第7話 恐怖の森
なかなかボリューミーな仕上がりです。
昆虫人の森は極めて広い。バジア大陸の十分の一を占める。しかし全てを昆虫人たちが管理しているわけではなく、その一部に住み着いているに過ぎない。内部には固有の珍しい虫や薬草があり、それを狙う人間の密猟者は後を絶たない。森を荒らす彼らと昆虫人はお互いを憎悪している。
「ちっ、ついてねえぜ。」
ダークローブの男は吐き捨てた。
「いくら俺が優秀でも、昆虫人どもの住処を一人で探せるわけねえだろうが!」
男は小走りで素早く動き、絶え間なく周囲を確認する。口は口角が下がり、目は冷たく輝く。
「あいつら、覚えてやがれ...このライにこんな面倒ごとを押し付けた借りは必ず返すぞ...」
男は愚痴をやめない。その時、森の空気が変わった。
「.....なんだ....?」
鳥が羽ばたいて逃げていく。前方から、何かとんでもないものが来る。男は目の前の暗がりを凝視すると、複数の目が光っている。
「うわあああああああああ!!」
男は一目散にローブを翻し逃げ出した。
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「わしが村長です。こんなところまでよく来なさった。して、族長に用があるようで。」
スカラベの昆虫人は言った。イナゴの夫婦もそうだったが、年はよく分からない。
「はい。しかし怪物が出るとカタユリから聞きました。本当なのでしょうか。」
アレックスの問いに村長は頷き、
「奴は鉄のように硬い殻と八本の脚に複数の目を持ちます。正に異形です。おまけに素早く、なんでも食べる。」
予想以上に詳しい情報が出てきた。
「討伐はしないのですか?」
「奴は森の外には出ません。餌食になるのは専ら密猟者です。それに森の中で勝つのは不可能に近い。一人なら尚更ね。」
「そうですか...なんとか、その怪物を振り切り森の奥へ行くことはできませんか?行かない訳にはいかないのです。」
「ふむ、役に立つかはわかりませんが、こんなものならあります。」
そう言って村長は懐から白い鈴を出した。
「これは昆虫人のみに聞こえる音が出る特殊な鈴です。この音が森の昆虫人達に届けば、彼等の集落にも行けるはずです。こんなことしかできず、申し訳ない。」
アレックスは鈴を受け取り、首を振った。
「いえ、森の中を手当たり次第に探し回ることになるよりマシです。ありがとうございます。」
「頑張って下さい。もし奴に出会っても戦ってはいけません。」
「はい、心得ました。」
アレックスは、村長の家を後にした。外では入り口にいたあの昆虫人が待ちかまえていた。
「アンタ、森の中に行くんだろ?」
「そうだけど、なんだ?」
昆虫人は手に持っていた薬草の束を差し出した。
「森には毒虫や毒ヘビがわんさかいる。持ってけ。」
「有難いが、俺はスケルトンだ。毒は効かない。気持ちだけにしとくよ。」
昆虫人は首を振り、続けた。
「使わなくても持ってってくれ。森の集落には欲しがってる奴がきっといる。」
「分かった。そういうことなら持っていこう。」
「頼む。」
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森の中は生い茂る葉や枝が日光を遮りかなり薄暗かった。発達した根などで足場も悪い。
「なるほど、こんなところでは満足に戦うのは無理だな。」
「わたしが戦えたらなあ。」
「無茶するな。お前は今のところスライムの代表なんだぞ。」
「うん...あ、鈴出しとく?歩いててなるように。」
「ああ、頼む。括り付けといてくれ。」
その時、盛り上がった根の陰からうめき声が聞こえた。覗き込むと、ダークローブの男が倒れている。
「た、助けてくれ。毒虫に刺されて動けなくなったんだ。ん?なんだ、スケルトンか。とっとと助けろ。」
「アル、どうするの?」
「薬草ならあるが、そもそもなんでお前さんはここにいる?正直に答えてくれなければ薬草はやれない。」
ライというこの男は焦った。自身の任務を漏らしたことがバレるようなことがあれば仲間に消される。となれば、やることは一つ。
「俺はミト。近くの村に住む商人で、ここには薬草を取りに来たんだ。だがしくじってこのざまさ。さ、これでいいだろ?なんとかしてくれ。」
即席にしては中々の出来だ。ライには確実に騙せる自信があった。
「聞きたいことがある。」
「?なんだよ?」
「お前の本当の名は何だ?」
「!?い、いやミトだ。」
「嘘だろ。」
ライは驚愕した。まさかそこを怪しむとは。表情は変わってないし、どもったり怪しまれるような仕草は無かったはずだ。しかし目の前のスケルトンには全く迷いが見えない。確信があるのか?今度は顔だけ見えるスライムが喋った。
「言えないみたいよ。ねえ、その人の足元に袋があるわ。ヒントになるものがあるかも。」
「ま、待て!やめろ!」
「じゃあ本当のことを言ってくれ。」
「ぐっ....分かった。真実を話す。」
ライは真面目な顔を作った。そして話す。
「実は俺はモンスター達と和解する為に王様から使わされた使者なんだ。俺は昆虫人達に会いたくてここに来た。名前はモル。始めに嘘をついたのは、できる限りリスクを避けたかったからさ。すまない。」
これでどうだ。しかしスケルトンは
「嘘だな。袋を見せてもらう。」
と冷たく言い放った。
「待っ、待って...。」
止めるのも聞かず、スケルトンは袋を弄る。正体がバレるようなものはないが、アレを取られてはまずい。ライは冷や汗をかき出した。
「保存食、旅道具、上着...目立ったものはないな。ん?この石は....?」
見つかった。ライは目を見開く。
「綺麗な石ね。でも宝石とかとは少し違うみたい。」
その石は煌めくというよりも内部に光源があるような不思議な光りかたをしていた。
「そ、それは、親の形見なんだ!俺の命と同じくらい大切なものなんだ!頼む、戻してくれ!」
極限の焦りの中でも彼は嘘をついた。所属も、任務も明かせない。もちろん、名前も、石の正体も。
「その様子からして、相当な代物のようだな。」
「親の形見だからでしょ?」
「嘘だ。どうやら、こいつは信用に値しないみたいだな。結局、俺達に嘘しか言ってない。ただ一つ、ヘマをしてこんなところで倒れているということ以外はな。」
ライはこれ以上ないというくらい目を見開いた。このスケルトン、何者だ。俺の嘘を全部見破って、俺がしくじってここにいることは見抜いてる。
「もっと親切な人か、バカに助けてもらうんだな。ほら吹きをわざわざ助けるほど俺はお人好しじゃあない。」
そう言いながらスケルトンは背中のスライムにあの石を手渡す。ライの心を絶望と憎悪が支配する。こいつ、絶対許さねえ。必ず生きて帰って、俺をコケにしたことを後悔させてやる。
「あなたも馬鹿なことしたわね。何だか知らないけど、こんな状況で本当のことを頑なに言わないなんて。」
スライムにまで....動かない体が恨めしい。すると、視界の外から木の枝が折れる音がした。確認したくても顔も動かせない。スケルトンとスライムは黙っている。気づいていないのか?いや、絶句している。もしや....ライには一つ心当たりがあった。自分がこうなる間接的な原因になった、あれだ。突然、視界にあった青空と葉の景色が何かに隠された。黒の中で赤く光る八つの目が自分を見据える。悲鳴をあげようとするが、顎が震えて全く声が出ない。喉元に硬い感触。こいつの牙だ。
逃げる。
無理。
叫ぶ。
無理。
死ぬ。
嫌だ。
何をする。
何もできない。
黒光りする牙が振り上がるのが見える。下には俺がいる。痛みを感じる暇もなく彼は頭を木っ端微塵に砕かれた。
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ここは森の中の昆虫人の集落。にわかに騒がしくなっていた。
「あの鈴の音...久しぶりだな...。」
「マーキュリー、特効薬は持ったか?腕の立つお前でも、あれの相手は無理だ。」
「大丈夫だよ。早く行かないと、誰かさんが死んじゃう。行ってきます。」
マーキュリーと呼ばれた昆虫人は急いで集落を出て行った。
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「あいつが怪物か!確かにそうとしか言いようがない!」
アレックスは走りながら言った。
「ねえ、あの人...」
「死んだろ。どうしようもなかった。このままじゃ俺達も粉々だ。」
「鈴の音、誰かに届くといいけど...。」
「できる限りあそこから離れる。落ちたりするなよ。」
「うん!」
前方右からガサガサと草をかき分ける音がする。アレックスがスピードを緩めず走り抜けると、数秒前にアレックスのいたところにあの怪物が突っ込んできた。
「なんて速さだ!俺の足で振り切るのは無理か!?」
「アル!少しでも走りやすいところに移った方がいいわ!悪路じゃいずれ捕まっちゃう!」
「よし!」
エストの助言に従い、木の間を抜け開けた道を探す。怪物はまた姿を消した。流石に木をへし折りながら進むことはできないようだ。そして、ちょうど三人ほどが歩ける幅の道が見つかった。草は生えているが、踵ほどでほぼ気にならない。
「運がいいな!」
アレックスは走る。この道がどこに続いているかは、当然わからない。もしかすると出口かもしれないが、それならそれ。あの怪物に追われながら集落を探すのは無理だ。その時、左側から気配がした。反射的に立ち止まると、怪物が行く手を塞ぐように現れた。
「どうしても逃さないってか...。カァッ!」
アレックスは呟き、口から素早く槍を出す。
「や、やるの?」
「それ以外ない!助けが来るまで、持ちこたえる!」
怪物は八本の毛むくじゃらの脚を静かに動かし、じりじりと距離を詰める。アレックスも下がるが、怪物の方が早い。と、怪物がいきなり大きく飛び上がって襲いかかって来る。
「!」
アレックスは素早くスライディングで潜り抜け回避する。そのまま後ろから怪物を狙う。
カン!
なんと、槍が弾かれた。アレックスはその感覚が信じられず、一瞬固まる。
「アル!避けて!」
エストが叫ぶが、怪物の裏拳のような打撃がアレックスを襲った。槍でガードし直撃は免れたが、衝撃はでかい。
「ならば!」
アレックスはサイドステップで横に回り込み、八本脚の一つを狙う。
カン!
同じであった。怪物がカウンターで繰り出すタックルを、危うくかわす。
「強いな...。」
息切れはしないが、骨故に耐久力は決して高くはない。攻めあぐねていると、今度は怪物が、脚を勢いよく振り脚の毛を飛ばしてきた。アレックスは横っ飛びに脇の木の陰に隠れてやり過ごす。
「待った。そこまで。」
向こうから声がした。何だか緊迫感のない声だ。怪物がその方向に向き直る。
「ドリャー!!」
シャウトと何かが破裂する音がした。
「もういいよ。出て来て。」
アレックスが恐る恐る顔を出すと、そこにはカマキリの顔と腕をした昆虫人がいた。
ダークローブはこの先結構な確率で出て来ることになると思います。