虹橋の向こう側へ。
ハリウッドの映画専門学校を卒業したオレは、直に帰国することを選んでいた。
結果的にロスに来てから、一度も途中帰国することなくここまで来た。
帰国前日、北村さんご夫妻がホームパーティーを開いてくれた。
なんだか分らなかったが兎に角、皆で泣いた。
最短の2年間で卒業出来たこともそうだが、公私に渡って助けて貰った2人に本当に感謝したオレだった。
そして、帰国したオレは忙しかった。
当然だが、一番最初は、”栃木に行くことだった”。
浅草から特急電車に乗り、1時間強、栃木県栃木市に向かった。
蔵が立ち並び、川が流れる”小江戸の町”は、本当に風光明媚な歴史を感じる町だ。
川の近くにある門の横に大きな古い蔵がある”お味噌屋さん”が、久仁子のオフクロの実家だった。
会うなり、久仁子のオフクロさんは泣いていた。
「ゴメンなさいね。雄一君。」
「いや、僕が悪いんです。もっと彼女に寄り添ってあげれば良かった。それが出来なかったオレが一番悪いんです。」
「違うわ。久仁子はアナタがいなければ、こんな素敵な生き方は出来なかった。もう少しでハタチだったけど、普通の人の何倍も人生を楽しいんだと思うわ」とずっと涙が止まらず、オレに話しかけてくれた。
その実家から歩いて10分ぐらいの所に久仁子は眠っていた。
一周忌も済み、未だ盆に入る前なので他に人気は全くない。
オフクロさんは「好きなだけ話しをしてやってください」と言ってくれた。
そしてオレはお墓に佇み、久仁子に話しかけた。
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遅くなってゴメンな。今帰って来たよ。
本当にゴメン。
久仁子、オレは何となく分かっていたんだよ。あのオレが旅立つ時の事。
最後に久仁子に抱き着かれた時、「もう会えないんじゃないか」って一瞬思ったんだ。
もしかすると、あの”卒業旅行”の時には、君は決めていたんだと思う。オレと別れること。
最後の手紙読んだよ。
君に、あんなこと書かしたオレが彼氏失格だよ。
ワザとぶつけた羽の事は驚いた。でも、オレはあの時の事言えば君に「アリガトウ」って言いたい。
君がぶつけてくれなければ、10代の殆どがつまらない人生になったと思う。
そしてもっと謝らなければいけないこと、オレは君に一度も「付き合ってください」、「好きです」、「愛してます」を言ううことが無かった。
いつも言おうと思っていた。でも、オレは一度もできなかった。
これだけ物凄く後悔している。
遅くなってしまっけど、ここで初めて言います。
”僕は飯島久仁子を愛しています” ・・・・。
オレは君がいなくなったことを知ってから色々考えたんだ。
オレは君のためにも必死に生きるって。
もしかすると、この先、オレは新たに好きな人が出来るかもしれない。
その時、オレは君を通して学んだこと、そして心の中にいつまでも君がいてくれると信じて、次のステップへ進んでいく。そう決めたよ。
決して、君が”飯島久仁子”として生きていたことを一生忘れないためにも。
ただ、この先オレは、もうここには来れないと思う。また、虹橋へ行くことも無いと思う。
それは前向きな君の為にも、オレが前向きに生きる証だと思っている。
また、どこかの世界で会おう。きっと会えるさ。
その時まで。
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高校3年の”2人の誕生日会”の時、虹橋で久仁子から貰った”ハートに矢が刺さった”七宝焼きのキーホルダーを久仁子の墓前に置き、オレはその場から立ち去った。
オレが人前で泣いたのはこれが最後だった。
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雨は一時的なものだった。
あれから40年近い年月が経っている。
オレはアメリカから帰って来た後、2年生のビジネス専門学校に通った。そして簿記の資格を取り、昭和60年(1985年)、社会人になった。最初の勤め先は外資系の商社だった。
ハリウッドの映画専門学校で学んだ映像技術はかなり生き、企画・宣伝・販促を担当した際、コマーシャル撮影の立会いもよくやっていた。また、バブルの時代は特に景気良く生きていた。
30になる手前で、今や”ベテラン大物俳優”の松田の紹介で、オレの生涯の伴侶となるオレより4歳下の「中村百合」と出会う。彼女は元々、松田の専属ヘア・メイクアーティストだった。下町生まれで祭り好き、三社祭の神輿を担ぐ。彼女の竹を割った性格に合わせるように会って1年も経たず結婚した。そして、今やその道トップで会社社長でもある、ちょくちょくテレビにでてキャリアウーマンをアピールしている。
そんな百合との生活は彼女の地元、墨田区向島で営まれ、子供2人にも恵まれ、上の娘も25になり来年結婚が決まっている。
バブル後オレの仕事は色々あった。オレのいた会社は日本を撤退したため別の会社に移らざる負えなくなり、バタバタしている時に、アメリカ留学時代にお世話になった宮下の従兄、北村拓也さんから連絡があった。「俺、独立して商社を立ち上げるから、一緒にやらないか?忠信も来るから」と誘われ、2000年の創業時から北村さんと宮下が経営する商社に勤めている。実のところ、オレは何度も北村さんと宮下から”役員”なってくれと言われてきたが、ずっと「私は現場でやっていきます」と言い、万年課長を勝手にやって来ていた。ただ、会社も大きくなり今や東京、大阪で100人を超えるところまで来た。
しぶしぶだが、来年の株主総会をもって”取締役部長”を引き受けることにしている。
他の連中も何とか生きている。
井上は28歳の時、梶山夕子と結婚した。
井上は今や「井上法律事務所」の所長で、勿論ベテランの弁護士だ。
ただ、カミさんの夕子はそれ以上で、小学校教師になってから順調に昇格し、今や区立小学校の”校長先生”になった。
「井上、久しぶり!」と、虹橋からオレはスマホで井上へ電話した。
「おい、水島どうしたんだよ。珍しい」
「珍しい所にいるよ」
「はっ!どこ?」
「虹橋だ」
「あ、そう。えっ。お前が虹橋!お前封印したんじゃないのか?」
「封印してたよ。でも、もういいや」
「なんで?」
「2年前に清算出来たからね」
そう、実は2年前、オレは百合を連れて栃木へ行っている。
百合は、松田からオレと久仁子との事を全て聞いていた上で、オレと結婚している。
「もういい歳なんだから、アンタの気持ちの中で中途半端にしないで、ちゃんと清算しましょ。私も行くからさ」と言われ、久仁子の墓前で2人で拝んだ。
「馬鹿野郎!暇なお前に付き合ってられないんだよ!俺は今、元々、お前の友達だった”松山仁”先生の顧問弁護士だ。また、この大先生が、女性問題でまたマスコミに叩かれてな」
「いいじゃない。オレが良いお客様紹介したんだから感謝して欲しいよ」
「ホントにお前らは馬鹿野郎だ! で、今夜、ウチ来るか?どうせ百合さんも仕事だろ。久しぶりだ夕子も喜ぶよ!」
「当たり!良く分かっているよ。じゃあ、6時に過ぎに”校長先生”に会いに行くよ」
「了解!でも、お前」
「なんだよ」
「いや、いいや。じゃあ後で」
スマホを切った後、オレは公園南側の橋の袂から、北側を見た。
雨上がりの公園、太陽の光が少し照らすことによって、虹が見えた。
その先に、気のせいだと思うが、中学の制服を着た少女が見えた。
その少女は地味だが、可愛く、可憐な娘だ。
あの時の彼女だと思い、オレは軽く手を振り、笑ってその場を立ち去った。
<完>
先ず、最後まで諦めず、この「駄作」を読んで頂いた方に深く感謝申し上げます。お分かりになって頂いたかと思いますが、私には文才がございません。ですからかなり蛇行して、何とかゴールに着いた感じです。
今まで「俺が小説なんか書ける訳がない!」と思ってた人間の「処女作」ですので、文字数も何も全く考えておりませんでした。「本にするなら10万字が必要」と聞いております。今回初挑戦での結果は、3万9千字弱でした。私自身では、「良く書けた、バンザイ!」のレベルです。まあ、本にするなど考えるだけで、おこがましいことはございません。お分かり頂きたいのは、このストーリーだけは私が5年前から考えていたものだ、と言うことでございます。冒頭でお話ししましたが、主人公の雄一は「私と同じ時代を生きた、私の理想」です。但し、久仁子については基本のモデルの方おります。ただ、私、特に中学生の頃は人の気持ちが全く分からない、”ホームラン級”の馬鹿で御座いました。私が恐らく物心ついた時に「初めて傷つけた女性」がこの久仁子のモデルの方です。ですから、本当に40年以上お付き合いが無く、音信不通というより、今その方が私の名前を聞いても「誰?」と思う程度の関係です。しかし、私はこの5年間、何故かその方への「懺悔」がしたく、このストーリーを考えて参りました。取り敢えず、ある程度に詰まったので「えい!や!」って感じでここに投稿させて頂きました。でも、チョットと面白かったです。また違うもので書くかもしれません。その時、また皆様とお会いできればと思っています。
本当に有難う御座いました。
2017年8月28日
人生輝




