序幕
電撃大賞長編小説部門に投稿した小説です。
江戸時代と妖怪をイメージしたものを書いてみました。
江戸時代のことを色々と調べていたのですが、はっきりとしたことはなかなか把握できなかったので、その大部分はイメージとなっています。
今後の参考にしますので、感想をいただければとても嬉しいです。
引き攣った悲鳴が闇夜の帳の中に吸い込まれた。
生温い風にそよぐ雑草。
ぴたりと止まった虫の鳴き声。
叢の中で転がっている駕籠舁と用心棒の遺骸。
そして闇の中で刀を手に佇む風袋の分からぬ下手人。
突然の出来事に思考の歯車が空回りし、男は彫像のように硬直していた。目をこれ以上ないというほどに大きく見開き、浅い呼吸を必死に繰り返す中で辛うじて分かったのは、下手人が自分に殺意を向けているという事だけだ。
脳裏に目の当たりにした悪夢がちらつく。名うての猛者である用心棒たちが、ふらりと現れた下手人により、瞬く間に、そして実にあっさりと、一刀の下に斬り伏せられてしまったのだ。
ふいに下手人が一歩、また一歩、と男との距離を縮めてくる。
男は慌てて懐をまさぐり、取り出した財布を下手人に向かって放った。
しかし下手人は興味がないとばかりに財布を踏みにじる。
嬲るような鈍い足取りで近づいてくる下手人と男との距離は僅か三丈弱ほど。
それが余命となりかねない事実に慄然とした男の視界は極度の恐怖で揺らぎ、無意識の内に歯軋りをしていた。どこからか自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、それは幻聴なのか。
兎にも角にも、男は蛙のように這いつくばって必死に命乞いをした。
しかしそれで助かるとは欠片ほども思っていなかった。
乾ききった喉に生唾を押し込み、嘔吐きながらも、鉛のように重くなった右腕をそっと懐に忍び込ませる。そして実際に使う想定などしていないものの、護身用に用意していた匕首の柄を握った。
極度の緊張感と恐ろしさに耐えきれず、気が遠退いてしまいそうだ。しかしここをどうにか凌がなければ、用心棒たちと同様に斬殺されるだろう。武芸に縁はなく、それどころか子供の頃から喧嘩に勝った経験もないが、それでもやらなければならないのだと、必死に自身を説き続ける。
下手人は男の前に立った。刀をだらりと下げている。反撃してくるはずがないと高を括っているのか、それとも単に油断しているのか。
好機。理由はどうであれ、男にとっては千載一遇のそれに間違いない。
男は自らを鼓舞すべく奇声を響かせた。
弾けるように飛び起き、下手人の左胸を目がけて匕首を突き出す。
そして、鈍い感触が腕の中で響いた。