三 悪霊の丘〜ルイトバルトの村
帝都を朝に出て、東へゆっくりとした馬の歩みで半日ほど進むとルイトバルトの村に行き着く。
特段大きくも、やたらと小さいわけでもない平凡な農村であるが、ただ一つ特徴的なものがあった。
麦畑に囲まれた村の中心部に村の大きさとは不釣合いなほど高い尖塔が聳え建ち、下界で働く農民どもを睥睨していた。
「たっかい塔だねー」
首だけでなく背まで仰け反らせたモンは目を丸くしながら言った。
「そうですねー」
モンに合わせてキスも呟いた。
他の三人も一緒になって馬鹿みたいに塔を見上げていた。
皇帝の居城であり、帝国政治の舞台でもある白亜城の尖塔や帝都にあった聖堂、教会の塔に比べて、この村の尖塔が段違いに高いわけではない。どころか、帝都にはこの尖塔よりも高い建物はいくつもあった。それでも、帝都からやって来た彼らが見て、やたらと高く感じるのは、周りに平屋若しくは二階建て程度の建物が十数軒あるだけだからだろう。高いものが周りに何もない平らな土地にぽつんとたっかい塔が一つだけあると感覚的にかなり高く感じるものだ。
「この塔は、ルイトバルト出身とされる聖ベントを記念する聖ベント教会の尖塔で、帝国でも屈指の高さを誇っております」
「「「へー」」」
クレディアの説明にキスと二人の傭兵は聞いているのか聞いていないのかイマイチ判別しかねるボケた声を出した。キスと傭兵たちの四人は相変わらず限界まで顔を上に向けて塔を見上げている。
「その聖ベントって何した人なんですか?」
ふと疑問に思ったキスが尋ねると彼女に従う騎士一人と傭兵三人は互いの顔を見合わせた。
聖ベントは西方教会の定めた聖人で、何百年前かに生きていた聖職者だということは覚えていた。しかし、実際、何をやった人かと聞かれれば首を傾げてしまう。
「何した人って……聖ベントは、ほら、ええっと、偉い人だぜ」
カルボットはしきりと髭をごしごし擦りながら答えた。
「うーんと、えーっと、モン忘れちゃったー」
学などできなくても満足に動く手足があれば傭兵などという仕事は務まるものだ。そもそも、聖人の名前なんて覚えていても傭兵の仕事には全く何の役にも立たない。
しかし、同じ軍人とはいえ騎士は違う。当時の騎士に必要とされたのは家柄、容姿(当時の貴族社会では見た目の美しさとは重要な要素であった)、そして、学識を含む能力であった。当然、有名な聖人の業績くらい知っている。はず。
そうして視線はクレディアに集まる。
「あーっとー……、えーっと、た、確か、ヤギに乗ってましたね」
「ヤギ?」
「あー。そーいえば乗ってた乗ってた。そんな絵を見たことあんな」
クレディアの言葉に傭兵二人が頷く。
「ヤギと関係が?」
全く分からないらしいキスは首を傾げ続ける。
「何でヤギに乗ってるんですか? 馬とかロバじゃなくて」
彼女の純粋な問いかけに傭兵たちは答えられず無言でクレディアを見つめ、最後に頼られたクレディアは明後日の方向を向いて逃げた。
「さぁなぁ。ヤギに神の教えなんかを説いたんじゃないか?」
仕方なくカルボットがてきとーなことを答えて、キスはそんなことに何の意味が? そして、何故、そんなことをしたくらいで列聖されているのかと頭の中に?を散乱させた。
「やあやあ、これはこれは。黒髪のお姫様じゃあありませんか。暫くぶりですねぇ」
ルイトバルトの村の中心にある聖ベント教会前の広場に着いたところで、キスは声をかけられた。
声をかけたのは白く長い絹の服に身を包んだ緑色の長い髪の女性だ。年は若いが、キスよりは一回り近く上に見える。
白く長い服は聖職者の身分を示すものだ。正しくはこれに赤い帽子と鈴付きの長い杖が付け足されるわけだが、平素は省略されることが多い。特に杖は省略され易い。長くて邪魔な上に鈴がちりんちりんと煩くて煩くてしょうがないのだ。
「勅任断罪官になられたそうでー。これから東へ参られるんですか?」
緑髪の女性聖職者はやたらと馴れ馴れしくキスに話しかけてくるが、人の顔と名前を覚えることを苦手としている彼女には相手が誰だか分からなかった。しかし、失礼を承知で相手に名を尋ねることができない人見知りは、
「え、えぇ、まぁ、はぁ」
とか、曖昧な言葉で誤魔化した。
「私は西方教会造船所事務長に転任しましてねー。東都ハディンストンに赴任する途中なんですよー。馬で行って半月はかかる長旅ですよー。やーれやれ。もうぐったりですよー。しかし、私、生まれたのは山の中ですし、教会に入ってからも陸の仕事ばっかだったし、海だって殆ど見たことないし、そもそも、私、泳げないのに、何だっていきなり造船所の事務長なんかをやらないといけないんだかー。全く意味不明な人事だと思うんですよねー。てか、これって明らかな左遷じゃあないですかねー? だって、教会軍上級監督官っていう軍の上級将校クラスから造船所の事務長ってねー。部下何人だと思いますー? 今まで一〇〇〇人規模の部隊を指揮できてたのに、今度は部下一八人ですよー? いやー、なんででしょうかねー? 前の騒動でちょっとはしゃぎ過ぎちゃったからですかねー? どー思います?」
キスたちが黙っているのを良いことに女性聖職者はべらべらべらべらとまぁよく飽きもせずろくすっぽ呼吸もせずに喋り続け、その末に、いきなり話を振ってきてキスは大変混乱した。結局、何を話していたのか殆ど理解できなかったというか聞いていなかったからだ。そもそも、相手が誰かすらまだ分かっていなかった。
しかし、相手が誰だか分かっていないとはいえ話しかけられて無視するわけにはいかない。何らかの反応とか返答とかをするのが大人というものだ。そうやって会話を繋げながら相手の名前を探るのが賢い大人だ。
しかししかし、キスにそんな高等話術を期待するのは間違いというものだ。人と話すより野菜と話している方がまだ気が楽だなんて思っているような奴なのだから。
仕方がないので彼女はやっぱりいつものように「えぇ」とか「まぁ」とか「はぁ」とか至極曖昧でいい加減な言葉を吐き続けるしかない。
「まぁ、こんな所で立ち話をしているのもなんですから、中にどうぞ。中に。ちょっと塔を見学するのもいいと思いますよ? 司祭殿には私が話をつけますから問題ありませんよー。そーだ。晩餐を一緒に頂きませんか? 何でしたらお泊まりの場所も手配しますよ? とにかくまずは中へ。ささ、遠慮せずどーぞどーぞ」
しきりと中へ入ることを薦められ、キスは大いに困惑した。そりゃそうだ。名前も思い出せない相手、しかも、黒を弾圧する手先である聖職者にやたらと馴れ馴れしく愛想良く招待されれば困惑もしようというものだ。
しかし、ここで明確に肯定も否定もできないのが我らが黒髪姫だ。
いつものように「はぁ」とか「まぁ」とか言っていたら、何でか結局、教会の中へ入ることになって、その上、晩餐までご一緒する羽目になってしまっていた。
その結果、黒髪姫が教会に入ったところ、中にいた教会関係者や信徒から悲鳴を上げられ「悪魔の襲来だ!」とちょっとした騒動になってしまい、キスは暫し複雑な気分を味わった。
ようやっと前書きを終えて本筋にって感じです。