夢を持てたこと。
「ほら、言った通りだ!絶対そうなると思ったよ。」と松田が言った。
「でも”雑誌モデル”だし、学校にも迷惑掛けないって同意書だしているし、特にオレとの関係も変わることはな言っているから、そんなに心配はして無いよ。」
「因みに事務所はどこ?」
「『セイント企画』って言ってたよ。」
「『セイント企画』って大手じゃないか!俳優からアイドル、モデルまで手広くやっているプロダクションだよ。」と松田が言ったがオレにはピンと来ない。
「『セイント企画』だったら、チョット目立てば良いプロモーションしてくれる。最初は”雑誌モデル”かもしれないが、彼女だったらスターになれるかもしれないよ。」
「頼む、もう冗談ってことにしてくれよ」とオレ。
昭和53年(1978年)、2年E組、つまり”2年一般人組”のオレと松田は、7月、夏休みになるまでの間、久仁子の将来について、「ああだ、こうだ」と第三者なのに毎日勝手に考えていたのだ。
ただ、結果から言えば、松田が思っていた通りになって行った。
中学2年の時、久仁子が放ったバトミントンの羽がオレに当たってから3年。この多感な時期を、彼女と付き合うことによって楽しむことが出来た。そして、夏休みや冬休み、そして春休みは必ず2人を中心とした仲間たちと何かをしていた。
しかしこの年の夏休み、結局、2人が共有する時間は全く無くなってしまった。
久仁子は雑誌モデルとしての”宣伝材料”を作成するため、夏休み期間中は殆ど都内のフォトスタジオで過ごしていたからである。
それから数か月後、もう秋も深まってきた11月に差し掛かる頃だった。
久仁子から、オレが下宿している町、代々木上原にあるスタジオで仕事があると連絡があり、彼女の仕事が終わるのを待って会うことが出来た。実に5か月ぶりの再会だった。
久しぶりに見る久仁子は、完全に”モデル”だった。服装からメイクに至るまで、”あの地味な”久仁子ではなくなっていた。
「元気?元気だよね。まあ、電話してたから分かってたよ。あっそうだ。この間ワタシが初めて出た雑誌、見てくれた?」
「ああ、見た。」
「で、どうだった?」と彼女に言われても、
「うん、良かった」としか答えられないオレ。
何か、ドンドン彼女が遠くなることを思い知らされているみたいで辛かったが、彼女から、
「ね、クリスマスイブは逢えるでしょ?」
「オレは何とでもなるけど、久仁子が難しいんじゃない?」
「大丈夫。クリスマスイブだけはね。虹橋に来て、待ってるから!」
「了解。楽しみにしているよ!」とは言ったものの、心の中では「未だ2か月位先の話じゃないか・・・」と、時間と言う距離も感じ出していたオレだった。
ただ、このままズルズル行くのだけは嫌だった。高校の2人の親友、宮下も松田もちゃんと将来のビジョンを持っている。中学時代からの友人、井上隆も「大学は法学部に入って、将来弁護士を目指すよ!」と言い出した。井上の彼女、梶山夕子は高校に入るときから「教師になるよ!」と言っていた。そして、久仁子も確実に将来を見据えてモデルを始めている。
この年の12月24日は日曜日だった。久仁子も仕事は無く、その日の午後1時に虹橋で会うことになった。
オレはある決意を持って、久仁子に会うことを決めていた。
「オレさ。高校卒業したら、アメリカへ行くよ!ハリウッドに映画専門学校があるんだ。そこに行きたい。だから、これから、そのための努力をするよ。」と久仁子に言ったところ、いきなり、パチ、パチ、パチと拍手をする彼女。
「やっと、見つけたね!頑張って!住むところはドンドン遠くなるけど、お互いの夢を応援し高め合えることが一番の幸せ!だから、必ず成功して。ワタシもこの世界で頑張るから!でいつか・・・ね。」
最後の言葉を言った久仁子の顔が少し赤らんだようにみえた。
オレは本当に高校の親友である、宮下と松田に感謝しなければならない。彼らが居なければ、”アメリカ”も”映画”も全くオレが関わることは無かった。宮下の”英語のアドバイス”が深かったが、松田の”映画撮影の深さ”を聞かされた時も痺れた。実はオレ自身、高校に入ってからというもの、月に3-4本の映画を観るようになっていた。まあ、久仁子に会えないことも原因の一つではあったが、兎に角、夢を持てた。
そして、また年が変わっていく。昭和も54年(1979年)だ。オレ達ももう高校3年になる年だ。
オレは夏にTOEFLを受ける為の準備を進めていった。
宮下は、爺さんと親父さんと同じK大学を目指す。
そしてなんと、松田も大学を目指すことを決めた。自宅、神楽坂の近くにあるH大学だ。無謀だと思ったが奴はやるときはやる。
中学組で言えば、井上はM大学の付属だったが、弁護士を目指すため、C大学の法学部を受験することを決めた。
また、夕子は国立G大学で教職を取ることだけ考えていた。
そして、久仁子もただ”モデル”には溺れず、短大に行くことを決めていた。
皆、それぞれ大人になる道を選んで進む。そんな年だったと思う。