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黒髪の断罪姫  作者: 雑草生産者
第二章 飛んだ事件
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九 飛んだ事件〜ミハの学生街

 ミハ市の学生街は城壁に囲まれた旧市街と呼ばれる区画のうちの南半分ほどを占めている。

 古くから三大学が置かれたことで栄えた町であることもあって、旧市街には大学に関係する施設が多く存在する。教授や学者、芸術家、学生が住む住居や下宿、学寮。それらを相手とした酒場、食堂。これらの建物は市中心部にある聖王広場よりも南に建てられることが慣例となっていて、いつからか旧市街南側を学生街と呼ぶようになった。

 その学生街は更に三つの大学に細分化できる。

 聖王広場周辺は帝国中央学院。その他の地域の東側はミハ大学。西側は聖ワリュンカルト大学といった区分けになっており、それぞれの地域にそれぞれの大学の教授や学生が住み着いている。

 帝国中央学院は名の通り、帝国によって設けられた大学で、三大学の中では最も新しく、聖王広場に面した学舎を持ち、政府の強い支援を受けている。そのせいで帝国政府の影響も大きく、大学の自治は他の二大学に比べ限定されたものとなっている。

 そのせいで、自由奔放な学生連中の活動も他大学に比べればいくらか抑えられたものとなっている。いや、今回の場合は、そのせいで、ではなく、そのお陰というべきか。

 クレディアが学生街散策を望むキスの歩くルートに帝国中央学院の区域を選んだのはその為である。ここの学生連中ならば、まだ政府と市当局の統制が効いており、あんまりにも極端な行動には走っていないと考えたのだ。学生自治が発達したせいでしばしば市当局と対立し暴動まで起こすことがあるミハ大学や教会によって設立された為、神学研究が盛んで、うっかり変な異端や分派を産み出して宗教裁判沙汰を起こしたこともある聖ワリュンカルト大学なぞに銀猫王女殿下を行かせることなど誰が許そうとも、彼女は許さない。

 その二大学に比べればまだ穏当な帝国中央学院とはいえ、犯罪に大なり小なり多かれ少なかれ関わっているのが普通といっても過言ではない学生には変わりない。十分に警戒する必要がある。

 そんな彼女の心配を知ってか知らずか。

「ねーちゃんねーちゃん! あれ美味しそう! あの焼肉!」

「あぁ、豚ばら肉を串に刺してタレをかけて焼いた料理だな。この辺じゃあよく屋台で売ってるやつだ。こいつが麦酒と相性抜群でよー」

「あ。それじゃあ、買ってみましょうか? あ、勿論。あなたの分も買いますよ」

「……………ども」

 クレディアの敬愛すべき主君とその配下の傭兵どもは狭苦しく生活感に溢れすぎて結構不潔だが、興味深いものがひしめく学生街の通りに興味津々の模様で、得体の知れない説教師の説く如何わしい主義主張や聖典の解釈に耳を傾けたり、大道芸や奇術に目を奪われたり、安くて粗野だが食欲そそられる屋台の食べ物や飲み物に惹かれたりしていた。

 その度にクレディアは、その説教師の言っていることは荒唐無稽かつ学問の体をなさぬホラであるときっちり説明したり、大道芸や奇術のタネを教えてやってその場から離れさせたり、その食べ物や飲み物は見かけは美味そうだが実際はさして美味くはなく、しかも、体に有害であると忠告したり、隙あらば物を盗っていこうとするスリに目を光らせたり、と、大変な苦労をする羽目になった。

「やっぱり、学生街なんて来るもんじゃあないわ。気の配りすぎで頭が痛い」

 クレディアは小さな川に架かった橋の手すりに背を預けながら、げっそりした顔でぶつぶつと呟く。

 と、彼女の前に豚ばら肉の串焼肉が差し出された。

「クレディアさんも如何ですか?」

 焼肉を差し出したキスはなんだか楽しそうにぽやぽや笑いながら言った。こうなると、主君第一主義のカロン人騎士は弱い。主君の幸福は我が幸福。主君の不幸は我が不幸。であるクレディアは一気にげっそり気分を吹き飛ばす。

「ええ、頂きます。ありがたく頂戴致します」

 主君より下賜されるものは何であろうとも。例え石ころだろうとも、虫の死骸であろうとも、金にも等しい価値があると考えているクレディアはただの焼肉を大変ありがたそうに受け取り、ありがたそうに頂くのだった。

「おいしーい!」

「そうですね」

 肉を口いっぱいに詰め込んだモンが歓喜の叫びを上げ、キスはのんびりと同意してから、クレディアに顔を向ける。キスはキスなりにクレディアに気を使っているのだ。上流階級である騎士の彼女にとって今の場所が居心地良いわけが無く、そもそも、来ることを反対すらしていたのだから、機嫌が宜しいとは思えるわけがない。それくらいのことは人間付き合い経験の少ないキスでも分かるのだ。クレディアが思いっきり不機嫌そうなしかめっ面をしていたからという理由もあるが。

「美味しいですよね?」

「勿論です」

 そんなわけで気を使ったキスの言葉にクレディアはしっかりと頷いた。彼女にとってすれば、キスから下賜されたものは、何であろうがありがたいものであり美味しいに決まっているのだ。ただ、その思いはキスには届かない。キスは「勿論」の意味を分かりかねて首を傾げるばかりだった。


「あれ、何でしょうか?」

 王女と騎士と三人の傭兵が仲良く焼肉と固く焼いたライ麦パン、麦酒で軽い昼食を取っていると、何かに気付いたらしいキスがぼそりと呟いた。

 彼女の言葉に他の四人も顔を上げ、キスの指す「あれ」を見た。そして、全員が首を傾げる。

「何でしょう?」

「何だろう?」

「何だろなー?」

「……………」

 五人は暫し、呆然として、それを見上げていた。

 それに注目していたのは彼らだけではなかった。彼らがいた橋を渡る人々は誰もが足を止め、呆気に取られ、それを見つめていた。

 川をいくらか上流へ行くと、川に面して小さな広場があり、そこに巨大な白いものがあった。白いものは布袋のようで、地面に突き立てられた何本かの棒と縄で結んで固定されていた。袋の下は開いていて、その下では火が熾され、もくもくと立ち昇る煙は布袋の中に入っていく。それを何人もの人々が作業したり、見物したり、話し合ったり、荷物を運んだりしていた。

 この光景を見る当時の人々にとっては、その布袋のことを言い表す術がなく、せいぜいが白いでっかいものとしか言えなかった。誰もがその正体を理解できず首を傾げるばかりだ。

「見に行ってみましょう」

 そう言い出したのはキスだった。

 そう言い出したのはキスだった。

「あれを見にですか?」

 クレディアは渋い顔でキスを見つめた。表情からありありと嫌そうな様子が伺えた。なんだか面倒くさいことになりそうな気がするのと、実際、移動するのが面倒くさいのと、あれがある方向は帝国中央学院の区域ではなく、ミハ大学の区域に入っているのだ。

 ミハ大学といえば、ミハで最も古いどころか大陸東部では最も長い歴史を誇る大学である。その起こりは、歴史的な法学者ヨーハン・ヴィリアード博士が開いた法学の教室と云われる。この講義を聴きに、大陸中から多くの生徒が集まり、彼らが不当な高値をふっかける下宿や食堂に対して交渉するために結成した組合が起源である。

 こういった起源である為、ミハ大学は学生組合の力が強い。ということは規制が少なく、自由であるということだ。当然、自由の意味を履き違える愚か者やら自由すぎて変てこな研究や行動をしている輩やらもいるということだ。

 そんな如何わしい所に愛すべき主君を行かせたくはないというのがクレディアの考えだった。

 しかし、悲しいことに部下のそんな気遣いなど見るもの全てが珍しいという好奇心旺盛なキスには通じていないようであった。

「勿論です。あれが何か確かめねば」

 キスは目をきらきらさせながら返事も聞かず歩き出すのだった。

「殿下! お一人で行動なさらないで下さい! 貴様らものん気に肉食ってないで殿下を追え!」

 クレディアは叫んだり怒鳴ったりしながらキスを追い、傭兵たちはのんびり焼肉を頬張りながら後を付いていった。


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