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第十一話 思いもよらぬ状況

 ……僕は今、想像もしていなかったある種ピンチとも呼べる状況に立たされていた。

 僕の前には数少ない食材が並べられた広々としたキッチン。微かに聞こえるのはシャワーの音。場所はクラスメイトが一人暮らしをしている家。

 未だかつて無い危機だった。

 シミ一つない真っ白な天井を仰ぐ。


「……どうしよう」


 こんな状況になってしまった原因とは、みずきさんに「人のこと言えないじゃん」と言われてしまいそうな程の、僕のお節介精神からだった。




 先生に言われたからではないけれど、先生に言われたとおり、僕は水無瀬さんを自宅まで送った。

 方向音痴の水無瀬さんのことだから、学校から自宅までの道のりは余程近いのか、それとも余程わかりやすい一本道みたいなものだろうと思っていたが、全くの見当違いだった。

 それは、アシュコム迷路よろしく、人が迷う為に設計されたかのような配置の住宅街だった。その迷路を抜けた先に水無瀬さんの自宅はあった。

 と言っても水無瀬さんが一人で暮らしている家らしいのだが……。


「大きすぎるっ⁉」


 僕がしていた想像の何十倍もの大きさの家、というより豪邸だった。

 建物の外見は新築の一軒家をそのまま大きくした感じだ。


「ですよね……」

「ここに一人で暮らしているの?」

「はい」


 二階建てみたいなのだが、同じ二階建ての僕の家とは比べ物にならないくらいに大きかった。

 僕の家でさえ、一人で住むには大きすぎるというのに、水無瀬さんの家は一家族で住むのにも余りある大きさだった。


「とりあえず上がってください」

「え、いや、僕はもう帰るよ」

「あ……そうですよね。もう遅いですし、すみません。送っていただきありがとうございました」


 僕は何もしていないはずなのに、水無瀬さんの寂しそうにも見える薄い表情のせいで途轍もない罪悪感に襲われた。


「あ、あー、そうだな、歩き疲れたし少しだけお邪魔しようかなあ」


 学校から水無瀬さんの家までは徒歩で二十分もかからずに着く距離にあった為、特に疲れたわけでもなかったが、このまま帰れるほど僕のメンタルは強くなかった。


「はい。それがいいです。そうした方がいい思います」


 僕の言葉に水無瀬さんは満足そうに微笑んだ。


「さあ、どうぞ。入ってください」

「お、お邪魔します」


 水無瀬さんが家の扉を開けると、まず目に入ったのは仄かな光を灯す玄関の左右に備え付けられた行燈だった。


「行燈とか、初めて本物を見たな」


 和の代名詞とも言えそうな日本の旅館を思わせる玄関に感動しつつも、僕は水無瀬さんの後を追うようにしてついて行く。水無瀬さんが通る廊下には次々と証明が点いていった。それはオート式の照明なのだろうが、その照明が僕の目には、自分の意思を持って帰宅した主人を迎え入れる為に光を放っているように見えた。

 シャンデリアの飾られた部屋や、襖の畳部屋があったが、水無瀬さん曰くそれらは客間らしかった。僕を通すのは客間ではなく、リビングらしい。


 そして、幾つかの部屋を通り過ぎてリビングに入った。

 リビングは案外普通なもので(広さは普通じゃないけれど)、白色で統一された家具が小奇麗に並べられていただけだった。

 水無瀬さんの家にいると、日本の旅館や、西洋の豪邸、一般的な家、そういった様々な部屋のカタログを見ている気分になった。

 生活感が皆無なのだ。


「保志さん、お腹減りませんか?」

「少し減っているかな」


 もう既に、一本映画でも見れば日付が越えてしまいそうな時間なのだ。空腹も無理はない。


「と言っても、家には何もないので何か食べに行きません?」

「え、何もないの?」

「恥ずかしながら、ないですね」

「ちょっと見てもいい?」

「あ、はい」


 僕は許可を得て、冷蔵庫、冷凍庫と開けてみる。

 そこには目を疑う光景が待っていた。

 冷蔵庫には少量の野菜と缶詰、そして大量のゼリー飲料。冷凍庫は冷凍食品のオンパレードだった。何もないことはないのだが、見逃せない食事情がそこにはあった。

 冷蔵庫の隣には、白い部屋には場違いな山のように積まれたダンボールがあり、それを開けると、


「カップ面に、レトルト食品……」

「そっちを見るのは許可してません!」


 水無瀬さんが少し怒った。初めて見た表情だった。


「水無瀬さん、ご飯はちゃんと食べなきゃ駄目だよ」


 冷蔵庫の横、ダンボールではない方の隣には保存庫みたいなものがあった。そこには小麦粉や調味料、保存のきくパスタなどもあった。

 これだけあれば、何か作れそうだ。


「わかってはいるんですが、自分で作ろうとすると、全部真っ黒になっちゃうんです。だからやっぱり外食や簡単な物に頼ってしまうんですよね」

「じゃあ、僕が作る。だからキッチン借りてもいい?」

「いいですけど、悪いですよ」

「いや、外で食べるとお金もかかるし、それにもう時間も遅いんだから。僕に任せてみて」

「……わかりました。お願いします」

「水無瀬さんはその間にシャワーでも浴びてきなよ」

「え?あ、はい。そうします」

「使っちゃいけない物とかある?」

「いえ、何でも好きに使っていいですよ」

「了解。ゆっくりしてなよ」

「は、はい。失礼します」




 こうして僕は軽率にも、人生初の女の子の家へと足を踏み入れてしまったのだった。


 そして、家族がいた頃の名残というか癖で、妹に夕食を作ることが多かった僕は、当時の妹に言うように「シャワー浴びてきたら?」と促してしまった。


「まあ作るしかないよね。うん、無心でいよう。聴覚はシャットダウンだ」


 ある食材で、短時間で作れる物は限られている為、作る物を迷うことはなかった。

 人の家のキッチンを独占する時間は極力減らしたいので、洗い物を減らすように努める。とりあえず、包丁は使わない方向でいこう。


 大きなペニンシュラ型のキッチンの上にはパスタ、トマト、バジルの代用にパセリ、オリーブオイル、にんにくチューブ、弾力のあるフレッシュチーズ、塩とコショウ。材料はそれだけで十分だった。

 調理開始。水無瀬さんが戻ってくるまでに完成させるつもりだ。

 まずは、たっぷりと鍋に水を注ぎ、クッキングヒーターでそれを熱する。湯が沸騰するのを待つ間に材料の下ごしらえをする。


 最初にトマトのヘタを取り、そのトマトを手で適当な大きさに千切りボウルに入れる。パセリも同じようにしてボウルに入れ、適量のオリーブオイルと塩とコショウとにんにくチューブも一緒にし、それらを混ぜ合わせる。その混ぜ合わせた物を冷凍庫で急激に冷やしておく。


 食材を混ぜ合わせ終えた頃には湯も十分に沸き立っているので、そこに乾麺のパスタを二人分入れる。パスタは通常よりも一分程短い時間で茹でていく。

 パスタが茹で上がる間に、新しいボウルに少量の塩を入れた氷水を用意しておく。

 パスタが茹で上がったら、ざるで湯切りして、流水で粗熱をとる。そして、そのパスタを予め用意しておいた氷水に入れ、しっかりと冷やす。


 最後に、混ぜ合わせて冷やしておいた食材とよく水を切ったパスタをあえていき、それを皿に盛る。一口サイズに千切ったフレッシュチーズを数個添えるようにして置けば、僕特製の冷製パスタの完成である。


「ふぅ……」


 夏も本格的になっている今日も暑かったし、水無瀬さんはシャワーを浴びているので、涼しげなものがいいだろうと冷製パスタをチョイスしたのだが、果たして水無瀬さんは喜んでくれるだろうか。

 数分と経たないうちに水無瀬さんはリビングに戻ってきた。


「シャワーありがとうございます」

「…………」


 水無瀬さんのシャワー上がりの格好を見て、僕は息を詰まらせてしまったみたいだった。


「どうかしましたか?」

「い、いや?どうもしてないよ?」


 どうかした、というか動揺してしまっている。

 下半身は太ももの辺りまで素肌を晒すようなニットキルト素材のショートパンツで、上半身はショートパンツとお揃いに作られたピンク色の花柄の薄手の洋服を着ていた。

 夏だからって無防備すぎだと、注意を喚起したくもなる。さすがに性別を意識せざる終えない。ここにきて無心でいた頑張りが一瞬で泡になった。


「あ、すみません」


 自分の姿の危険性に漸く気づいたのか、水無瀬さんは即座にリビングを飛び出し、パーカーを着こんで戻ってきた。そのパーカー姿も、目の置きどころに困るものだったのだけれど。


「ご飯食べる?」


 水無瀬さんは顔を紅く染めているが、それはシャワーの熱さのせいか、今の一連の流れのせいか、などと考えることは愚考というものだろう。


「はい、いただきます。あ、保志さんもシャワー浴びますか?」

「いや、さすがにそれは遠慮しとくよ」


 そう言いながら、僕は作ったパスタ二人分をテーブルまで運んでいく。


「わあ、すごいです。これ保志さんが作ったんですよね?」


 水無瀬さんは目を輝かせ料理に見入り、僕は得意げに水無瀬さんの為に椅子を引いてみたりする。


「さあ、水無瀬さんどうぞ」

「あ、ありがとうございます。失礼します。なんか本物のお店みたいですね」


 水無瀬さんが椅子に座ると、僕もそれに倣い、二人で声を重ねて言った。


「いただきます」

「いただきます」


 水無瀬さんは僕お手製のパスタを美味しそうに頬張った。

 そんな彼女は食べるのに夢中なようで、僕が沈黙を作らないようにと考えて用意していた話題は披露する必要がなさそうだった。


 そして七度目の「本当に美味しいです」が聞こえてくると、水無瀬さんはテーブルフォークを置いた。ものの数分で完食してくれたようだ。

 それが僕には無性に嬉しく感じられた。

 人に振舞った料理で喜んでもらえることが、こんなにも嬉しいものだと知らなかった。相手が水無瀬さんだったからこんなにも嬉しかったのだろうか。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 水無瀬さんに込み入った話を聞くには今しかないと思った。

 こんなに大きな家に一人で暮らしている理由。家族の事情が関わっていることは容易に想像できたし、水無瀬さんは家族の話題を避けていることも知っていた。でも、聞かなきゃならないと思った。


「水無瀬さんはどうして、こんな大きな家に一人で暮らしているの?」


 その問い掛けを口にした時、目に見えるようにして水無瀬さんの表情は曇った。


「それは……」

「家族の問題、だよね」

「…………」

「やっぱり教えてもらえないかな」

「いいですよ」

「え、いいの?」

「でも、そのかわり私のお願いを一つ聞いてくれると、約束してください」


 約束、その言葉には重い響きがあった。しかし、どんな願いだろうと、僕は引き下がるわけにはいかなかった。


「うん、わかった」


 僕が約束を交わすと、水無瀬さんは席を立ちほかの部屋から何やら年季の入った分厚いノートを持ってきてそれを開き、自分の過去を語り始めた。そのノートには水無瀬さんの幼い頃のことが綴られていた。


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