第十七話 月の真実
僕は帰宅後、ずっと水無瀬さんのことを考えていた。
葵のことは敢えて考えないようにしている。頭がパンクしそうだから。
とりあえず自分が知っている水無瀬さんの病気に関することをノートに箇条書きした。
・色を失った。
・夏休みの補習中に倒れた。
・それからは度々倒れることがあった
・昨日意識を失った。
思い当たることはこの四つだった。
「うーん……」
唸るしかなかった。僕はただひたすらその四行を見つめ続けた。
僕はそれらの出来事があった日にちを書き足してみた。
・色を失った。(だいたい一年前)
・夏休みの補習中に倒れた。(七月三十一日)
・それからは度々倒れることがあった。(夏休み中)
・昨日意識を失った。(八月三十一日)
心苦しかったが水無瀬さんに色を失ったのはいつかを聞いた。
するとすぐに返信が来た。
《確か冬頃でした。クリスマスとかお正月とかだった気がします》
普通に返信が着て少し安心した。
去年ではあるけど、まだ一年も経っていないらしい。冬頃にそんなことがあったのならば、確かに高校入学に間に合うはずがない。
ありがとうとだけ返信して僕は画面を閉じる。
・色を失った(去年の十二月終わり)
と書き換えた。
そしてそれを見て早くも気づくことがあった。
それは水無瀬さんの生活が大きく変わった分水嶺はすべてその月の終わりであること。であるならもう文書き足す必要があった。
・高校に初登校(七月一日)
「いや、違うな」
・高校に初登校(六月三十日)
僕と初めて出会った日が彼女の初登校だと言える。
偶然である確率は高いかもしれないが、ここ三ヶ月、月の最後の日に何かが必ず起きている。もしかしたら今月の最終日にもなにか……
現実的な考え方でないことは分かっている。でも医者すら何もできない病気なのに、普段は今まで通り元気なのだ。ならばそういった非現実的な推測もしてしまう。
「……ん?」
非現実的なという言葉に僕は引っかかった。
あのカフェ。魔法みたいなことができるあの場所だ。水無瀬さんが何かを願い何かを代償としていたら、医者でも治療できない呪いみたいなものをかけられるのではないか?
そして水無瀬さんの過去を教えてもらった時に、彼女は言っていた。
変わり果てた家庭が嫌になって、昔みたいな家族に戻りたくて、そうしてしまったのが自分の絵であるから、絵なんか描けなくなればいいと願ったのだと。
そして、水無瀬さんは、
――私の願いを叶えるかのようなタイミングで、私は色を失いました。
とも言っていた。
もしもそれがあのカフェが原因だとすれば。僕としては納得がいく。そして、水無瀬さんの呪いを解くことができるかもしれない。
そう思い立つと、僕はそのまま家を飛び出した。
電車はもう走っていない時間だ。僕は大金を捨てる覚悟でタクシーを呼んだ。
水無瀬さんを一分でも一秒でも早く助ける為に。
僕は明日も学校があるというのに真夜中にカフェを目指していた。もう二度と訪れることはないだろうと思っていた魔女の家のような外観のカフェ。そのために、僕は単身で人気のない住宅街もとい迷路に飛び込んだ。
僕は何も考えずに道を彷徨った。すると、一つ住宅地から外れるようにある一本道を見つけた。その道を進むと開けた場所に出た。ベンチや申し訳程度に置かれた遊具。見覚えのある公園だった。
やはり、このカフェは願う者の前に現れる。
僕は草木で覆い尽くされたカフェの扉を開けた。
「いらっしゃいませ。こんな夜更けにお客様とは珍しいものです」
改めて見ると、この店のマスターである男は道化じみた不気味さを感じる。
「聞きたいことがありまして」
「道に迷われたのですか?最近はこのカフェに迷い込む人が多くて少し心配してしまいます」
この男の言う道に迷うとは、『人生という一本の道から外れてしまうこと』を言うのだろう。二度目の対面となると、言葉の真意を理解できる気がした。
「いえ、僕は自分からここに来たんです」
「自分から、ですか。偶然見つけたからではなく?」
「はい。僕はマスターにお願いがあってきました」
「……なぜこの場所を知っている?」
マスターの雰囲気が瞬時に剣呑なものへと変わった。
「それは僕が以前この店に訪れているからですよ」
「……そうですか。ではお客様は何をお望みで?」
しかし、その雰囲気も一瞬で、元のマスターに戻った。
「僕は一人の女の子について知りたいんです」
「その方のことを知りたい。それがお客様のお願いだと?」
「はい。その子の名前は水無瀬月。一年程前にその子はこの店である願い事をして、何かを代償としたはず。僕はその内容を知りたいんです」
確信はなかった。けれど、本当にあっかのように鎌をかけた。そうすることで実際に水無瀬さんがこの店を利用したことがあった場合、このマスターにはぐらかされないようにする為だ。
「そうですか。お客様が保志さんでしたか。わかりました。話しましょう。月が何を望んだのか」
なぜか月と呼び捨てだった。どうやら水無瀬さんのことを知っているようで、僕の考えも的を射ていたようだ。
「月が望んだことは単なる幸せ。『月は幸せになりたい』とだけ願ったのです。そして代償としたのは自分自身」
マスターは慈しむように言った。
「その願いには困らされたものです。幸せにはできる。でも自分を失っては幸せになる意味がない。そう思った私は月の感じる幸せに比例して月の存在が消えていくようにしました」
「存在が消える?」
「はい。この世から存在が消えます。誰の記憶にも残らず、月が最初からいなかった世界となるのです。月としても最高の幸せを感じた時に消えることができることは本望でしょう」
でも、それでも、やっと幸せになれたのに消えてしまうなんて残酷すぎる。僕はそう思わずにはいられなかった。
「私は代償の前払いとして彼女を形成する上で大きな意味を持つ『色』を奪いました。月の人生を狂わした要因の一つです。そして、色を失うことは幸せを掴むためのきっかけになるだろうとも考えました」
このマスターは月のことをどこまで知っているのだろう。月とどういう関係なのか。
「そして、月は最初の幸せを見つけました。色を失って、それでも彼女の瞳は色を見た。そう、あなたの絵のことですよ、保志さん」
「え、僕……?」
「月はあなたと出会って、見える世界が変わった。幸せを感じたのです。一緒にいるようになって幸せという言葉の意味を理解した、と言えば分りやすいでしょうか」
水無瀬さんは確かに出会った頃とは変わった。笑うようになった。
「でも、ということは……」
「ええ。保志さんと出会ったことで月は幸せを知った。保志さんと一緒にいることで更に幸せになっていっています。でもそれは同時に、保志さんと一緒にいることで消える未来が近づいているこでもあります。月があなたと出会ってから丁度一ヶ月が経った日、彼女は倒れた」
水無瀬さんは、僕がいれば最悪にはなりません。と言った。でも、消えてしまうなんて、それこそ最悪の未来だ。僕の隣に水無瀬さんがいる。そんな未来を望むことはできないのか……?
「…………僕が水無瀬さんと会わなくなれば、彼女は回復しますか?」
「それは望めません。それは幸せになったことで起きた代償。一度感じた幸せを無かったことにはできませんよ」
「じゃあ、何か彼女を救う方法はないんですか⁉」
「今の状況から回復する方法は、月が自分の意志でここに回復したいと願うこと以外ありません」
「ならどうにかして……!」
「でも、その願いの代償は今まで感じた幸せになります。きっと月はあなたと過ごした幸せな日々を代償になんてしない……。だから、保志さんは、月を幸せにしてあげるべきなのです。彼女もそれを望んでいる」
「あなた自分が何を言っているかわかってるんですか⁉」
「わかっていますよ。私の仕事は月が幸せになるサポートをすることですから。保志さんと月を美術室に閉じ込めた件は私の仕業ですし、そのような地道なサポートをずっと行っていたのですから」
僕と水無瀬さんがこうしてわかり合えていることは、重なる偶然などではなく、仕組まれた必然だったと、そういうことなのか。
もしかしたら、僕が水無瀬さんと出会った日、僕の手持ちから、使おうとしていた鉛筆が消えていたことや、美術の授業のとき葵の使っていた絵の具の色が不足していたことなど、そういった些細でも、なくてはならない出来事というものは、目の前にいる男に仕組まれていたことなのかもしれない。
「では、僕が水無瀬さんと関わらなくなれば、状況はこれ以上悪くはならないということですよね?」
「一応はその通りです。ですが、それは彼女が望むことではありません」
でも、消えてしまうよりはきっと良い。例え病院生活が続いても、僕と会えなくなっても、彼女が生き続けてくれるならそれで……
「…………色々と教えていただきありがとうございました。僕はこれで失礼します」
僕は現実から目を背けるように、カフェから逃げ出した。
「ちなみに僕はただの月の友人ですからね」
僕の背後からそんな声が聞こえた。
「月とあなたが出会ったことも、偶然ではなく、必然だった。ということです」
一人小奇麗な店内に残された男はそう呟いた。
「後は全部保志さん次第ですよ。あなたが初めてここに訪れて願いを叶えた時から既に運命は回り始めていたのですから」




