一六 飛んだ事件〜魔女の証言
多数決が行われたその翌日の委員会。
この日、今までコ型に並べられていた座席が大きく変更されていた。委員たちの席は上座に横一列に並ぶように配置された。その前には横向きに二つ長机が置かれていた。委員たちの座る上座から見て右側に糾問官とその助手ら役人が座り、反対側には法学者や科学者らが座っていた。証言台はその間に設置されている。証言台の向こうには簡易な柵が設けられていた。柵の向こうは傍聴席だ。まるで裁判のような席の並びだが、これは、名前を変えた実質的な裁判なのだ。ここで魔女と認定されればベアトリスは魔女裁判でも有無を言わさずに有罪と宣告され、薪の山に縛り付けられて焼かれるだろう。何故ならば、この委員会にはミハ市の参事会員から、著名な法学者、神学者、糾問官が参加し、更には皇帝より罪人を断罪する勅命を得ている勅任断罪官までがいるのだ。彼らの下した決定を覆せるほどミハ市の裁判所は強い権限を持っていないし、独立してもいない。
この時代には三権分立などという概念はなく、行政と立法と司法は密接に繋がり合っていて、その全てが同一の者や機関に属していることも珍しくはないのだ。
傍聴席は席のない立ち見で、無料ではなく、傍聴料がかかったが、多くの市民が詰め掛けていた。ミハ市は学問の町だけあって好奇心旺盛な市民が多いし、そもそも、裁判自体が市民には人気な催しなのだ。娯楽の少ないこの時代にあっては、教会のミサも説教師の説教も、議員や参事会員の討論会も騎士の模擬戦や槍試合、命を賭けた決闘、そして、罪人を裁く裁判や処刑ですら、市民に広く公開されていることが多く、市民にとっては退屈な日常の中の刺激的な見世物であったのだ。
今回の事件は、科学と宗教という、生まれたときから犬猿の仲である二者の対立でのあり、ミハ市ではここ数十年も起きていなかった魔女裁判の重要な局面であることもあって、市民にはすこぶる人気で、委員会が行われる参事会議事堂の広間に設けられた傍聴席は満杯で、廊下にまで市民が溢れ出す有様だった。都市貴族や大商人、聖職者、学者たちは高い傍聴料を払うと広間を見下ろし回廊に上がることが許されていたので、比較的悠々と見物ができたが、そこにさえ、多くの人々が詰め掛けていた。
まだ委員会が開催されていない為、席に着いていない委員とその従者たちもそこにいた。
「人の裁かれるところを見たいなどとは、なんとも、下衆で野蛮なことか。吐き気がする」
詰め掛ける傍聴人たちを見やりながら、クレディアは不快そうに言い捨てた。
「そんなに悪い趣味じゃあないと思いますけど……」
傍らのキスはぼそぼそと呟く。
「しかし、連中のほとんどは、これから引き出される悪魔の術を使った魔女を見たいと思っている輩です。そして、そのうちの大半が数週間後には火炙りにされる魔女を見に、処刑場に集まるでしょうな。いや、これ以上の数の人間が公開処刑見たさに詰め掛けるでしょう。人が惨たらしく死ぬ様を見て喜ぶとは、なんと野蛮で残虐なことでしょうかっ」
クレディアはますます不機嫌そうに不快そうな表情を深める。キスは曖昧に苦笑していた。
「委員の皆様は、そろそろ、ご着席願います。随行の方々はこの場にて待機願います」
回廊の階段近くでシュペー顧問官が委員たちに呼びかけた。委員たちはそれぞれ階段に向かう。
「殿下。お一人で大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫ですよ」
クレディアは世間知らずで、まだ十代半ばというキスを心配して声をかけるも、キスの方はいつもの調子で答え、
「それじゃあ」
と、とことこ階段を下りて行った。
「心配だ。心配だ」
キスの背中を見送りながらクレディアはしきりと心配をするが、そういう彼女もまだ十代後半なのであって、傍から見ると一人で買い物に出かけた妹を心配する姉のような感じであった。
いつものように委員長の堅っ苦しい開会の挨拶で委員会は始まった。
その後、シュペー顧問官が、これからの委員会の審議方法を提示した。まず、この委員会は調査対象たるベアトリスが行った件の実験が悪魔の魔術といった類か否かを判断する為に、彼女が魔女であるかどうかを審議するものであり、審議の結果、彼女が魔女であるという結論が出た場合には、彼女を魔女裁判へ引き渡すという確認がなされ、委員たちが同意した。
続いて、では、その審議を如何にして行うかという説明が為された。ただ、闇雲に委員同士で討議しあっても、この間までの委員会のように、全く進展がなく、議論の空回りに陥ってしまうのは明白である為、ここは、彼女が魔女であるという訴追を行った糾問官が彼女が魔女である証左を示し、それに対して委員が質問や確認を行う。また、彼女を擁護する者がいれば、その者は、彼女が魔女ではないという証左を行い、これまた、委員が質問や確認を行う。いくつかの証拠を挙げて審議した後、最終的に列挙された証拠を委員たちで検証・審議して結論を出す。と、このような審議方法が提示され、委員はそれに同意した。というのも、事前に委員側と事務局は委員会本番をスムーズに進める為に、先日の段階で、この審議方法を共に話し合って決めたのであった。異論が出るはずがない。こういった委員会や会議といったものでは、事前の打ち合わせの段階でほぼ結論が決まってしまっているということがよくあるものだ。
この説明の後、早速、糾問官側から証拠が出されることとなり、委員席の前で向かい合った席の右側に座っていたチュートバッハ糾問官補佐が立ち上がった。この間、キスの宿泊する宿へやって来た男だ。
「証人としてマルガレータ・ツィツマンを召喚いたします。この者は、先日、魔女の疑いで逮捕され、取調べの結果、自身が魔女であることを自白しております。また、この者は自身が参加した魔女集会において、他の魔女を見たと証言しており、その中にベアトリスがいたと証言しております」
彼の発言の後、糾問官の後ろのドアが開き、みすぼらしい身なりで、がりがりに痩せた中年の、容姿はお世辞にも美しいとは言えぬ女が現れた。髪は全て剃られていた。その顔は土気色で憔悴しきった様子で、何日も風呂に入れず、また、着替えもしていなかった上に、排泄すらきちんとさせてもらえなかったせいで、彼女からは酷く汚臭が漂い、また、汚かった。だいぶ弱っている様子で、微かに体は震えており、ドアから証言台へ向かうまでの道のりを一人で歩くことも困難な様子であった。
「この魔女めっ!」
「魔女を火炙りにしろっ!」
「悪魔とセックスした女だぞっ!」
「そんな魔女なんかさっさと殺してしまえっ!」
傍聴人席からは盛んに野次が飛ばされた。
「静粛に! 静かにしろっ! 騒ぎ立てた者は外に放り出すぞっ!」
傍聴人席の前に立つ廷吏が怒鳴って、傍聴人たちをなんとか静めた。
「では、マルガレータ。貴様にいくつか質問をする。嘘を吐かずに正しきことを答えよ」
糾問官補佐は汚臭に顔をしかめながら尋問を始めた。汚臭は委員席や傍聴人席、上の回廊にまで漂い、あちこちから呻き声が漏れ、ハンカチや布切れで鼻を押さえる者もいた。
「貴様は、悪魔と契約し、魔女になり、あらゆる魔術を行い、家畜や村の麦に呪いをかけて病気にし、また、フェルディナント・コーター男爵の后の赤子を流産させる呪いをかけ、更には赤子の死体を盗んで魔女の軟膏を作り、飼い犬の背に乗って魔女の集会に参加したな? 間違いはないな?」
証言台に立たされた女は糾問官補佐の言葉を聴き、ぼろぼろと涙をこぼし、ぶつぶつと呟き始めた。
「な、なんで、こ、こんな、酷い、ことに、あぁ、神様……」
「余計な言葉は慎むのだっ! 私の質問に答えよっ! 貴様は魔女であり、魔術を行い、また、魔女の集会に参加したなっ!?」
糾問官補佐が怒鳴り、女はついには顔を抑えしゃがみこんで哀れな悲鳴を上げて泣き出してしまった。
委員たちも参事会の役人たちも糾問官の役人たちもそれぞれどーしたものかと顔を見合わせた。傍聴人たちはざわざわと囁き合う。
「魔女っ! 答えるのだっ!」
糾問官補佐は顔を真っ赤にして怒鳴り続ける。
「黙りなさい」
そこへ、静かな声が飛び込み、誰もがはっとして黙り込み、声の主を見つめる。
「あなたがそのように怒鳴っているから、彼女が泣いてしまっているのではありませんか?」
キスは無表情で糾問官補佐を見つめて言った。糾問官補佐は突然のことに驚き、また、かなり身分が上の相手でもあるから反論もできず、黙り込んでしまった。
「暫く落ち着くまで待ってあげましょう。その後、質問をすべきです。糾問官の方で質問をしても答えが得られないのであれば、私が質問します」
キスは委員長に向けて言った。
「あ、いや、それは、待って頂きたい。尋問はこちらで行います」
委員長が答える前に、糾問官が慌てた様子で発言し、糾問官補佐と助手に何事か耳打ちする。
糾問官補佐が座り、代わって糾問官の助手の一人が立ち上がった。
彼は、女が落ち着くのを見計らってから、発言する。
「悪魔と契約し、魔女となっても、自身が魔女であることとその全ての罪を告白し、また、その共犯者を供述した場合には、その魔女は悪魔を裏切り、こちら側へと戻ってきたものであるからして、温情をもって、処刑は行われず、命ばかりは許されることとなる。このこと、教会も承諾しておる。ただし、もしも、自らの罪を告白せず、また、虚偽の供述を行った際には火あぶりの刑に処せられ、また、死後は地獄へと落ちるであろう」
彼の言葉に、キスとクレディア、何人かの委員、反対側に座る学者たちが、目を細めたり、口をへの字にしたり、顔をしかめたりした。
証言台でしゃがみこんでいた女はその言葉に顔を上げて、糾問官助手を見やり、それから、上座を見つめた。委員長の隣、副委員長の席に座る見るからに高級な聖職者の衣服を身にまとったカートリア主任司祭がゆっくりと頷いた。
女はおずおずと立ち上がり、口を開いた。
「あ、あたしは、あ、悪魔と契約して、ま、魔女、に、なりました……」
傍聴人席がざわめき、廷吏が「静かに!」と怒鳴りつける。
「では、魔女集会にも参加したな?」
「し、しました」
「その魔女集会において、ベアトリスという女学生を見たな?」
「え、あ、あの」
女は口ごもった。
そこへ糾問官助手が更に強い口調で問い詰める。
「ベアトリスという女学生がいたな?」
「あ、あ、はい」
女は弱弱しく頷いた。
「委員長! 異議があります!」
糾問官の反対側の席に座る学者のうちの一人が手を挙げた。これまた、この間、キスの宿舎を訪ねたミハ大学の教授ゲオルグ・フォッテングトンだ。
フォッテングトンは委員長に発言を許され、立ち上がった。
「今のはあからさまな誘導尋問です。自白すれば、罪が許されるとしてこの哀れな老女を脅迫し、そこへ、明らかに意図した答えを発言させるような質問を重ねております! このような証言は到底信用に足るものではありません!」
「誘導尋問ではない! 法も知らぬ科学者風情が何を抜かすか!」
フォッテングトンの言葉に糾問官補佐が言い返す。
「では、この証人は、本当に魔女集会でベアトリスを見たか確認しようではないか。あなたが見たベアトリスという女学生はどのような人物でしたかな?」
この質問に女はうろたえた。質問者の学者を見て、委員席を見て、糾問官たちを見てから、ぼそぼそと頼りなさそうに喋りだす。
「え、えっと、若い、娘で、ローブを着てました。そこらの百姓娘や町娘とは、違う、感じで」
「やはり、見たとのことで間違いありませんな!」
「何を言うか! 今の証言はそこらの女学生誰にでも当てはまるではないか! 他の町ならいざ知らずミハ市は学園都市だ。女学生などそこら中にいる! もっと、具体的な証言がなければならない! 例えば、髪の色は? 瞳の色は? 背格好は?」
「そんなもの、暗くて見えんだろう! 魔女集会は森の奥で夜中に行われるのだぞ!?」
「それでは、その見たという女学生が本当にベアトリスがどうか分からないではないか!」
そこで「両者とも静かに」と委員長が仲裁に入り、両者は大人しく黙り込んだ。
「では、ベアトリス本人を連れてきて、確認すればよい」
カートリア主任司祭が厳かに言ったが、すぐに他の委員が反論した。
「それでは証拠になりますまい」
「何故かね? いくら暗くてよく顔が見えなかったとはいえ、本人を目の前にすれば、その者が魔女集会にいたかいなかったくらいは分かるであろう」
カートリア主任司祭の言葉に、数人の委員とベアトリス側の学者たちが苦々しい顔をした。
証人の女からすれば、もう、このまま、糾問官の言うとおりにベアトリスが魔女集会にいたと証言するしか生き残る術がないのだ。ともなれば、この場に「こいつがベアトリスだ」という女学生が現れれば一も二もなく「この女学生が魔女集会にいた」と証言するだろう。そうしなければ、火炙りにされることは目に見えている。
ただ、そのとおりのことをこの場で発言すると、この証人が嘘を吐いているということになってしまう。悪魔を裏切って、こちら側に戻ってきて、罪を全て自白すると、共犯者も供述すると彼女が認めてしまっている以上、そこで嘘を吐いたということになると、彼女はその誓いを破ったことになり、再び神に背き、悪魔の側に寝返ったと看做されるのだ。
ベアトリス擁護派はなんともかんとも言えなくなり、黙り込んでしまった。
結局、カートリア主任司祭の提案どおり、ベアトリスが委員会に召還された(彼女自身の問題を審議する委員会だったにも関わらず、彼女が委員会の開かれている場に現れたのはこのときが初めてだった)。
ベアトリスは少しやつれているようではあったが、清潔で健康そうで、しっかりしていた。さすがに、以前、キスたちと会話したときのように明るい表情ではなく、苦々しげではあったが。彼女はまだ魔女裁判にかけられているわけではないので、拷問も異常に厳しい尋問も受けていないのだ。彼女を擁護する参事会員や学者が結構いるお陰でもある。
彼女を擁護する有力者がいくらもいるのは、当然、罪に問われるはずのない人間が冤罪で裁かれようとしているのを看過できないというキスと同じ思考の者もいるが、その他にも彼女を擁護する要因がある。今回の実験が魔術として認められると、今後、科学的な実験や研究が全て魔術として片付けられてしまうおそれがあるのだ。そうなると困ってしまう人間が多くいることは言うまでもない。
反対に科学に否定的な人間にとっては、今回の件で科学派を一気に弱体化させるチャンスでもあるのだ。これは最初から単なる一個人、一事件の問題ではないのである。
さて、話を戻して、委員会である。証言台に立たされた女は、ベアトリスを見た。一目で学生と分かる装束の若い娘である。一方のベアトリスは今の今までずっと拘束状態にあったので、この酷くみすぼらしい女が何でここにいるのかも分からないし、何故、自分が呼ばれたのかも分かっていない。苦々しい顔のまま「何だ何だ?」と首を傾げる。
「貴様が見たのはこの者か?」
糾問官助手の問いかけに、女はこっくりと頷いた。ベアトリス擁護派は一斉に呻き声を上げた。
当事者であるベアトリスは「実験してるとこを見た人かな?」などと全く能天気なことを考えたりしていた。