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01.彼は死んだ、藁のように。




 死ぬ感触というものは、なかなかに新鮮なものだ。

 葛城当麻はぼんやりとそう思った。





 当年とって三十と三歳。

 成人式を迎えて間もない、あるいは迎える以前の新入社員たちの若さが眩しく感じ始めた今日この頃。初夏の日差しが肌に厳しくなり始めた一日。


 その日、葛城当麻は死んだ。


 死因はどうということはない交通事故。

 社用車を運転中、信号無視で突っ込んできたトラックに車ごと押し潰されたという、実にどこかで聞いたようなありふれた事故である。

 事故発生から死去に至るまで要した時間は約二時間。トラックが突っ込んでくる直前に確認した車の時計と、最後に視界の端で垣間見た病室の時計からして間違いない。

 二時間かけて死んでいくというのはまったくもって斬新な感覚で、できれば二度と体験したくはないものだった。

 奇妙なもので、事故をした瞬間の記憶は曖昧なようでいて鮮明だ。何が何だかわからなかったのはたしかなのだが、体のありとあらゆる箇所に何かがめり込み、抉られ、肉・骨・臓腑がへしゃげていく感覚は恐ろしいほど鮮明だった。

 そして、頭の中で何かが弾けて切れるような感覚があり、次に確信が来た。


 ――あ。こりゃ死んだわ。こいつは絶対だ。間違いねぇ。


 続く一時間ほどは半狂乱に近い有様だった。

 傍目には全身致命傷だらけで身動き一つ取れず、意識もないように見えたろうが(というより、命もないように見えたろうが)、脳髄の奥で葛城当麻はまったくもって錯乱していた。

 脳に損傷があったならまだ話は変わったかもしれないが、不幸にして彼の頭部には大した損傷がなかったため、その思考は死へと至る時間を良くも悪くも満喫していた。


 ――何で俺が。まだ四十にもなってねぇよ。

 人生五十年どころの騒ぎじゃねぇっスよ神様。おお仏陀、貴方はまだ昼寝をしているのですか。

 いやいや昨今の医学はスゴいし、半身がミンチになってても生き残れるかも。

 死にたくないよ、やっぱり。ジーザス。煙草吸いたい。畜生。

 天国の親父にお袋、お招きはまだ早いと思うんだ。

 それにアレだ、統計的に見て、交通事故の件数と死者数を比べれば、割合的には後者の方が断じて小さいはず。

 確率的に助かる。

 助かるはず。



 以上のようなことを繰り返し繰り返し考えて一時間。

 その次に、考え疲れたのか諦観が来た。


 ――つってもなー。人間死ぬときは死ぬわけね。

 交通事故の死者が必ず助かるなら、世の中交通安全週間なんてものはねぇよ。甘ったれんなよ、俺? 人ってのはさくっと死ぬ。

 詩的にいうなら、桜の花が散るのを止められないように、ってところだ。

 ああ畜生、もっと遊んでおくべきだった。いや、無理か。小市民な俺には派手な遊びなんてできんわ。




 このように、自分の生存を諦めて三十分を過ごした。

 そして、最後の三十分は自分の人生を見つめることに費やした。


 ――まあ、親父もお袋もなかなかによき両親だった。

 親父は五年前に病気で、お袋は三年前に事故で死んじまったが。

 厳しいところもあったがいい両親だったことは断言できる。もっと親孝行したかったな。

 ガキの頃はそれなりに友人もいた。うち何人かは今でも付き合いがある。いい奴らだ。

 会社はきつかったがうまくやれていた。

 課長、世話になったけどすいませんね。貴方の部下は仕事中に逝くことになりました。いろいろ目をかけてもらって仕事教えてもらったのに。あんたがいたから辛いことがあっても頑張れた。

 部長も、少しうざいところはあったが何度も飯をおごってもらった。

 同僚連中は、嫌な奴もいたが、いい奴の方が総じて多かったな。

 うん、こうして考えると、決して悪くない人生だった。



 これが走馬灯で、ある意味悟りというものか。

 葛城当麻はそんなことを考え、自分自身に苦笑し、そしてそれが悪くないと思えるほどには達観した。



 そう、悪くない。

 いい人生だった。

 誰にも否定させない。

 世界には嫌な奴もいて、嫌なこともある。

 でも、いい人、いいことの方がきっと多かった。

 そう断言できるのは、何より幸せなのだろう。




 かようにして、彼は死んだ。

 享年三十三歳。

 最後に思ったことは、煙草吸いてぇな、であった。誰にも伝えられず誰も知ることはなかったが。


 彼は納得して逝った。

 人生最後の二時間で、有り余る恐怖と絶望を踏破し、現実の死を受け入れ、これまでの生涯を幸せだったと笑った。

 素晴らしき人生。どこにでもいるありふれた人生。けれども、いい人生だった。それで十分だ。


 ……彼は納得して逝った。

 逝った、はずだった。

 だというのに。













「ああ、若様! どうかしっかりなさって下さい!」

「い、医者! 医者を……!」


 目を開けると、そこは草原だった。

 もとい。草原ではないが、狭い日本に生まれ育った者としてはそう見間違えても仕方のないほど広大な庭の片隅だった。彼はそこにぶっ倒れていた。

 狼狽しつつ取り囲んでいるのは、メイド服を着た少女と、黒いスーツを着た初老の男。

 いや、それだけならまだいい。おたくらどこのメイド喫茶の営業だ、とツッコミを入れればそれで済む。

 最大の問題は、だ。


「…………おいコラ」


 むっくりと起き上がり、じっと手を見る。ついでに投げ出された自分の足も確認する。何というべきか、見慣れた無骨な手足ではなく、随分とまた可愛らしく縮んでしまった色白の手と足が見て取れた。

 そして、脳髄の奥でそれが当り前のことだと断ずる意識。

 アーガスライト伯爵家が公子、クラウス・トーマ・フォン・アーガスライト・シュトラウス。

 それが自分の名だと自覚できてしまう。


 当麻は――トーマは、とりあえず天を仰ぎ、心配げに見る二人の男女を意図的に無視しながら呟いた。


「……Oh my God」


 まさか漫画でしか拝んだことのない台詞を大真面目に吐くことになるとは、我ながらまことに感動的ではあった。








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