第二章
第二章
昼休み。移動教室での授業が多い時間割にしては珍しく、次の授業は移動教室でなかったので俺は廊下の窓枠に体重を預けて考え事をしていた。口にはチョコ味のスティック菓子を一本咥えて上下にピコピコさせているが、決して口が寂しいから咥えているわけではない。弁当が少し足りなかったのである。伏せがちな目は眠たいわけではなく元々だ。誰だ、陰気っぽいと言うのは。
「どうしようかなぁ……」
大枝佳苗生徒会長から聞いた《夜の妖精》の噂。興味を惹かれたし、噂が流れたり、枕どころか布団一式が作れそうな量の書類を生徒会に与えたりするという結果が、どんな原因で起こり得たのか知りたい。良い加減生徒会の仕事の度に向き合う書類の山からも逃げたいし、全ての問題を解決するために俺は《夜の妖精》の噂を調べたかった。
しかし先にも言った通り、うちの高校の時間割は移動教室で行われる授業が多い。更にこの学校は無駄に敷地が広く、移動教室の授業の時は大抵敷地の端から端まで移動させられる。学校に慣れていない間は十分しかない休み時間など全く足りず、授業に遅刻してしまうことも多々あるほどだ。今のように移動教室じゃない授業の時もあるとはいえ、それは稀である。とても休み時間に噂を調べる余裕はない。
それなら放課後は調べられるのかと言えば、こちらもまた無理だ。今は文化祭まであと三日という状況。クラスでの出し物の用意を手伝ったり、それがなくても生徒会の仕事が忙しかったりとやはり余裕はない。手伝いも仕事もサボれば調べられるだろうが、そんなことをすればクラスメイトには責められ、生徒会室で俺と二人だけで事務仕事をしている会長には全てのしわ寄せが行く。そんなことは出来ない。何とか調べたいという思いは強いものの、現実的に考えてそれは難しく気持ちばかりが俺の中で空回りしていた。
「どうしようかなぁ……」
万策尽きたか、と思わず溜息を吐いて菓子を落としそうになった瞬間、遠くから大声で呼ばれた。野太く低い、しかし不快には感じさせない体育会系の声である。思わずゲンナリとしてまた菓子を落としそうになった。
「おーっす、前川! 暇か?」
廊下にいた人たち全員が驚いたように声のした方を向き、続いて俺に視線が注がれる。やめてくれ、どんな罰ゲームだよ。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。誰だよ、こんなことをする奴は。いや、そんなの一人しかいないけど。というか一人もいらないけど。
顔をしかめつつ振り返るとそこには案の定、生徒会役員であり俺と同じ一年生である近藤英一がいた。初めて近藤を見た人は生徒会役員というよりも野球部員だと思うことだろう。がっしりとした体格に刈り上げた黒髪、健康的に日焼けをした浅黒い肌は明らかに体育会系のものだ。その認識は間違っておらず、奴は実際中学まで野球部に所属していたと聞いたことがある。高校に入ってからは夢であるパティシエになるため、料理や勉強に専念したいと野球を止めたらしいが勿体ないことだ。パティシエよりも野球をやっていた方がずっと奴らしい。まぁ、人様の趣味や夢に文句を言うつもりはないが。生徒会には内申の点数稼ぎもするため入ったと言っていたが、こいつはよくアホな冗談を言ったりしたりもするため、冗談なのか本気なのか判りにくい。
俺はこいつが苦手だ。何かある度に大声で話したり、あまり深く先を考えず行動に移したり、無駄にポジティブだったりと苦手な部分は多くあるが、それらはまだ許容出来る。最大の問題は何かと言えば、なんだか直感的というか生理的というか、とにかく俺とは合わない気がするのだ。お互いの認識の何かがどこかで激しくずれ込んでいる。尤も、近藤の方はそう感じてはいないから俺によく絡んでくるのだろうが、その度に俺の気分は重たくなっていた。
さっきとは違う意味で溜息を吐くと、片手を軽く挙げて近づいてきた近藤は俺の背中を笑いながら平手で叩いた。いってぇ。
「なんだ、元気がないぞ! どうした!」
カラカラと笑う近藤に、俺は重たい声で返す。
「なにかと悩み事が多くてな」
「そうなのか? 俺で良ければいつでも相談に乗るぞ」
それはありがたいな。尤も、お前も悩み事の一つなんだが。良い加減その大声をどうにかしてくれ。
とは言えないので、苦笑して誤魔化しつつ本題に入る。
「それより、何か用か?」
「おぉ、そうだ。ちょっと先生に頼まれごとをされたんだが、一人だと大変でな。前川にも手伝ってほしいんだよ」
うぇー、面倒くさ。困っている人を見捨てる気にもなれないが、俺にも少しは学校でのプライベート時間が欲しいものだ。率直に言えば、あまりこいつと一緒にいたくない。疲れるから。
そう言えたらどれだけ楽なことか。とりあえず仕事の確認だけはしておく。
「内容は?」
「体育館の《開かずの間》まで行って、電工ドラムを四つ運ぶんだ。一人だと二つまでしか運べないんだよ」
「ふぅん……電工ドラムってなんだ?」
「業務用の延長コード、とでも言えばいいか? あのぐるぐるコードが巻いてあるやつ」
あれか。何となく判った。へぇ、正式名称は電工ドラムっていうのか。初めて知った。確かにあれを一人で四つも運ぶのは大変だろう。
ん? というか、ちょっと待った。
「近藤、お前《開かずの間》がどこにあるのか知ってるのか?」
「は? むしろお前知らないのか?」
知らない。俺は首を左右へ振る。
「体育館の二階にあるじゃないか。体育館に行けばいつでも見られる位置にあるだろ?」
「いや、意識したことないから全然覚えてないわ。そんなトコに《開かずの間》ってあるのか」
「お前、噂とか全然気にしないタイプだろ。もしくは友達がいないとか?」
失礼な。噂は気にしないが友達はいるぞ、近藤は含めずに二人ほど。時々少し話す程度で、知り合いとか単なるクラスメイトと言った方が正しいような関係の奴らならもっといるぞ。三十人くらい。
いや、そんなことはどうでも良い。とにかく近藤は《開かずの間》の場所を知っているようだし、電工ドラムを運ぶ手伝いもすれば中にも入ることが出来るだろう。妖精の噂を調べるには絶好の機会ではないか。
「判った、手伝うよ」
俺がそう答えると、近藤は手を合わせて鳴らすと親指を立てて満面の笑みを浮かべた。
「サンキュ! 後で缶ジュースでも奢るわ」
「ペットボトルにしてくれ」
「……地味にセコイな、お前」
そうか? 蓋があるペットボトルの方が何かと持ち運ぶのも便利だから、その場で飲みきらないといけない缶より選びたくなるのは普通だと思うが。まぁ、うちの学校にある自動販売機だと缶より十円ほど値段の高いペットボトルが大半を占めていることは確かか。
それもどうでも良い。
体育館からどこまで運ぶのかは知らないけれど、学校の広さを考えるとギリギリの時間を腕時計は指していた。俺は最後の一本である菓子をさっさと胃に収めると、窓枠から離れて歩き始める。近藤も俺に並んで歩きはじめ、俺たちは外にある体育館を目指した。
近藤が沈黙する時は授業中だったり、会話の最中で相手の話を聞く時以外にない。一瞬でも油断すれば、即座に必要以上の声量で一方的な会話をして話し続ける。それは生徒会に入ってからの付き合いで十分に判っていたので、先手を打って俺は話題を振った。ついでに情報収集もすることにする。今は少しでも妖精に関する情報が欲しい。
「そういえば近藤。俺に噂を気にしないタイプだろって言ったけど、お前はどうなんだ。詳しい方なのか?」
「お前よりはな。雑談として流れる《開かずの間》とか、その程度なら知っているさ」
なんだかバカにされている気もするけど、気にしないでおこう。
「じゃあ《夜の妖精》の噂も知ってるか?」
「へぇ、さすがにお前も仕事に関する噂くらいは聞いてるか。――あぁ、知ってて当たり前だろ。最近、生徒会の仕事はそればっかりだ。生徒会室で会わないだろ?」
苦笑しつつの近藤の言葉に、俺は頷く。ありがたい、軽く振っただけで調子を合わせてきてくれた。
「そっちの仕事はどんな具合だ?」
「何にも。噂は噂って感じだな。原因が判るどころか、元々の話に余計な脚色までされて面倒なことになってるわ」
「余計な脚色? どんな感じの」
近藤は人差し指を立ててクルクル回しながら答える。
「なんでも妖精は光っていたらしい。相手がしっかり話してくれないで、言葉の端々から読み取ったものだから余計に怪しいわ」
光っていた……。
「どんな感じで光っていたかは聞いたか?」
「一応な。その時によるらしいが大抵はぼんやりと光っているか、はっきりと光っているかのどちらかだそうだ。妖精もぼんやりならぼんやり、はっきりならはっきりと光ってほしいもんだぜ。中途半端なことは嫌いなんだよ、俺」
近藤の中途半端が嫌いだという意見は置いておくことにして。奴の聞いた話が本当だとするなら、妖精はその時々によって光の強さを変えていたということになる。光る妖精と言うと、たしか昨日会長が人魂も妖精の一種だと言っていたけれど、今回噂になっている妖精は人魂ではないという結論に落ち着いた。それには俺も同意見である。
「妖精の姿や形を見たっていう噂はないのか?」
「今のところはないなぁ。そんな話があったら、最初に出てくると思うぜ。……つーか、なんか熱心だな。どうした、何でそんなに妖精のことを知りたがるんだ?」
最近、生徒会室には俺と会長しか訪れていない。だから近藤は、生徒会室が今どんな状況にあるのか知らないのだ。
「お前は知らないだろうけどな、今の生徒会室はすげーことになってんだぞ。俺と会長で仕事を分けてるんだけど、俺の分の書類だけで布団が一つ作れそうなほどあるんだ」
「ゲッ。俺、当分生徒会室行かないわ。事務はあんまり好きじゃねぇし。……あー、噂を調べる担当で良かったわー。調べてるとか言って歩き回ってるだけで堂々とサボれるし」
おい、働けよ。
咳払いを一つする近藤。
「まぁ、何にせよ光る何かがあった、ということは事実みたいだな。それが本当に妖精なのかどうかは判らないけど、今は何が光っていたのかについて調べてる」
そう言って話を締めくくると同時、俺たちは体育館に到着した。中ではジャージの色からして三年生だろう、男子と女子が体育館の真ん中をネットで分けて雑談をしていた。その傍らを通りつつ、近藤が説明してくれる。
「ほら、この入口のとこからでも見えるだろ? 二階のあの通路」
見える。通路と扉だけがある、舞台の真上の通路。
「あそこにある一つだけの扉。あそこが《開かずの間》って呼ばれる部屋だ。中はただの物置らしいが、一年に一度開くかどうかって頻度でしか使われないからそう呼ばれているらしい」
場所は知らなかったが、呼び名の由来くらいは知っている。あまりにも使用頻度が低いため《開かずの間》が開いた年は良いことがあるだの、悪いことが起きるだのという都市伝説ならぬ学校伝説まであるほどだ。俺は適当に相槌を打ち、二人で舞台裏にある階段を上る。階段はゆるく曲線を描き、表の舞台の上にある通路へ繋がった。
ポケットから鍵を取り出した近藤は、それを鍵穴に入れて扉を開く。その様子を見ていたらしい下にいる三年生の誰かが「おーっ」と感嘆の声をあげたのが聞こえた。さて、今年はどちらの噂が流れるのだろうか。
扉を開いて最初に思ったことは、埃がひどい。さすが一年に一度使われるかどうかという部屋だけあって、全く手入れがされていないようだ。思わず咳き込む。
少し落ち着いてから中を見れば、想像よりも混沌で物が散乱していた。いや、散乱しているように見えるけれど実際はちゃんと置いてあるのだろう。部屋の広さに対して置かれている物の量が多すぎるのだ。ざっと見ただけでもバレーボールやバスケットボールをはじめとした各種ボールにマット、点数表に卓球台エトセトラエトセトラ……それがほぼ隙間なく押し込まれている。近藤は一瞬だけ顔をしかめたものの、すぐそれらを掻き分けながら電工ドラムを探すため雄叫びをあげながら突っ込んで行った。すげぇ。
俺は雄叫びをあげながら突っ込んでいく気にはなれなかったので、扉に体重を預けつつ近藤を見守る。下手に手伝えば邪魔になるだけだろうし、物を掻き分けて一時的な足場を確保することが精一杯のこの状況では部屋の中へ入ることすら難しい。それに、俺が手伝えと言われたことは電工ドラムを運ぶことだけだしー?
暇を持て余してなんとなく部屋の中を眺めていると、ふと何かが物陰で光った。何かと物陰に手を伸ばして拾えば百円玉で、これが外の光を反射したようである。しかしこの百円玉、なんでこんな所に落ちている? これは本来、ここに落ちているはずがないものではないか。
「おい前川、ぼーっとしてないで手伝えよ!」
「そんな狭い所に俺が突っ込んでも邪魔になるだけさ。それより近藤、ここは《開かずの間》なんだよな?」
「あ? なに言ってんだ、さっきからそう言ってるじゃないか」
「今年はこの部屋、初めて開けたかどうか判るか?」
おそらく判らないだろうと諦めながらの言葉だったが、近藤は少し考えてから予想に反して返事をくれた。
「あー、多分初めてだと思うぞ。職員室で鍵を借りる時、その場にいた先生が全員で『今年は開けるのか』みたいなこと言ってたから」
「職員室にはどれくらい先生がいた?」
「半分と少しってとこかな。――お、電工ドラム発見!」
半分以上の先生が全員で……なるほど。どうやら本当に今年は俺たちが初めて開けたらしいな。
「それがどうかしたのかよ――ふぬぉぉぉ! なんかピッタリ嵌ってて抜けねぇ! おい前川、ヘルプ!」
「お前が入れそうなスペースを全部使ってるじゃないか。どうやって助けろと」
「おいらに元気を!」
後ろから蹴りでも入れてやろうか。
アホな近藤を放っておいて、俺は顎に手を当てて考える。
この百円玉。何がおかしいと言って、製造された年が今年なのだ。つまりこのコインは去年までに落とすことは出来ないが、今年は誰もこの部屋に入っていないという。おかしいではないか。
疑問点を整理してみよう。
疑問点その一、いつ落とされたものなのか。
疑問点その二、誰が落としたのか。
疑問点その三、落とし主は何のためにここへ来たのか。
疑問点その四、なぜ落としたままにしたのか。
疑問点その一に対しては解答があっさりと出るが、他は考えないと出そうにもない。
一方。踏ん張っていた近藤の頑張りは実ったらしく、電工ドラムが四つ取り出されて溜息が部屋に響く。それを俺の前まで運びつつ、近藤は顔を寄せてきた。
「百円? 拾ったのか、良かったじゃねぇか」
「それよりもお前、おかしいと思わないか?」
「なにが?」
きょとんとする近藤に、俺は百円玉の数字が書かれた面を見せるが、意味が判らなかったようである。仕方ないのでたった今あげた疑問点と問題を話すと、言われて初めて気付いたのか近藤はしきりに頷いた。
「なるほど、確かにな。……お前の言う疑問点その一と二と三は不思議に思うのも判るけどさ、その四はどういう意味だ?」
「判らないか? 今うちの学校は不法侵入をすごく警戒してるだろ。仮にこれが不法侵入者のものだった場合、それはうちの生徒である確率が高い。ここは妖精が消えるらしい部屋でもあるからな。だとしたら、自分が侵入したという証拠を残したままにして立ち去ると思うか?」
「妖精が消える? なんのことだ」
これには俺が少し驚いた。
「知らないのか? 妖精は校舎から体育館にあるこの部屋へ消えたっていう噂もあるらしいぞ」
「それは知らないな。どこからの情報だ?」
「会長」
その一言で理解したらしい。近藤は腕を組んで唸る。
「なるほど。そういうことなら判る。前川の言うとおり変だ。……だけどそれは落とし主が不法侵入してここへ来た場合だろ? 普通に鍵を借りて入ってきていたとしたら、別におかしくないんじゃないか?」
「それはないと思うぞ」
俺は人差し指で近藤の額を差す。
「鍵はどこに置いてある?」
「職員室だろ」
「そう。つまり鍵を借りようと思ったら、先生に一言断らないといけない。もし無断で借りたとして、誰かが無くなっていることに気付いたら騒ぎになりかねないからな。だが、それはないとお前が語った」
俺が? と近藤は首を傾げる。
「近藤、お前さっき言ったじゃないか。半分以上の数の先生が『今年は開けるのか』みたいなことを言っていたって。先生は決して生徒ほど多くいるわけじゃない。中にはいつも職員室にいる先生もいるはずだ。その中の誰もが今年、俺たちじゃない別の誰かがここを開けた記憶はないと言っている。別の誰かが先生に断って鍵を借り、ここを開けたとは考えにくいだろ」
有り得ないとは言えないが、妖精の噂で良くも悪くも学校中が盛り上がっている今の時期だ。もし先生たちの誰かが鍵を貸し出したなら、軽くは話題になってもおかしくないことである。その話題を半分以上の先生が知らない、もしくは知っていてもノーカウントとしたのか? それはないだろう。
頷く近藤。俺は考えを口に出しながら進めていく。
「一つずつ答えを考えていこう。まず疑問点その一、いつ落とされたのか、という疑問には『今年に入ってから』と答えられるな。今年製造されたコインを、去年やそれより前の年に落とすのは無理だから」
「当たり前だ」
ふん、と鼻を鳴らす近藤。次の疑問へ移ろう。
「疑問点その二、誰が落としたのかってことだけど……これが判らないな」
「不法侵入者のものじゃないのか?」
浅い考えはすぐに論破されるぞ、近藤。
「あのな。さっきも言った通り、生徒が誰か昼間に鍵を借りてここに来たとは考えにくいんだ。それなら夜に不法侵入してここに来たのか? もっと有り得ない。今うちの学校は不法侵入に対して通常の時よりも警戒しているじゃないか。その学校に忍び込んで、職員室に行って鍵を取り、ここへ来てまた職員室に返す、そして自宅へ帰る……これだけのことを誰にも見つからず問題にもされず出来ると思うか?」
「難しいな。ってか無理だな」
「だろ? だから昼に来た生徒でも、夜に来た生徒のものでもない。じゃあ誰かってなると、ここに現れるのは妖精くらいだから……妖精?」
ピンと来た。待てよ、もしかして。
俺は黙り込み、少し考える。近藤は不思議そうに俺を見ていたが、頭を回転させていると悟ってくれたのだろう。何も話しかけてこなかった。
やがて解答を弾き出した俺は、唐突に言う。
「疑問点その二に対する解答。これは『教師が落としたもの』だ」
「教師って、どうして先生が」
「後で説明する。話しながら俺も考えを整理したいからな。――疑問点その三、なぜここへ来たのか。疑問点その二に対する答えを前提に考えていくと、多分噂の『妖精を探しにきた』んだろう」
「妖精を先生が? なんでまた……って、あぁ。そういうことか」
ここまで来れば判るだろう。おそらく近藤の考えている通りで間違いない。しかし敢えて続けさせてもらおう。
「疑問点その四、なぜ落としたままにしたのか。これは至って単純に『落としても問題がなかったから』だろう」
これらの事実から言えることを纏めると、つまり……。
「先生なら噂の真相を確かめにここへ来ることもあるだろう。生徒だと色々問題がある夜に職員室から鍵を持ち出すことも普通に出来るし、百円を落とすという証拠を残しても何も問題ない」
「仮に誰かに見つかっても『噂を調べに来た』とでも言えばいいからな。加えて百円なら落としても諦められる金額だ。五百円だとそうはいかないだろうが、夜にこの部屋で落とした百円を探すくらいなら諦めた方がずっと賢い」
俺の言葉の後を継いだ近藤に間違いはない。まったく同じ考えを俺も持っていた。
百円はおそらく同じポケットに鍵でも入れていて、その鍵か何かを取り出す際に落としたのだろう。こんなところで財布を取り出すとは考えにくい。
「そういうことか、なるほどなぁ。よくそんな小さなことに気付くもんだ、俺なら絶対に気付かずスルーするね。うん、前川はいい意味で細かいよ」
「それは褒められていると受け取っていいのか?」
「当たり前よぉ!」
全ての謎が解けたように清々しい顔で俺の背中を叩き続ける近藤に対し、こちらの気分は晴れない。背中に走る痛みのせいだけではなく、まだ腑に落ちない点が残っているのである。
疑問点その三、落とし主は何のためにここへ来たのか。
先生の誰かが百円玉の落とし主だということは間違いないだろう。噂を確かめるために妖精を探しに来たという説もある程度は説得力がある。しかし、それだけでは十分な答えと言えない。何故なら落とし主の先生は妖精を探しに来たのではなく、妖精自身かもしれないではないか。
妖精の正体には色々な推論が立てられる。一つは、本物の妖精だということ。二つ目は生徒の誰かが妖精だということ。三つ目は先生の誰かが妖精だということ。
そして先生が妖精の正体だった場合、何しにこの部屋へ来たのか判らなくなる。ここは見ての通り、さっきも言ったが部屋の広さに対して置かれている物の量が多すぎる。つまり人が中に入って、何か作業をするほどの余裕がないのだ。現に近藤は今、詰め込まれた物を掻き分け無理矢理一時的な余裕を作り、足の踏み場を確保することしか出来なかった。しかし妖精はこの部屋にも現れたという。自分以外に妖精がいると思って妖精の正体である人物がここへ訪れるとは考えにくいから、もしこれが真実だった場合は一体何が目的なのか皆目見当がつかない。情報が足りないのである。
「謎が解けたっていうのに浮かない顔してるな。まだ何か気になることがあるのか?」
「……いや、何でもない。ちょっと埃が酷かっただけさ」
顔を覗き込むようにして心配する近藤に、俺は誤魔化しの言葉を放つ。
今の疑問、近藤にぶつけることも出来ただろう。しかしそうしても答えは返ってこないだろうし、俺に質問をぶつけ返されたら困る。まるで考えが何も浮かんでこないのだ。闇の中で迷路をしている気分である。
加えて、ここへ来れば何か噂に関してのヒントが得られるかもしれないと思っていたのだが、その期待は見事に裏切られて終わった。正直に言って、気分はかなり重たい。
「それで、妖精の噂については何か判ったか?」
溜息を吐いていると、近藤が気楽そうに訊ねてきた。だが俺は首を横へ振ることしか出来ない。
「いいや、さっぱりだ。とりあえず、この部屋では何か作業をしようにも出来なかっただろうってくらいにしかヒントは得られなかった」
「そっか、残念だったな。早く書類の山からお前が解放されることを祈るわ」
「そういうなら手伝えよ」
「それは俺の仕事じゃないしー?」
この野郎……。
思わず拳を震わせていると、電工ドラムが目に入った。そういえば、まだこれを何に使うのか訊いてなかった。
「なぁ、電工ドラムをこんなにどうするんだ? 四つも必要ないだろ」
「あぁ、それか。なんでも今回の文化祭から体育館だけじゃなくて運動場でも電気を使うらしいぞ。そうなると運動場は電源がないからな、どうしても数が必要になるって」
運動場でも、ねぇ。一体何に使うのやら。文化祭の出し物企画書一覧にそれらしいものはなかったから、先生たちで使うのだろう。この学校での文化祭は初めてだから楽しみな反面、勝手が判らなくて困る。会長みたいに一度でも経験していれば何に使うのか判るのかもしれないが。
そして何気なく《開かずの間》の中へ視線を戻すと窓が見えた。色々背の高い物もあって判らなかったけれど、よく見るとここにも窓はあるらしい。しかし単なる換気用のためなのか、横一列に細いものだけだ。外の様子は汚れていてはっきりとは判らないにしろ、正面にある校舎の窓が並んでいる様子は見え、普通に光は入ってきている。
「おい前川、運ぶぞ。手伝えよ」
「あぁ、わかった」
振り返り、開かれたまま固定された扉の所に置かれた電工ドラムを二つ持ち上げる。すると、またもや意外なものがあった。卓球台が何台も前に置かれていたため一瞬その正体が判らなかったが、すぐに俺たちのよく知っているものだと判る。
「鏡? こんなところに」
「は、鏡? あ、ホントだ。……うわ、きったね。埃と汚れで鏡の役割果たしてねぇな、これ」
近藤の言うとおり、それは長年放置されていたためだろう汚れが酷く、鏡本来の役割をほとんど果たしていなかった。これは掃除して磨くのも大変そうである。少なくとも水拭きと乾拭きだけでは落ちそうにない汚れだ。
「昔は使われてたのかな」
「さぁ、判らん。もしかして昔はこの部屋も更衣室か何かとして使われていたのかもしれないな」
俺の呟きに、近藤は部屋の中を改めて見渡しながら答える。それは知ることのない、そして別に調べようとも思わない学校の歴史。だから普通ならここで、こんなものもあったのか、と思いつつ立ち去るはずだ。
しかし、その鏡の存在が何故か妙に引っ掛かる。学校で流れる《夜の妖精》の噂に、妖精が消えたという《開かずの間》の話、そして《開かずの間》にある鏡。どうにも切り離して考えることが出来ない。どのように繋がるのか判らないが、無関係ではないように思えて仕方ないのだ。
「妖精に《開かずの間》……そこにある鏡。これらは何を意味している?」
「ほら、鍵閉めるぞ。早く出ろよ」
考え込む俺を手で追い払い、近藤は扉の鍵を閉める。そして電工ドラムを改めて持ち上げた。
「色々と考え込むのも別に構わないけどな、今は考えるのをやめて運べ。仕事とそれ以外のケジメはつけろ」
「判ってるさ。これ以上は考えても仕方ないし、しっかり運ぶよ」
近藤の言葉に少しムッとしながら俺は歩き始める。想像よりも重たい電工ドラムは歩くと余計に重く感じられた。腕が自由に使えないから歩くバランスを崩されている。
「で、どこまで運ぶんだって?」
「職員室。今からだと次の授業に間に合うかどうかギリギリだから、少し急ぐぞ」
職員室とはまた遠いな。体育館の壁に掛けられた時計によると、確かに際どい。下手をしたら間に合わないかもしれない。
「溜息吐いてないで、元気出せよ。後でジュース奢るから」
「俺は子供かっつーの。まぁいいや、とにかく急ぐか」
会話は一旦そこで打ち切り、俺たちは小走りで職員室を目指した。
全四章になる「妖精の噂」、第二章は如何でしたか?
第一章に引き続きご挨拶させてもらいます。壱札です。
さて、今回は一枚の百円玉について思考を巡らせるものでした。作者としては謎が単純すぎただろうか、と内心ビクビクしている状態ですが、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
それでは、また第三章でお会い出来ることを願って……。




