第十五話 彼女の容体
繰り返される爆裂音。その一つ一つが心臓にまで響き、僕の不安が一つまた一つと募っていくようだ。あれ程心待ちにしていた花火の音が、今ではとても不愉快に感じられた。
僕はあの後、向井先生から指定された病院へと向かった。水無瀬さんは先生の対処により、すぐに病院へ搬送されていた。
医者の話によると、おそらく疲れが溜まった為とのことだったが、曖昧な口調から察するに理由は明確ではないのだろう。数日間の検査入院らしい。
僕と向井先生は病院の待合室で水無瀬さんが目を覚ますのを待っていた。
「ほら、保志くん」
向井先生は自動販売機で買った緑茶を僕に手渡した。
「ありがとうございます」
こういうときに落ち着いていられる先生は大人の風格を感じさせる。僕が一人だったら今以上に取り乱していたことだろう。
それに比べて僕は頭を抱え、自身の殻に閉じこもろうとした。水無瀬さんが倒れたと連絡が来たとき、僕は数年前に家族がバラバラになった時のことを思い出した。また一人になってしまうと、僕と一緒にいたせいでまた不幸にしてしまったと。自分のことで一杯一杯だった。
「大丈夫だよ、保志くん。水無瀬さんならきっと目を覚ます」
「はい……」
向井先生もわからないことだらけなはずだ。水無瀬さんが病院に通っていたから学校に二ヶ月半来られなかったことは知っているみたいだったが、病院に水無瀬さんの身内の人がいないことには戸惑っていたからだ。なのに、僕には何も聞かずに、それどころか僕の心配までしてくれる。
自分の人間としての小ささを呪った。
僕は無力な自分に苛立ち、勢いで先生から貰った緑茶を一気に飲み干した。しかし、いくら冷えた飲み物を飲んだところで、僕の不安が流されることも、冷静になれることもなかった。
一時間後、水無瀬さんが目を覚ましたという連絡が入った。
「保志くんは水無瀬さんに会いに行ってあげて。私は病院の先生にお話聞いてくるから」
「わかりました」
僕は人気を感じない病院内を移動して、水無瀬さんがいるという『303号室』へと向かった。無機質な病室の扉がなぜか威圧的に感じられた。僕は冷静を装い扉をノックした。
「はい、どうぞ」
返事があったのでドアを開け病室に入る。
「あ、保志さん」
「…………」
「花火大会に誘ったのは私なのに、行けなくてごめんなさい」
「…………」
「私、学校で倒れちゃったみたいですね。ずっと元気だったのになんででしょう?楽しみにしていたことがある時に限って。私いっつもこうです」
「…………」
病室には終わりが近づきつつある花火の弾けるような音が微かに響く。窓には薄っすらと夏の夜空を飾る花が映っていた。
「何か言ってくださいよ。私だけが喋ってるんじゃつまらないですよ。ほらこの病室からでもちょっとは花火見えますから一緒に見ましょう」
窓に反射して映った花火を、本物の花火と見間違えていることが僕の胸をいっそう締め付けた。
「…………ごめん」
「何を謝ってるんですか?保志さんが謝ることは何もありません。謝るのは私の側なんですから。勝手に私が倒れた理由を自分の責任にしないでくださいよ」
水無瀬さんには僕が謝る理由が伝わっていたみたいだった。僕と一緒にいることが増えたせいで倒れたのではないかと。僕と一緒にいることで不幸を呼んだと思っている僕の思考を見透かしたのだ。
「もっと近くに来てください。この前みたいに私の手を握ってくれませんか?」
「ああ」
僕は水無瀬さんが横たわっているベッドの傍にある椅子に腰を下ろした。
僕の方へ手を出す水無瀬さんは微笑んでいた。僕はそんな彼女の手を強く握りしめた。
「こうやって手を繋いでいてもらえることが堪らなく嬉しいんです」
「うん」
「前世の私も独りぼっちで、手を握ってもらえなかったんですかね?だからこんなにも嬉しいのでしょうか。そう考えると、今の私がとても幸せに思えるんです」
そんなのはささやかすぎる幸せだった。辛さと幸せがつり合っていない。つくづくこの世界は理不尽だと、僕は愚痴を溢すしかなかった
「水無瀬さんはもっと幸せになるべきだと思うよ」
「そうですか?今とっても幸せですよ?」
それは幸せを知らなさすぎるからだ。僕も幸福と呼べるような人生を送ってきたわけではないけれど、それを踏まえても水無瀬さんの幸せは余りにも小さすぎるように思えた。
「じゃあ私を独りにしないでくださいね」
「うん、約束する」
病院の外では花火がラストスパートを迎えているようだった。
それからは他愛もない話をひたすらした。不安を振り払うように水無瀬さんと会話した。途中向井先生も病室に来て三人で話していたが、疲れていたのか水無瀬さんが眠ったので僕らは帰ることにした。
「水無瀬さん、どんな状態なんですか?」
「病院でもわからないらしい」
「一人部屋の病室を使っていたから悪い状態なんじゃないかと……」
僕の母さんがそうだったから、病状が悪化して一人部屋に移されたから、そう思ってしまった。
「検査してみないとわからないみたい。でも元気そうで良かったね」
「それは、はい。良かったです」
僕の心配が杞憂なのではないかと疑うくらいに水無瀬さんは元気だったのだ。
「保志くん送るよ。車乗る?」
「あ、お願いします」
僕は向井先生の車で最寄りの駅まで送ってもらった。
病院から駅までは徒歩でも行ける距離にあり、送ってもらう必要もなかったくらいだった。先生から連絡をもらい急いで病院へ行った時は、動転しすぎていて、道を覚えていなかった。
「家まで送ってあげるのに」
「さすがに先生にそこまでしてもらうのは頭が上がりません」
「まあそういう遠慮がちなところは保志くんの美点ではあるけど、欠点でもあるよ」
「よくわかりません」
「いざという時は遠慮なんかするな、ということだよ」
「はあ、そうですか」
本当によくわからなかった。
「それはそうと、今日病院の近くで蒼井達にあったよ」
「ああ、みずきさん花火大会行くって言ってましたし」
「でも蒼井、浴衣失くしたとか言って、浴衣姿の友達に囲まれて浮いていたよ。やっぱり蒼井は抜けているところがある」
「えっ」
「じゃあね保志くん、明日も補習ちゃんと来るんだよ」
向井先生はそう言い残し、車に乗って夜の街に紛れていった。
みずきさん、無理して貸してくれたのだろうか……。
「あ、浴衣!」
僕は浴衣を病室に置いてきたことに今更になって気づいた。
《病室に浴衣が入った紙袋あるんだけど、それ僕の忘れものだから預かっておいてくれないかな?明日取りに行くから》
水無瀬さんにメッセージを送っておいた。
みずきさんにもいつかちゃんとお礼をしないといけない。
後日、検査入院と言っていたものは本格的な入院になってしまっていた。
結局水無瀬さんは、あの日以降夏休みの補習に来ることはなかった。




