一五 飛んだ事件〜多数決
「ベアトリスは魔女である」
ミハ市糾問官ロタール・ヴィンフィルトの発言に調査委員会の会議が行われていた会議室は騒然とした。
「いやいや、いきなり何を言い出すのですか?」
糾問官の隣に座っていた参事会顧問官シュペーは驚きに満ちた表情で尋ねた。同じミハ市の幹部であっても、その情報は彼の耳に入っていなかったらしい。この辺、市参事会には問題があるんではないかとクレディアは黙って思った。一方、彼女の主君の方は驚き呆気に取られているかと思いきや、なんだかとっても落ち着いた顔で黙っていた。
「それは本当なのかね?」
カートリア主任司祭が皆が抱く疑問を代表して尋ねた。
「無論です」
問いかけにヴィンフィルト糾問官は堂々と頷き、大儀そうに書類を出して、時折、それに目を落としながら説明を始めた。
「数日前、近郊の村でマルガレータ・ツィツマンなる女が魔女の疑いで逮捕されました。その後の取調べの結果、マルガレータは魔女であることを自白。そして、魔女集会で数人の魔女を見たと証言いたしました」
「なるほど。そのうちの一人がベアトリスだということだな」
説明を聞いたカートリア主任司祭が深く頷きながら呟き、糾問官は彼の言葉を肯定した。
「出来試合ですな。主任司祭殿と糾問官殿は繋がっていると見て宜しいでしょう」
クレディアが細心の注意を払った小声でキスに耳打ちした。似たような様子は会議室のあちこちで見られ、ベアトリス擁護派は一様に表情を険しくした。
「ベアトリスが魔女ということならば、事は法廷に移さなければなりませんな。あの怪しげな実験とかいうものも悪魔の術に違いないでしょう」
若い聖職者が得意げに言い、神学博士の一人が強く頷いた。
グルは四人。と、キスは心の中で呟く。
彼らの主張にベアトリス擁護派は猛然と抗議の声を上げるも、糾問官らは取り合わず、両派は押し問答を繰り返した。会議の主題はすっかりベアトリスの身柄をこの調査委員会から魔女裁判が行われる法廷へと移すべきか否かへと移行していた。
「これ以上、話し合ったところで、結論は出まい」
昼過ぎから始まった会議が拗れに拗れ、両派が噛み合わない平行線の話し合いを続け、窓の外が赤く染まり始めた頃、副委員長カートリア主任司祭が手を挙げて言った。
「決を採るべきです」
「多数決ですか?」
委員長カップエルン卿の言葉に、彼は頷く。
「それが最も明快で、確実で、合理的な方法でありましょう」
副委員長の提案に、何人かが頷き、何人かは渋い顔をした。あちこちで委員同士が、委員とその従者が、従者同士が、囁き合う。キスは特別クレディアと話すこともなかったし、他の委員と内緒話をする仲でもなかったので、居心地悪そうに黙りこくったまま窓の外を眺めていた。
カップエルン卿はシュペー顧問官と額を寄せ合って、何事が相談した後、おもむろに立ち上がった。
「宜しい。そう致しましょう」
委員長の結論に異論は出なかった。
「ベアトリスの身柄及び本委員会において調査している事案を、魔女を裁く特別法廷へと移すべきか? それとも、このまま、本委員会において彼女の身柄を預かったまま、事案を調査すべきか?」
委員長のまとめに全員が頷く。
「多数決の方法はどうされるのですかな?」
そこで、今まで殆ど発言のなかった中年の法学者が手を挙げて発言した。
「ここは、公正を期す為、無記名投票形式にすべきでしょう」
彼の提案に異論はなく、多数決は無記名投票形式となることとなった。
「では、多数決は明日朝に行うこととします。本日は解散」
キスたちは宿舎にしている白鷺館へ戻っていた。
「困ったことになりましたね」
クレディアは極めて苦々しそうな顔で呟いた。基本、彼女はいつも眉間に皺を作っているのだが、今日は特にその皺が深かった。
「魔女裁判とは、また、厄介な問題です。魔女が存在するか否か? そして、魔女を裁くとするならば、どのような手続きをもってすべきか? という点においては、帝国のみならず、大陸中でもう何百年も前から大きな論争となっています。法学者、神学者、聖職者のみならず、判事、弁護士、糾問官といった法曹から参事会員や貴族、国王までもが、様々な研究を行って、その主張を発表し、また、他者の主張を非難したり擁護したりしているのです。少し探せば、この手の主張の論文やパンフレットがいくらでも出てきますよ」
クレディアの説明に、カルボットが頷いた。
「確かにな。俺ぁ、あちこち旅して回ってきたけどよ。まぁ、色んなとこで魔女論争がされてたぜ。で、その論争の結果ってのは、地域や都市によって、また、バラバラなんだよな。ある町では魔女なんか存在しないって決め付けて、あらゆる魔女裁判を禁止してるとこもあれば、ある地域では毎年何十人もの魔女を薪の山で焼いてるとこもある。或いは、こーいう魔女問題をどーするべきか延々と何十年も論争を続けてるとこもあんな。しかも、何年か前は全然魔女裁判なんかやってなかった町が今じゃ魔女を毎日焼いているってことになってたりもしやがる」
なんとなく面倒くさそうな問題だとは認識していたキスは二人の部下の言葉を聞いて、その認識を更に確固なものとした。これは非常に根が深くデリケートな問題だ。
「しかも、魔女裁判を非難する者が魔女の擁護者として弾圧されたり、投獄されたり、魔女や魔男として火刑に処されたりする場合もありますので、十分に留意せねばなりません。まぁ、もし、殿下が魔女裁判を非難したとしても、一国の姫君にして帝国貴族である殿下を魔女として弾劾するなんてことはいくらなんでもしないとは思いますけれども」
「いやぁ、わかんねーぞ? 魔女の弾劾に血眼になってる連中っての中には、もう気狂いみたいな奴もいるからな。相手が王女様でも貴族様でも魔女となれば誰でも彼でも遠慮なしに声高に魔女呼ばわりして大騒ぎするかもしれねぇな。まぁ、そーいう奴が不興を買って逆に追放されたり処刑されたりする場合もあるけどな」
「殿下を魔女呼ばわりする糞野郎なんぞ血祭りにしてくれるわ」
クレディアは獰猛な笑みを浮かべながら呟く。
「ん。まぁ、なんにせよめんどうくせーことになったんは確かだな。うん」
「そーですねぇ」
「姉ちゃん、大変そうだねー」
クレディアの笑顔が非常に恐かったので、皆は見ないふりをして、大変だ。大変だ。と、口々に呟きながら、彼女から視線を外した。
ドアがノックされたのはその時のことだった。全員の視線がドアに集まる。一番ドアに近いのは、未だに氏名不詳のムールド人傭兵であったが、彼女(らしいということは判明している)は微動だにしない。
「貴様! ドアを開けるなり、誰が来たかドアの向こうに声をかけるなりせんかっ!」
クレディアに怒鳴りつけられると、彼女は音もなく歩き、無言でドアを開けた。
そこに立っていたのは宿の主人だった。
「お休みのところ、大変申し訳ありません。お客様に、来客が来ておりまして」
宿の主人に案内されてキスとクレディアは一階にある食堂へ向かった。傭兵三人衆はいつものようにお留守番である。彼らはただの護衛でしかなく、特に護衛が必要でない場面では役立たずどころか邪魔な存在に落ちぶれてしまうのだ。
姫と騎士の二人の主従が食堂に行くと、食堂には険悪な雰囲気が満ち満ちていた。
何事かと思いながら食堂を見渡すと、あちらこちらに普通に夕飯を摂っている客の他に、立派な服を着こなした学者風の男と法服を着た法官が席についていた。
嫌な予感がしてキスとクレディアは顔を見合わせる。
「で? 客というのは?」
「あー、そちらの席の方とあちらの席の方です」
クレディアの言葉に宿の主人は少し困惑した様子で学者風の男と法官を示した。主従は再び顔を見合わせる。
「殿下、夜分遅くに申し訳ありません」
どうしたものかと二人が少し考えていると、学者風の男のうちの一人が歩み寄ってきた。ひょろりと背が高く、ちょっと貧相な髭を生やした初老の男だ。
「私、ミハ大学の科学部で教鞭を取っておりますゲオルグ・フォッテングトンと申します。夜分遅くに突然の来訪にご対応頂きありがとうございます」
まだ、対応も何もしていないうちに、先に礼を言われると、対応しないわけにはいかないような気になったりする。これは上手い切り込み方だなぁ。とキスは少し感心した。
「この度は、私の学生でありますベアトリスの件について、お話したいことがありまして」
だろうなぁ。と、キスは胸の中で呟く。
彼からすれば、自分の学生が不当に拘束された上に、魔女の疑惑までかけられ、魔女裁判にかけられたともなれば、放っておくことなどできるはずがない。彼女の為でもあるが、彼自身の為でもあるのだ。魔女に学問を教えていたとされれば、今度は自分に火の粉が降りかかりかねない。更には、今回の事件が魔女の悪魔の術と断罪されれば、今後、似たような実験が一切認められなくなる可能性も高い。見ぬふりして放置しておける問題ではないのだ。
彼はどこかで明日、ベアトリスが魔女裁判に引き出されるかどうかが決まると知り、未だに公には態度を保留しているキスを説得しにきたのだろう。
フォッテングトンが次の言葉を口にする前に、彼らのもとへ法官がやって来た。
「殿下。夜分遅くの来訪お許し下さい。私、ミハ市の糾問官補佐を務めておりますハインリヒ・チュートバッハと申します」
人の会話に無理矢理横から入り込むという荒業をこなした法官は灰色の髪をオールバックにした若い男で、髭はなく、顔立ちはすっきりしている。
彼からすれば、先に話しかけられるという先手を打たれた段階で、このまま科学者の説得を指をくわえて眺めているよりは多少無理をしてでも、会話に割り込んだ方がマシだと思ったのだろう。
「ご賢明なる殿下におかれましては、この度の事件が如何なものか十分にご理解されておるものと思いますが」
「何だ。君は。殿下はご多忙なのだ。お手を煩わせるようなことをするでない」
口上も早々に、早速、説得を開始したチュートバッハを不快そうに見ながら、フォッテングトンが言った。何で、お前が殿下の代弁みたいなことを言ってんだ。と、クレディアは顔をしかめる。
困惑するキスと不機嫌そうなクレディアの前で、学者と法官はお互いを非難しながら、各々の説得をし始めた。二人がいっぺんに話してくるものだから、何を言っているのかわけがわからない。
「貴公らには申し訳ないが、殿下はもうお休みになられる。殿下との面談を希望する場合は、事前にご連絡を頂かねば応じられぬ」
クレディアはキスを背後にかばうようにして前に出ながら二人にきっぱりを言い放つと、彼らの抗議を聞き流し、キスを連れて階上へと戻った。
「いいんですか?」
階段を上りながらキスが不安げに呟くと、クレディアははきはきとした声で応じた。
「いいのです。あんな無礼な連中を相手にする必要はありません」
「はぁ」
「まったくもって、面倒くさい上に厄介な問題に巻き込まれたものです。今からでも、委員を辞退して、町を離れては如何ですか?」
「いや、それはどうでしょう」
イライラカッカしているクレディアの意見にキスは困ったように苦笑する。
「まぁ、確かに、面倒くさいし、厄介な問題ですけど、中々興味深いじゃあないですか」
「……殿下の興味の方向が私にはあまり理解できかねます」
翌日の委員会では、事務局のシュペー顧問官が改めて、今回の事件の解明を魔女裁判に預けるべきか、委員会で審議すべき問題であるかを無記名秘密投票で行う旨の説明が為された後、委員それぞれに用紙が配布された。委員長と副委員長は投票に参加しないので、投票数は全部で七となる。
今のところ、態度を明確にしているのは、六人で、そのうち、三人はベアトリス擁護派であり、副委員長と二人が魔女裁判賛成派である。委員長は真意はいざ知らず中立を守ろうとしており、キスともう一人は態度を保留している。
委員長と副委員長が投票に参加できない為、態度未定の二人が白票を投じれば、ベアトリス擁護派が有利といえるだろう。
「ただ、あの態度未定だった法学者はきっと賛成に入れますよ。あーいうタイプは権威に弱いのです。主任司祭の言葉に従うでしょう」
クレディアはひっそりとキスへ耳打ちした。
彼女の言葉が真であるとすれば、多数決は同数になり、キャスティングボートはキスが握ることになるだろう。委員たちもそれを意識しているのか、以前までの委員会よりも多くの視線がキスの方へと向けられているような気がした。
彼らの熱い視線を察しているのか察していないのか、キスは用紙を受け取ると、少し考えた後、何事か書き込んで紙を折り畳みすぐに投票箱へ放り込んだ。
他の委員たちも、もう既に己の結論は出ているようで、さらっさらとすぐに記入して投票箱へ用紙を入れた。
全員が投票したのを確認した後、委員長と副委員長が立ち会う前でシュペー顧問官が投票箱を開けて、票を数えていった。
「えー。発表いたします。投票の結果は、魔女裁判への付託に賛成が三票。反対が三票。無効票が一票です」
「無効票とは何だ? 白票なのか?」
顧問官の言葉に、副委員長のカートリア主任司祭が険しい顔で尋ねた。
「いえ、賛成とも反対ともなく、別意見です」
「別意見とは?」
「当委員会にて彼女が魔女であるかどうかを審議し、その疑いが濃厚であれば、彼女の身柄を魔女裁判に預けるべきである。魔女裁判に彼女の身柄を移すのは、当委員会にて審議をした後であっても遅くはないと考える」
シュペー顧問官の読み上げた内容に、委員たちは沈黙した。それぞれ、何事か考え込んでいた。
意見としては、中立に近いようにも思えるが、どちらかというと、魔女裁判へベアトリスの身柄を移すことには、少なくとも、今は反対であると解釈できるだろう。となれば、反対四票と数えることもできる。しかし、この票は、委員会で彼女が魔女だと結論されれば賛成に転じると表明している。要するに、結論を先延ばししている。自分を説得してみろと言っているようにも思える。
無記名であるから、誰の票かは不明であるが、殆どの者は、誰の票か確信していた。投票者の中で、最後まで態度を表明せず、キャスティングボートを握っていたのは誰だったろうか?
これは、それぞれの主張をする委員たちに自分を説得してみせろという挑戦ではないか?
「宜しい。この意見のとおりでいこうではありませんか」
「いいでしょう」
「異論ありません」
委員たちはキスの挑戦を受け止めた。
物凄く長い間、放置してしまい、大変申し訳ありません。まだ、覚えている方がおられましたら、引き続き、読んで頂けますと幸いこの上ありません。