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セピアの街  作者: ling-mei
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第3話

「なにをつくってるの?」

 カオスはよく通る低い声で私に尋ねた。

「ホットケーキを焼いてるの」

 私は火を弱めながら答えた。万次さんも私もホットケーキが大好きで、これを焼くのはいつも私の役目だった。もう何年も焼き続けているから、腕前はそこらのコックよりもいいはずだ。

 カオスは興味深そうに、私のフライパンを動かす手を見つめている。ちょうど片面が焼けたと思うころに、私は上手い具合にフライパンを返し、ホットケーキをひっくり返した。それを見るとカオスはとても驚いた顔をした。名前の通り、彼の頭には、何も無い『混沌とした』世界が広がっているのだ。もちろん、こんな光景を見るのも初めてなのだろう。

「むずかしい?」

「慣れてるから、平気よ」

 私はそう言うと、焼けたホットケーキを皿に載せた。

「これ、万次さんのところへ持っていってあげて」

 カオスは喜んで引き受けると、大切そうに皿を持って、キッチンから出て行った。

 私が自分の分を焼いていると、万次さんのところから戻ってきたカオスは、首を傾げながらキッチンを見回し始めた。

「どうしたの?」

「バター」

 万次さんは、ホットケーキにはたっぷりのバターを塗るのが好きだ。身体には良くないと思うのだが、たまに食べるくらいだから、私は大目に見てしまっていた。

 冷蔵庫からバターを取り出し、バターナイフも一緒にカオスに持たせた。彼はやはり不思議そうな顔でそれらを見つめると、また万次さんのもとへ戻っていった。

 ちょうど私の分のホットケーキが焼けた。

「うん。さすが私だわ。上出来」

 そう言いながら、皿に載せると、生クリームを冷蔵庫から取り出し、ホットケーキが隠れるくらいにたっぷりとかけた。やはりこれも身体には良くないだろう。もちろん、太る原因でもある。でも、しょっちゅうすることでもないから、これも大目に見てしまっていた。

 休憩室のソファに座り、私が食べようとしたところに、カオスが入ってきた。真っ白な生クリームで覆われた皿を見ると、彼はまた首を傾げる。

「私ね、生クリームをたっぷりかけるのが好きなの」

「おいしい?」

「すっごくおいしい」

 私が一口ほおばると、カオスは物欲しそうな顔をした。だが、ロボットに人間の食べものが食べられるはずがない。彼らの食事は、定期的な充電、それに、オイルくらいだ。

「ロボットには食べられないわ」

 私の言葉に、カオスは不満げな子どものような顔をして、私の隣に座った。その表情がかわいくて、私は思わずカオスの黒い髪の毛をくしゃくしゃにかき乱した。カオスは笑い出した。本当に屈託なく笑うその顔が、私はとても好きだった。

「こんど、カオスもつくる」

「じゃあ教えてあげるね」

 カオスはまた、オリーブグリーンの瞳で私を見つめた。そして口元を柔らかにあげ、穏やかに微笑んだ。やはり私はまたドキッとしてしまった。


 休憩を終えると、私と万次さんはまた仕事に取り掛かった。今日も修理を頼まれたロボットがたくさん届いている。古いものから、最新型のものまで、ありとあらゆるロボットがいた。

「リン、あそこの犬みたいな奴を連れて来い」

 犬みたいな奴とは、ペット用のロボットだ。万次さんがわざわざ『みたいな奴』と表現するのにはわけがある。

「こんなにメタリックなものを飼いならして何がいいんだろうな」

 彼はロボットを愛しているが、ペットを象ったものだけは嫌いだった。ロボットも好きだが、動物も彼は大好きなのだ。だから、本物の動物を真似したようなロボットは気に食わないというわけだ。

「アレルギー体質ってものがあるのよ。この世には」

 私は修理し終わったロボットについている油をふき取りながら言った。

「あれるぎー」

 それを聞いていたカオスが繰り返した。混沌とした彼の頭脳には、あまりに語彙の数が足りなすぎるのだ。しかし、確実に毎日言葉の数を増やしていた。それも急激なほどの速さで。

「どうぶつはあれるぎーのもと?」

「そうだ。しかし動物の代わりをロボットにさせるのは良くないことだと思うがな」

「人間の形のロボットだってあるじゃない」

「人間は別にいいんだ」

「何よそれ。矛盾してるよ」

「あれるぎーの人は、どうぶつとくらせない」

「カオスの言うとおりよ。そういう事情のある人もたくさんいるんだから」

 万次さんはぶつぶつ文句を言いながら、犬型のロボットの耳の部分を入念に見ている。カオスは私と万次さんのやり取りの時折口を挟みつつ、その言葉の発達ぶりに私たちの目を見張らせた。


 ある朝、私がいつものようにカオスのいる部屋に行くと、彼はソファに座り込んで、熱心に何かを読んでいた。

「何を読んでるのかなー?カオスくんは」

 背丈は私よりずっと大きな彼だったが、その言葉の幼さや、しぐさのあどけなさから、何となくカオスは自分の弟のような感覚があった。わざと小さな子供に話しかけるように声をかけてみた。

「おねーちゃんに見せてごらん」

 カオスは手に持っていたものを私に見せた。それは万次さんが溜め込んでいる何年も前の新聞だった。私でさえほとんど読むことのない新聞。

「あなた…こんなもの読むの?」

「万次さんが、読むといいと」

「分かるの?この新聞の内容が」

「大体分かる」

 私は感嘆のため息を漏らした。専門用語だらけの新聞を、語彙数の少ないカオスに理解できるというのだ。彼の頭脳はそんなにも発達しているのだろうか。

「リンも読むといい」

「私は…読む必要ないもの」

「どうして?」

「だって…いろんな言葉知ってるもん。読まなくたって大丈夫だもん」

「国語のテストいつも悪いのに」

 言葉に詰まってしまった。カオスはいっちょうまえに私の成績をこっそり把握していた。万次さんにでも吹き込まれたのだろうか。私の国語の成績が地を這うようなものだということ。

「カオスってば…ホラ!朝ごはん作るんだから手伝って」

「分かった」

 カオスは笑いながら机の上に新聞を置き、私の目を見た。オリーブグリーンの瞳は、よく私の目を見つめる。彼の癖なのだろうか。それはとても真っ直ぐに私を見つめるのだ。

「癖ね」

「くせ?」

「そうやって人の目を見つめるの」

「イヤ?」

「ううん。そうじゃない」

 カオスは不思議そうに首を傾げると、私の後ろをついて部屋を出た。もはや彼が私の弟だという感覚は消えかかっていた。何か、もっと違う存在になりかけていた。


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