突然のサ・ヨ・ナ・ラ
ロスに着いたオレは、高校時代の親友・宮下の従兄でM商事LA駐在の、北村拓也ご夫妻に色々とお世話になっていた。北村さんは丁度オレより一回り上で”アメリカのお兄さん”的な存在となった。ご夫妻の住むロス郊外トーランスにある学生専用の寮に入るところから、着いてからの2か月間通った、ウイルシャー大通りにある英語学校の手配や、ハリウッドの映画専門学校でのサマースクールや本科入学への手続き、オレがなれない頃の諸々の送り迎え全てをして貰っていた。
そのお陰で、自分が思っていたより速いペースで生活環境に慣れることが出来た。
9月の本科入学に合わせ、オレは中古車を買った。トーランスからハリウッドまでは距離がある。これ以上、毎日ご夫妻に負担を掛ける訳にはいかない。フォード・ピントと言う車だったが、兎に角、エンジン調子が悪くよくエンストをしていた。ただ、”一般的な留学生”にとってはこの中古車位がベストな選択だった思う。
そしてオレは、1980年の暮れが近くなる頃には生活だけではなく、専門学校の勉強も問題なくこなせる様になっていた。英語力もかなり向上し、日本で生活していたレベルは一人でやれるようになっていた。
それは、同じ専門学校の留学生で、台湾から来た林と言う同じ歳の男と友達になれたことも大きかった。林とはオレの留学が終わった後も長い付き合いが出来ていた。
ロスに来た当初、久仁子とは月1回はお互い手紙を書き、送り合っていた。電話も久仁子の誕生日やクリスマスイブにはしていたが、ロスでの勉強と生活に必死だったオレ自身の問題も大きく、その後だんだん減って行き、1981年3月頃には2か月1回程度、彼女から手紙を貰えればいい位になっていた。
そんなことで時間も早く過ぎ、あっという間にロスに来て1年が経ち、専門学校の1年目の最終試験も終わる6月になっていた。
そして、運命の日がやって来る。
最終試験もすでに終わっていたその日、オレは林と2人、ベニスビーチで午前中から遊ぶ約束をしていた。
ロス時間で午前8時、寮の管理人のオジサンが、日本からオレ宛に電話入っていると連絡がきた。部屋から電話のある管理室に行き電話を取った所、相手は井上だった。
「水島か?」
「そうだよ。井上、元気か?どうしたんだ。そっちもう夜中だろ?」
「あの水島、あのな。落ち着いて聞いてくれ。」
「なんだよ、オレはいつも落ち着いているよ」
「あのな。久仁子が、久仁子が死んだんだ。」
「おいおい、お前、酔っぱらってんのかよ?悪い冗談は止めろよ!」オレは怒鳴った。
「ホントだ。ホントなんだ。車の事故で死んだ、今日。大きなニュースになっているので、ラジオジャパンの国際放送でも流れると思う。」
オレは井上が言っていることを全く受け入れられなかった。ただ、
「じゃなんでなんだよ。なんで、その事故に久仁子が巻き込まれたんだよ!」
管理人のオジサンは分からない日本語でオレが騒いだので、ビックリしていた。
「悪いがこれ以上、俺は・・・今、お前に話すことは出来ない、ゴメン」と、井上は其の儘、電話を切った。
オレはもう訳が分からなくなっていた。
日本は午前0時を回っているが、オレには関係ない。管理人室の前にある公衆電話に移り、井上だけではなく、宮下、松田、夕子にコレクトコールで電話をしたが誰も出てくれなかった。
兎に角、オレは今事実を知りたかった。そして、ロスでお世話になっている北村さんへ電話をした。
「おっ、雄一君、どうした?」
「あの、あのですね。今日ですね。日本で大きな自動車事故があったみたいなのですが、そのニュースって何かご存知ですか?」と興奮してオレは北村さんに聞いた。
「いや、なにも。何かあったのか?」
「あの、僕の大事な友達が巻き込まれたみたいなんです。」
「えっ、そうなのか。分かった、この後、オフィスに行く。日本から来る新聞のコピーを見てみるよ。2時間ぐらい経ったらオフィスに電話をくれないか。調べておくから」
「お願いします!」とオレは大きな声で言い、その場で電話に向かって土下座をしていた。
オレは時間が経つに連れ見えない現実に焦っていた。当然、林との約束は中止。そしてオレは居ても立っても居られず、日本人居住者、観光客、そして日系人が集まるダウンタウンの”リトルトーキョー”へ車で向かった。「何か情報があるはずだ!」と兎に角、今、情報に近いところは”そこ”と勝手に思い込み、車を進ませた。
リトルトーキョーに着くとオレは、直に日本書店へ向かった。日本の雑誌などを早ければ日本の発売から1週間程度で入荷する店だ。以前からよく来ていて、店員の結城さんと仲良くして貰っている。
店に入ると、先週日本で発売された女性ファッション誌が置いてあり、その表紙を久仁子が飾っていた。
「あの結城さん、もし分かればでいいんですが。」
「どうした。ユウちゃん」
「あの、昨日、いや今日、日本で大きな自動車事故がありませんでしたか?」
「自動車事故?なんで?」
「いや、なんか、オレの友達が巻き込まれたみたいな話を聞いたんで」
「自動車事故?あ、さっき来た観光客が何とか言う有名な男が高速で事故起こして死んだとか、言っていたけど?それかな?」
「いや、それは違うと思うんですが。実は友人って女性なんで」
「そうなんだ。うんチョット分からないな。ゴメン」
「いや、ありがとうございました。」とオレは店を出た。
時間は午前10時、北村さんへ電話する時間だ。
公衆電話から電話する。
「すみません。北村さん。何かお分かりになりましたか?」
「お、雄一君。それがなんだけど、日本の今日の夕刊社会面を全紙取り寄せたんだけど。大きな事故自体は見当たらないんだ。ただ、」
「ただ?」
「高部圭太って俳優知ってるだろ。そいつが日本時間だと昨日になるが、雨の首都高速を運転中カーブを曲がり切れず、フェンスにぶつかり大破、本人即死ってニュースがある。それとは関係ないだろ?」
「関係ないと思います。あの、その友達なんですが・・・。実は僕の彼女なんです。飯島久仁子って言います。もう一度探して頂けませんか?」
「そうなのか!分かった!雄一君今どこだ?」
「今、リトルトーキョーにいます。」
「じゃあ、直にトーランスの寮に戻れ。もう一度調べて寮に電話するから。」と北村さんは言い電話を切った。
日本は夜中から朝に向かっている時間帯なので、もうこうなったら北村さんに頼む以外早い情報はないはずだ。オレはまた直ぐに寮に戻った。
オレが寮に戻って直北村さんから電話が入った。
「雄一君か?」
「はい。」
「飯島久仁子さんの件。分かったよ。電話では難しい話になるのでこの後、俺のオフィスに来て貰えないか?」
「はい!でも良いんですか?」
「構わない。事情が複雑そうなんで・・・、来て貰った方がいいと思う。今から来れるか?」
「分かりました。直に伺います。」
同じトーランス内にあるM商事LA事務所。寮から車で10分ぐらいで行ける。直にオレの中古のフォード・ピントを走らせ、M商事へ向かった。途中、久仁子が亡くなったことは事実として受けなければいけないと、覚悟を持って運転していたオレだった。
M商事LA事務所に着いたオレは受付から直に会議室に通された。北村さんが会議室に入ってきたのはオレが着いて15分後ぐらいだった。
「雄一君、待たせて悪かった。」
「いえ。」
「先ず、日本の夕刊4紙の昨日になるかあ。その社会面を全部見てくれ」と北村さん。
オレは早速すべて見たが、全て大きく扱っているのは「高部圭太」の事故だった。
「高部圭太の件だけですね。」
「そう。で、言いにくいが、その、高部圭太の記事をよく読んでみてくれ」
オレは1紙を取り、「高部圭太の事故」の詳細を見た。その瞬間、オレの全身の力が抜けた。
その紙面にはこう書かれていた。
”本日午前8時50分頃、首都高速2号目黒線、目黒インターチェンジ付近のカーブで、俳優の高部圭太さん(21歳)の運転する乗用車がカーブを曲がり切れずフェンスに激突する事故が起こり、高部さんと『同乗していたモデルの飯島久仁子さん(19歳)は二人とも即死で発見された』・・・”。
放心状態のオレは、どうやって寮に戻ったのかも分からなくなっていた。
その夜、聞きづらい短波ラジオからラジオジャパンの日本語放送が聞こえ、このニュースをアナウンサーの言葉として聴いていた。そして、ニュースが終わった後、オレは短波ラジオを壁に投げつけた。
その後、「心配だから」と北村ご夫妻が、9月の新学期までオレを自宅に置いてくれることになった。
暫くは日本時代の知り合いと会いたくないと思った。そして、北村さんが宮下にオレの気持ちを伝えてくれ、連絡してくる奴は誰もいなくなった。オレも日本には今戻る気も無い。
オレは、気持ちの整理は出来ていなかったが、逆に9月以降の新学期からは、専門学校の勉強とその生活だけしか考えずガムシャラに生きていた。
翌年の3月、井上がロスに来るまでは。




