この街。
初めまして、「人生輝」と書いて”ヒトイアキラ”と言います。
”アキラ”とって言っても、裸になってネタをすることは出来ません。
ただ、心を裸にして文章を書こうと思っています。
この作品の主人公・水島雄一は、年齢や時代毎の社会的環境については、私自身とほぼ同じ影響を受けますが、ストーリーは完全なフィクションです。
”レインポーブリッジ”が出来るずっと前からあった、小さな”虹橋”のお話を読んで頂ければ嬉しいです。
東京23区内でも山の手側を走る私鉄電車は、何故か華やかに感じる。「オレ」水島雄一とって、日常的にその「華やかな電車」に乗る機会は全く無いに等しい。しかし今、「仕事のクレーム処理」を名目に部下で「我が課の20代のホープ」谷口洋介と2人で、全く華やかでは無い気分のまま、その「華やかな電車」の車両に乗っている。
結婚して20年数年、同じ東京でも城東地区いわゆる「下町」を拠点に生活を営み、子育ても「下町」で卒業した50半ばの中間管理職のサラリーマンにとって、こんな後向きな気分になる事情がない限り、”今”は全く縁の無い交通機関である。そう”今では”なのだ。
「『たられば』でものを言うは大っ嫌いだ!」と、部下や近しい人達には常々言っている。そう、それは自分自身の信念であることは間違いない。ただ、例外が一つだけある。
実はオレ自身、幼少期より高校時代の途中までの青春前期、今まさに乗っている「華やかな電車」の沿線に住んでいた。家庭の事情でこの沿線を離れたが、忘れられない思い後悔がある。今でもふとした瞬間、「もし、ずっとここに住み続けることが出来たのならば」と、思いにかられることもあるのだ。
その「華やかな電車」は、まだまだ蒸し暑く熱中症にいつなってもおかしくない8月下旬のとある金曜日の気候を、良く効いたクーラーの中、優雅に走り、我々を「懺悔の場所」へ導くのであった。
「ところで黒木社長の会社は何処の駅だよ」と谷口に尋ねた。「あれ、課長知りませんでしたか。次ですよ。」と谷口。元々、黒木社長が営むアパレル会社”株式会社マリテック”への原材料販売・納品は、我々とは別の部署で我社として古くから携わってきたのだったが、前担当者の定年退職を機に弊課が受け持ち、谷口が担当することとなった。そして谷口が担当になった途端、今までなかったと言われる「納期遅れ」が発生、盆前の納入が10日遅れとなり同社への大きな損害となってしまった。不運にも未だ会社としてキチンとした引継ぎ挨拶もしていなく、不覚にも、責任者であるオレ自身も会社の所在地すら判っていない状況であった。
「そう、次か」と答え、ぼやっと車内の掲示板を見るオレ。その瞬間、謝罪へ行くプレッシャーとは別のストレスが発生した。「馬鹿野郎!オレが生まれ育った街じゃねえか!」と心の中で叫び、約40年間不義理し続けた”その街”に足を踏み入れることになったのであった。
”その街”は都内でも有数の高級住宅地である。緑の多い街並みを谷口と二人「地獄」へ向かう。「課長、助けて貰えるのは課長だけですから、兎に角、お願いしますよ。」。「まあ、やれることは謝ることしかないからな」とちょっと笑って見せたが、谷口には絶対わからない、オレが「二重苦」を背負いながら”今歩いていることを。
”株式会社マリテック”は、幹線道路沿いにあるゆったりとした高級感ある3階建てのビルであった。3階の社長室に通され、20分ほど谷口と二人「判決を受ける被告」の状態で、やたらクッションの良いソファの手前側に座り、社長を待つことになった。そして面会した黒木社長は、非常に温厚な態度で「まあ、お宅との長い付き合いで思えばチョットした擦り傷だよ」と笑って許して貰えた。取り敢えず、二度と不手際の無いようにと念を押され、我々二人は無事「釈放」となれたのであった。
時計は午後3時を指していた。残暑の中、株式会社マリテックから”その街”の駅まで歩きで約15分。オレはヌルまったペットボトルの水を飲みながら歩いていた。途中、谷口が色々と話しかけてきたが「有難う御座いました」って言葉以外は全くオレの頭へは入ってこなかった。
駅に着いたとき「僕はこの後、もう一件営業へ行って直帰します。課長はどうされます?」と谷口。「オレは今朝早くから、海外と電話会議があったんでここで終わるよ。谷口、ご苦労さん。お疲れ!」と言い谷口と別れ、新たに冷たいペットボトルの水を買い、日陰になっている駅前のベンチに座った。
「もう40年、そんなもんかあ・・・」。日本は約1億2千万の人口に対して島国で国土は広くはない。まして、東京の23区内なんて半日あれば何処でも行ける。でも、今日までのオレにとって”この街”は、南米やアフリカと同じ位遠く感じられる場所であったことは間違いない。
自分の記憶を辿り、オレは”この街”の商店街を歩くことにした。1キロ弱あるほぼ一直線のこの商店街は、当然ながら昔とはかなり変わっていた。よく通って本屋、駄菓子やパンを売っていた酒屋等は他の街と当たり前のように同じでコンビニやコーヒーショップになっている。そこにオレは何の感傷もなかった。ただ、商店街が幹線道路へ繋がる出口、その一つ手前にある十字路の左側の角に差し掛かった時、オレの足は止まった。
「駐車場になったのか・・・」
オレはその時疲れを忘れ、500m先にある川沿いの公園へ走った。その公園は山型の古墳から出来ており、公園と公園の間に道路がある。そしてその道路の上には双方の公園を繋ぐ小さな橋がある。虹のような形から「虹橋」と名付けられている。
オレが「虹橋」を渡りかけたとき、突然の豪雨に見舞われた。
「あの時代も、ここへ来ると良く雨が降ったな」
心の奥に閉まっておいた記憶が蘇り、オレは濡れながら、急いでカバンに入っていた折り畳み傘を開き、あの日の事を思い出し感傷に浸った。