二〇 飛んだ事件~勅任断罪官の意見陳述
最後の委員会の会合が行われた。
この日、委員会は、最終判断を下そうとしていた。
そもそも、この委員会の目的は、既に一月近く前になるが、ミハ大学科学部女学生ベアトリス・ルッフェントラップが行った飛行装置の飛行実験による事故の原因究明とこのような事故の再発を防止することであったはずだが、大陸各地で燃え上がる魔女裁判熱が自由都市ミハにも飛び火した結果、ベアトリスの行った実験は魔術の為せる業であり、彼女は悪魔と契約した魔女ではないかとの訴追が為された。彼女の身柄を預かっていた委員会は、彼女を魔女裁判へ引き渡すべきか否かといった決断を求められ、委員会は紛糾することとなった。その結果、論点はベアトリスは魔女か否かという当初の目的とはまるで違うことになっていたのだが、その議論も今日終止符が打たれることとなる。委員長と委員会事務局は本日最終的な結論を示し、多数決をもって、ベアトリスの身柄をどのように処置するか決定すると公表した。
ミハの町中の注目を浴びてきた事件の結末ともあって、この日の会合に詰め掛けた民衆の数は今までの比ではなく、講堂に入れず、廊下に溢れる者まで出る始末だった。入場料を払う必要がある特等席ともいうべき回廊の上も人が鈴なりになっていて、ゆったりと座っているのは、委員たちと糾問官とその役人、反対の擁護派の教授たちだけという有様だった。
いつものように、市参事会顧問官シュペーが静粛にと声をかけ、委員長カップエルン卿が開会を宣言した。
その後、糾問官側が改めて証拠を提示した。神に挑戦するが如き悪しき実験を行ったこと。先に魔女と自白している証人マルガレータ・ツィツマンがベアトリスを魔女集会で見たと証言していること。ミハ市副市長の娘フローレンス・ジャックアップ・ナージスにとり憑いた悪霊がベアトリスに遣わされたと証言していることなどである。
対して、擁護側は再び反証した。行われた実験は純粋に科学的なものであり、何ら問題となる行為ではないこと。マルガレータの証言は拷問を含む苛烈な尋問によって引き出されたもので証拠として有効ではないこと。そして、ナージス嬢の証言もほぼ本人の告白のみであって、真実と確認することができないことなどである。
これらの証拠をもって、委員会は判断を示すこととなった。と、その前に、委員各位に何か意見や質問がないか確認された。何人かの委員はいくらか意見を表明し、いくらかの質問をしたが、さして大勢に影響を与えるものではなかった。
「他、ありませんか?」
シュペー顧問官の言葉に委員たちは沈黙する。最早、言うべきことはないようだ。
その中で、一人だけ、挙手した者がいた。議論の推移を理解している者ならば誰もが注目している人物だ。委員の中で一人だけ市の外の人間であり、帝国男爵というミハ市長と同列ともいえる高位貴族であって、皇帝陛下より勅任された断罪官であるところの、通称黒髪姫キスレーヌ・レギアン・ダークラウンである。
白いリネンのシャツの上に、紅い上着を纏い、紺色のすらりとした長ズボンを履いている。腰には立派な造りのサーベルを提げていた。
「大変恐縮ですが、私から、えー、まずは、あー、意見があります」
キスは席を立つと、もごもごと呟くように言った。観衆の後ろの方には彼女が何を言っているのか聞こえないくらいだった。
「まず、第一に、証言の有効性についてです。あー。この第一の証人の自白というものは、拷問を含む尋問の末に出されたもので、帝国法に照らして極めて問題がありー」
「お言葉ながら」
糾問官がキスの言葉を遮った。
「その議論は既に為されております。そもそも、魔女に対する尋問では拷問が許されております」
彼の反論どおり慣習的に魔女に対する拷問は許されてきた。その理由というのは、魔女の罪は神に背き、神の世界を転覆せんとする魔王に味方する大罪であるということからである。その魔王の企みを暴く為には、時には拷問による自白の強要も必要であるという論法である。
「確かに、魔女に対する拷問は慣例的に許されてきた現実があります」
キスは資料に目を落としながら答えた。真っ直ぐ、キスに険しい視線を向ける糾問官と比べると、だいぶ迫力に欠ける様子ではあったが、しかし、彼女はマイペースに言葉を続けた。
「では、もしも、私が、あなたが悪魔と一緒にいたのを見たと証言したならばどうなりますか?」
彼女が何気なく呟いた言葉に、場内はざわついた。糾問官は言葉もなく、うろたえる。
「あなたが悪魔といたと証言すれば、あなたは捕らえられ、尋問され、自白しない場合は、拷問を加えられるでしょう。そうして、自白するか死ぬまで拷問にかける。或いは、家族までもを捕らえて、拷問に晒される。家族を助ける為に、自白するように迫る。さて、そんなことが許されますか?」
糾問官は反論の言葉を考え、口を開くも、言葉が出ず、黙り込む。
「糾問官殿ほどの法律の専門家にして、公の立場の方でもこうなのです。ましてや、法律の知識など皆無の学のない人間では、どうなるか? 何の反論もできず、ただ、悪魔の味方と断じられ、火炙りにされるだけです。皆さん、そのような尋問方法を許してよいのですか? もし、そんなことが許されるのであれば、あなたを嫌う人は、あなたを魔女や悪魔の味方だと告発するでしょう。そうして、あなたは捕らえられ、拷問を加えられ、ついには、家族まで引き摺られていく。そんなことに耐えられますか? たった数人の愚かな人間の悪意に満ちた虚偽の告発に、罪もない市民が恐怖に晒されることなど許されるのかッ!? 否ッ! そのようなことは、神が許さずッ! そしてッ! 帝国もそれを許容しないッ!」
キスの断固とした言葉に、観衆は静寂の中で、ただただ、彼女を見つめていた。今まで一貫して、大人しそうな、頼りなさそうな様子だった断罪官殿が言葉を紡ぐごとに、妙な威厳を持った人間に見えていくのは不思議なことであった。
演説を終えたキスは、途端に、険しい表情を弛緩させ、ふにゃりと猫背になって、机の上に散らばる資料へ視線を向ける。
場内にいる誰もが、さっきのあの威厳に満ちた妙な説得力を持った演説をかましたのは一体何だったのかと、呆気にとられる。
「えー、まぁ、そのようなわけで、如何なる理由があろうとも、拷問による自白のみによって、魔女と断定することは許されません。よって、証人マルガレータ・ツィツマンが魔女とは断定し難い。よって、魔女ではない彼女は魔女の集会に参加しているはずがない。つまり、ベアトリスが魔女の集会にいたと証言することはできない。全ては、当局側による恐喝めいた拷問を含む誘導尋問の結果であります」
キスの言葉は、幾人かの法学者が述べた反論とほぼ同内容である。しかし、彼女は、このことは、帝国として認め難いと勅任断罪官の立場から発言したのである。その発言は事前に手紙等により帝国高等法院の了解を得てのものである。彼女の言葉は皇帝の代理官の言葉であり、高等法院から認められたものである。法学者の一意見なぞではないのだ。彼女はさりげなく、高等法院から同意を得た意見であることを言い添えておいた。
そのことを述べた上で、当局の捜査手法の矛盾を指摘し、傍聴の観衆一人一人に対して、そのような捜査手法が許されて良いのか疑問を呈したことにより、魔女憎しの一念で当局側を支持していた傍聴の観衆は誰もが当局の捜査手法に疑問を持ったのだ。今や、傍聴席に座る人々は以前のようなただ闇雲に魔女を火炙りにしろと叫ぶ愚かな群衆ではない。黒髪姫が提示した疑問に頷きつつも、では、どうするのかと迷い惑う愚かな群集である。
「そもそも、悪魔がマルガレータと契約するということに疑問があります。悪魔が彼女と契約することに何の意味があるのか? 何の利益があるのか?」
「それは地上に悪災を撒き散らし、神を冒涜し、人々に損害を与える為であろう」
キスの疑問にカートリア主任司祭が言った。今更何を言うのかとでも付け足したげだった。
「もし、それが悪魔の目的ならば、尚更疑問です」
「何が疑問だと言うのですかな?」
主任司祭はイライラと机を指で叩きながらキスの言葉を促す。
「もしも、私が悪魔であれば、マルガレータのような、ただの田舎の孤独な女よりも、司祭殿、あなたを堕落させようとしますね。それか、糾問官殿或いはカップエルン卿とか。貴族や聖職者、大商人、役人など地位が高く、社会的に影響力のある方を狙います。その方が社会に打撃を与えることができるからです。契約することができなかったとしても、魔術か何かで幻惑させたり混乱させたりするでしょう。例えば、正常な判断力を奪って、無実の人間を魔女と弾劾して罪なき者を火炙りにするとか」
キスが言った例えは彼女が考えたものではない。一〇〇年ほど前、魔女裁判に反対した神学者が発行したパンフレットにあったものだ。ちなみに、その神学者の著作は教会によって尽く禁書の烙印が押されている。とはいえ、無事に寿命を終えられただけマシといえよう。魔女裁判に反対した学者や聖職者の中には、悪魔の味方と弾劾され、魔女と共に火刑やら絞首刑、斬首刑に処されたり、投獄されたり追放されたりした人が数多いるのだ。
「社会に何の影響も及ぼさない田舎の孤独な女に悪魔が目をつける意味が理解できないのです」
キスの言葉に反論する者はいなかった。ベアトリスを擁護する側の学者たちがそうだそうだと頷いていた。
「さて、次に」
糾問官たちを黙らせたキスは次の書類を手に取る。
「フローレンス・ジャックアップ・ナージス嬢の証言についての疑問です。つまり、ナージス嬢には本当に悪霊がとり憑いていたのかどうか? ということです」
彼女がさらりと呟くように言った言葉に場内は再びざわめきに包まれた。
「まず、第一に、というか、そもそも、彼女に悪霊が憑いているのかどうかを確認できません。彼女が嘘を吐いている或いは何らかの精神病などにより錯乱している可能性も否定できません」
「では、断罪官殿はナージス嬢が嘘を吐いているとお思いなのですか?」
糾問官助手の言葉に、ミハの人間ならば誰もが躊躇するであろう問いかけに、キスはこれまたあっさりと頷いたのだった。