1、正式なる邂逅
その"化け物"が現れた300年前、世界は滅びへと向かい始めた。
【1、正式なる邂逅】
ひゅうっ
得意の口笛を高らかに鳴らすと、CCたちの視線が一気に集まって来たのが分かった。彼は自ら注目を向けさせておいて、その醜悪な視線や姿形に顔をしかめた。
(相変わらず、くっさいなーコイツら。オイルと硫黄の臭いがする・・・って、まぁ、オイルと硫黄なんて混ぜたことないんだけどねっ。)
ひゅぅういっ、ひぃっひぃっ
挑発するように何度も吹き鳴らす。CC――creepy・chimera――気色悪い合成獣。なんと安直なネーミングだろうか。しかしその名が表す通り、そいつらの相貌はすべていくつかの獣が混ざった姿をしている。ライオンにワシの翼、尻尾は2匹のヘビ、というのが一般的なキメラの像だろうが、そんな格好の好いものはいない。
(何だろうアイツ・・・ウマ? クマ? なんか、ケンタウロスみたくなってんなー・・・・・・あっ、違う、下半身シマウマだ。しかも顔だけサルっぽいし。うっへー、気持ち悪っ。)
うえっ、と舌を出す。色は黒オンリーで良かった、といつも思う。これで元のままの色が付いていたら、気味の悪さは2倍程度ではきかなかっただろう。
あいつらと本格的に戦うようになってから、もう5年ほどになるのだが、『気色悪い』と感じるのは生理的なものなのか一向に慣れられそうにない。2つと同じ怪物に遭うことはなく、目新しさが常に更新され続けているのも原因の一端に違いない。
走りながら右腰の剣を抜く。細長い西洋刀。3代目となる愛剣だ。
(今日はー・・・うーん、そうだ、この曲にしよーっと。)
ひゅっりひゅっりひーらりーら、ひゅーられーらひゅーりらーら・・・
ドヴォルザークの『ユーモレスク』
荒廃した戦場にはまるで似つかわしくない明るい旋律が流れだす。
奴らの注目を一般人からそらし、一般人が逃げる隙をつくりながら、殲滅する。これが彼の―――CCレジスタンス、アザワ リンの役割だ。
†
奴らの前で口笛を吹くなど、ただの自殺行為だ。
あの、図鑑からランダムに選んだ数匹の動物をばらばらにしてからごちゃ混ぜにして組み直した、というような姿の人間を喰う怪物――便宜上、軍部では"X"と呼ばれている化け物――は、何故かは知らないが口笛の音に敏感に反応し、発生源を執拗に攻撃する性質があった。だから人類は生き残るため、口笛を吹く、という行為を捨てた―――あの戦闘狂を除いて。
「あー・・・また居ますね、彼・・・。」
隣でトラックを運転する部下が呆れ半分にそう言った。
「そうだな。」
素気なく返し、戦場に目を遣る。
茶色い頭の青年。片手に細身の剣。Xたちに囲まれ進退窮まった状態でありながら、一歩も引く様子はない。むしろ1体、また1体と、Xを着実に減らしていっている。
(気に入らないな。あの死にたがりめ。自殺なら余所でやれ。)
まったく気に食わない。しかし、正直惚れ惚れするほどの戦いぶりだった。
耳を澄ます。風向きの所為か、微かに、口笛の音が聞き取れる。
(この曲は・・・何なのだろう。)
怪物が現れた当初、口笛だけでなく"音"全般が怪物の気を引くと考えられていた時期がある。その間に音楽は廃れてしまった。彼が生まれた頃にはすでに、ほとんど演奏などされなくなっていた。だから、どんなに有名なメロディーであろうと知らなくて当然だ。それでも、
(この場所には似合わない曲だな。)
とは思った。
旧型の通信機に向けて端的に問う。
「数は。」
『29―――いえ、28です。』
また1体、彼が倒したらしい。このまま放っておいても彼がすべて倒してくれるのではないか、という埒もない考えが一瞬だけ浮かんだ。すぐに掻き消す。
「A班、民間人の避難誘導を。」
『はいっ。』
「B班、戦闘用意。」
『はいっ。』
「着き次第戦闘に入る。」
戦況を見極め、正確な指示を淡々と下し、民間人の安全を最優先に確保する。それが彼―――国営正規軍中佐、ヤヅキ シマの役割だ。
†
リンが距離を取った瞬間を見計らったように、背後から銃声が響いて、CC達の前線を押し下げた。次いで押し寄せた大人数の足音に囲まれて、あっという間に戦場から遠ざけられる。
「おー、正規軍の皆々様じゃあございやせんか。相変わらずの重役出勤ぶりで。」
リンは茶化すように言ったが、生真面目な軍人たちは彼を一瞥もしないで隊列を組む。リンはいーっと歯を向き出し、袖で額をぬぐった。
「全体、構え。」
ロボットのように冷徹で感情の無い声が号を飛ばし、忠実に従った部品たちが銃口を怪物へと向ける。
「撃て。」
真っ黒の筒が一斉に火を噴き、破裂音をまき散らす。
(この音聞くと、走り出したくなるんだよねー。)
西洋刀の背で肩を叩きながら、リンは呑気に、炸裂する弾丸の行方を眺めていた。正規軍が到着すれば、この場の勝利はほぼ確定したも同然だからだ。
正規軍の火力はレジスタンスとは比べ物にならない。拳銃や剣などを駆使したゲリラ的な近接戦を得意とするレジスタンスに対し、正規軍は重火器や爆弾を主力とする遠距離殲滅戦を得意としている。
(だから、立ち上がりが遅くて余計な被害者が出るんだけどな。)
仕方がない、とは思わなくもないが、それでもリンは正規軍の鈍さが嫌いだった。
火薬の臭いに混じって、CCの臭いが薄まっていく。
「詰めろ。一気に叩く。」
冷酷無比と名高い司令官の的確な指示に従って、軍が前線を押し上げる。片が付くのは時間の問題だろう。
もう俺は必要ないかな―――そう思ったリンがこっそり立ち去りかけたその時。
(っ、新手だ!)
一瞬で濃くなった化け物の臭い。どこからか、新しく、現れる!
(どこだ? どこから来る・・・?)
灰色の空へ向けて鼻をうごめかせ、出現地を割り出す―――わかった。
「おいっ、あんたっ、」
後先考えず、無遠慮に叫んでいた。氷の司令官が眉一つ動かさずにリンを見る。リンは剣を構えて地を蹴った。
「真後ろに来るぞ!」
言ったとほぼ同時に、まるで影から生まれ出たかのような唐突さと素早さと意外さをもって、1体のCCが彼の背後に出現した。
(あ、やべっ、間に合わないかも・・・!)
予想よりも近くに出やがった。リンはもっと早くに気付けなかった自分に歯噛みし、いっそう強く踏み込んだ――が、遅い。間に合わない。
司令官の無防備な背中に牙が突き立てられる―――
―――と、見えたその時。
彼がすっと振り返った。リンが徒競走のスタート音みたいだと思っている音より数段重たい銃声が続けざまに響く。
リンは足を止めた。そして、
「――忠告、感謝する。」
時が、止まった。
硝煙たなびく大型の拳銃を片手に、肩ごしにこちらを見た彼の、冷たく、しんと降り積もる雪のような清冽な声を、半ば呆然と聞く。ああ、彼は瞳までも氷のようなんだ、と、幾度目かとなる邂逅で初めて気が付いた。
彼の背後で、頭部を撃ち抜かれた化け物が粒子となって空気中に消えさっていったのが見えた。
†
レジスタンスの男が「真後ろに来るぞ!」と叫んだ。何がだ、と思ったシマの背筋に、次の瞬間、悪寒が走った。反射的に腰のホルスターから銃を抜く。スライドを引きながら反転。すると、目の前に大きな牙が並ぶ頭があった。オオカミ、それかイヌ。判別は付かない。付けている暇もない。シマは迫って来た大口に怯まず銃の先を突っ込んだ。一気に引き金を引く。
ゼロ距離からのヘッドショット。Xの頭がサイレンサーのような働きをしたのか、やけにくぐもった音がした。急所は貫いたはずだ。念のためにもう2発ほど撃ち込んでおく。
計3発の弾丸を頭部に埋め込まれたXは、ゆっくりと後ろに傾ぎ、地面に倒れ込むまでもなく、採取すらできない小ささの粒子となって宙に消え始めた。この化物は死体を残さない。だから、研究が進まない。普通の攻撃が普通に通用するという点も、人々の探究心を焦らせない要因となっている。
シマは首だけで振り返った。
危機を知らせてくれたレジスタンスの男。細身の西洋刀を左手に立ち尽くし、目を真ん丸に見開いてこちらを凝視している。ふわふわの毛玉のような茶髪。西洋刀と似た細身の体形。爛々と輝く金色の瞳。何故かシマは獅子を連想した――こんなご時世、動物に例えられることは不名誉ですらあるというのに。それ以外浮かばなかった。資料映像に残っている、草原に悠然とたたずむ金獅子。孤軍奮闘する姿を見ていたからかもしれない。
その彼に向かって言った。
「忠告、感謝する。」
実のところシマは、久々に陥った窮地に、声が震えやしないかと少々怯えていた。きちんと普段通りに話せたので安堵する。
獅子の青年が「あ、あぁ、うん、どーいたしまして・・・。」と言うのをそむけた顔の側面で聞いた。拳銃を仕舞う。
数人の部下がシマを気にして振り返った。しかし、彼が例の氷の視線で見返すやいなや、慌てて戦場に向き直った。
†
CCの臭いは完全に消え、空気が正常になっていく。清浄、ではないところが少々残念ではあるが、空の色は灰色なのが当たり前の現代に、清浄な空気など望めたものではない。
軍人たちが後始末のためにあちこち走りまわっているのを見ながら、リンは彼の指示出しが一段落つくのを待って、隣に近寄った。
「ね、軍人さんっ。」
アイスブルーの瞳は一瞬だけリンを映し、すぐにそっぽを向いた。
「なんだ。」
それでも完全に無視することなく返事をしてくれたので、きっと根は良い人なんだろうなー、とリンは思う。
「さっきは凄かったなー。俺びっくりしたよ! ぜってぇ間に合わねぇと思ったし。もしかして、前は現場にいた?」
「・・・それを聞いてどうする。」
「えー、単なる好奇心ー。」
へらっと笑って彼の顔を覗き込みながらそう言うと、彼はしばし黙って、リンを視界に入れないようにしながら「・・・あぁ。ついこの間までは前線にいた。」と小さな声で答えた。
ほとんど抑揚の付いていない声に、ほのかに暗い影が落ちるのを感じ取って、リンは姿勢を正した。こんな世の中だ――上官の戦死など、ままあること。かく言う彼自身、つい今しがた鬼籍に名を連ねかけたばかりである。
「そうなんだ。」リンは話を変えた。「ね、あんたさ、なんで軍にいるの?」
「そう言うお前は何故レジスタンスにいる。」
冷静に切り返され、リンは言葉を詰まらせた。
「・・・っとー、一言じゃあ、言えない、かな。」
「だろうな。私もそうだ。」
「あはは、なるほどねー。」案外話の出来る奴みたいだ。「その銃、見たことねぇんだけど、なんてやつなんだ?」
「ただの官給品だ。」
「旧型?」
「ああ。」
「なんで新型じゃないの?」
「旧型の方が、耐久性が高い。」
「へー、そうなんだ! 新しいのの方が良いと思ってたよ、俺。」
「過酷な環境を想定して設計されているからな。」
「あぁ、なるほどねー。なんか納得。」
ね、ところでさー、と話を続けようとしたリンだったが、彼の部下の1人が駆け寄って来てそれを遮った。
「被害状況の確認、完了しました。」
†
曹長の報告を受け、シマは頷いた。
「只今より帰投する。」
「はいっ。」
隊員たちを車に乗せるために曹長が踵を返す。シマもその背に続く。直前、無意識に彼を一瞥していた。茶髪に金の目。別段、何を思ってというわけではない。別れの挨拶をするような間柄でもない。ただ、ずいぶん久しぶりに普通の会話をしたような気がした。それで――もしかすると――名残惜しかった、のかもしれない。
だから、
「あ、待った待った。」
と、背後から突然、左腕を掴まれたことに対しても、あまり嫌な気はしなかった。スキンシップを好まないシマにとっては珍しいことである。きっと、彼の緩すぎる表情筋の所為だろう。警戒心を抱くのが馬鹿らしく思えてくる。それほど緩々の笑顔。
「せっかくだからさ、名前、教えてよ。ねぇ。」
何が『せっかくだから』だ。レジスタンスとはいえ民間人。名前を名乗ってどうする。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。それに、名を名乗ったら色々と不都合がある。躊躇いが口を閉ざす。獅子の青年の金色の瞳が瞬いた。よくしゃべる目だ―――名前、教えてくれないの?
そうして、次に開いたシマの口から出たのは、自分でも驚くほどの従順さだった。
「―――ヤヅキ・・・ヤヅキ シマ。」
「シマ!」彼は目を輝かせてシマの腕を離した。「そっか、シマ、ってんだな。よし、覚えた。」
「・・・お前は。」
自分だけ名乗ったのが気に入らない。それだけの理由でシマは尋ねた。
「ん? 俺? 俺はねー、リン。アザワ リンってーの。よろしく、シマ!」
友好的な言葉に応える術をシマは持ち合わせていなかった。代わりに飛び出てきたのは、「―――では、アザワ リン。レジスタンスだろうが民間人であることに変わりはない。今後は戦闘をしないように。いいな。」という、酷く一方的で軍人的な命令だった。
獅子の青年――アザワ リンは、眉をひそめてシマを見上げた。目測、身長約168から170センチ。10センチ近くの差があるようだ。
「えー、だって、正規軍さんたち遅ぇんだもん。民間人を戦わしたくなかったら、もっと早く来ればいいじゃん?」
「・・・善処する。」
「あ、でも、シマの部隊は他んとこより全然早いよな!」
「そうなのか。」
「うん、俺いっつも感心してんだー。だって、シマの部隊くらいだぜ? 俺が半分以上やっつけちゃう前に来てくれんの。」
「そうなのか。」
「そうだよー。ま、なんにせよ、レジスタンスは機動力の高さが売りだからな。初期対応はお任せあれってね! 性質が違ぇんだから、この際きっぱり役割分担しちまえばさ、何かと効率的だって思わない?」
「・・・。」
その通りだ。と、思ったが、シマは何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
「中佐、準備整いました。」
部下の呼び声。応えて踵を返す。タイミングがタイミングであっただけに、『敵前逃亡』という文字がわずかに脳裏をよぎる。それを打ち消すため、今後のスケジュールを頭の中で組み立てた。
「んじゃ、シマ、またなー!」
背中越しに、能天気な声と手を振る気配。
シマが振り返ることはなかった。
†
リンは砂煙を立てて走り去ったトラックを見送って呟いた。
「ヤヅキ、シマ、か・・・。」
母親の胎内に、表情とか、感情とか言ったものをことごとく忘れてきたかのような、氷の男。たぶん同年代。リンの周りにはまったくいないタイプだ。だから、というわけではなかろうが、リンは彼に興味を持っていた―――惹かれた、というべきかもしれない。彫刻のごとく奇麗な顔に、不測の事態にも怯えぬ物腰。なのに、どこか『恐る恐る』といった雰囲気の話し方。
「・・・あの氷―――溶かしてみてぇなぁ・・・。」
面白いことになりそうだ。
リンは目を細めて笑い、バイクに飛び乗ると、危なっかしい手付きで地面を蹴った。




