二五 飛んだ事件~ミハ判例
「殿下。お見事でした」
廊下を歩くキスに傍らでクレディアが言った。
キスは渋い顔をして、彼女を見つめる。
「私、何か変なこと言いませんでした?」
「は?」
「いや、緊張しすぎて、自分が何言ってたか、ほとんど覚えてないんです」
キスは頬に手を当てながら涙目で呟く。
「今も、緊張が残ってて、顔が熱くて、なんか、涙出てきました」
「はぁ……」
クレディアは呆れ顔でキスを見つめる。
「いっつもそうなんですか?」
「あー、まぁ、そうですね。いつも、こういうふうに長く話したときは、こう、頭がぼーっと痺れた感じになって、自分が何言ってるか、よくわからないんですよ」
それこそ、何かに憑かれているんじゃないかとクレディアは思ったが、口にはしなかった。
キスたちは会議を終え、控室として割り当てられている部屋に戻った。
キスたちが控室でやれやれ疲れた疲れたと一休みしていると、ミハ市参事会顧問官アウグスト・シュペーが部屋を訪れた。
シュペー顧問官は毎度の如くしきりと汗をかいていて、それをハンカチで拭っていた。
「いやはや、今回は、あー、大変な事態となりまして。いや、まったく、このようなことになろうとは……」
彼は混乱を隠せない様子で汗を拭き拭きしながら、大変困ったことになったとか後始末が大変だとか愚痴っぽいことを延々と喋りだした。
「しかし、よく、カートリア主任司祭がカロンへ行っていたことを知っておりましたね。それに加えて、殿下の知識には驚かされるばかりでした」
「あぁ、アレは調べたんです」
シュペー顧問官の賛辞にキスはあっけらかんと答える。
「調べた?」
「えぇ、まぁ」
人見知りなキスは多くを語らなかったが、彼女が妙に魔女裁判に詳しかったり、その証拠の論破に関して、確信的な意見を持っていたり、そのカートリア主任司祭の過去の経歴などを知っていたのは、一時期、彼女が会議への出席を拒否していた間に、帝都にいる兄のユーサー王子や友人のレイクフューラー辺境伯に聞いたり、情報を収集したりした結果であった。勅任断罪官にして王女という地位と立場を利用して、無理矢理時間稼ぎをして、その間に、今日の会議に向けて情報を集め、分析し、話を進め方を考え、そして、そのとおりにしたのだ。
悪く言えば、卑怯とか姑息と非難することもできるかもしれない。良く言えば用意周到で慎重とでも言うべきであろうか。
「まぁ、それはさておき」
キスはそう言って、クレディアを見やった。クレディアは無言で頷くと、カルボットを見やった。カルボットもこれまた頷いて、今度は誰かを見ることはなく、席を立ってドアを開けた。ドアの向こうには警備の兵士が二人立っていた。
「おぅ。ここはいいから、ちょっと外してくれねーか?」
カルボットはへらへらと笑いながら兵士たちに声をかける。
「は、いや、我々はここで警備するのが職務でして」
兵士たちは狼狽した様子で言った。
「いいからいいから。ここは俺がやっとくから」
「いえ、そういうわけには」
「上司には姫殿下のご命令で席を外してくれと言われたって言っとけ。な?」
そう言いながらカルボットは兵士たちをぐいぐい押して半ば強引に遠ざけていった。
その様子は、当然、シュペー顧問官にも見えている。顧問官はキスとクレディアを見て尋ねた。
「あー? どういったことで?」
「ん、まぁ」
キスは曖昧なことを言って彼を見据えた。
「かなり前から、私には疑問がありました」
「どのようなことでしょうか」
顧問官は不安げな表情で尋ねる。
「そもそも、何故、私をこの委員会のメンバーに加えたのかという点について疑問です」
前々から繰り返し述べていることだが、ミハ市は帝国自由都市であり、自由都市とは、都市による自治によって統治され、諸侯の支配下にない。その自由都市が最も嫌うのは帝国や皇帝から都市内の用件に介入してくることである。都市のことは都市で決めるのが、自由都市の誇りなのである。
さて、ところで、黒髪姫はといえば、銀猫王国王女にして帝国男爵という地位にあるが、同時に勅任断罪官という帝国の官職を保持している。勅任断罪官は皇帝による任じられる官職である為、いわば、皇帝の役人ということになる。その上、市の人間ではない部外者ですらある。
この部外者で皇帝の役人たる黒髪姫を、都市内の事件である今回の騒動に対処する委員会に都市側から参加を要請するというのは違和感があった。そもそも、断罪官は犯罪者を取り締まり、これを処罰することが職務である。今回のような、都市内で起きた事件の調査をする委員会に参加することは、やや管轄外とすら思える。
「また、会議の進め方にも、やや疑問を感じました。というのも、会議は頻繁に休止され、また、故意的な延期も許容されていました。そこに、私は何らかの意図を感じました」
「意図、ですか?」
「ええ、今回、市の当局に、ベアトリスさんらを魔女として弾劾しようとする動きがあったことは事実です。しかし、もう一つ、市当局には、ベアトリスさんらを無罪にしようとする意図もあったような気がするのです」
「主にミハ大学の教授方が擁護しておられたからでは?」
確かに、ミハ大学の教授らは熱心にベアトリスを擁護していた。ミハ大学は科学主義を熱心に推進する大学であり、ベアトリスの通う大学であるからだ。また、今回の事件の事の発端となったベアトリスの科学実験の結果が実験者の魔女弾劾では、今後の科学実験に支障をきたすことも予想されたであろう。そもそも、ミハ大学の法学者や科学者たちに言わせれば、魔女などというものは迷信に過ぎず、そんな罪状で、処罰が為されることは許し難いのだろう。それはキスも同感である。ただ、世間では、それは、まだ一般的な考え方ではない。
ただ、キスは、このベアトリス擁護派の学者たちとは、また別の動きを感じていた。
「それとは、また、別に、市の当局が密かに、目立たぬように、ベアトリスさんらを無罪の方向へと向けようという意図を感じたのです。いくら、私や学者たちが反対したといっても、その時の流れは市の当局や市民の多くは魔女弾劾に賛成だったはずです。それを抑えて、わざわざ、私たちに時間的猶予を与えたのは、誰あろう会議の運営と進行を事務方として実質的に取り仕切っていたあなたです。中立的といえば、聞こえはいいですが、しかし、市の幹部や市民の反発を受けることを覚悟してまで、することでしょうか?」
シュペー顧問官は市の役人であり、彼は、市の幹部である市長や副市長、それに、市参事会の指示の下で、市の行政に携わっている。また、それは市民の意向を意識したものであろうことは言うまでもない。彼の上司である市長や副市長を選出するは市参事会の参事会員たちは市民による選挙によって選ばれているのだから。
「故に、あなたは、私を利用したのです」
キスの言葉を受けても、シュペー顧問官は沈黙したままだった。汗を流しては、ハンカチでそれを拭っている。
「糾問官殿たちがベアトリスさんを魔女として告発しようとしている計画を、市の幹部であるあなたが知ったとしても、何らおかしいことはありません。しかし、魔女の嫌疑を受けたベアトリスさんをあからさまに擁護したのでは、立場的に、非常に拙かったあなたは私を委員会に引き込み、私にベアトリスさんを擁護する役を任せたのです。というのも、市当局と密接に繋がり、多くの大衆の支持も受けていた魔女弾劾派に比べ、魔女擁護派となるであろう人々は非常に力不足だったからです」
科学主義の伸長著しい時代ではあるものの、未だ教会の唱える創世神話や聖典の中の夢幻ともいえる物語は広く真実として信じられており、逆に科学主義は如何わしい魔術や錬金術の類と一緒くたにされて、どちらかといえば、ネガティブなイメージを持たれていた。そんな民衆から見れば、よくわからない怪しげなものを普段研究している学者とその同僚が人々の支持を勝ち得て、会議の方向を思うように向けることができるとはとても思えないのも無理はないだろう。
しかし、キスはといえば、帝国男爵にして王女、その上、皇帝勅任のお役目にある高貴な身である。その言動の一つ一つに大きな影響力を持つ。しかも、彼女が教会から目の敵にされ、魔女呼ばわりされることすらあったことは有名な話である。そんな彼女が魔女容疑に対して肯定的な意見を持たないとは想像に難くないだろう。彼女ならば、会議の方向を動かす力を持ち、ベアトリスを擁護する方向に持って行ってくれるのではないか。
「首尾よく私を委員会に放り込んだ後は、陰ながら目立たないように、こっそりと会議の運営に関して、私の都合の良いように進めたのです。あとは、まぁ、周知のとおり」
キスはそう締めくくってからシュペー顧問官を見つめた。
「まぁ、今、言ってきたことに、証拠はありません。全ては私の推論です。空虚な妄想なのかもしれません。とはいえ、あなたがそんなことをする動機には当てがあります」
彼女の言葉に、シュペー顧問官はぴくりと体を動かした。視線を左右に揺らした。
「ミハ市の幹部には、参事会員の中にも、科学主義に理解のある方々は少なくはないそうですね。それと、こっちは大変個人的な話題で恐縮なんですが、聞いた話によると、ベアトリスさんのご両親と顧問官殿は御同窓のようで。学生時代は、大変仲が良かったとか」
「いやはや、なんとまぁ、よくも、まぁ、そんな昔のことを」
シュペー顧問官は苦笑して、額から流れる汗を拭った。
「この話の為に、衛兵を?」
「ええ、市の関係者がいる場所では話し辛いかと思いまして」
シュペー顧問官にも立場がある。彼はこれからも市の役人として働かねばならないのだ。中立的であるはずの市の担当者が、会議を裏で一方に有利な方に操作していたとなれば、問題にならないわけがない。
これが、表に出れば、市は大変な混乱に陥るだろう。証拠がなくとも、疑惑だけでも十分な力を持つことだろう。その疑惑を、そこら辺の噂好きのお喋り屋ではなく、高貴な身であるキスが口にしたともなれば、シュペー顧問官の立場が大いに損なわれることは言うまでもないことだろう。
「私は、別に、利用されたことに関して不快に思っているわけではないのです」
キスはのんびりと言った。ただ、その傍らのクレディアは己の主君が利用されたことに腹を立てているらしく、ひどいしかめ面で顧問官を睨みつけて、彼の流れる汗の量を増やしていた。
「ただ、まぁ、その代わり、少しだけお願いがあるんです」
キスはにっこりと微笑んで、シュペー顧問官は苦笑して両手を挙げた。
数日後、委員会最後の会議で、報告書が作成され、市の当局に提出された。
その内容たるや、ほとんど、キスの主張を丸写ししたようなもので、数々の魔女疑惑に関して、そのいずれもが、嘘偽りにして、証拠能力などなく、故に、ベアトリスも、それ以前に魔女として検挙された人々も魔女ではないと結論づけていた。
そして、その後に、ついでのように、市内で実験を行う際には、事前に大学当局及び市当局の許可を受けることとすべき。と、本来であれば、委員会の主目的であったであろう市内での実験についての対策が素っ気なく書き添えてあった。
また、最後に、今回の事件の当事者であるベアトリス・ルッフェントラップについては、違法で危険な実験をした廉につき、市を追放し、その身柄はキスレーヌ・レギアン・ダークラウン男爵が預かるとされた。
魔女に関するこれらの検証と結論は、ミハ大学の法学者らによってより正確にまとめられた。キスは、特に、目新しく革新的な論を述べたわけでも、証拠を挙げたわけでもない。ただ、過去の多くの魔女裁判に反対する学者や聖職者たちの意見を集約して、とりまとめただけである。しかし、それゆえに、今まで、一つ一つでは無視されていた魔女に関する反証が一つにまとまり、どう足掻こうとも反対しがたい力を有するに至ったのである。それを、高位の公職にある者が述べたことに意味がある。
以降、ミハ市では魔女容疑がある度に、このときの結論をもって多くの冤罪が回避され、これより後、ミハ市で、魔女を焼く煙が上がることはなかった。更に、このキスの意見は裁判の判例ではないにも関わらず、それと同等の効力を持つものと、拡大解釈され「ミハ判例」として、後々には、帝国中の魔女裁判でもって参考とされた。
「あー。もう、ミハがあんな遠くにー」
馬車の御者席から身を乗り出して後方を顧みたベアトリスが言った。
「やっぱ、ミハを離れるのは寂しいか?」
ベアトリスの横で、馬車を曳く馬の手綱を持ったカルボットが尋ねた。
「うーん、寂しいっちゃあ、寂しいかもしれないけど、でも、そんな感傷的な気分じゃあない気がするなぁ。なんつうか、私はずっとミハにいたから、そこから離れるってのは、なんていうか、感慨深いというかなんというか」
ベアトリスの言葉に、馬車の横を並走していた騎乗のキスが申し訳なさそうな顔をした。
「すいません。私のせいです」
というのも、ベアトリスをミハ市追放とし、断罪官に身柄を預けるとしたのは、キスが仕組んだ結果なのだ。
「いや、いいんですよ。私の身を考えてくれてのことなんですから」
委員会では、結果として、魔女は否定され、ベアトリスはその件について、全くの無罪とされたわけだが、それでも、魔女はいると盲信する輩は少なくないはずだ。それに、今回の一件で、市の有力者であるナージス家は思いっきり泥をかぶった形になったのだが、その逆恨みで立場の弱いベアトリスが迫害される可能性は否定できない。彼女にとって、彼女の生まれ育った町は、危険な地となっていたのだ。
そこで、キスは、彼女をミハから追放させ、自身が預かることにより、その身の安全を確保したのだ。そのことはベアトリスも自覚していた。
「で、これから、私、どうなるんですかねー?」
「えーと、これから、私の領地に行くことにします」
キスは、先の反乱騒動を鎮圧した功績により、皇帝から荘園を一つ賜っていた。その荘園には、彼女の配下であるロッソ卿とワークノート卿が一足先に向かっているのだが、そこへ、キスも足を運ぶことにしたのだ。
「ベアトリスさんは、そこで、えーと、書記をやってもらおうかと」
政治でも軍事でも商売でも、何事においても、記録を残すことは非常に重要である。故に、どこの組織であっても、書記という職務は存在する。ただ、書記は誰もができるわけではない。まず、誰もが読める字を書けなければならないし、簡単な計算などもできた方が良い。大衆の識字率が低い帝国では、それくらいのことでも、できない人間は大勢いるのだ。
また、記録を残すにしても、きちんと系統だてて記録しなければ後々大変なことになってしまう。となると、ある程度、学のある人間が好ましい。ベアトリスのようなまともな学生はうってつけといえる。
「なるほどね。ただのお人好しで助けたわけじゃないってことか」
「えーと、いや、まぁ、あはは」
キスは笑って誤魔化すというコミュニケーションスキルを手に入れた。




