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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第二章 飛んだ事件
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二四 飛んだ事件~虚構

「お、お待ち下さいっ!」

 糾問官は怒ったような困ったような顔で立ち上がって怒鳴るように言った。

「失礼ながら、殿下の仰る結論はあまりにも性急ではありませんかっ!」

 彼の言葉にいくらかの委員や聴衆は同意するように頷いたが、大半の人々は困惑しながら事の成り行きを見守っていた。

「古カロン語なんて、言語を私は存じません。いや、確かに、そのような言語があるのかもしれません。しかしっ! この場にいるその言語を誰も理解していないのでは、その殿下が話したことが真か否か確認のしようが」

「殿下のお言葉を疑うというのかっ!」

 糾問官の言葉にクレディアが激昂した。忠誠心厚いカロン人騎士にとっては、主君の言葉は全て真であり、その言葉を疑うことはなく、命令と言葉は絶対なのだ。そのカロン人騎士である彼女にとっては主君の言葉を疑われるというのは耐え難い屈辱であるらしい。

 彼女の勢いに糾問官はたじろぎ、キスは困った顔をした。

「わ、私は、ただ、法律的に殿下の証言の、あ、あー、合理性というか、信憑性についてですな……」

「まぁ、確かに」

 キスはあっさりと頷き、手にしていた古臭い本を持ち上げた。

「これは、あー、かつて、カロンへ来島した修道士がカロン島での布教のために作成した古カロン語に翻訳した聖リオ典なんですけど、これには、その修道士が読み易いように帝国語が併記してあるのです。あと、余白には古カロン語の文法や単語の意味などがメモしてあり、これをよく読めば古カロン語を知らない人でも、初歩の古カロン語を話すことができます。かくいう私も本当の古カロン語なんて聞いたこともありません」

「で、では、先の言葉が嘘の聖リオ典の言葉か否か分からないではありませんか。今の言葉が本当に、真の聖リオ典の言葉かもしれないではありませんか」

 糾問官はなおも引き下がる。

「いや、それはないと思いますけど。古カロン語の否定形は単語を前に一つ付ければいいだけですから」

 キスの指摘に糾問官は言葉を詰まらせた。

「それに、古カロン語については、私よりも、主任司祭殿の方が詳しいのでは?」

 そう言って彼女が見上げた先、檀上に座した厳めしい顔をしたカートリア主任司祭を見上げた。キスの言葉に場内の全員の目が主任司祭へと向いた。

「主任司祭殿は、カロン島に赴任していたことがありますね。カロン大司教付司祭として。その際、カロン島の中央山地へ布教へ赴いたそうで。それも二年間も。古カロン人の多くはカロン島の中央山地に住んでいます。彼らへの布教が任務だったそうで。一通りの古カロン語は必須でしょうね」

 キスの言葉に、カートリア主任司祭はこれ以上ないくらいの苦々しい表情をした。

「主任司祭殿ならば私が話した拙い古カロン語の文句が正しいものか誤ったものか、ご理解できるかと思いますが」

 彼女の促すような言葉を聞き、場内中の視線を一身に浴びた主任司祭は山羊髭を一撫でしてから言った。

「全て断罪官殿の仰る通りだ」

 主任司祭は渋い顔で続ける。

「確かに、私は古カロン語については、その言葉の意味を解する程度には理解がある。そして、断罪官殿が話した内容に間違いはない」

 カートリア主任司祭は、ミハでは最も高位の聖職者であり、その人柄は厳格で堅物として知られる。異教徒や異端といった神の敵に対する厳しい態度で有名だが、同時に公正潔白な人柄であった。

 その彼がキスの言葉を認めたのである。ミハではこれ以上の信認はあるまい。

「き、聞き間違いということはないのですかっ!?」

 糾問官が尚も粘るように言った言葉に、キスではなくカートリア主任司祭が顔をしかめて答えた。

「悪魔、悪霊の類が聖典の言葉を聞き誤るなどということはない。そもそも、聖典の言葉というものは、その音に意味があるのではない。言葉にすることにより、いわば、魂に響くものである。聞き間違いや聞き逃しといったことはあり得ぬ」

「し、しかしですなっ!」

 糾問官はそれでも諦めなかった。

 彼としても必死なのだろう。糾問官とは、市内で発生した犯罪を糾弾し、その罪を立証し、市の裁判所に訴追する役人であり、今回の魔女騒動の罪状を訴追し、証拠を揃えたのは彼とその指示を受けた部下たちなのである。元々、違法な実験行為による危険な事故だったものを魔女犯罪へと事件の性格を変化させたのは彼の業績といえよう。

 つまりは、この魔女裁判自体に関する証拠の多くが否定され、罪状が冤罪とされたとき、その責任は一気に糾問官の上に降りかかることになるだろう。そうなれば、面子が丸潰れとか威信が失墜するどころの話ではない。虚構の事件を作り出してしまうような糾問官がいつまでもその職にいられるものか。更迭は時間の問題と思われよう。

 事ここに至っては今更感もあるが、しかし、ミハ市の糾問官はいくらか諦めの悪い性質のようだった。

「しかし、現に、ナージス嬢は何かにとり憑かれたような、普通ではありえない症状を見せていますし、そもそも、悪魔や悪霊の専門官たる祓魔師殿が彼女に悪霊が憑いていると証言しており、実際にそれらとやりとりをしているのですっ! これはどういうことだというのですかっ!?」

「まぁ、有り体に言えば、嘘だったってことでしょうね」

 糾問官の言葉にキスはあっさりと答えた。

 彼女の言葉に糾問官は唖然とし、場は騒然とした。カートリア主任司祭は憮然とした顔をして腕を組み、カップエルン卿は茫然としていた。

「つまりは、こういうわけです」

 キスは誰もが言葉を失い、動けないでいる中、ナージス嬢に颯爽と歩み寄って行った。

 そして、その頬に平手打ちを食らわせた。

 パンッと乾いた音が鳴り響く。突然の奇行ともいえる行為に誰もが驚き唖然とする。それは当然のことながら平手打ちを食らった当人が一番で、ナージス嬢は打たれた頬を抑えてキスを見上げた。

 それは悪霊がとり憑いている少女がする反応ではなかった。

「どういうつもりで、あなたがこのような狂言をしたかは、容易に想像がつきます。人に注目されたいという幼稚で自己中心的な虚栄心からでしょう。子供が親の注目を惹くために仮病をしたり、我儘を言うのと全くの同レベルであります。己を何か病気か悪魔憑きかにかかったかわいそうな子供というのを演じてみたかったのでしょう。また、自分の言動で大の大人たちが右往左往する様を見て、優越感を得たのかもしれません」

 キスは無表情でナージス嬢を睨みつけるように見下ろしながら淡々と説明していった。

「こんな才女と名高い良家の令嬢に限って、と思われるかもしれませんが。こういう一見大人びた言動を取り、高い教養を持つ子供に限って精神面では非常に幼稚であるということがあります。特に、彼女の場合、その身分や立場から周囲から持て囃され、普通の子供とは違った環境にあり、自分を特別視したのでしょう。これもまた自己顕示欲の増長に拍車をかけたものと思われます。まぁ、私は人の精神を考えるのが仕事ではありませんから、彼女の心理分析はこれくらいにします」

 そこで、キスはようやく視線をナージス嬢から外した。ナージス嬢の顔は青褪め、体は震え、目には涙を浮かべていた。

「この彼女の狂言に拍車をかけたのが、悪魔祓いと称して行われた儀式です。特殊な環境に身を置き、特殊な儀式に参加しているというだけで、人は自分が特別な存在のように錯覚することがあります」

 特殊な環境に身を置くと、人はそれに強く影響されるものである。厳粛な式典に参加していると、厳粛な気分になるものだ。陽気な場所にいれば、陽気になるし、陰気な場所にいれば、陰気にもなる。それほど、単純ではないとはいえ、大なり小なり人はその場の空気に染まるものだ。そもそも、儀式や式典といったものは、そういう空気を作り出す仕組みともいえる。

「過去にも、悪魔祓いの儀式によって、悪魔憑きの症状が改善するどころか悪化したというケースは多々報告があります。ともかく、これにより、ナージス嬢の、一種の病気は悪化します。更に、これを、何者かが自分にとって都合よく利用します。つまりは、彼女を誘導し、架空の犯人を、魔女を作り出そうとしたのです。もしかすると、元々、この目的のために、彼女の病気が発生するよう誘導したと考えることもできます。架空の事件の架空の証人を作り出すためです」

 彼女の説明の多くは推論だったが、既に散々に論破されている糾問官他訴追側の面々はこれ以上立場を悪くすることを恐れてか口を開こうとはしなかった。その為、場はキスの独壇場と化していた。

「さて、こうして、前述いたしましたとおり、多くの虚偽の証拠と証人からこの事件は成っていたと私は推論します。どなたの企みかはわかりませんが。これは、大きな虚構の事件です。事実を妄想し、冤罪を作り出した、犯罪行為であります」

 勅任断罪官は無表情で糾問官や祓魔師、幾人かの市参事会員、聖職者に視線を走らせた。その誰もが彼女から視線を逸らした。

「これを、私は断罪すべきなのかもしれません」

 事実、勅任断罪官たるキスにはそうする権限が与えられていた。ミハ市の人々は顔を見合わせる。皇帝の役人たる勅任断罪官によって糾問官をはじめとする市の幹部が断罪されるとなると一大事である。市政に国家が介入してくるとなれば、都市の自由に関わる問題である。

 しかし、キスは勅任断罪官による断罪を匂わせただけだった。いわば、強く市側を牽制するに留めた。

 ミハ市側を無用に刺激することは賢明ではないし、部外者であるキスが処罰を強行しようとすれば、ミハ市と全面的に対決することになってしまうだろう。魔女騒動の真意がどうあれ、自由都市は帝国政府の役人からの介入を好ましく思わないからだ。つまり、政治問題化してしまうのだ。となれば、余計な労力と時間を浪費することになるだろう。これをキスは避けた。

「まぁ、そのようなわけで、今回の魔女騒動は何の証拠もない全くの狂言であると断言できます」

 そう締めくくってキスはさっさと席へ戻ってしまった。

 場はしんとした沈黙に包まれ、その後、大変な混乱が訪れた。

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