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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第四章 十字の町
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三四 十字の町~黒髪姫連隊の前進

 つまりは、教会の要請であるらしい。

 昨日、帝都からやってきた教会トップの総司教の代理にして帝国議会議員でもあるボーティン枢機卿は、今朝から前線を視察し、遅々として進んでいない攻城戦に不満を抱いた。そこへ、教会軍の指揮官やら何やらが、攻囲軍上層部には戦意が欠けている。怠慢であると余計なことを讒言し、枢機卿の不満は一層膨らんだ。

 絶対不可侵である教会の神聖なる権威に挑戦する行為に及んだ背信者の町を絶対に許すことはできないというのが、教会の基本方針であり、それには枢機卿も異はない。もっとも、エレスサンクロスからすれば、絶対不可侵である自由たる都市の自治に乱暴な介入を行った教会を絶対に許すことができないのだが。

 いわば、これは宗教改革をめぐる対立であると同時に、宗教と世俗の対立でもある。のだが、教会からすれば、都市の自由と自治の大事さなど欠片も理解していないのである。教会からすれば、あらゆる制約や統制に縛られない自由など、信仰の邪魔であるという程度の認識なのだろう。

 ともあれ、どんな理由にしろ、教会に喧嘩を売ったエレスサンクロスを攻撃することに消極的な方針を持つ攻囲軍幹部に枢機卿が好感を示すわけがない。

 昼の会議の席上で、ボーティン枢機卿は、現状の攻囲軍の消極的な姿勢に不満を表明し、この現状が続くようであれば、皇帝と総司教に、攻囲軍の姿勢は消極的すぎると報告せざるを得ないと発言した。

 そう言われると攻囲軍の総大将格であるアーヌプリン公とデルピエ元帥は困ってしまう。無駄な犠牲を出したくないという理由はあるものの、城攻めに消極的なのは疑うべくもない事実なのだから。

 この事実を枢機卿の見解を加えて皇帝に報告されると、二人は非常に困ったことになってしまう。

 今から七年前に崩御した前々代皇帝カール三世が行った大粛清は記憶に新しい。

 カール三世以前には若年帝時代と呼ばれる時期がある。この二〇年の間に即位した三人の兄弟皇帝はいずれも幼い子供か若い少年で、それを良いことに大貴族が権力を握り、絶大なる権威を振るっていた。

 幼い皇帝たちが死に絶えた後、冠は若年帝たちの叔父であった老王子カールの頭に降り立った。その後、彼は、今まで権勢を欲しいままにしてきた大貴族たちを徹底的に粛清したのである。大貴族たちは、横領、職権濫用、怠惰、不敬といった罪を問われ、罰金という名の元に財産を没収され、税を課され、利権を没収され、下手をすれば反乱の罪を得て処刑され、全財産の没収といった厳罰を食らった。そこには中小貴族や上級聖職者、大商人も多数含まれていた。中には公然と皇帝に刃向い剣を交えた諸侯もいたが、いずれも鎮圧され、今や墓の下である。

 この大粛清以降、貴族たちはめっきり大人しくなり、カール三世在位中は皇帝にすっかり従順になっていた。

 カール三世は既に亡く、今の皇帝はその孫であるウルスラ帝ではあるが、その当時の記憶は、帝国貴族の誰もが共有している。知り合いの貴族が何人も断頭台の露と消えたのだ。彼らの多くは未だに皇帝に刃向うどころか、意に沿わぬ言動をも忌避するのである。

 アーヌプリン公の父である前公は、非常に気弱な性格で、当時の皇帝カール三世の威圧に耐え切れず、ストレスの果てに寝込み、そのまま病死してしまったくらいである。そして、その血はアーヌプリン公にも流れている。

 ボーティン枢機卿の報告で、皇帝から目を付けられることを、アーヌプリン公は強く恐れた。となれば、ここは、是が非でも行動していることを目に見せなければならない。

 彼女は積極的な攻勢を許容する意向を示し、形式上とはいえ、総司令官ともいえる最高位の諸侯の同意を取り付けた積極攻勢派、さぁ、戦争だといきり立った。こうなってしまえば、デルピエ元帥たち慎重派は、折れるしかない。

 いきなりの城攻め開始の命令は、そういった経緯で発令されたものであった。


 キスが率いるアーヌプリン公軍の前衛隊、通称として黒髪姫連隊と名付けられた軍勢に命じられたのは、ユットニール准将が率いる近衛第二砲騎兵連隊の前進を支援することだった。

 というのも、当初、攻城戦に積極的ではなかった攻囲軍は、敵による砲撃で、自軍に損害が与えられることを嫌い、攻囲軍の砲兵隊を、城壁や塔に設けられた大砲の射程外に布陣させ、そこから砲撃をさせていたのだ。

 エレスサンクロスの町は、帝国本土の奥地で、周囲に敵となるような勢力も存在しない為、そこに設けられた砲は非常に旧式なもので、また、弾薬の量も限られていると思われることから(大砲の射程を延ばすには、火薬の量を増やさなければならない。つまり、火薬の備蓄が少ないと砲弾を遠くまで飛ばすことができる回数に限界がある)、新式の大砲を装備し、火薬も補給できる攻囲軍の砲兵隊は、守備側の砲兵よりも遠くから攻撃することが可能だったのだ。長距離の砲撃戦では攻囲軍が有利な状況なのである。

 とはいえ、攻囲軍の砲兵隊からしても、その距離は射程内ではあるものの、ぎりぎりといった距離で、現状では城壁に砲弾を飛ばすので精一杯だった。当然のことながら、その命中率は非常に悪い。

 この為、これから始める本格的な攻城戦に備え、攻城を支援する砲兵隊を的確な砲撃が行える位置まで移動させなければならない。この移動の際に、砲兵隊を支援するのが黒髪姫連隊に与えられた任務である。

 ただ、今回の支援任務は、それほど困難なものではない。

 というのも、砲兵が移動する際において、懸念すべきは、その間に敵から攻撃されることである。敵の砲撃などは気にするのものではない。気にしたところで、それを防ぐ術などないからである。移動中、敵の砲撃を浴びるのは、戦場では普通のことであり、ただ、命中しないことを祈るよりない。

 ただ、敵の歩兵や騎兵に攻撃された場合、多大な損害を受ける。砲兵は装填やら何やらで発砲までに時間がかかる為、即座に反撃することができないからである。その間、一方的な銃撃を浴び続けることになる。砲撃に比べて命中する可能性は格段に高い。また、白兵戦になれば、砲兵の利点は全く消えてしまう。

 その為、砲兵は、特に騎兵の襲撃に注意しなければならない。騎兵は機動力があり、砲兵が行軍を止め、大砲を備え付け、照準を合わせて、装填をしている間に肉薄し、砲兵たちを片っ端から踏みにじってしまう。

 しかし、今回の敵は城内に籠っている為、目の前を砲兵が移動していても、打って出てくることは考えにくい。可能性はないことはないので、その僅かの可能性に備えた支援が黒髪姫連隊の仕事なのだ。


 連隊の陣地から二十騎の胸甲騎兵が前へ進み出る。

 胸甲騎兵たちは揃って、赤い上着の上に鋼の胸甲を装備し、白い羽飾りを付けた兜をかぶっている。腰にはサーベルと拳銃を提げている。茶や白、栗毛の馬に跨っている。彼らがグリフィニアが誇る精鋭グリフィニア胸甲騎兵である。

 その分隊の先頭には、黒い羽飾りが付き、片側を折り上げた黒い幅広帽子を被り、漆黒のマントを身に纏い、黒い上着に黒いズボンに黒い乗馬ブーツ。しかも、騎乗する馬の毛色は艶やかな黒と、上から下まで真っ黒な出で立ちの連隊長キスがいた。装束は見事なまでに黒で統一され、黒くない部分は袖や首元にある白い絹のレース飾りとか、金色のボタンとかそれくらいであった。

 彼女の傍らには、近衛第二砲騎兵連隊を指揮するユットニール准将と胸甲騎兵中隊長のレーティンガム卿がいる。彼らの後ろにはそれぞれの副官が続き、その更に後ろに護衛の胸甲騎兵たちが付いてきていた。

 一行はトロットで上下に揺さぶられながら、悠々と前進を続ける。

 砲撃を続ける近衛第二砲騎兵連隊の陣地の横を通り抜け、なおも前進を続ける。散発的に砲撃してくるエレスサンクロス市からの砲弾が地面を抉り、土煙を上げるが、さほど気にせずに、一行は更にエレスサンクロスへ近付いていく。

「ふむ。この辺りがよいな」

 暫く進んだ辺りで、ユットニール准将が口を開く。

 レーティンガム卿が、右手を挙げ、騎兵たちはその場に停止した。

「ここならば、砲撃には十分な距離だ。狙った塔に砲弾を命中させることができるぞ。この辺りに砲兵陣地を構築し、その前方に攻囲濠を構築すべきであろう」

 ユットニール准将が口髭を撫でながら言った。

 その直後、砲撃音が聞こえ、全員が顔を上げた。風を切りながら鉄の塊が一行の頭上を通り抜け、何十ヤードか後方で土煙を巻き上げた。最後尾の騎兵が何人か頭から土をかぶった。

「この辺りだと敵の砲弾も届くようですね」

 キスが落ち着いた声音で言った。

「まぁな」

 ユットニール准将も落ち着いた声で応じる。

「敵の砲弾が届かない戦場などあるまい。敵の砲弾が届かぬところで戦おうなど、虫のよい話だ」

「それもそうですね」

 二人はのんびりと会話しながら、エレスサンクロス市の高い城壁を眺めていた。

「殿下っ。世間話は戻ってからではダメなのですかっ!? 次弾も我々を避け、外れてくれるとは限らないのですからっ!」

 堪らず、クレディアが叫んだ。

「そもそも、こんな最前線にまでわざわざ連隊の幹部が、陣地構築の下見に行かなくともよいのではないですかっ! 危険過ぎますっ! だから、私は反対だと何度も」

 説教じみたことを言い続けるクレディアに対して、キスは准将と顔を見合わせてから、レーティンガム卿に向き直って頷く。

 中隊長は手で合図をして、全員が転進して、元の陣地へと戻っていった。戻る途中で、准将はしかめ面で呟く。

「君の副官は、中々、口煩い奴だな」

 後退していく連隊長ら直々の偵察部隊の背後にまたもや砲弾が落ちて、土煙を巻き上げた。


 黒髪姫連隊による陣地構築は、その日の夜から開始された。夜にはじめたのは、敵の目を誤魔化す為とはいっても、数百人が一斉に前進して、土を掘り起こし始めれば、どんなにこっそりやってもバレるのはしょうがないので、なるべく、砲弾が当たらないようにする為である。

 クライス人に、南方人、馬から降りたグリフィニア人、そして、甲冑を脱いだテリーデン人らが総勢で、地面を掘り返す。たまに砲弾が飛んできて、何人かの兵士を吹き飛ばすが、さほど気にせずに作業を続ける。

 翌日は、非常に良い天気で、朝日を浴びながら朝から作業を始め、たまに砲弾を浴びつつも、土掘りを続けた。城壁に平行して何マイルも掘り進めていった。

 その日の夜、何人かの南方人奴隷兵が下士官を殺害して、逃走するという事件が起きた。

 当然のことながら、南方人奴隷兵の脱走兵は全員が拘束された。何千、何万という軍勢が布陣している中から、その外へ逃れることなどできようはずもない。黒髪姫連隊の胸甲騎兵が追いかけ、アーヌプリン公の軽騎兵がその捜索に手を貸し、脱走兵は一人残らず、その夜のうちに発見されたのだ。

 脱走兵への刑罰は、ただ一つである。

 翌朝、キスは連隊の全兵士に集合を発令した。

「脱走は大罪であるっ! 脱走者は、軍規に背き、主君を裏切り、そして、仲間である諸君を見捨てたのだっ! 己の命惜しさに、身勝手にも、我々を敵の目前に置いたまま、敵と、仲間に背を向けたのであるっ! 我々が死に向かっていく中、連中は逃げ出したのだっ! 諸君は、裏切り者を許せるかっ!? 私は断じて許すまいっ! 裏切り者には相応の刑罰が与えられるっ! そして、死後も、地獄にて、永劫の苦しみを受けるであろうっ!」

 クレディアが長々と憤怒に満ちた表情で演説し、ワークノート卿は呆れた顔で欠伸をした。

「あの娘、よくもまぁ、死刑の前に、半時間も演説するわ」

「まぁ、確かに話が長いな」

 隣に立つロッソ卿も少し呆れた様子で呟く。

 クレディアの演説が終わったところで、脱走兵たちは組み敷かれた。傍に斧を持った兵士が立つ。

 連隊の全兵士が見守る中、鼓手がどろどろと低く太鼓を敲き鳴らし、一際強く敲かれたとき、高く振り上げられた斧が振り下ろされた。鈍い音がして、ごとりと首が地面に落ちた。

 それが脱走兵の人数分の回数繰り返された。

「あー。さて」

 全てが終わった後、キスはいつも通りののんびりとした様子で話し始めた。

「私が連隊を率いる間、このようなことが二度と起きないことを望みます。これ以上、兵力を減らしたくありませんし、時間の無駄です」

 キスは無表情で言い放つ。

「しかし、脱走兵が出た場合は、同じことを繰り返さざるを得ません。まぁ、私よりも戦場経験が長い皆さんにはよくお分かりかとおもいますが。あぁ、それから、連隊における軍規が定められていますから、皆さん、よく理解しておいて下さい。軍規に背かれては非常に困りますから」

 次に、キスは、南方人奴隷兵たちに向き直る。

「皆さんが、己の待遇に非常に不満を持っていることは重々承知しております。そして、それを改善したいと私は考えております。その方策として、私は一つの提案しましょう」

 奴隷兵たちは怪訝そうな顔でキスを見つめる。

「皆さんが、今回の戦で、それ相応の働きをした場合には、奴隷の身分から解放し、自由を得られるようにすることを、ここで、全連隊の前で約束します。この意味、お分かり頂けますか?」

 キスの言葉を受けて、奴隷兵たちは顔を見合わせ、互いに小声で話し合う。全員に理解が及んだ頃合を見て、キスは話を続ける。

「全ては諸君の中隊長、そして、アーヌプリン公も承知の上です。また、その後、身の振り方に困る者は、私が責任を持って、引き受け、生活を保障します。神に誓って、約束を破ることはしません」

 キスは言うだけ言って、さっさと連隊本部のテントの方へ歩み去っていく。

 南方奴隷兵たちは、この話を信じるのか。信じないのか。全ては賭けのようなものである。それ相応の働きといった条件も非常に曖昧で、元々約束を守る気がないように思われる可能性もある。

 とはいえ、もしかすると、本当に、自由になれるかもしれないという希望を前にぶら下げておくのと、何をどうやっても自由にはなれず、一生を奴隷で終えるのだという絶望感を抱かせておくのとでは、士気に大きな違いがあるだろう。少しはマシな状態になるのではないかとキスは期待していた。

「しかし、よくもまぁ、そんな大金を簡単に出せますね。さすが、貴族様は違うわ」

 連隊本部のテントに入ると、脱走兵を処刑という記録をつけていた書記のベアトリスが茶化すように言った。

「いや、そんなお金ありませんよ」

「は?」

 キスの返答にベアトリスは素っ頓狂な声を漏らす。

「これから、借ります」

「はぁ。よくもまぁ、そんなはったりを」

「いや、確実に貸してくれる相手ですから」

「誰です。それ」

「兄とその友人です。私に負い目がありますから」

 そう言って、キスは手紙を書く用意をはじめた。

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