部を拘束し、おっとり刀でやって来た高等法院の役人たちに引き渡したキスは、これにて仕事は終わりというわけで、町を出ることにした。

「さて、これで、旅が続けられます」

 キスはすっきりとした表情で言った。結局、エレスサンクロス戦争の為、彼女の旅は二ヶ月ほどの時間を無駄に費やす羽目になっていた。

「姫さんは、これから、どこに行く気なのさ」

 戦いの中で、親しくなったテリーデン傭兵マシュリー・ピガートが見送りに来ていた。彼女らテリーデン傭兵、更に、他の傭兵たちのそもそもの雇い主はアーヌプリン公であり、彼らは公の軍隊に留まり、エレスサンクロスの戦後処理を手伝うことになるだろう。

「そうですね。もうちょっと東へ行く予定です」

「そうか。まぁ、せいぜい、気をつけるんだね」

「旅には危険がつきものですからね」

「いやいや、違う違う」

 キスの答えに、マシュリーは苦笑いしながら、手を振った。

「あんた、今回の一件で、何をしたか自覚してる」

「えーと、エレスサンクロスを逮捕して、訴追して、戦争を終わらせました」

「そうだけどさ。その過程で、何をしたか自覚してるの」

 マシュリーの問いに、キスは首を傾げた。ダメだこりゃ。と、マシュリーは額を押さえた。

「あのね。皇帝と教会は、戦争を終わらせたくなかったの。少なくとも、エレスサンクロスを自分らに刃向った奴として、徹底的に破壊して、他の反抗的な諸侯や何かに対する見せしめにしないと気が済まなかったの。それを、あんたは、高等法院と結託して、さっさと戦争を終わらせちゃったわけ」

 彼女の言葉を聞いたキスはようやく理解したようであった。困った顔をして、傍らに立つクレディアを見つめる。

「まぁ、殿下は、皇帝陛下と教会の面子を潰した、ともいえるかもしれませんね」

 クレディアは渋い顔で呻くように言った。

「それだけじゃねぇな。これで、嬢ちゃんは完全に法服派に属しているって思われるだろうな」

 クレディアの隣に立つカルボットがにやにやと笑いながら言った。

 法服派は、高等法院に地盤を持つ大貴族の派閥である。保守派の貴族の多くはここに属しており、最も有力な派閥といえる。

「私、派閥争いとかは、あんまり、興味ないんですけど……」

「あんたに興味なくても、周りは興味津々なのさ。ま、一度、色が付いちゃったら、面倒くさいことになるぞ。うちの主人は、そのあたり、立ち回りが上手いのか、利用価値がないと思われて、周りから無視されてるのか、何なのか知らんけど、うまいこと、中立派に入ってるけどね」

 アーヌプリン公は、周りに流されやすいように見えて、帝国政治の中では、うまく派閥抗争に加わらないようにしているらしい。流され過ぎて、色が付かないだけかもしれないが。

「あ、私もそれがいいです」

「いや、いいですじゃなくて、そういうのは、自分で言ってなるもんじゃないからねぇ」

 キスが声を上げると、マシュリーは呆れ顔で言った。

「まぁ、そういうわけで、これから、面倒なことに巻き込まれるかもね。がんばりな」

 楽しげに笑うマシュリーに見送られて、キスはエレスサンクロスを出たのだった。

 馬に跨ったキスは今更ながら、困ったことになったと顔をしかめていた。

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