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虹橋の向こう側  作者: 人生輝
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彼女とオレの成長。

「何処の事務所に所属してんの?」と松田がオレに聞く。


宮下と松田とオレの3人は、高校での3年間を殆ど一緒に過ごしていた。

3人とも、特に部活にも入らず、放課後等も繁華街をブラブラしたりと、その時3人がやりたい事を好き勝手にやっていた。ただ偶にだが、松田の正体が「松山ジン」とバレ、学校の登下校や、街中で大勢に囲まれたりしたこともあったが、それも1年の夏休み近くには、松田自身が言っていた通り、収まりつつあった。

また、宮下と松田はオレとは違い、”一般的な小中学生生活”を送れなかった為、学校外での”友達”が全くいなかった。その為、オレの小中学校時代の”友達”を紹介して欲しいと、何かにつけて2人から言われるのであった。まあ、この場合の”友達”は”女子”という意味合いが強かったと思う。


夏休みに入る手前の7月初め、宮下が松田とオレに「一緒に俺の別荘に行かない?」と誘ってきた。

「場所どこ?」

「どこでも。」

「どこでも?ってどういう意味だよ?」

「日本には10か所ある。海外合わせれば、もう5か所増えるよ。海でも山でも海外でもどこでも構わないよ。」と、オレの知り合いでは、宮下以外からは絶対聞けない発言だった。

「ただ、水島は必ず”友達”連れて来いよ!」と、一般人のオレへはハードルを上げてきた。

「だったら、海は無しだな。連れ居ていきたい”友達”が嫌いだから」とオレ。

「悪いけどさ。この夏はあんまり遠くには行きたくないんだよ。大分収まったけど色々俺が動くとさ、煩い連中が来て、お前らにも迷惑掛けるし。」と松田がポツリと言った。

「分かった。じゃあ、日帰りだけど都内のPホテルのプールにしようぜ。あそこはウチの爺さんが株主だし、秘密厳守も一番キチンと出来ている。松田が心配することは何もないと思うよ。水島の”友達”はプールだったら問題ないんだろ。」。


そんな訳で、1年の夏休み入りたての7月の末、宮下、松田、そして、オレに「彼女は必ず連れて来い」と2人から言われた、”飯島久仁子”と彼女の高校の女子友達2名(この2名は松山ジンの名前だけで来たそうだ)、そして「『松山ジン』ってクールスと共演があった人だよね。クールスの話聞きたい!」と当初呼ぶ予定では無かったのに、久仁子から情報を仕入れてくっついてきた”梶山夕子”、及びその”彼氏”という名目だけでドサクサでやってきた”井上隆”とオレ、総勢8名で、今まで見たことも無い”高級ホテル”のプールで一日を楽しんだ。


久仁子を宮下、松田に紹介するのはこの時が初めてだった。だが、久仁子はいつも通りで、クールに明るく2人に接し、特にほかの女子とは違い、松田を特別視しなかった。その時、松田がオレに最初に発した言葉が「何処の事務所に所属してんの?」だった。

「事務所ってなんだよ?」

「芸能プロダクションとか、モデル事務所に決まっているだろ!」

「なんで?、松田、お前の言ってることがよくわかないよ」

「ってことは未だってことか。しかし今までよくスカウトに声かけられなかったな。不思議だよ。あのロングヘアから出る雰囲気、凄すぎだ。」

「どういう意味だよ。」

「だから、そう意味!彼女は、芸能界入り出来る素質が凄くあるってこと。お前、相当気を付けないと彼女は遠くへ行っちゃうよ!」

オレはその時は、松田の言っていることが本心なのかと疑うぐらいの話だった。確かに久仁子は伸ばした髪がストレートでかなり長くなり、身長161cmでスレンダーだがスタイルは良く、水着に着替えた彼女は眩しい位に素敵だと思う。でも、あくまでも”素人”としてだ。テレビや映画に出てくるアイドルとは違い過ぎるとオレは思っていた。

だが、松田が言ってたことはその後現実になる。ただこの時は、当人の久仁子は勿論、井上も夕子も久仁子の高校の友達、そして宮下もオレも松田が感じていたことは分からず、只々、”夏の思い出”、”高級ホテルのプールで、元俳優と大金持ちとその他一般人”過ごす有意義な日としてしか思う以外はなかったのであった。


因みに、この日来た久仁子の2人の友人と夕子は最初から最後まで、松田に纏わりつき、色々と質問攻めに合わせていたが、この頃の松田は未だ”芸能人”が残っており、常に「まあ、そうかな?」等と余り本音を言わず、芸能リポーターを相手にするのと同様、ノラリクラリとかわしていた。その余波もあり、宮下はどの女性ともマトモに話せず、井上に至っては、彼女である夕子から頼まれ、結局、写真を撮ることしか出来なかった。


その後、久仁子の高校の友達以外の6人は、一緒に行動することが多くなった。

昭和52年(1977年)の暮れは、松田も外泊遠出も可能となり、宮下の親戚関係で苗場スキー場のホテルが取れ、久仁子も夕子も何とか家族を説得し(というか、騙したのだと思う)、一緒に過ごすことが出来た。そして、久仁子と”一つ”なれたのも、その時だった。


色々意味で成長出来た1年間だったと思う。昭和53年(1978年)もこの儘、右肩上がりで行けると思っていたオレであった。

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