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第十三話 真夜中のカフェ

 綺麗に剪定された街路樹と、人を迷わす為に立ち並ぶ家々がいくら歩いても続く。まるで、ずっと同じ道を歩いているようだった。


「次は、レンガ色の西洋風の一軒家が見えたら、この奥の曲がり角を右、ね」


 僕は水無瀬さんと連絡を取り合いながら、道を教えてもらっていた。

 携帯電話本来の用途を、水無瀬さんと連絡をすることで果たせたことが嬉しくて、スキップじみた足取りで帰路を進んだ。

 街路樹など様々な場所に装飾が施されているのは僕のことを祝福しているかのようだった。


「そういえば、結構派手な装飾だけど、何か理由はあるのかな」


 水無瀬さんに聞いてみた。


《この辺、装飾凄いけど何かあるの?》

《毎年七月の終りに花火大会が催されるんです。だからその為の物なんだと思いますよ》

《へえ、花火大会なんてあるんだ》


 僕が一人暮らしになってからは一度も参加していないイベントだ。


《まあ、今の私には花火の色は見えませんし、音が大きいだけなので正直苦手なんです》

《それは仕方ないことだね》


 そこから数分返信が途絶えた。

 僕は教えてもらった通りにレンガ色の家の曲がり角を右に曲がった。それからはゆっくり前進した。

 数分後、連続して携帯電話が振動した。


《私と一緒に花火大会行ってくれませんか?》

《返信遅れてすみません、なんて誘おうか考えてしまって》


 思いもよらぬ、お誘いの言葉だった。


《え、でも花火は苦手なんじゃ?》

《そうなんですけど、憧れてもいるんです。そういう幸せそうなイベントに》


 きっと、絵を描くことを強いられた水無瀬さんはそういった行事に訪れたことがないのだろう。


《大丈夫なの?》

《保志さんがいればきっと大丈夫です。それに私に色を見せてくれるんですよね?》

《うん、僕が水無瀬さんに色を見せるよ》

《それなら何も問題ないです》

《じゃあ一緒に行こうか》

《ほんとですか?行ってくれるんですか?》


 花火の絵文字も一緒に送られてきた。


《うん、もちろん》

《嬉しいです。今からとっても楽しみです》


 それから、細かいことも決めた。

 花火大会は七月の最終日。その前後の日にも祭りはあるらしかったが、やはり花火が上がる日にした。

 その日は学校で補習があるので、お互いの補習が終わり次第学校の昇降口で待ち合わせる約束をした。

 僕は脳内で準備する物を想像する。後日上がった花火の色を見せるには僕が絵を描く必要があるから、手本にする本物の花火を撮影する為のカメラ、それから……

 様々な想像が膨らんで楽しかった。

 しかし、僕は気づけば勝手に歩を進めていて、知らない道に出ていたのだった。


《水無瀬さん、いつの間にか道に迷ったみたい》


 案の定、道に迷った。


《あ、道案内を忘れていました。すみません。周りに何がありますか?》


 周りと言っても同じような家が並んでいるだけだ。


「おっ」


 辺りを見回しながら歩いていると、少し開けた場所に出た。

 今までの道と隔離されているようで、申し訳程度に遊具やベンチが置かれた公園のようだった。公園と隣接するようにひっそり立つログハウス風の建物があるが好き放題に草が生い茂り、それは辺境の森のその深くにある魔女の家を彷彿させた。

 その建物はカフェだった。終日開店している年中無休のカフェだそうで、珍しく思えた。


《カフェがあるよ。魔女の家みたいな》

《カフェ?魔女の家?そんな建物に覚えはないですよ》


 いつも使う道から外れてしまうと、方向音痴である水無瀬さんの知る範囲外なのかもしれない。


《お店の人に聞いてみるよ》


 僕は古びた木製のドアを開けた。


「いらっしゃいませ」

「あ、あの、道をお訊ねしたいのですが」


 店の中は外見からは想像もつかない程に清潔感が保たれていた。イメージではカフェとバーの間のような。さしずめ大人のカフェといったことろだろうか。客は僕以外には誰もいない。

 ただ、店内に飾られた一枚の絵が印象的だった。その絵には平凡な街並みを背景に一人の少女が描かれていた。


「道に迷ってこのカフェに?」

「はい、そんなことろです」

「それはそれは、お疲れになられたでしょう。コーヒーでもご馳走しますよ」


 とても親切なマスターだった。店には店員が目の前にいる男のみなので、きっとマスターなのだろう。しかし、その親切心では隠せていない胡散臭さがあった。容姿と声からでは年齢すら予測できなかった。二十代と言われればそうなんだと頷けるし、四十代と言われてもそれもまた信じられた。顔も特徴が全くと言っていいほどなかった。


「あ、ありがとうございます」


コーヒーとはまず香りを楽しむものだと、以前どこかで聞いたことがある。僕はそれを真似て、鼻にカップを近づけ匂いを確かめるが、コーヒー独特の落ち着いた芳香がするだけで、このコーヒーの良し悪しはわからなかった。


「どうですか、うちの自慢のコーヒーは」

「いいですね。控えめでいて仄かに感じる酸っぱさというのが、何とも癖になります」


 とか言ってみた。

 自慢の、とか言われてしまうとわからないというわけにはいかない気がして、どこかで聞いたようなセリフを借りてそれとなく褒めてみるしかなかった。


「それは良かった。お客様はよく分かっておられる」

「いえ、僕はまだ子供舌なのでコーヒーを楽しめるほど一人前ではありませんよ」


 事実を言っただけなのに、どこか謙遜したようになってしまった。僕はコーヒーが苦手なのだ。というか、苦いものが全般的に得意ではなかった。


「では、将来が楽しみでございますね」


 愉快そうにマスターは笑った。その笑顔も、慇懃無礼と言われてもおかしくはなさそうな口調も、このカフェの雰囲気も、全てが胡散臭く思えてならなかった。


「あ、あの、道をお聞きしても……」


 直感的に長居したくないと思い、マスターに声をかけたとき、僕の前に置かれたカフェのメニュー表に不可解な現象が起きた。それは目を疑う光景だった。


「お客様の目にも見えましたか?」


 コーヒーから始まりケーキ等のカフェらしさを感じさせるメニュー表に書かれた文字が徐々に薄れていったのだ。そして文字が完全に消えたと思うと、次には新たな文字が浮かび上がってきた。『コーヒー……三百円』と書かれていた欄は『願望……代償に応じて』という文字に変わり、メニューはその一文のみになってしまった。


 ――願望……代償に応じて。


 それが今このカフェにある唯一のメニューだった。


「マスター、これって」

「何を御所望で?」

「え?」

「ここは果たされなかった願いや、大きな願望を持つ人、ないしは生きている意味を見失った人、要は道に迷った人が訪れる店なのです」

「意味がわからないんですけど」

「簡単に言ってしまうと、ここでは代償と引き換えに人の願いを叶えているのです。億万長者になりたい。素敵な恋人が欲しい。などの願いを代償に応じて一番近い形で実現しているのです」

「そ、そんなこと……」


 できるはずがない。しかし理解はできなくとも、目の前の男の言葉に嘘は感じられなかった。きっと僕がこの店に入ってからずっと感じていた胡散臭さというのは、これが原因だ。もしかしたら本当に魔女の家なのかもしれない。


「さあ、お客様は何をお望みで?」

「僕に願いなんて……」

「言いましたよね。ここは願いを持った人か、生きる意味を見失った人が来る場所なのだと。普通の人ではこの店に辿り着くことすら不可能です。しかもお客様はメニュー表を見られた。それは何か願いを持つことを意味します。突き詰めれば生きる意味を見失った人も、何かを望むから途方に暮れ、それでも生き続ける。でなければ、自ら命を落とすものだと思うのです」


 僕は水無瀬さんの両親のことを思い出した。マスターの言った通り、望みを失ったから一人娘を残し自ら命を絶った。あるいは娘である水無瀬さんに希望という呪縛を残して。


「僕の願い……」


 ずっと思い続けていることは、幸せな時間を取り戻したいということ。しかし、その幸せが崩れた時の苦しみを知っている分、素直にその幸せを願えるのだろうか。


「何でも仰ってください。代償次第では叶う願いかも知れませんよ?」


 この店が非現実的な場所なのだということはわかった。願いを叶えることができるということもにわかには信じ難いが、それも信じよう。しかし、どうしてそのような場所、一歩間違えれば大変なことになりかねないような場所が、こうも野放しにカフェ経営なんてできているのだろうか。


「願いはあります。でもその前に聞いてもいいですか?」

「どうぞ。なんでも聞いてください」

「疑問に思ったんですけど、どんな願いでも叶うなんて凄く危険なことじゃないですか?そんなこと国家とかそういうレベルの話で、こんな危険な場所容認されるわけないと思うんですけど」


 自分で言っていて少し恥ずかしい思いだった。若気の至りであるところの厨二病を正常なまま真似ているようだった。国家レベルなんて、口に出すんじゃなかった。


「ああ。それはそうですね。もちろん誰も知りませんよ」

「なら僕にそんな秘密話してよかったんですか?」

「大丈夫ですよ。この店を出て公園を抜ければ、このカフェのことなんて忘れてしまいますから」

「えっ、忘れる?」

「この店に来た人にはまずコーヒーを飲んでもらっています。苦手という方でしたらジュースもお出ししています」

「ああ、なるほど。お店の物を口にしたら忘れるようになってると」

「そのとおりでございます」


 二次創作物にはよくある話だった。


「そして僕も入店時にコーヒーを飲んでいるから話しても問題ないということですね」

「ご理解いただけたようで何よりです。それに付け加えると、この店の物を口にした人にしかこのメニューは見えません」


 とのことだそうだ。しかし僕はコーヒーを実際には飲んでいない。匂いを確かめたくらいだ。コーヒーの香りだけでもそういう効果があるのだろうか?

 それは店を出てみるまではわからなそうだった。

 ここで色々と探りを入れると、僕がコーヒーを飲んでいないことに気づいてしまうかもしれない。だから慎重に言葉を選ぶ。幸いにも、僕にメニューが見えていることで何も疑っていないみたいだから。


「願いならなんでも叶うんですか?」

「基本的には。ただし、その願いで最も影響を受ける人が自分でなくてはならないという制限があります」

「というと、どういうことですか?」

「例えを挙げるなら、そうですね、極端な話だと他人を殺してほしいとか、他人を生き返らせてほしいという願いは叶えられません。その人を殺して、またはその人を生き返らせたとして、それで願った本人にどれだけ利益があっても、最も影響を受けた人というのは殺された、あるいは生き返った本人なのですから。逆に言うと、自分を殺してほしいとか、自分を生き返らせてほしいという願いならば、叶えることが可能です」

「生き返ることもできるんですか」

「はい。尤も、死人が何かを願うなんてことはないでしょうが。この場合の有効な願いといえば、死期が迫っている人が『私が死んだら、生き返らせてほしい』と願うことでしょうか」


 人が生き返るなんてことがあれば世界の摂理が崩れかねない。


「ちなみに、先程から言っている代償ですが、なにを代償にするんですか?」

「願いに匹敵するものですね。たった今言った『私を生き返らせてほしい』という願いを叶える為には、自分か自分と同等以上の価値を備えた人間の命でなければなりません」


 怖気の立つ話だった。ここは願いだけではなく、命も扱っている場所なのだ。

 僕は怖くて今にもこの店から出て行きたかった。


「終電もなくなってしまいそうですし、帰ろうかと思います」

「おや、何も願わずに、話を聞いただけでご帰宅ですか?」


怪訝そうに見据えられた。なんでも見透かしてくるかのような目つきだった。この店も、このマスターも、底知れない何かがあった。


「そうですね。終電を逃してしまうのは大変です。ご来店ありがとうございました」

「は、はい。失礼します」


 僕は扉を開け、外に出た。

 助かった。ついつい溜息をつく。なぜか気持も空気を張り詰めていた気がした。


「怖かった……」


 それが正直な気持ちだった。

 道を聞き忘れていたことを思い出し、さっきの時間の意味はなんだったのだと自身を呪ったが、もう一度あのカフェを訪れる勇気はなく、ならば朝までかかってでも自力で迷路を突破しようと思った。

 公園を抜けるとズボンの左ポケットが小刻みに震えた。


《保志さんが知らない人に話しかけるんですか?意外です》

《保志さん大丈夫ですか?》


 水無瀬さんからのメッセージが二件送られてきた。時間を見ると二十分前と五分前に受信したものだった。二十分前に送られてきたはずのメッセージが今届いたのだ。そのことが不気味で、カフェがあった方へ振り返ると、そこには何の変哲もない家が立ち並んでいた。


 ……本当に魔女の家だったのかもしれない。男しかいなかったようだけど。水無瀬さんからのメッセージが受信できなかったこともあの秘密だらけのカフェの仕業と思えば得心がいった。


《返信遅れてごめんね。大丈夫そうだよ》


 視界の端に彩陽高校を捉えた。どうやら無事帰宅できそうだ。

 ……そういえば、公園を抜けても僕は先程のカフェでの事を鮮明に記憶していた。


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