橋との出会い。
昭和50年(1975年)、この年14歳だったオレは野球好きな少年であった。アンチ巨人軍ではあったが、前年秋の長島選手引退に強い衝撃を受けた。また、この年からの長島監督には新鮮さを感じていたが、生まれて初めて「巨人軍最下位」の瞬間を経験した。それまでの「強いから嫌いなジャイアンツ」という定義が外された年でもあった。
公立中学校2年生のオレだが、家庭は中流でも山の手の住宅街に住んでいたこともあり、通っていた中学校は進学校化していた。クラブ活動も野球部等の屋外競技は無く、体育館をバスケットボール、バレーボール、バトミントン部等々が狭いスペースを分け合って練習するので個々の時間も無く、殆ど体育の追加授業程度のものだった。オレは運動神経が良いほうではなかったが、何となくの成り行きでバスケットボール部に所属していた。
バトミントン部に所属する飯島久仁子とは、中学2年になって初めて同じクラスになった。
元々、お互いの家も遠く小学校も違った為、接点は全くなかった。また、大人しい性格だったこと、取りとめて何かに優れていることも無い地味で華奢な少女だった為、気になったこともそれまでなかった。
5月の終わり中間テストが終わった土曜日の午後、偶々バスケット部とバトミントン部の練習が体育館で重なった時だった。彼女のラケットから放われた羽がオレの頭に当たったことが、彼女とオレの繋がりのスタートだった。
「痛ってえな!どこ打ってんだよ!」
オレは彼女を睨んだ。
「ごめんなさい」
下を向いて、蚊の鳴く程度の小さな声が彼女から返ってきた。
「他に言うこと無いのかよ!」
と問い質したが、其の儘、彼女は狭いバトミントンコートで、オレを完全に無視し再び練習開始させた。
別に怪我した訳でも、痛みが続くわけでも無いほんのチョットしたことだったが、兎に角、彼女の態度に腹が立ち部活が終わった後、ごみ箱を蹴飛ばしていた。
「なんかあったんかい?」、同じバスケット部で同じクラスの井上隆が声を掛けてきた。
「別に」
「見たよ見た!飯島に羽当てられてて偉く怒ってたな。ハハハ」
「あ、アイツ飯島って言うんだ。余りにも存在感が無いから同じクラスでも知らなかったよ。しかし、態度の良くない女だな」
彼女を全く知らない訳では無かったが、こういう時は悔し紛れでそう強がるオレ、この性格はその後何十年も変わることはなかった。
「あの飯島って奴、小学校はお前と同じ?」と井上に聞く。
「そうだよ。アイツ、ほら、商店街にある『飯島硝子店』の娘だよ」
「へえ、そう」と井上と一緒だったかどうか以外は、飯島久仁子についてその時のオレは興味がなかった。
「アイツ、無口だし、ぶっきら棒だし、女の友達もあんまりいないんで、結構、小学校の時苛められてよ」
「そうなんだ」と井上に返事するぐらいで、段々、ぶつけられた事や飯島の過去の話もどうでもよくなり、着替えを終え下校しようとしたその時、井上が話を変えて振ってきた。
「今日は神社のお祭りだぜ。オマエも夜店見に来るだろ?」
「そう、そうだったな。たぶん行くよ」
「たぶん?ってなんでだよ」
「や、あ、行くよ。7時ぐらいがいいのかな?神社の参道入り口辺りに居ればいいかな?」
実はその前の年、この祭りに自転車で行ったところ自転車泥棒に合い、結局自転車が見つからず、親からも「管理不行き届き」とオレが悪くもないのに怒られた嫌な思い出がある。トラウマは当然続き、今年は行きたくなく、寧ろ、”8時だよ。全員集合!”を観ることを楽しみにしていた土曜日であった。
そうであっても、結局、人に流され易いオレは、何もなかったのように、目の前を涼しく通り過ぎる飯島久仁子の姿を眺めながら下校し、その夜は祭りの出店へ向かうのであった。
この年の祭りは、”表”祭りで例年の中でもかなり派手なものであった。夜店は、参道の前にある車道にも展開しこの地域住む小中学生の殆どが、この祭りを夜遅くまで楽しんでいた。
そしてオレは、去年の教訓から自転車チェーンを二本巻き、その神社の近くに住む、1年時同じクラスの中野紀一の自宅駐車場に”何とか”新しく買って貰った自転車を置かして貰い、”何とか”井上や中野達と祭りを満喫する時間を得ることが出来た。
時間は午後9時、当時の中学2年生にとってはそろそろ”お開き”の時間だったと思う、帰り際のオレは参道から車道へ向かうところで、淡い紺の浴衣を着て”金魚すくい”をしている華奢で、何となく可憐な少女を見つける。
「飯島?」、オレではない横にいた井上が声を掛けた。
「・・・・」
相変わらずなのか、彼女は分かっていてもオレたちへ返事することはない。
その後、井上は帰宅し、中野も一度その場離れることになり、いつの間にか、金魚すくいの前は何故かオレと飯島久仁子の2人だけになっていた。
オレはその時、彼女に対する昼間怒りは無く、只々、中野の家にある自分の自転車が気になっていたのが本音だった記憶している。そしてその場を立ち去ることだけを考えて時、予想に反して、彼女から声を掛けられた。
「ごめんね。羽ぶつけて、本当にゴメン!」
「え!いや!ってか、いいよ」
ビックリした!ホントにビックリした!いきなりだった、オレが知っていた「無口、ぶっきらぼう」という彼女のデータが全て吹っ飛ぶ態度だった。そこから饒舌になった彼女と初めて会話となる。
「ワタシってワタシが納得しないと話したくないんだよね。誤解されてもイイの。」
「そうなんだ。」ってしか言えないオレ。未だ、中野の家にある自転車が気になる。
「どうしてもダメなんだ。女、男関係なくね。だから夕子知っているよね。夕子だけなんだよチャンと気持ちを伝えられるの。」、梶山夕子、確かに知っているが、同じクラスになったことが無いし、”進学校化”されたこの中学ではかなりの”お荷物”、つまり”素行不良”の女子だ。
「そっか、まあいいや、謝ってくれてありがとうな。それだけで充分だよ」
「ねえ水島君、一緒に来て欲しいところがあるんだけど、今からいい?」
今から???自転車が気になる、良いわけがない。
「あ、もちろんイイよ!」
オレ、何言ってんだ!っと心で叫ぶが時遅しで、彼女言うままそこから歩いて数分の公園へ。
中学生と言え、”ヤバくない?”と思うスチュエーション。”今夜の久仁子”の色気を感じていたのかどうか覚えていないが、兎に角、彼女言うままに行き着いたところ、そこは、2つの公園を結ぶ橋「虹橋」だった。
「ここはね。夜に来てお空にいやなこと全て聞いて貰うところなの。夜は危ないって言わるけど、ワタシは平気。お巡りさんだって分かって貰えるし!」
こいつ大丈夫?って確かにその時思った。でもそれと同時に、彼女はとてもピュアであることをオレは感じ取れた。
オレ「水島雄一」と彼女「飯島久仁子」の”恋のストーリー”が始まった瞬間でもあり、生まれ育った街に対する気持ちを形成する原点でもあった。