三一 十字の町~テリーデン装甲兵
ユットニール准将率いる近衛第二砲騎兵連隊による砲撃の見学を終えたキスは自陣へと戻った。
キスの本来の軍勢は八名という超少人数だが、一時的にアーヌプリン公の配下に入り、一〇〇〇余の前衛隊を預かっている為、近衛第二砲騎兵のすぐ後ろに立派な陣地を構えていた。とはいえ、守備側が打って出てくる状況とは思えず、陣地は簡易なものだった。いくらか昔ならば投石器や攻城塔を用意しているところだが、大砲の普及により、それらは無用の長物となり、その姿はない。
この陣地に待機しているキス配下のアーヌプリン公軍前衛隊は主に外国人の傭兵たちで、いずれも戦慣れした強者揃いだった。クライス人マスケット銃兵四〇〇名、テリーデン装甲兵二二〇名、グリフィニア胸甲騎兵二〇〇名、南方人奴隷兵一六〇名から成り、それにアーヌプリン公から派遣された連絡役の士官や糧秣、武器弾薬、会計などを担当する事務官が数名である。
まず、最前列に布陣しているのは、テリーデン装甲兵の中隊である。簡易な柵を設けてはいるが、壕を掘るほどの堅固な陣は構築していない。
テリーデン装甲兵はその名のとおり、大陸北西の強国テリーデン出身の、当地の特産であるテリーデン鋼の重甲冑と盾を装備した重装歩兵である。
鉄の鎧や盾を容易に貫く火器が普及して以来、鎧兜の類は、無用な長物と化し、兵の装甲は薄くなる一方であったが、テリーデン装甲兵のみは別で、非常に堅牢な盾と甲冑を装備していた。というのも、彼らが装備するテリーデン鋼はこの世で最も硬いといわれ、砲弾はいざ知らず、ある程度の距離までならば銃弾をも弾く硬さを誇っていた。その製造法は国外不出のもので、その製造方法は厳重に管理・隠匿されているとの話で、実際、テリーデン以外の国はテリーデン鋼に及ぶほどの鋼を作ることができていなかった。
彼らの戦い方は、重装備の装甲兵たちがずらりと盾を並べ、相手の銃撃を耐えながらじりじりと敵方へ迫り、十分な距離まで近づいたところで、盾をかなぐり捨て、一挙に突撃し、白兵戦に持ち込むというものだ。極めて攻撃的だが敵の一方的な攻撃に晒されながらも、退かずに進み続ける忍耐と勇気が必要となる。その為、彼らは非常に訓練され、高い士気と勇気、規律を誇り、大陸でも屈指の精兵と名高い。
テリーデン装甲兵の戦い方は、彼らの練度、士気、規律、そして、テリーデン鋼という武器があって初めて成り立つもので、他国の兵にはとても真似のできないものであった。
そのテリーデン装甲兵たちも、今は敵城から離れた所に布陣していることもあって、当直の者以外は、その重々しい甲冑を脱ぎ払い、鋼鉄の盾と振るうと人も馬も軽々と両断する大剣を置き、身軽な格好で、カードゲームをしながら麦酒を飲んでいた。いくら日が沈み始めた頃合とはいえ、酔うにはいささか早い時間ではあるまいか。
この様子を見たキスの側近クレディア・オブコット卿は激怒した。
「な、なんたることっ! こんな時間から酒に溺れるとは、許し難いことだっ!」
「あ、あー、そ、そうですかねー?」
激昂するクレディアに対して、キスはぼんやりとぼけたことを言った。
「そうですかねーじゃありませんっ! こんな時間から酒を飲むとは言語道断っ! 許し難いことですっ!」
クレディアは盛んに吠え、キスは曖昧に苦笑していた。
その様子をテリーデン傭兵たちは遠巻きに黙って眺めているのであった。何か煩い奴がきたと酒の肴にでもしているのかもしれない。若しくは、帝国語が分からない可能性もある。とはいえ、わかっていたとしても、口を挟むとは思い難い。元々、テリーデン人という連中は寒い所に住んでいるせいか、我慢強く逞しいが、無口で頑固で無愛想というのがデフォルトで、余計なことには首を突っ込まないし、口を出さないというのが、彼らの国民性であった。
しかし、そのような国民性であるとはいえ、全員が全員、そんな奴ばかりではない。
「ぎゃーぎゃーとうるせー女だな」
その極めて無礼な言葉が聞こえてきたのは、すぐ近くのテントからだった。ハスキーだが、明らかに若い女の声だ。
「酒を飲んじゃあいけませんって、テメーは坊主かっての。あたしらは戦争しに来たんであって、遠足に来たわけじゃねーんだぞ」
そう言いながらテントから出てきたのは、背の高い若い女だった。燃えるように赤い長髪に、猛禽を思わせる鋭い三白眼。頬はこけ、顎は細く、野性的かつ攻撃的な顔立ちで、狼を髣髴とさせる。袖がなく丈の長い灰色のシャツに、紫色の柄も模様もないマントを羽織り、革製のショートパンツを履いている。腰にはサーベルと短銃を提げていた。
「何だと」
女の無礼な物言いに、クレディアは眼光鋭く、彼女を睨みつけた。
「酒に酔って戦えなくなるような野郎なんざ、うちの隊にゃいねーよ。そんな間抜けがいたら、そいつの首をあんたに持って行ってやるよ」
目つきの悪いクレディアの睨みを受けても、女は全く怯むなく言ってのけ、クレディア以上に悪い目つきで睨み返す。
「いいか? あたしらは傭兵だ。戦場が職場で、人殺しが仕事だ。当然、逆にこっちが殺されることだって十分にある。明日にでも、砲弾でバラバラにされるかもしれねーし、銃弾に貫かれるかもしれないし、剣やら槍やらで突き刺されるかもれん。死の床にある病人とか処刑を明日に控えた死刑囚なんかにゃ、最後の晩餐が出て好きなもんが食えるが、同じように明日をも知れん命であるあたしらにゃそんな贅沢なもんはねー。となりゃあ、せめて、酒くらい好きに飲ませてくれたっていいんじゃねぇか?」
彼女の言葉に、クレディアは一瞬言葉を詰まらせた後、剣呑な目つきで睨みつける。
「生意気なことを。貴様、誰に対してものを言っているのか分かっているのだろうな」
「あんたが誰かは知らねーし、興味もねーが。ま、貴族様だってことは分かる」
「無礼者め。テリーデンの田舎者は口の利き方がなっていないようだな。礼儀作法というものを貴様の体に教え込んでやろうか」
「せっかくの貴族様のお申し出だが、いくらでもモノを貯め込んでおける金持ちと違って、貧乏人にゃあ持っていられるモノが限られているもんでね。そーいう金にも飯にもならねーもんを持っていられる余裕はねーんだよ」
クレディアの、思いっきり脅しであろう言葉にも、彼女は全く怯むことなく、言い返し、口端を釣り上げた。
それで、またクレディアの怒りメーターは上昇する。口を開き、何事か言おうとしたが、それをキスが遮った。
「まぁまぁ、仲間内でいざこざを起こすのは宜しくありません」
自身の主君にして、部隊の指揮官であるキスにそう言われて、これ以上、言い合いを続けては、忠誠心厚いカロン騎士失格である。
クレディアは不満げな表情で口を閉じ、何かを言う代わりに、キスを睨んだ。私に代わってこいつとこの状況をどうにかすべきだと目で訴える。
コミュニケーション能力の低いキスではあるが、今回ばかりは部下の思いを察したようで、困惑しつつも、テリーデン人の女に向き合う。
「えーとですね。あ、私は、キスレーヌ・レギアン・ダークラウンと申します。宜しくお願いします」
とりあえず、キスは自己紹介と挨拶をした。人間関係は自己紹介と挨拶から。間違いではない。間違いではないが。クレディアは黙って天を仰いだ。
「あー。殿下の御高名は常々拝聴致しております。黒髪姫殿下。ワタクシは、このテリーデンの田舎者どもの中隊の副長兼事務掛兼会計掛御飯掛兼世話掛でございます。まだガキも産んでねーのに、大の野郎を百人も世話するのは、厄介極まりのぅございます」
キスの自己紹介に対して中隊副長である彼女はそう言い、周囲のテリーデン傭兵たちが低い笑い声を上げた。
「あ。ちなみに、名前はマシュリー・ピガート。まぁ、覚えても意味ないだろうし、貴族様はこんな野蛮で粗野な傭兵の名前なんかにゃあ興味ねーでしょうけどね」
「あ、いえ、そんなことは。覚えます。えーっと、マシリーさん」
「もう間違えてるじゃねーかっ!」
「あぁっ! すいませんっ! えっと、マ、マ、マシューさん?」
「マシュリーだっつのっ!」
ひとしきりコントみたいなことを言い合った後、恐縮するキスを見たマシュリーは機嫌良さそうに唇の端を釣り上げた。
「姉ちゃん。貴族にしては中々面白いねー」
「え? あ、そうですか?」
「うん。変」
「へ? 変?」
キスが自分を指さして小首傾げると、マシュリーは頷いた。
「あんた、自分がまともだと思ってる?」
「え、あ、まぁ、はぁ」
「んなわけねーだろ」
「は?」
きょとんとしているキスを見て、マシュリーは高らかに笑った。
「そんじゃ、あたしは色々と事務仕事が残ってるもんで。優雅な貴族様と違って、貧乏人は忙しいんさ」
そう言って、テントの中に引っ込んでしまった。
「まったく、無礼な輩です。これだから、儀礼も何も知らん野蛮人は」
クレディアは大変不満そうにぶつぶつと言っていた。