二七 断罪官と山賊~山賊の出る村
フィッカーフォートの村は、ごくごく一般的な内陸部の村といった様相だった。村の中心部には教会と広場があり、その周辺にいくつかの建物が集まっている。中心部から細い道が四方八方に伸び、ぽつんぽつんと建っている家と家とを繋いでいる。見渡す限りに畑が広がっていた。秋蒔き小麦は既に刈り取られており、また、休耕地には何頭かの牛がのんびりと芝を食んでいた。青々としている箇所は春蒔き小麦だろう。
農業好きという王女としてはちょっと変わった趣味を持つキスは麦畑を眺めて感心したように呟いた。
「ここの麦は大変よくできていますね。今の時期で、これくらいの発育状況ならば、全く問題なしでしょう。それに、畑の配置も非常にバランスが良いですね。上手く仕切られて耕作されているようです」
キスの言葉に、道案内役の農夫は「はぁ」と曖昧に応じた。こんなふうに麦の発育状況やら畑のについて語る貴族を見たことがないのだろう。
とはいえ、貴族といえど、農業を馬鹿にして、興味を持たない者は少ない。貴族にとってその領する地から産出される農作物の量は、己の収入に他ならないのだから。故に、貴族たちは己の領地での農作業に関心を持ち、常にその収穫量を伸ばす方法を思案し、農民たちを指導するものなのだ。
ただ、キスみたいに畑の土に手を突っ込んで土の具合を見るような貴族は滅多にいないものだ。
「殿下っ! 何をなさっておられるんですかっ!?」
馬から降りて、土をいじくりだしたキスを見て、クレディアが怒声を上げた。貴族がその白い手を土で汚すことはあり得ざることなのだ。貴族がその手を汚すのはインクか血によってのみである。
「いや、ちょっと、土が気になって。あ、ミミズ」
「あーっ! 殿下止めてくださいっ! そんな虫を素手で触るなんて、あぁっ!」
キスが手にした土くれからミミズがひょいと頭を出したのを見て、クレディアは顔を赤くしたり青くしたりしながら頭を掻き毟った。
「ちょっとっ! カルボットでも、モンでもいいから、殿下を馬上に戻してっ!」
「ほーい」
クレディアに命令されたカルボットは髭を撫でながらニヤニヤと笑っているだけだったが、モンの方は素直に馬車から飛び降りてキスの許へ向かう。
「ねーちゃんねーちゃん。なんか、ディーねーちゃんが煩く言ってるよー」
「ねーちゃん言うなっ!」
モンの言葉に、再びクレディアが吠える。
「あ。すいません。今、戻ります。いや、でも、中々肥沃な土地のようですね」
キスはクレディアとモンにへこへこ頭を下げながら、手についた土を払い、馬上に戻った。
このキスの王女らしからぬ卑屈ともいえる行動に、クレディアは呆れて天を見上げた。
一方、馬上に戻ったキスは臣下の心配などどこ吹く風で、ゆるゆると馬を歩ませていたが、ふと瞬きをすると、道の彼方を睨みつけ、唐突に馬腹へ鋭い蹴りを食らわせた。仰天した馬は悲鳴のような嘶きを上げた後、騎手の命ずるがままに疾駆した。
仰天したのは馬だけではない。突然、無言で馬を全力疾走させたキスを前にしたクレディアもカルボットもモンも道案内をしていた農夫も同じだ。唖然とした顔でキスの乗馬のケツを見送っていた。
最初に気を取り直したのは、年の甲か何なのかカルボットだった。
「おいおい、何だってんだよ」
髪の毛をボリボリ掻いてから馬車を曳く馬に鞭をくれた。
その鞭の音でクレディアも我に返る。
「また、あの病気か!」
クレディアは悲鳴とも怒声ともつかぬ大声を上げると主君と同じように馬腹へ蹴りを入れた。キスは、一人で勝手に考えて行動してしまうところがあるのだ。しかも、周りには相談も指示もなしで、無言で行ってしまうのだ。今まで、ずっと一人で生きてきたせいだと思われたが、その危険な習性をクレディアをはじめ側近たちはキスの病気として考えていた。
さて、その病気状態のキスはといえば、突然馬の腹を蹴っ飛ばし、馬を全力疾走させながら、行く先をじっと睨みつけていた。
彼女は聞いたのである。彼女以外の誰の鼓膜も震わせなかったようだが、彼女には聞こえた。甲高い悲鳴だ。今も彼女の耳には女の悲鳴と助けを求める声が飛び込み、頭の中に響き渡っていた。そして、視界にも入った。声の主は若い百姓娘であった。少しばかりぽっちゃりというか肥えているが、乳房の大きな男に好かれそうな体つきの、中々かわいらしい少女である。
その娘を二人の下卑た男が襲っているところだった。少女を殴り蹴りつけながら、服を掴んでそれを剥ぎ取ろうとしている。一人の男は待ちきれないかのように既に腰帯を緩めている。
おそらく、この男たちが山賊の一味なのだろう。革鎧を身に着け、腰には剣を提げ、一人は棍棒を手にしていた。火器も弓矢も長槍もないようであった。となれば、騎兵の敵ではあるまい。
農夫の話では、山賊一党は村を占拠している状態であり、女子供は森へ逃げ込んでいるという。今、襲われている娘は食糧か何かを探しに出たところを運悪く見つかったのかもしれない。
さて、ところで、帝国法によれば、当然のことながら強姦は重罪である。強姦魔は初犯であっても、流刑やガレー船送りといった重い刑罰を科され、初犯以外であれば多くの場合、問答無用で処刑される運命にある。それでも、強姦の犯罪件数が減らないのだから、性欲とはなんとも罪深い欲望か。
今回の場合、相手は今まさに強姦を為さんとしている。つまりは今の段階では未遂犯である。しかしながら、彼らが山賊一党であろうことは決定的である。物的証拠があるわけではなく、状況証拠ではあるが、断定して間違いない。帝国法では許される判断であり、断罪官にはその権限がある。山賊はその目的をもって組織し、それに参加しているだけで処刑に相応しい罪である。
となれば、強姦を為さんとする山賊などという悪党は容赦なく、断罪してよい。要するに、最悪の場合、抵抗の素振りを見せたならば、即刻殺害したとしても問題ではないのだ。裁判権を有する領主にとっても山賊などは保護すべき領民ではない為、文句を言うことはあるまい。人道意識の乏しいこの時代にあっては、とにかく、極悪人は片っ端から処刑してしまえ。というのが、帝国政府の犯罪対策だった。それだけ厳罰主義を取っていても、犯罪の抑止に役立っているとは思えなかったが。
そのことを踏まえて、キスは腰に提げたサーベルを鞘から抜き放つ。白刃が煌めく。
このまま無言で斬りかかるのは騎士道としてどうかとも思われるが、彼女はそんなことは微塵たりとも考えなかった。
そもそも、騎士道が持て囃され、戦場に置いて騎士と騎士が一対一の一騎打ちを演じたのは、もう百年以上前のことだ。保守的な軍隊は未だに重装騎兵を用いているが、実際には二百年以上前に平時は農民である長弓隊と長槍隊が騎士団の突撃を阻み、彼らを虐殺せしめた戦い以降、物語にあるような騎士道的な戦いは絵空事となった。誰もが言葉では騎士道を賛美するが、その騎士たちですら実際の戦場では一騎打ちなどもうしないのだから。
しかも、キスにとっての戦いとは、彼女が一人だけで教会の離れである森の奥の小屋で生活していたときに生きるためにしていた狩猟の延長のようなものだった。鹿や狐、或いは狼や熊とも対することがある狩猟は、貴族がするような遊戯みたいな狩猟ではなく、純粋に生物と生物の生きるか死ぬかの戦いであって、そのような場面に、格好も体裁も何もなく、ただただ、相手を殺して自分が生きるか、自分が死んで相手が生きるかの対決だったのだ。
知識として騎士道を知ってはいるが、そのような絵空事を実践する気になるわけがない。戦いとは常に真剣勝負であり、矜持も正義も美徳も全てを投げ捨ててでも、相手を殺し、自分が生きねばならないものだという観念が彼女の奥底に無意識的に深く根強いているのだ。
彼女が山賊を攻撃する際に、一言も発しなかったのはそのせいであり、情け容赦なく、唐突に突撃してきた騎兵に面喰い仰天する山賊の首を刎ね飛ばしたのも、また、そのせいである。彼女にとって戦いには如何なる場合であれ情けは無用なのだ。
世界で最も硬いと評判のテリーデン鋼で鍛えられた見た目よりも実用性を重視した特級品のサーベルは棍棒を持っていた山賊の首筋に滑らかに斬り込んでいき、その勢いは一瞬骨に当たって削がれるものの、そのまま骨を斬り砕き、あとはもう滑るように首の肉を裂いていった。その勢いで首は胴体よりも何フィートも先に飛んで行った。
人一人の首が刎ねられたのは僅か数秒の出来事で、残された二人が事態を把握したときには、既にキスは遥か後方に駆け抜けた後で、首を失った胴体はゆっくりと傾いでいくところだった。
少女はすっかり恐怖と驚愕で、失神寸前の状態で、へたり込み、残された山賊は泡を食って腰の剣に手をかけながら振り向く。
そのとき、キスは既に手綱を目一杯曳いて馬に悲鳴を上げさせつつ、旋回させたところだった。掲げる銀色のサーベルは微かに赤く汚れていたが、勢いよく振り抜くと、血は粗方掻き消えた。
キスは一拍置いてから、サーベルを構え直し、残る山賊を真っ直ぐ睨みつけた。その顔は全く感情を感じさせない無表情で、口を開くこともなかった。しかし、その黒い瞳は、鋭く殺気立っていた。いわば、獲物を前にした肉食獣の目である。
そして、馬腹に蹴りを入れた。馬が悲鳴を上げて、突進する。山賊は恐怖に怯え、手をかけていた剣を抜くこともなく、一目散に近くの林めがけて走り出した。長槍も飛び道具も持っていない歩兵が騎兵と対峙して勝てることはまずない。対決を諦めて逃げ出すのは当然の判断である。が、しかし、歩兵が騎兵を相手にして逃げ切れることができないのも、また、当然である。
麦畑に飛び込んだ山賊を追うべく、キスは躊躇なく麦畑に馬を乗りこませた。麦は馬蹄に潰され、蹴散らされ、宙に舞う。
あっという間に、キスは逃げ出した山賊に追いつき、その背中は右斜め前に大きく見えてきた。右手のサーベルが振り上げられる。
「殿下っ!」
そこで、遥か後方で、自分を呼ぶ大声が聞こえた。
一瞬、思考を止めた後、キスはサーベルを振り下ろした。麦と一緒に血が宙に舞った。