二六 断罪官と山賊~断罪官の本業
断罪官の本来の職分は、書いて字の如く、断罪することである。魔女裁判に出席して魔女なんぞいるわけがない、これは冤罪だと論じることは、本来の職分から逸脱していると言わざるを得ない。
あくまで、断罪官の仕事は、犯罪を取り締まることなのであり、法に違反した罪人を捕え、処罰することなのであり、軽犯罪者を鞭打ち、罰金を取り立て、牢屋にぶち込み、極悪人は流刑地やガレー船の船底に送り、首を刎ねたり吊るしたりすることなのだ。とはいえ、重罪人の場合は、その地域を治める領主の裁判所の同意が必要となるが。
その為、断罪官は犯罪があると聞くや、或いは犯罪者がいると聞くや、兎にも角にも、何か別の急務がない限りは、そこへ赴き、犯罪を取り締まり、罪人をひっ捕らえることが何にも優先される。
また、断罪官は犯罪を取り締まる役人として、世間に広く認知されている。断罪官はもう何十年も前に設置されたそれなりに歴史のある官職なのだ。
そういったわけで、断罪官が町に来たともなると、犯罪に関する通報や苦情、密告が相次ぐこととなる。
やれ、どこそこの誰々がモノを盗ったとか、誰々は不正をしているとか、誰それに騙されたとか、あいつは詐欺師だとか、そいつは嘘吐きだとか、なんだとこの野郎、お前の言ってることの方が嘘だろうが、なんだとやんのかコラ。
と、目前で取っ組み合いがはじまり、キスは大いに困惑した。ただでさえ、人と面と向かって話をするのは苦手だっていうのに。犯罪情報の調査の為、情報提供者の聴取をしていたら、目の前で、そいつらが喧嘩を始めるのだから、どーしたらいいのか全くわからない。
「貴様らっ! 殿下の前で見苦しい真似をいたすなっ! これ以上騒ぐならば、両名ともここで斬り捨てるっ!」
クレディアが一喝というか恫喝して、騒動を起こしている男二人を黙らせた。相手は小娘とはいえ、戦場で人を殺したこともある騎士であり、というか、人を斬るのが仕事みたいな奴で、しかも、身分は相当上の相手だ。思うところあろうとも大人しくならざるを得ない。
そうして、大人しくなった奴からよくよく話を聞いてみれば、つまりは、羊の取引のトラブルで、キスは黙って苦笑いし、クレディアは激昂した。
「そのような些事で、殿下の手を煩わせるなっ!」
そう怒鳴って、男たちを追い払ってしまった。
当人たちにとっては大変なトラブルなのかもしれないが、断罪官は無料法律相談所ではないし、些末な民事トラブルを仲介するようなお優しい官職でもない。とはいえ、庶民にとってはどこの役所が何をしているかなんてよくわからないものだ。ましてや、同じような役割を持つ役所や役職がいくつも並び立っているのだから尚の事である。
「はい、次の人ー」
部屋の入口に立ったモンがニコニコと笑顔で言った。
続いて部屋に入ってきたのは、若い農夫だった。
椅子に座り、机を前にしたキスはギクシャクと硬い笑みを浮かべながら、彼に部屋の中心の椅子を勧めた。
「それで、何か重大な犯罪に関して何か知っているか?」
キスの隣の席に着座したクレディアが尊大な調子で尋問するかの如く問いかける。ただ、騎士という上位の身分の者が農夫なんぞに対する態度としては当たり前どころかまだマシな態度である。対してキスはあくまで控えめながらも丁寧な応対をしようとしていた。
これが、まぁ、クレディアには気に入らないらしい。というのも、本来であれば、彼のような下賤な者に、騎士身分のクレディアはまだしも王族であるキスが対面すること自体、あり得ないことである。
そのあり得ない状況が発生しているのは、キスが民衆から直々に情報収集をしなければならないと思い立ったからである。
キス曰くには、犯罪において、まず、被害に遭うのは庶民である。ならば、その庶民たちから直々に犯罪に関する情報を収集することは全く理に叶ったことである。
確かにその通りなので、クレディアは強く反対することができず、このように、小さな町の集会所の一室を借り上げて町民たちに何か犯罪に関する情報はないかと呼びかけた次第なのだった。
しかして、町の住民たちは勅任断罪官キスに面会し、アレコレと犯罪に関する情報を言いに来ていた。
とはいえ、それらの情報は全て有用というわけではない。というか、実際のところ、有用な情報など全くないも同然だった。前述の男たちのように些細なトラブルを持ち込んでくる輩もいれば、あいつは魔女だとか、そいつは異端だとか、どいつは異教徒だとか、教会に関する問題を持ち込む者(大抵、それは私怨が絡んでいる)や、どこそこの森に怪物が住んでいるとか、あっちの湖に竜がいるとかいう馬鹿馬鹿しい噂話を持ち込む奴までいる始末だった。
というのは、日々単調な生活を送る庶民たちは王族にして黒髪という極めて稀有な存在であるキスを一目見ようと、どうにか面会せんと大したこともない情報とか噂話を手にして列を作っているのだ。貴族ですら珍しいのに、それよりも上位な王族で、しかも、教会が悪魔の色と断じる黒色の髪を持っている姫様に庶民たちが強い関心を抱くのは仕方がないことだろう。
そんなわけで、クレディアは既に有用な情報など手に入るまいと断定し、こんな意味のない行為をやっていないで、さっさとキスの領地であるブルーローズヒルへ向かうべきではないかと考えていた。
一方、キスの方も、これは実際失敗だったかもしれないな。と思いかけていた。
「うちの村に山賊が現れて乱暴狼藉を働いているのです」
そこへ来て、この情報である。
多くの人に会い過ぎて人疲れしかけてきたキスも、この非生産的な行為を馬鹿馬鹿しく思いかけてきたクレディアも、思わず瞬きして顔を見合わせた。
「何? 何だと?」
クレディアは農夫を睨みつけて問い質した。
庶民どもの好奇に満ちた目で観察され、無意味で馬鹿馬鹿しい話を聞いて、怒鳴り散らしてばかりいた彼女は結構前から相手の話をまともに聞こうという気分ではなくなっていたのだ。
「あの、うちの村に山賊の一党が現れまして、略奪や乱暴を欲しいままにしておるのです」
若い農夫は、恐る恐るといった様子で、再度同じことを述べた。
「詳しく話を聞かせて下さい」
キスは相変わらずの硬い笑みを浮かべて尋ねた。ずっと同じ表情をしていて顔の筋肉が固まってしまったのかもしれない。
農夫の話したところによれば、事は単純。数日前から彼の住む村に山賊どもが滞在して乱暴狼藉をほしいままにしているとのことであった。
治安維持機構の整備が未完全な世にあっては、違法な手段をもって他人の富を強奪せんとする輩は絶えず現れるもので、各地には山賊や強盗団、窃盗団、海賊が跋扈していた。
とはいえ、それらの輩も、実際には、食うに困った農民や市民などが、武器を手に取り、罪を犯すものが多数である。いざとなれば、農作業の道具や棒切れであっても武器にはなるし、犯罪に対する抵抗感とか道徳の意識というものは残念なことに大変低かった。
勿論、中には犯罪を専業としている、いわば、プロの犯罪集団というものも存在はするが、それは少数である。
農夫曰くには、今回現れた山賊というのはそのレアな専業犯罪者集団であるらしい。
断罪官の職務は犯罪の根絶であり、罪人の取り締まりである。この農夫の相談に応えるのは当然であろう。
キスは農夫の頼みを快諾し、直ちに山賊を鎮圧し、村に平和を齎すことを約束した。
「事は単純ですな。前回のミハのように小難しい法律論や理屈を捏ねて議論をする必要がない」
クレディアはいくらか機嫌の良さそうな様子で言った。
「要は、山賊どもを捕えるか斬り捨てればよいだけですから」
そう言って彼女は獰猛な笑みを浮かべる。
キスはぼんやりと呟き、考え込む。確かに、キス、クレディア、カルボット、モン、それに未だに名前がわからないムールド人傭兵の五人では、少々心許無いといえる。数が多い方が勝つ。というのは、戦いの大原則である。
兵の数が足りない場合、どうすればよいかとなれば、早い話、兵を補充すればいいわけであり、手っ取り早いのは傭兵を雇うかそこらの町の人間を武装させて兵隊に仕立てるかである。
とはいえ、傭兵を雇うには少なくない金額の金が必要となる。キスは王女ゆえに、一般庶民と比べれば大変な額の金を有してはいるが、今まで所領も収入もなく過ごしてきた身の為、手持ちの現金は大変寂しい限りである。
町の人間を武装させるにも、武器や糧秣に金がかかるし、そもそも、自分の領民ではない人間を、余所の貴族の領民を勝手に動員したともなれば、大変な問題である。
考えられる手で最も現実的なのは、山賊の襲撃に遭っているという村の人間に武器を持たせることである。これは、自衛の為故に領主も異論を挟まないだろう。
というか、そもそもは、領主が兵を起こして村を襲う山賊を討伐するのが正しい姿なのだが、そうなるとどうしても時間がかかりそうであった。兵を集め武器、糧秣を整え、進軍するにはいくらかの日数がかかる。
これに対して、武器を携帯した身一つで気軽に動き回れる断罪官はこういった迅速さが求められる場面では非常に有効といえよう。
「とりあえずは、村を領有する領主殿に手紙でも送って事態を報告しつつ、村に向かって山賊どもの様子を見るってんでどうかい? で、俺らだけでも山賊をやれそうだったら、或いは村の連中を動員できそうだったら、山賊とやり合うって手がいんじゃねーか?」
カルボットが簡単に今後の方針をまとめて言い、キスもクレディアも頷いた。
手紙は書記職が内定しているベアトリスが、キスとクレディアが相談した結果をまとめて書き、それはその日のうちに領主が住まう近郊の大きな町へと送られた。
そして、断罪官一行は現場となっている村へ向かったのだった。