三三 十字の町~南方奴隷兵とグリフィニア胸甲騎兵
キスたちは次の陣地を視察した。
テリーデン装甲兵とクライス人銃兵は、いずれも歴戦の強者といった様子で、戦場ではなんとも頼りになりそうな連中であったが、次の陣地に控える中隊は、少々頼りなかった。
兵士が弱そうなわけではない。老人ばかりとか少年ばかりといった風でもなく、痩せこけた貧弱な連中ばかりというわけでもない。いずれも六フィートはあろうかという大男ばかりで、腕や脚は丸太のように太く、胸板も厚い。屈強な野郎どもといった風情で、兵の身体的能力に不安を覚える要素はない。
装備は無骨な革鎧だけだが、火器の発達に伴い、鋼鉄の甲冑が用無しになりはじめた頃合でもあり、そもそも、元より一般の歩兵はそれほど堅固な鎧に身を固めているわけではないので、それほど不足とは思えない。腰に抜き身で提げている幅広で分厚い半月刀は斬るというよりは殴ることに適していそうではあったが、それでも人を殺傷するには十分な威力がありそうで、これまた不足ではない。
しかし、彼らの顔を見上げて、キスとクレディアの主従は眉を寄せた。
どいつもこいつも、覇気が感じられないどころか、気力すら感じられないのだ。そういえば、さっき、中隊長の号令で整列させられていたときも、動きはのろのろと鈍く、中隊長が怒鳴らなければ、クレディアが怒鳴っていたところだった。
要するに、やる気も活力も見出せない連中であった。こういう輩は、どんなに屈強であろうとも、どんなに立派な武器や装備を持っていても、全く無駄である。すぐに狼狽え、右往左往して、戦列を掻き乱して潰走するものだ。
戦列が崩れるとは、軍全体にとって致命的な損害である。戦線の僅かな綻びから敵に付け入られれば、そこに予備兵力を手当てしてやらねばならない。予備兵力が十分でないとき、或いは手当てが不十分だったり遅かったりした場合、その軍に最早勝ち目はないといっても過言ではない。兵は正面の敵とは対等に戦えても、側面や、ましてや背後からの攻撃となれば、すぐに浮き足立つものなのだ。
目の前の無気力で怠惰な雰囲気漂う大男どもは、その戦線を崩壊させかねない弱兵に見えた。
キスは苦笑いしながら、クレディアは渋い顔で、互いに顔を見合す。
とはいえ、この男たちが怠惰で無気力なのも頷ける話である。
彼らは、このチョコレート色の肌で、揃って坊主頭の男たちは、普通の兵士ではないのだ。傭兵隊長が金で掻き集めた雇われ者でもなければ、領主の命令で徴兵された兵士でもない。強制的に連行され、金で取引され、戦場に立たされる者たちなのだ。
彼らは、その容姿からもわかるとおり、帝国人ではない。どころか、帝国に居住する異民族でもない。一般に南方人と呼ばれる、遥か南、大洋を渡った先の、南方大陸に居住する人々である。
帝国をはじめとする西方各国はいくらか昔に、勇気ある航海者たちの活躍によって、南方大陸を「発見」し、現地の弱体な王朝を打倒して、植民地を建設した。
植民地を建設し、金が生まれるようにするには、多大な労働力が必要となる。その労働力として、各国政府は西方大陸から移住者を募ったり、犯罪者を送ったりした他に、現地の住民を拉致したり、現地の有力者から買ったりして、集めて奴隷としたのだ。
ほとんどの奴隷は労働力として活用されたが、見目麗しい若い女(たまに少年も含むことがある)は富豪の手に渡ったり、娼館に売られたり、或いは屈強で従順な男は兵士として使役された。これが奴隷兵である。
今、キスの前に居並ぶ連中もその奴隷兵であり、南方奴隷兵と呼ばれていた。
奴隷であるとは、己の生殺与奪の権利を他人が握っているということであり、己の意思とは無関係に、命令されるがままに働き続けなければならない人生であり、また、その労働に対して対価が支払われることもないという、ほとんど家畜と同じ扱いをされる、非常に辛く厳しく惨めな身分である。
そんな状態にあって、元気でやる気に満ちている者などいようはずがない。
キスもクレディアもそのことは承知している。彼らに同情しないではないが、しかし、二人は聖職者でもなければ啓蒙思想家でもなく、軍人であり、指揮官なのである。この兵士たちの状態を見て、第一に考えることは、即ち、兵力として使えるかどうかなのだ。
二人の出した結論は「甚だ心許無い」だった。
「これは、何とかなりませんかね?」
「何とかしないと、我が部隊が崩れる原因になりかねません」
キスとクレディアは渋い顔で話し合う。
奴隷兵がどいつもこいつも役に立たないわけではないはずなのだ。中には勇猛な戦いを見せ、敵を恐怖させる奴隷兵の部隊もあると聞く。
それは、おそらくは指揮官の手腕によるものだろう。如何なる手を使っているのかは分からないが、何かしらの方策で奴隷兵たちの士気を鼓舞し、やる気を出させているのだろう。それが金か、自由か、指揮官のカリスマかは、わからないが。
キスとクレディアは、南方奴隷兵の中隊を率いる中隊長を見やった。
中隊長は褐色の肌で大柄の、南部系異民族で、クレディアに言わせれば「怒鳴ることと殴ることくらいしか能のない」という男だった。この男に奴隷兵たちの士気向上など期待できるわけもない。それどころか隊をまとめることができるのか甚だ不安である。
キスとクレディアは大きな不安を胸に抱えたまま、南方奴隷兵中隊の陣を後にした。
第一陣のテリーデン装甲兵、第二陣のクライス人銃兵、第三陣の南方奴隷兵と並ぶキス率いる連隊の後詰はグリフィニア胸甲騎兵の中隊二〇〇騎である。
胸甲騎兵とは、兜を被り、胸甲(胸当て)を装着し、サーベルや拳銃を装備した騎兵である。
銃火器をはじめとした戦闘技術の発達に伴い、鎧兜などの甲冑による防御が価値を低下させたことは、前述のとおりである。これは、何も歩兵に限ったことではない。騎兵でさえも、今や、鎧兜を捨て去る流れとなっていた。
騎兵はその性質上、二つの役割に分類されるのだが、その一方、大別して軽騎兵と呼ばれる騎兵は、その機動力を生かして偵察を行ったり、敵の後方を攪乱したり、逃げる敵を追撃することなどを任務とする。その機動力にこそ価値がある。重い上に、銃撃を防げない甲冑を着込む必要は全くない。その鎧兜の重量を捨てて、その分、馬を速く走らせた方がずっと合理的である。結果として、軽騎兵は鎧兜を装備していない。
しかしながら、もう一方の重騎兵はというと、少々事情が違う。機動力が持ち味なのは変わらないが、こちらの運用方法は、敵に真正面からぶつけ、その打撃力で、敵の戦列を突破することにある。敵の銃撃を潜り抜けた先、敵陣に馬ごと突っ込み、敵を薙ぎ払うことこそ重騎兵の役割である。その際、敵歩兵の槍や銃剣から、或いは敵騎兵の斬撃から、身を守る必要がある。このとき、鎧兜が有効になるのだ。
とはいえ、数十年前の騎士のような、頭の先から爪先まで、鉄の塊で覆った格好では、騎兵の持ち味である機動力を殺してしまう。ここで、妥協が成立する。フル装備の甲冑では重すぎるが、せめて、急所である頭と胸辺りは守っておこう。
こうして、出来上がったのが胸甲騎兵である。
グリフィニアの胸甲騎兵は、特に勇猛果敢な精鋭として名高い。
八年前の、北方の島国グリフィニアと西方の強国リトラントが、クライスのある侯国の継承権を巡って争った三年戦争における最後の本格的な戦闘、アルーベルクの戦いにおいて、その名声は不動のものとなった。
グリフィニア軍二万。リトラント軍三万五〇〇〇という圧倒的不利な戦いにおいて、グリフィニア胸甲騎兵二〇〇〇が、半数の損害を出しながらも、リトラント軍の戦列に真正面から突撃し、その大軍勢を真っ二つに両断し、瓦解させたその働きは、重騎兵の集団突撃の有用性を知らしめ、中でも特にグリフィニア胸甲騎兵は勇猛果敢で死を恐れぬという名声を大陸中に知らしめたのだ。
という話を、キスはクレディアから延々と聞かされ、耳にタコができるかと思った。
「でも、今回は野戦じゃなくて、攻城戦ですからねぇ」
キスがぼそっと呟くと、クレディアは黙り込んだ。
攻城戦においては、騎兵は全く役に立たないといっても過言ではない。騎兵の真価とは、その機動性と衝撃力である。敵よりも早く動き、その側面や背後に回り込んで、その速力のまま集団で突っ込むことによって、敵に多大な損害を与える。しかしながら、その敵が城壁の中にいるのでは、機動力も衝撃力も発揮することができないどころか、馬に乗っていることにより、歩兵よりもはるかに大きい為、敵からの銃撃の恰好の的になってしまう。
そのことはグリフィニア胸甲騎兵の指揮官も自覚しているようであった。
「いや、実のところ、我々がここにいるのは場違いではないかと思っておるんですよ」
指揮所となっているテントの中で、中隊長を務める赤毛の中年貴族、ジャスティン・レーティンガム卿はあっけらかんと言い放った。騎兵が攻城戦には無力であることを彼も自覚しているらしい。
「ま、緊急のことで、そこら中から、兵を掻き集めた結果、我々も引っ張られたんでしょうな」
「はぁ」
「まぁ、我々もできる限りのことはしますので、上手く使って下さい」
「はぁ」
「あぁ、そうはいっても、いきなり、城壁に向かって突撃しろとかいう無茶な命令は勘弁して下さいね」
「あぁ、まぁ、勿論です」
キスだって、そんな無茶な命令を下しても何の意味もないということは考えるまでもなく理解していた。
とはいえ、それほど兵力に余裕があるわけでもなく、一個騎兵中隊をむざむざ遊ばせておくのも勿体ないというものだ。
一通り、自軍を構成する四の傭兵部隊を視察したキスは、第三陣の南方人奴隷兵中隊と後詰であるグリフィニア胸甲騎兵の間にある連隊本部に戻っていた。
連隊本部には連隊長であるキスの他、連隊副長の任に就くエドワード・ロッソ卿、連隊兵站監を務めるアナスタシア・ワークノート卿、連隊長副官のクレディア・オブコット卿らの連隊幹部の他、カルボットやモン、無名のムールド人傭兵ら、キスの護衛兵。その他に、アーヌプリン公から派遣されてきた事務官ら、合計すると二〇名ほどが詰めていた。この他に、連隊と各中隊やアーヌプリン公の旅団を繋ぐ伝令が一〇名ほどいた。
「テリーデン装甲兵とクライス人の三個中隊は、問題ありませんな」
「ただ、南方人奴隷兵中隊の士気の低さは全体の足を引っ張りかねません」
「グリフィニア胸甲騎兵をどう使うかも難しいところね」
最も上座の椅子に座るキスの前で、連隊幹部の面々が小難しい顔で話し合っていた。バラバラの、それぞれ違った特色を持つ中隊をどうまとめて上手く運用するかは極めて重要な問題である。
「殿下。まずは、南方人奴隷兵中隊の低下した士気をどうにか回復させることから」
ロッソ卿が献策していると、連隊幹部が入っているテントに伝令が飛び込んできた。幹部が会議をしている場に伝令が飛び込んできても、キスは勿論他の誰も咎めなかった。
キスは、アーヌプリン公から預けられた伝令には、いつなんどきでも、例え、飯時でも、寝ているときでも、風呂に入っていようが便所に行っていようが、何がなんでも、緊急の連絡は迷わずすぐに伝令せよと命令しており、重要な情報伝達が遅れたときには、銃殺刑にしてやるとオブコット卿は脅しつけていたのだ。
「申し上げます。全軍に城攻めの指示が下りました。三時間以内に進軍の用意を整え、近衛第二砲騎兵隊の前進を支援せよとの指示です」
「何っ! 城攻めだとっ!」
伝令の言葉に、ロッソ卿は驚き声を上げ、ワークノート卿は苦笑し、オブコット卿は顔をしかめていた。
この間の軍議では、暫くの間は、包囲を続けようという方針が確認されたはずなのに、それが、いきなり強攻とは、突然にも程がある。
突如決められた総攻撃の知らせに、キスはぼんやり唖然としていた。