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03.ニコチンを寄越せ、今すぐにだ

 





 ああ、畜生。こんなときこそ煙草が吸いたいのに。


 トーマはもはや何度目になるかもわからぬ思いを抱えつつ、備え付けの本棚から抜き出した本――帝国各地の風土について書かれたものだった――に眼を走らせていた。

 まずは、知識が必要だった。

 アーガスライトのクソガキことクラウス・トーマ少年の人生記憶は、たしかにこの体に残っている。彼がどのように周囲に接し、暴君たるに相応しい結果を出したかもすべて思い出せている。

 そのようなハンデを抱えつつ、何とか波風立たない人生を歩むには、学を積まねばどうしようもないのだ(ちなみに、貴族としてさらなる栄達を望むなどという発想は、根っからの小市民であるトーマにはない)。


 それにしても、まさかこの歳になって今更新たな勉強とは。

 トーマはつくづくと神仏と運命を呪った。まあ、社会人になってからもいくつかの資格を取得した関係で、勉学という習慣が抜けきっていなかったのは幸いではある。


 エリックが持ってきてくれた茶を黙々と消費しつつ、トーマはとりあえず本を読み進める。

 未知の国、未知の大陸、未知の世界について知識を溜め込むことはそれなりに面白い。

 きりのいいところまで読み進めてから、栞を挟んで本を閉じる。

 何杯目かの茶を注ぐ。ポットに残された最後の茶だった。

 瞼を揉んで目を休ませてから、トーマはこきこきと肩を鳴らした。

 十一歳の子供としては随分と年寄りた仕草なのは理解しているが、三十三歳の記憶に染みついた習慣はどうにもならない。


 何とはなしに物思いにふける。

 やはり間近に迫っているであろう第二次変容が、今はもっとも悩ましい。

 クラウス・トーマ少年の知識だが、死亡率が二割に達するこのロシアン・ルーレットじみた試練について、歴代のイゼリア貴族諸家は当然のように対策を探し続けたらしい。どんな大貴族であろうと、自分の息子、娘をむざむざ死なせたくはない。


 イゼリアの建国とともに貴族イコール魔導士という図式が成立して五百年。

 医学、薬学、魔導学はもちろんのこと、史学民俗学哲学宗教神話まで総ざらいにした対策が幾度も試みられてきた。


 そして、そのすべてが無駄に終わった。


 一応、第二次変容の時期にはよく休養して栄養を取るべしという経験則はあるのだが、要は風邪の療法と同じで、根本的な治療というにはほど遠い。

 事前に徹底的に強靭に鍛え上げて第二次変容に備えるべし、とする考えも一時期流行ったようだが、統計的に大差はなかったという。むしろ、一般人でいう思春期の前に無理な鍛錬を行ったせいで、かえって体を壊す子供が続出しただけであったとか。

 余談ながら、貴族間では縁組が多いのと同時に、養子のやり取りも一般的である。医学の未発達によりただでさえ幼児期の死亡率が高い上に、問題なく育った子供の三割近くが死亡するイゼリア貴族は、そうでもしないと家系を維持できないのだ。

 貴族諸家の総数が二百家ほどでしかなく、それ以上に増えた試しがないという事実がそれを端的に証明している。

 現在は平和か続いているため落ち着いているが、戦乱期など貴族諸家の総数が百家を切りかけた時期もあったらしい。むしろ今は持ち直している方である。


 そうした中、アーガスライトの本家というべきシュトラウス公爵家は、他家からの養子によって家名を存続させた経験がないという点で、イゼリア貴族でも希少な部類に入る。

 何度か断絶の危機はあったが、その都度死んだ当主の甥やら姪やら従兄弟やら、とにかく血縁を引っ張り出しては当主に据えることで断絶を回避してきたらしい。


 建国以来の血脈を連綿と伝える名門中の名門――


 そして実をいえば、クラウス・トーマの父ことフランツがアーガスライト伯爵を名乗っているのも、シュトラウス公爵家のスペアという意味合いが大きかった。

 フランツは、公爵家の領地を一部譲り受ける形でアーガスライト伯爵家を建てたが、その領地に赴いたことはほとんどない。大体において軍で職務に励むか、そうでないときもシュトラウス公爵領で姉たる公爵の補佐を勤めている。

 彼は、分家の当主としてはほとんど理想に近い人間であり、敬愛する姉クリスティーネの右腕たることに完全な充足を覚える男であった。

 そんな男だから、息子たるクラウス・トーマについても、当然のように「本家の嫡流に何かあった際の予備」以上のものを求めてはいない。

 実際、クラウス・トーマはアーガスライト伯爵領の邸宅で養育されたが、先述のように父がこの屋敷で過ごした時間などたかが知れていた。いいかえれば、物心ついて以来父と顔を合わせた回数自体が両の手で数えられる程度であった。夫人はといえば、とうの昔に亡くなっている。

 クラウス・トーマ少年は論議の余地なくクソガキであり暴君であったが、こうした背景を考えると同情の余地はあるような気がしないでもない。付き合わされる方はたまったものではなかったろうが。


 まったくもって他人事として考えているトーマだが、別にその認識を改める必要は感じなかった。

 何せ彼には三十三年間に及んだ葛城当麻としての記憶と自我があり、既に納得してその生涯を閉じた経験もある。

 進んで二度目の死を求めるほど酔狂でも自棄的でもないが、進んで重荷を背負うほど殊勝な神経の持ち合わせもなかった。

 世の中、深刻ぶるより気楽に構えた方が精神の安定には好ましい。もともと葛城当麻とは、諦めの良さと割り切りの早さには定評のある人間だった。


 カップの茶を飲みきり、お代わりをもらえんものかと思った頃、ノックの音が響いた。エリックかと思ったが、先ほどのより音が小さい。


「誰だ」


 いってから、微妙に後悔する。どうも、この体で記憶を取り戻して以降、物言いが傲慢になっている。

 不審を持たれぬよう、暴君らしくあるていど意識してそう作っているのも確かなのだが、何気なく発した言葉がどこから聞いても傲慢極まりない響きになっているのはどういうことなのか。

 体に染みついた声音だとしたら、背景がどうあれどんなクソガキなのだと自分の体にツッコミを入れたくもなる。

 ある意味、もはや体に組み込まれた仕様なのだと納得するしかないのかも知れない。


「「し、失礼いたします……」」


 応える声は二人分。聞くも哀れに震えていた。


 しずしずと入室してくる双子の少女の姿に、トーマはしみじみと思った。


 ――暴君に仕える双子の美少女。

 素晴らしい勇気、素晴らしい義務感、素晴らしい職業意識。

 そして素晴らしいシチュエーション。

 でも、瞳にハイライトのない娘に世話されて平気な人間にはなりたくねぇわ。




 





「…………」

「…………」

「…………」


 双子――アリアとサイアは、汚れを落とし、着替え、身なりを整えていた。

 見た目だけならまことに可愛らしく、将来が楽しみになる娘たちである。

 その眼にハイライトがなく、その手がかすかに震えていなければ、だが。

 実のところ、21世紀の日本に生きていた頃の葛城当麻は子供を苦手にしていた。特に泣いている子供は苦手だった。どう接すればいいのかまったくわからない。

 まったく、どうしろというのだ。

 とりあえず手持無沙汰に選んだ適当な本をぺらぺらと開きながら、トーマは思った。

 アリアとサイアは入室し、ドアの傍に控えたまま無言で突っ立っている。


「…………」

「…………」

「…………」


 一体何の用やねん、と問いたいところなのだが、これが彼女たちの仕事の一つなのである。

 アーガスライト伯爵家のクソガキの傍らに常に侍り、気まぐれに発される命令に従う、という。

 それはおそらく、この屋敷においてもっとも過酷で無意味な仕事であった。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 沈黙が痛い。

 彼は、クラウス・トーマ・フォン・アーガスライト・シュトラウスのかつて備えていたであろう神経につくづくと呆れた。

 肌に痛いほどのこの空気を毛ほどにも気にしないとは、どんな脳の造りをしていたというのだろうか。いっそ羨ましい。見習いたくはないが。


「…………おい」


 沈黙に耐えきれたのは三分足らず。

 人間、しかも年端もいかない子供を木石の如く無視する習慣のないトーマは、おもむろに口を開いた。

 それによって二人の肩がびくりと震えるのは、これもまた仕様であると諦めて見て見ぬふりをする。


「茶をくれ。茶菓子もほしい。量は多めで」


 空になったカップを示しながらいうと、二人は弾かれたように動き出した。

 始動はまったく同時。それでいてぶつかり合うこともなく。ほんの一刹那だけ交わされるアイコンタクト。サイアがポットとカップを盆に載せ、アリアが布巾を取り出しテーブルを拭く。

 まことに流れるような連携――そして、一つの事実にトーマは気づいていた。

 とりあえず無言で仮定を組み立てるトーマの前で、サイアがぺこりとポニーテールを揺らしながら一礼し、茶を淹れ直すべく退室していく。

 アリアは布巾をエプロンドレスのポケットにしまいつつ、一礼して元の位置に戻る。機械でもこうはいかないだろうと思える仕草であった。


「……はっ」


 苦笑を内に秘めようとしたが、思わず口から漏れた。

 アリアを見やる。

 彼女は、今度は震えていなかった。

 真下を向き、目を合わさないようにしながら、それでも気丈に恐怖を抑えている。


 トーマは先ほど双子が交わした視線の意味をつらつらと考えていた。

 茶を申しつけられた。つまり、一人はこの部屋から離れられる。

 残る一人はこの部屋に残される。暴君と、二人きりで。

 あの視線は、どちらが人身御供を担うかを瞬時に相談し、決定していたのだ。

 理不尽な暴力から一人が逃れ、一人が引き受ける。そうして二人はこの屋敷で、クラウス・トーマの傍で生きてきたのだろう。

 賞賛すべきは、どちらとも、自分が逃げようとは欠片も考えてはいないことだ。先刻の一瞬、二人ともがエプロンドレスから布巾を取り出しかけたことを、トーマは見逃していなかった。

 そして今、先刻まではトーマの一挙一動に震えていた娘が、片割れがいなくなるやその恐怖を押し殺し、敢然と立っている。

 なるほど、最大の恐怖は自分ではなく相方が害されること、ということだろう。

 状況が許せば頭の一つも撫でて褒め称えるのだが。

 キャラクター的にそうもいかないトーマは、せめてもの最低限の気遣いを口にした。


「……体は、大事ないのか」


 俺がいえることではないんだがな、と思いつつ、他に何をいいようもなかった。

 アリアは驚いたようだ。

 ほんの刹那だけ目を丸くし、慌てて一礼する。


「お気遣いいただき、光栄にございます。お勤めを果たすに支障ございません」


 つまり、青痣の二つや三つはついてたってことだろうな――婉曲な物言いの裏にある事実を見てとり、トーマは苦い思いを噛みしめる。

 大人の筋力で子供を蹴り飛ばせばそうもなろう。骨にひびが入っていないことを祈るばかりだ。


「その……先ほどは、申し訳ございませんでした。責任は、すべて私に……」

「詫びなどいらん」


 より正確には詫びるべきなのはトーマの方なのだが。しかし、伯爵家のクソガキがいきなり殊勝になって頭を下げるなと、違和感どころの騒ぎではない。

 なので彼は、傲慢なりに少女の緊張をほぐすべく、雑談を振ることにした。


「……お前たちが僕の側付になってどれくらいだったか」

「三年になります」

「そうか。何歳になった」

「十歳、だと思います」


 思います、って何じゃい。そうツッコミかけ、トーマは思い出した。

 この双子には親がいない。

 使用人の一人の遠縁の娘らしいのだが、父母ともに三年前、流行病で世を去った。それを耳にしたアーガスライト伯フランツが、息子の遊び相手兼小間使いにはちょうどよかろうと引き取ったという経緯がある。

 亡くなった双子の両親は、娘たちの誕生日を祝えるほど余裕のある稼ぎはなかったらしい。母親の方は病弱で、父親の方は悪人でも愚かでもなかったが要領が悪く、大した仕事にはつけなかったとか。

 とはいえ、双子の娘に対しては優しく、愛情を注いでおり、亡くなる直前に遠縁の女(アーガスライト家の使用人)に頭を下げ、なけなしの蓄えを差し出して娘たちのその後を託したとか。


 ――その結果が暴君の生贄なのだから、ご両親も浮かばれまいに。


 アーガスライトの馬鹿野郎と毒づきたくなるトーマである。


「貴族か騎士であれば変容の時期だな――」


 思わずそう口に出したのは、我が身を省みた単なる愚痴である。

 何が悲しくて二度目の死の覚悟を決めねばならんのだと思うと、煙草の一本も吸わねばやってられない。

 そしてその煙草も吸えないとなれば、やってられるかこのボケと罵りたくもなる。おお、ジーザス。ゴルゴダの丘に立ちあう機会があれば聖槍の五、六本も投げつけてやったものを。


「――忘れろ。阿呆なことをいった」

「…………」


 アリアは無言で一礼する。


「サイアは――」


 その名を出したのは、ただ単に会話が続かなかったためでもある。世間話の鉄則その一は天候の話題。その二は身内の話題と相場が決まっている。

 が、名前を出したはいいのだが、とっさに何を言うべきか困ってしまった。

 サイアは元気か。さっきまでいましたよね。可愛い妹さんですな。同じ顔じゃ。将来が楽しみですな。おまわりさんこっちです。

 どうでもいいようなことを考えつつ、それでも当たり障りのない言葉をどうにかひねくり出す。


「――仲がいいのだな、お互いに」


 見りゃわかるだろうが。

 内心で自分にツッコミを入れるトーマの前で、初めてアリアの表情が恐怖や当惑以外の感情に揺れた。ある種の確信と、決意と、底知れぬ愛情。


「……サイアは、私の半身です」

「そうか」


 トーマはうなずいた。彼は、葛城当麻としてもクラウス・トーマとしても一人っ子なので、兄弟姉妹がいるという感覚には馴染みがない。

 もっとも、アリアとサイア、この双子についていえば、通常の姉妹よりもよほど結びつきが強いことはわかる。

 親はすでに亡く、暴君の不条理に二人で耐えているのだから当たり前といえば当たり前なのだろうが。


「せいぜい大事にすることだな。誰であれ何であれ、逝くときは一瞬だ」


 台詞の後半は、これまた我が身を省みた一言であった。

 嫌味でも脅迫でもなく、実感のこもった――表現を変えれば、真に迫る物言いに、アリアが不思議そうな顔をする。

 トーマは苦笑して手を振った。

 扉の向こうで、ぱたぱたと足音がする。

 双子の片割れは、えらく急いで戻ってきたらしい。





 

 

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