第十九話 決意の先には
十月に入っても僕は水無瀬さんと会うことはなかった。
それから更にひと月が経ったが、月末に水無瀬さんの病状が悪化したという話は聞かなかった。
十一月。マフラーを巻いて学校に登校する季節がやってきた。
今でも水無瀬さんのお見舞いに行っている葵から、水無瀬さんが声を発せられなくなったことは聞いたが、僕が会いに行くことはなかった。
正直、水無瀬さんと会えないことがこれほどまでに辛いとは思ってもいなかった。
『目から遠くなると、心が近くなる』ということわざを聞いたことがある。今の僕がまさにそれだった。水無瀬さんと会えなくなったことで、彼女が僕にとってどれだけ大きな存在なのか、大切な存在なのかを実感した。
「お兄ちゃん」
耳元にそんな囁き声が聞こえた。
「どうしたの?」
僕に話しかけてくる人なんて、今は葵しかいない。
みずきさんが自身を葵だと明かした翌日からは、みずきさん改め葵は髪を結んでくることはなくなっていた。昔の葵の面影があるが、異性として成長したかつての妹に、今では少し意識してしまう。
「これから月ちゃんのお見舞い行くから一緒に着いてきてよ」
「いや、僕はいいよ」
「着いてくるだけでいいからさ」
「僕、実はこの間水無瀬さんを外に連れ回しちゃったから、今は会うの禁止にされてるんだ」
「それは病院から?」
「うん、そう」
「そんなの私がどうとでもしてあげるから、とりあえず行こ?」
「めちゃくちゃ言わないでよ。僕は行かないから」
「もう、頑固だなあ。じゃあ今日、家に泊まりに行くから、そのとき何があったのか聞かせてね」
「ちょっと、勝手に決めないで」
「今度行くって言っておいたじゃん。今日行くから待っててね」
「はあ……」
僕は葵に何を話せばいいのだろう。水無瀬さんのことは葵も知りたいはずだ。でも、不用意に話していいような内容ではない。さて、どうしたものか。
学校から帰宅後、四年ぶりに葵がこの家に帰ってくるということで、僕は葵を迎え入れる為に夕食の準備をしていた。
献立は、小学校の頃に葵が好物だったものばかりだ。親子丼に、豚汁、胡瓜の浅漬け、などなど。葵は基本的に和食を好んでいた。
後は親子丼を作れば料理終了というところでインターホンが鳴った。
玄関まで行き家の鍵を開ける。すると、僕が扉を開ける間もなく葵は勝手に家に上がってきた。
「四年ぶりにただいま!」
制服姿のままの葵は多めの荷物を持って、リビングに駆けていった。
「おお、いい匂い!もしかして豚汁?」
「そうだよ。あと今から親子丼も作るから。葵好きだったよね?」
「うん!大好き!」
「じゃあちょっと待ってて。家の中散策してもいいけど、散らかさないでよ」
「わかってるってー」
この返事をされて本当に分かっていた人を僕は未だかつて見たことがない。これは後で片付けをしなければなさそうだ。
数分後、料理が出来上がったので、僕と葵は食卓に着いた。
「なんか、こうやって料理を間に挟んで向かい合うのって久し振りだね」
「そうだね。懐かしいな」
小学生の頃も、両親が忙しい時は僕がこうして食事を用意する機会も多々あった。そんな時のことを思い出したのだろう。
「でも食卓の位置が小さくなった気がするよ」
「成長した証拠だね」
「うん。今なら兄弟というよりも夫婦に見えるのかな?」
「な、何言ってるんだよ」
「でも、いとこ同士は結婚できるんだよー?」
「知ってるけど、さすがにないでしょ」
「ひどいこと言うなー。私は思ってるよ?結婚したいって」
やっぱり葵は凄いなと思った。自分の気持ちを素直に言えて。僕の羞恥心を考慮しないのはどうかと思うが。
「まあそんな本音は置いといて」
「本音なんだね……」
「んで、お兄ちゃん何があったの?食べながら聞くよ」
「ん?ああ、うん」
僕と葵は同時にいただきますを言った。
葵は何度も美味しいやら、最高やら、お兄ちゃん料理の腕上げたね、などと言ってきて結局話をする雰囲気じゃなかった為、僕も食を進めた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「いやー、お兄ちゃん一人暮らししている間にこんなにも料理が上手くなってたなんて。月ちゃんも喜ぶわけだ」
葵はコップに注がれたお茶を一気に飲み干すと、すぐに話を切り出した。
「それで?月ちゃんと何かあったの?」
「別に、何もないよ」
「何もないわけないでしょ。私が何年お兄ちゃんのこと見てきたと思ってるの?私はお兄ちゃんより、お兄ちゃんのこと知ってるよ」
これはもう折れるしかないみたいだった。
僕は水無瀬さんのことを、過去の話のことを省いて軽く説明した。信憑性も現実味もない話になってしまったけれど、葵は終始真剣に聞いてくれた。
「なるほどね。月ちゃんが言ってたこともある意味正しかったんだ」
「水無瀬さんが言っていたこと?」
「うん、月ちゃんは私に、今の病気もう治らないみたいって教えてくれたの」
それは水無瀬さんが高台で言っていたことでもあった。確かに治らない病気と言えば間違えではない。
「その病気の原因が、呪いみたいなもののせいで、幸せになればなるほど、病状が悪化していくってことでいいんだよね?」
「うん」
「そっかー」
「こんな話信じてくれるの?」
「お兄ちゃんじゃなかったら信じなかったと思うけど、お兄ちゃん嘘はついてないんだもん。だから信じるよ」
本当に凄い妹だ。
「それで、お兄ちゃんはどうするの?」
「え?」
「お兄ちゃんはどうしたいのかを聞いてるの」
「僕は……水無瀬さんに消えてほしくない」
「でも、それって月ちゃんの幸せを奪ってるのと同じことなんだよ?」
「…………でも、僕は」
水無瀬さんは幸せになると消えてしまう。だからといって、このままだと声も出せずに病院生活をずっと送っていかないといけない。
それに、水無瀬さんは幸せになりたいと願ったのだ。僕でなくとも水無瀬さんを幸せにする人が今後現れるかもしれない。そうなれば結局水無瀬さんは消えてしまう。
僕はどうすれば……
「ちなみに私が月ちゃんの立場だとして言わせてもらうとね、私は幸せになれない長命より最高に幸せと感じられる短命の方を選ぶ。幸せになれない人生なんて、生きていても楽しくないじゃん。もし、この先私に幸せなことがないのだとしたら、私はお兄ちゃんと一緒にいられる間に、死にたいと思うな。また離れ離れになる運命が待っていて、私がその運命に屈しちゃうなら、私は今ここで死ぬことを選ぶよ」
「そっか……」
僕は葵との出会い方が違ったら心底惚れていたのではないかと本気で思った。
僕も幸せの無い人生になんてなったら、早く幕を下ろしてしまいたいと思うだろう。幸せなまま眠ることができるのならそれ以上に幸せなことはないのかもしれない。
「それで、もう一度聞くけど、お兄ちゃんはどうしたいの?」
「僕は、水無瀬さんを大切にしたい」
そうだ。幸せのまま眠りにつけたら、幸せな夢を見られるかもしれない。幸せのまま眠りにつけたら、次に目が覚めた時もきっと幸せに違いない。
僕は、また自分のせいで大切な人がいなくなってしまうことを何よりも恐れていたんだ。だから水無瀬さんと離れた。そんなことは僕の自分勝手な考えだ。本当にすべきことは、水無瀬さんが望むことではないだろうか?
「よく言った。ご褒美に私が今日は一緒に寝てあげる」
本当に格好のついた妹だと思った。
「葵が一緒に寝たいだけでしょ」
「えへへ」
「まあ今日は特別。布団を並べて敷いて、僕の方に侵入してこないならいいよ」
「えっ⁉いいの⁉」
僕がしたいこと、するべきことは分かった。後は行動にするだけだ。
水無瀬さんに会いに行って、まずは謝ろう。僕はそう決めた。
翌日、朝目を覚ましたら、僕の隣には葵が丸くなって眠っていた。




