二 黒髪姫の配下
「殿下。まっすぐ前をお向きになって下さい。そんなきょろきょろしてはいけません」
田舎者のおのぼりさんが都市でするようにきょろきょろと辺りを見回していたキスをぴしゃりと叱る者がいた。
黒髪姫に従う一行の中では身分的にはキスに次ぐ騎士という身分を持ち、キスと同じ銀猫王国の主要民族カロン人であるクレディア・フレンシア・オブコット卿である。
クレディアはキスが注目されるきっかけとなった反乱騒動において、彼女の率いる黒髪姫騎士団に参加した数人のカロン人騎士の一人で、今回の彼女の旅には自ら志願して参加していた。
彼女の灰色の髪の毛は、貴族の淑女ほど長くはなく、男ほど短くもない中途半端な長さで、後ろで縛って獣の尻尾のようにちょろんと垂らしている。若干吊り気味の目の中の瞳は髪と同色。白い肌には所々に小さな傷や微かな火傷跡があり、少しだけ悪い目つきの精悍な顔立ちで、いくらか野性的で刺々(とげとげ)しい雰囲気を身にまとっている。体つきは細く小柄で、キスよりも一回りというほどではないが半周りくらい小型で、年齢は同じか少し年上といった少女騎士だ。
「いいですか。殿下は勅任断罪官であり、帝国男爵であり、銀猫王女なのです。かように高貴なる身の上にして、民を統率し罪を裁くべきお立場であられる殿下がそのように下賎なる振る舞いをなされてはいけませぬ。威厳を見せねば民は従いませぬ」
「はぁ……、すいません……」
クレディアに叱られたキスは曖昧な返事をして、すまなさそうに馬上でぺこぺこ頭を下げた。まるで立場が逆のように見える。即ち、クレディアが主人でキスが従者のように見えた。或いは姉妹とか、従姉妹とかそーいうふうに見える。現に二人の様子を見た何人かの通りすがりの行商人たちはそのように勘違いした。
二人がほぼ同じような衣服に身を包んでいることも身分を勘違いさせる要因の一つだろう。丈夫な木綿の長袖シャツの上に防寒性に優れ、雨露を弾く毛皮の上着を着込んで、グレーのマントを羽織り、丈夫な革の乗馬用ズボンを履いている。ただ、キスの上着は狐の毛皮でできていて、クレディアのものは羊の毛皮でできている点が違ったものの、マントの下では分からない。
ちなみに、当時、貴族が身にまとう高級な毛皮は狐、テン、イタチなどの毛皮であり、庶民は羊、犬、猫の毛皮を加工した者を着たものだ。特に、テンの毛皮は最高級とされ「テン獲りは二人で行くな。何故ならば、あまりにも高価なため、独り占めを狙って、仲違いをしてしまうから」とも云われるほどだ。
「ねーちゃん、怒られたー」
馬上にある残りの一人である少女が明るい声を上げた。残りの二人は一緒に馬車の御者席にいた。
少女はこの中では最も若いフェリス人傭兵で、名はモンといい、キスに大変懐いていた。
モンはキスよりもいくらか若く、小柄で細身で身軽そうな体つきをしている。黄土色の短い髪に、大きなきらきらした茶色い瞳、可愛らしい小さな鼻と大きな口。薄く軽そうななめし革の鎧にいくつものナイフを提げ、ボーガンを装備していた。
ところで、フェリス人というのは帝国西部平原地帯フェリス地方の遊牧民で、生まれたときから馬の上にいるとかフェリス人のゆりかごは馬の鞍などと云われるほど馬術に優れた民族であり、長らく異教徒との戦争を繰り広げてきたこともあり、傭兵を多く出している。帝国では主に軽騎兵や偵察兵として各軍にて使われている。
「殿下とお呼びしなさいと言っているでしょうがっ!」
モンのかなり馴れ馴れしい言葉にクレディアが怒鳴った。カロン人騎士は主君を為ならば喜んで死ぬと云われるほど、忠誠心に厚いことで有名である。当然、クレディアもその性質を受け継いでおり、キスに対する礼儀にはぴりぴりと小うるさいこと極まりなかった。
対して、己が王族であると実感する機会どころか、殆ど人と接する機会もなかったキスは他人に対しては礼儀正しく接するものの、自分に対する礼儀には全く無頓着だった。
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
今回もキスはなだめるように言い、
「殿下は甘すぎます!」
と、クレディアに怒られ、何故だかキスがまた「すいませんすいません」と頭を下げた。
「あいつらはいっつも同じ会話してんなー。飽きねーのか?」
三人の騎兵に続く一頭立ての馬車の御者席に座った傭兵が少々呆れ顔で呟いた。一行の中では唯一の男だ。小柄だがずんぐりむっくりとした筋肉質な体に革の鎧を纏い、ベルトには短剣と戦斧を吊るしている。顎にも鼻下にもたっぷりと黒々とした立派な髭を蓄えた中年のラクリア人傭兵で名前はカルボットといった。彼もモンと同様にキスに従って戦った傭兵の一人であり、ただぼんやりと年を重ねたわけではないらしく、中々、経験豊富なおやじであった。
ラクリア人もフェリス人同様に帝国の少数民族で、傭兵を多く出している。
彼の隣にはもう一人の傭兵が大人しく座っていた。頭の先から足先まですっぽりとあまり綺麗とは言えぬ、ボロ布一歩手前くらいの土色の衣を身に纏っている。姓名不明、正体不明。元々はキス知人のレイクフューラー辺境伯に雇われていた傭兵で、イマイチ正体が分からない怪しい奴であった。一応、性別は女らしいということは判明している。
この二人もモンと同様にキスと共に戦った仲間であり、彼らも志願してキスの旅に同行していた。もっともモンのように単純明快にキスを慕っているだけで付いてきているわけではなく、何か思惑の一つ二つくらいありそうではあったが。
このように、キスに従う四人のうち三人は傭兵であった。
この時代の国には大規模な常備軍を備える財力も制度もないため、戦争は主に貴族や騎士たちとその従者、傭兵、臨時に徴兵された農民によって行われる。その為、傭兵という職業の人間が多く存在した。
この傭兵という連中は中々一括りにはし難い。
まず、傭兵隊長という身分の連中がいるのだが、彼らは戦争が起きたとき、王や諸侯に金や特権と引き換えに兵隊を提供し、その戦力となることを商売としている連中で、山賊の頭みたいな小物から地方の騎士や小領主、果ては大貴族の子弟といった大物まで様々である。中には大領主に出世したり、国を一つ乗っ取ってしまうような傭兵隊長もいる。
さて、その傭兵隊長の下で働く傭兵どもだが、中には傭兵稼業を専門にしている戦のプロもいる。しかし、その大半は傭兵隊長の家来である募兵官が町や村で募って連れてきた連中や人員不足のため誘拐同然に強制入隊させられたような元は農民だったり市民だったり浮浪者だったりで、つまりは、傭兵といっても当時は普通のその辺の農民に武器を持たせているだけといった奴が大半なのであった。
当然、帝国男爵にして勅任断罪官かつ王国第四王女の従者として働くのだから、そのなりの実力が必要である。モンやカルボットともう一人はそういった多くのただの人とさして変わりない傭兵ではなく、本職の、戦を生業としているプロ傭兵であった。
彼らは、例の反乱騒動の際、キスの率いる部隊に参加したことから彼女と知り合った関係で、人見知りなキスはキスで見ず知らずの人を従者として連れるよりはまぁまぁ仲良くなった連中の方が良いと思い、彼らを旅の仲間に引き入れたのだった。彼らもキスのことは嫌いではなく、戦争が終わって失業するよりかは新しい仕事に就く方を選んだ。
その傭兵三人のうちの二人が御者席に座る馬車には当分の間の食糧、水、酒、衣服、武器、防寒用の毛布、野営用のテント、予備の馬具、それに、法律の仕事をする上で必需である法令集や慣例集が何冊も積み込まれていた。
この時代の旅ともなれば、街から次の街へ行くのに何日もかかるということがままある。一応、大まかな道路網は整備されてはいるものの、網の目のようにというほど緻密なわけではない。山をくり貫いてトンネルを通したり山肌を削り取って道をつけたり谷に橋をかけたりするように、人間が自然にある地形を思うままに作り変えられるようになるにはまだまだ時間がかかる。それが良いことか悪いことか、は別として。
そんなわけで、街道を進んだとしても次の町まで何日もかかるということが多々ある。また、街道が何らかの理由で通行できなくなっていたり、違うルートを通らなければならない用事ができる可能性もあり、旅をするならば幾日かは野営することになっても平気な装備を整える必要があることは言うまでもない。
かように長い時間、町からも村からも隔絶され、自然の中に一本だけ頼りなく敷かれた道を進むのがこの時代の旅であり、その途中では当然、道に迷って遭難することも、災害に遭うこともある。或いは、狼や野犬といった獣、野党や盗賊といった無法者に襲撃されることもある。まさにこの時代の旅とは命がけの行為なのである。
彼ら一行が馬車にそれだけの装備を積み込んでいるのは当然のことであった。
しかしながら、
「いや、でも、殿下って呼ばれるより、ねーちゃんって呼ばれる方が、こう、何て言いますか。親しみがあるような気がして、個人的にはいいと思うんですけど……」
「殿下っ! 主君が従者に親しまれているようでどーしますかっ!? 主君は臣下より畏れ敬われる存在でなければなりませんっ! 主従の間の馴れ合いなどナンセンスっ!」
「んー? ディーねーちゃんの言ってることなんかむつかしくてモンには分かんない」
「まぁ、もちっと嬢ちゃんに対して、他の偉いさんと同じように接しろっつこったな」
「えー! そんなのやだっ! そんなのやりたくないっ!」
「やりたいとかやりたくないとかの話じゃないっ! いいっ!? 恐れ多くも殿下はかの高貴なるレギアン家の血を受けており、そのレギアン家たるはその血筋を遡ればー」
道を進む一行には命がけの旅をしている緊張感など微塵も感じられないのであった。
次回から本番といいますか何といいますか。
物語に入っていきます。