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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第二章 飛んだ事件
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一七 飛んだ事件〜悪魔に憑かれた少女

 ベアトリスが魔女集会にいたという、刑事事件で例えるなら容疑者が犯行現場にいたという重要な証言にも関わらず委員会はベアトリスを魔女と結論付けなかった。これは弁護側において反証に立ったミハ大学の法学教授オーウェン・カームエップ博士の尽力によるところが大きかった。

 見事に禿げ上がった頭を陽光で輝かせたカームエップ博士は厳しい顔つきで、糾問官側の証拠に反論した。

「まず、魔女との疑惑をかけられているマルゲリータについてであるが、彼女が魔女であるという証拠そのものが酷く信頼性に欠けるものであり、法的に証拠となり得ない。というのも、彼女を魔女と証拠付ける魔女の軟膏やら魔女のしるし、使い魔というものには何の根拠もなく、証拠として全く価値がない。また、彼女の自白であるが、自白のみをもっては法的に立証できず、しかも、拷問によって得られた自白は証拠としての信頼性は非常に少ない。そもそも、彼女自身に魔女になる動機がない。村の家畜や作物を病気にしようが、貴族の子を死産にしようが彼女には何の利益にもならないではないか。よって、マルゲリータを魔女と断定することはできない」

 カームエップ博士はこのようにして、まず、マルゲリータの魔女疑惑を否定した。

「であるならば、魔女ではない彼女が魔女集会に参加しているわけがなく、彼女が魔女集会でベアトリスを見たというのは、誘導尋問によって導き出された証言であり、法的に信頼できない。また、もしも、彼女が魔女であったとしても、魔女集会の場所の証言が非常に曖昧であったり、また、集会の内容がひどくあやふやであり、魔女集会が本当に行われたのか疑問である。また、魔女集会は新月の深夜に暗闇の中で行われたそうであるが、そのような状況では他人の顔を正確に見れるか、覚えられるか、甚だ疑問である。そして、更に、もしも、マルゲリータがベアトリスを確かに魔女集会で見たとしても、これはたった一人の証言であり、一人だけの証言では証拠としては甚だ不十分であり、ベアトリスが魔女集会に参加していたという証拠にはなり得ない」

 カームエップ博士は「魔女をかばうのかっ!?」「この背神者!」「こいつも悪魔の仲間だっ!」という群集の野次や「これは正当な証拠だ!」「尋問に問題はなかったぞ!」といった糾問官側の抗議を華麗に無視して長々と反証を述べ切った。窓を背後にした彼の頭は光り輝いており、キスは後に「後光が差しているようだった」と言ったという。

 このカームエップ博士の反証により、元よりベアトリス寄りであった委員は、マルゲリータの証言には信憑性がないとして、ベアトリスを魔女裁判へ引き渡すことに強い反対を改めて表明し、魔女裁判に送るべきと主張する委員も証拠が足りないということを認めざるを得なかった。

 そして、キャスティングボートを握っていることから、委員会の決定を実質的に決定付ける存在であるキスは、

「この証拠で彼女を魔女裁判へ引き渡すべきか?」

 という問いかけに、

「まぁ、無理でしょうねぇ」

 と、のんびりと、しかし、はっきりと反対を表明した。

 そこで、糾問官側は新しい証拠を提示することにした。

「ベアトリスの使い魔にとり憑かれている少女がいます」

 糾問官補佐は大真面目な顔で厳かに宣言した。

 その言葉に今日も満員の傍聴席の群集は興奮にざわめき、委員たちはそれぞれ困惑や嫌悪を顔に出したりした。キスは無表情で黙って座っていた。

「少女の名はフローレンス・ジャックアップ・ナージス」

 その名を聞いて、群衆は更にざわめき、委員たちや回廊の上から委員会を見下ろしていた上流階級の人々までもが驚愕し、困惑し、思わず席を立つ者までいた。この場で衝撃を受けていないのは事前に情報を聞いていた者たちとキスだけであった。

 なんだか自分だけ事情を理解できていない状況に戸惑ったキスは、人見知りで内向的で消極的な性格ではあったが、滓のような勇気を振り絞って、隣の席に座る法学者のミハエル・コーゾン博士に尋ねた。博士とは席が隣同士であった為、少しは打ち解けていたのだ。

「あの、すいません。誰ですか?」

 キスの間抜けな質問にもコーゾン博士は親切に応じてくれた。

「ナージス嬢はミハ市の副市長の末娘なのです。そして、ナージス一族はミハ市でも非常に有力な家の一つなのです」

 そこで、コーゾン博士は声を潜めた。

「実は、委員長のカップエルン卿もナージス一族の一員なのです。彼の妻はナージス家の一員ですし、ナージス副市長の秘書官を務めている彼の息子も副市長の妹を妻としているのです」

 確かに、これは非常に重要な事態だった。今まで中立、それも、副委員長があからさまに魔女裁判派であったから、やや擁護派寄りだった委員長カップエルン卿があちら側に付きかねないのだ。

 こういった会議において議長や委員長が重要な役割を演じていることは言うまでもないであろう。委員長は投票権を持たないが、その代わりに、同票であった際の決定権を持つ他、議事運営を取り仕切り、発言の許可や却下を行い、議事が正当に進むよう関係のない発言を制止したり、発言に制限時間を設けたりする権限を有しているのだ。

 また、多数決を行うことを決定するのも委員長であり、多数決の際に「何に」対して多数決するかを決めるのも委員長だ。

 委員会の意見が拮抗している現状で委員長のカップエルン卿が魔女裁判派の意見に同調するようなことがあると擁護派には大打撃となろう。

 場内のざわめきが一段落し、人々が次の言葉を待ち望む頃合を見計らって糾問官補佐は手元に書類を読み始めた。

「ナージス嬢は三日前の深夜、部屋で就寝しているところを、女中が見ると、なんと宙に浮き上がっており、その小さな体は黒い霧のようなものに包まれていたという。女中は慌てて家の者を呼び集めた。再び、見ると、ナージス嬢はベッドの上に戻っていたものの、彼女は眠ったまま、神を冒涜する言葉を呟きはじめ、自分はベアトリスと契約した悪魔であり、ベアトリスの命により、この少女の体を乗っ取ったと放言した。と」

 糾問官補佐は静まり返る場内を芝居がかった仕草で見渡し、委員たちを見やった。

「目を覚ましたナージス嬢の証言によると、頭の中に何かもう一つの人格がいて、自分を乗っ取ろうとしているようだとのことです。そして、その何かはしきりと彼女を苦しめており、その何かを彼女の体に送り込んだのはベアトリスだと彼女は断言しています」

「待て! ベアトリスが犯人であるという証拠がどこにある!? そもそも、ベアトリスが何故ナージス嬢に悪霊を憑かせなければならないというのか!?」

 キスの隣に座っていたコーゾン博士が声を荒げた。

「被害者であるナージス嬢本人がベアトリスを犯人と言っているのだから、そこに疑う余地などあるまい」

 コーゾン博士をじろりと睨みつけた糾問官が言った。

「それと、ベアトリスには、ナージス嬢を呪う動機がある」

「動機だと?」

 場内がざわつく。

「彼女が悪魔に憑かれた日の夕方は、ちょうど、ベアトリスが副市長から直々に尋問を受けた日だ。この為、ベアトリスは副市長を逆恨みして呪いをかけたと思われる。そして、その尋問の中でベアトリスは副市長の娘のことを口に出した。このときは分からなかったが、これは副市長の娘を呪うという暗示であったのだろう」

「副市長を逆恨みしたのであれば、副市長を呪うのが道理であろう! 何故、副市長の娘を狙う必要がある!?」

「魔女や悪魔の考えることなど私には分かりかねますな」

 コーゾン博士の反問に糾問官は素っ気無く言い放った。コーゾン博士はぎりぎりと歯噛みする。

 その後も、擁護派と糾問官側はいくらか討論を続けたが、議論はやはり空しく空転するばかり。しかし、擁護派にとって具合の悪いことに、何人かの委員はめっきり発言が目減りし、中立的な立場に軸が変わりはじめていた。特に委員長の発言は少なくなり、今まで中立を表明していたその意見と立場は分かりにくくなっていた。

 あまり意味のない議論を眺めながらキスは考えていた。

 このまま、自分が黙って、表向き中立に近い立場を取り続けていては、流れはナージス家という有力氏族の証人を得た魔女裁判派へと変わっていくだろう。ナージス家の証人の言葉にミハ市の人間が表立って反論することは難しいことなのだ。

 対して、ミハ市には大した縁のないキスにはナージス家の令嬢だろうが、副市長だろうが、そんな連中に遠慮する必要などこれっぽっちもない。

 キスは長らく人と会話するような機会がほとんどなかったが為に、社交性に欠け、人見知りで、コミュニケーション能力が低い娘ではあるが、ここぞというときには、何らかの脳内物質が分泌されるのか、妙に落ち着いて発言できた。

 今がそのときであるらしい。

「その証言が本当に正しいか否か確認する必要があります」

 場の流れを変えようとするかのように、今までほとんど黙ってたキスが発言した。

 糾問官は険しい顔でキスを見つめる。

「断罪官殿はこの証言を信用できないと?」

「それを確かめる為、ナージス嬢の召還をお願いします」

「副市長の娘の言葉が信じられないというのですかな?」

 糾問官の問いかけに、彼女は、こくりと頷いた。


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