第2話
工場の扉を開けると、万次さんが修理に出されたロボットの腕を眺めているところだった。
「リン、遅いぞ。2分18秒の遅刻だ」
こちらを見もせずに、彼はただロボットの腕を入念にチェックしていた。私は戦闘用と思われる傷ついたロボットの手を引きながら、万次さんのところに近づいていった。万次さんはようやくこちらを振り向いた。そして、身体中傷だらけのロボットを見るなり、手にしていたドライバーを床に落とした。そして、唇を小刻みに震わせながら、しわがれ声で話し出した。
「おまえ…このロボットはどうしたんだ?」
「スクラップ場で見つけたの。オイル漏れしてるの。このままじゃ動けなくなっちゃう」
万次さんは震える手で、ロボットの胸元に刻まれた文字に触れた。
「コンバットじゃないか」
「知ってるの?」
「…これはもう廃棄処分されているはずのロボットだ。どうしてここにあるんだ?」
ロボットは無表情のまま、白髪の老人の顔を見つめている。
「とにかくこのロボットを助けてあげて」
急がなければ、このロボットはただのスクラップになってしまう。私がロボットとしてみなすことのできない、ただの鉄の塊になってしまう。
「廃棄処分されなきゃならんロボットを助ける気か?」
万次さんはロボットをにらみつけながら言った。万次さんより頭二つぶんくらい背の大きなロボットは、不安げな様子を隠しきれないでいる。
「悪いロボットじゃないと思うの。だから、お願い」
私は万次さんにすがりついて頼んだ。無言のまま、彼は修理台の上を片付けると、ロボットにその上に寝転がるようにと言った。
万次さんはロボットの傷口を一つ一つ丁寧に覗き込むと、淡々と仕事の手を進めだした。
「傷口は多いが、オイル漏れを起こしているのはほんの数か所だけだ。先にここを処理すれば何とかなるだろう」
そう言って、万次さんは慣れた手つきでロボットの修理を始めたが、その間、ロボットはぴくりともせずに、じっと天井を見上げていた。
「闘いで傷ついたの?」
「いや、コンバットは実際の戦場で使われたことはまだないはずだ」
「じゃあ、どうしてこんなに怪我をしてるの?」
万次さんは手を動かしながら答える。オイルの管は徐々に修復され、オイル漏れも収まりつつあった。
「実験でやられたか、もしくは…」
「もしくは?」
「処分されるときにやられたか」
私はそれきり黙ってしまった。それが本当なら、自分を生み出した人間に殺されそうになったということなのだろうか。でも、事実はロボット本人にしか分からない。万次さんは、何事もなかったかのように、黙々としわだらけの手先を動かしている。
小一時間が経過すると、ロボットの身体のオイル漏れはすっかり止まっていた。幸い、オイル漏れしていない箇所は、傷が浅く、表面の人工皮膚が削れていただけだった。
傷口をすべてふさぎ終えると、流れ出した分のオイルと、消耗している電気の補充をした。ロボットは相変わらず、オリーブグリーンの瞳で天井を見つめていた。
ロボットの表情を見つめていると、しばらくして私は、傍に万次さんがいないことに気付いた。すると、彼は隣の部屋から新聞を持って出てきた。万次さんによれば、科学技術が大きく発展した今の時代で、新聞だけは何世紀も形を変えずに、そのままでいるらしい。その何世紀も前と同じ形の新聞を、万次さんはページをめくり、何枚かめくったあとで、そのページを私に見せた。
「この記事を見てみろ」
それは、政府による戦闘用ロボットの廃棄処分について書かれているものだった。
「こんな記事あったんだ。全然知らなかった」
「新聞だけは必ず目を通せと言っているのに…おまえというやつは」
万次さんはまた私を怒鳴りつけた。読書すらまったくしない私に、彼は、新聞はためになるから読むようにと、くどいほど言い聞かせていた。けれど、私は何だかんだと言い訳を作っては、結局読まないままで毎日を過ごしていた。新聞はやたらと専門用語が多いから、私の頭では読みきれないのだ。
「おまえが連れてきたロボットは、この記事に書かれている組織が造ったものだ。 …おまえはロボット三原則を知っているな?」
「ロボット三原則?」
思わず聞き返した私を、万次さんは呆れ顔で見た。
「あれほど覚えるように言っただろう!今の時代の常識だぞ」
「知ってるよ!ちょっと聞き返しただけじゃない」
私はむきになって言った。そして、ロボット三原則の第一条を暗唱してみせた。
『ロボットは人間に危害を加えてはならない。 また、その危害を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』
「そう。ロボットは、人間に危害を加えてはならない」
万次さんはゆっくりと言った。私はそのとき、どうして戦闘用ロボットがこのような目にあったのか、何となく察しがついた。彼は、望まれるべく生まれてきたロボットではない。彼は、公にその存在を認められなかったのだ。『戦闘』用ロボットだから。人間に『危害』を与える存在だから。
「でも、このロボットは私を殺さなかった」
「どういうことだ?」
「スクラップ場で見かけたとき、私、この子に触れられた。でも、殺されなかった」
白髪頭のロボットの修理師は、深く考えるようにして答えた。
「このロボットはおそらく…言い方は良くないが、出来損ないというやつだろう」
「出来損ない?」
「普通、戦闘用ロボットには戦うという思考がほぼ全ての行動を支配している。しかし、このロボットはその思考がそれほど割合を占めていないようだ」
言っていることが難しすぎて、私の頭では理解しきれない。首をかしげる私を見て、万次さんはさっきの新聞記事を私に見せた。
「ここを見てみろ」
細かい文字だらけの、専門用語だらけの新聞。読みたくはなかったけれど、仕方なく指差されたところに目を通してみた。そこには、この戦闘用ロボットを製造する際に、プログラムに失敗してしまったロボットのことが書かれていた。彼らには『戦闘用』であるという意識がなく、戦闘時以外での行動は、他の家庭用の人型ロボットと、まったく変わらないらしい。
「この子は…つまり、不良品ってこと?」
私は恐る恐る万次さんを上目遣いで見た。彼はうなずきながら言った。
「そう」
その返答を聞き、私はそっと胸をなでおろした。私の解釈が違っていたら、きっと万次さんはまた怒鳴りつけるだろう。どうしてこんなことも分からないのか、と。その厳しさが今の私を育ててくれているのだから、一応感謝はしているけれど、すぐに怒鳴るのだけは止めて欲しいと思っていた。
「不良品だ。明らかに戦闘用ではない」
万次さんは隣で充電用のコードに繋がれて、目を閉じている戦闘用ロボットを眺めながら言った。
「戦闘用のロボットといものは、自分の主人と認識していないものはすべて殺すようにプログラムされていると聞いている。だが、スクラップ場でおまえを見かけたとき、こいつはおまえを殺そうとしなかった。むしろ、大人しく従ってここまでやって来た。わしを見たときも、殺そうというそぶりは一切なかった。『人間に危害を及ぼす』戦闘用ロボットとしては在り得ないことだ」
「この子ね、私に触れながら、こわくない、って言ったの」
「…それならなおさらだ。こいつは戦闘用ロボットとしては出来損ないだ」
「戦闘用ロボット『として』?」
「ロボットとしては素晴らしく精巧なものだ」
万次さんは、目を細めながら、充電コードに繋がれているロボットの身体に手を這わせた。
「この表情も筋肉の付き方も、ほぼ人間と差が感じられない。普通のロボットにありがちな表情のぎこちなさがまったくない」
私は眠ったように目を閉じるロボットの顔を覗き込んだ。確かに、初め見たとき、彼がロボットだなんてまったく思わなかった。胸元のコード番号を見つけるまでは。
半日が過ぎた。太陽が西に傾き、工場の窓からオレンジ色の光が差し込み、コンクリートの冷たい床をほんのり温かく染めた。
ロボットは、長旅で疲れた人間のように、充電を終えるまでまったく動かずに、寝返りもうたずに(あたりまえなのだが)眠り続けた。
充電終了のブザーが鳴ると、ロボットはオリーブグリーンの瞳をしっかりと開き、そしてコードに繋がれたまま、ゆっくりと身体を起こした。
「おお、目が覚めたな」
万次さんはやりかけの仕事を一時中断し、ロボットのもとに歩み寄った。ロボットは、不思議そうな顔で万次さんを見つめた。私もパソコンのキーボードを打つ手を止め、ロボットのところに行った。
ロボットは、オリーブグリーンの瞳をきょろきょろさせて、私の目を見た。
「ここは、うちの工場よ」
私はゆっくりと彼に教えた。彼はその『工場』という言葉に怯えた様子を見せた。万次さんは、ロボットをこよなく愛するその瞳で、怯える表情のロボットに話しかけた。
「ここは安全なところだ。安心していい」
ロボットはそれを聞くと、ゆっくりと笑った。それは、今までに見たどんな笑顔よりも、優しく、そして柔らかかったように思えた。ロボットなのに、どうして人間よりも自然に笑えるのだろう。私はここで、一つ気になる質問をした。
「あなた、名前は?」
彼は何も答えなかった。悲しげな瞳で私を見た。そして、低くよく通る声で言った。
「なまえは、ない」
彼には主人というものがいなかったのだろうか。だから、彼に名前を付けてくれる人もいなかったのだろう。
「それなら、私が付けてあげる」
万次さんの顔を覗き込むと、目じりにしわを寄せて微笑んでくれた。これは彼にとって、『OK』の意味。ロボットは私の言葉に嬉しそうに笑った。万次さんは、私の肩を叩くと、こう言った。
「大事な名前だ。そう焦って考えるまでもない」
私はうなずくと、机の引き出しから紙とペンを出した。思いつく限りの名前を書き出してみようと思ったのだ。万次さんはロボットから、充電コードを抜き、ゆっくりと立たせた。そして言い聞かせた。
「今日から、ここがおまえの家だ」
ロボットは少し驚いたような表情になったが、すぐに笑って、小さく頭を下げた。このしぐさも、人間より、どこか人間らしいように思える。そして、ロボットは、必死に頭を抱えて考え込む私を見て、小さな声で言った。
「ありがとう」
私はびっくりして顔を上げた。そこには、とてもロボットとは思えない穏やかな表情の男性がいるように思えた。不覚にも、そのオリーブグリーンの瞳に、少しドキッとしてしまった。私は平静を装って言った。
「どういたしまして」
そしてロボットは、万次さんに連れられて、隣の休憩室へ入っていった。私は気を取り直し、また紙に、思いつく名前を書き始めた。
「まだ考えているのか」
陽はすっかり沈んでいた。いつの間にか工場にも電気が灯っていた。万次さんは机に入れたてのコーヒーを置いてくれた。万次さんの入れたコーヒーは、芳しい香りを立ち上らせていた。
「名前って難しいのね」
そう言って、書いた名前に横線を引いた。万次さんがふいに言った。
「おまえのリンという名前。誰が付けたか知っているか?」
「万次さんでしょ」
「いや」
思わぬ返事に、返答に困った。それなら誰がこの名前を付けてくれたのだろう。
「おまえの両親だよ」
またもや思わぬ返事だった。私には両親はいないはずだ。万次さんが拾ってくれたんだから。
「おまえが入れられていた箱に、書置きがあってな」
「書置き?」
「そこに、『リン』と書かれていた」
「そんなの初めて聞いたよ」
私はペンを置いた。どうして今までそんなことを黙っていたのだろう。
「過去はおまえにとってどうでもいいと思ったから、今まで言わなかった。でも、おまえのリンという名前は、おまえの両親が必死に考えたもののはずだ。おまえの今の姿を見ていて思った」
何だか無償に嬉しくなった。この名前は、ずっと万次さんが考えたものだと思っていた。でも、だとすればこの『リン』は、私の親が唯一残してくれたもの。だから思わず頬がゆるんだ。
「一生懸命はいいが、明日に差し支える。早めに切り上げなさい」
それだけ言うと、万次さんは大あくびをしながら、上の階に上がっていった。その年老いた後姿は、いつもよりも小さく、そして優しく見えた。小さな声で、自分の名前をつぶやいてみた。私の親が付けてくれたのか。そうだったんだ。
私はペンを持ち直した。少しだけ、胸の隅っこがほんわかと温かくなった気がした。
目が覚めたら朝だった。一夜漬けをしてしまったらしい。こんなこと、テスト前日にしかやったことがなかった。それでも、しわくちゃになった紙の上には、私が必死で考えた名前があった。
「おまえそこで寝たのか」
万次さんが作業着に袖を通しながら、階段を下りてきた。
「ねぇ、あの子はどこ?」
「隣の休憩室にいるはずだが」
それを聞くと、私は飛び跳ねながら休憩室に駆け込んだ。音に驚いたロボットは、大きな目で私を見た。彼はずっと立ったままだったのだろうか。ソファに座りもしないで、窓際に立ってこちらを見ている。朝日が差し込む逆光の中で、彼のオリーブグリーンの瞳だけが、密かな光沢を放っている。
「おはよう」
私が元気よく言うと、ロボットも嬉しそうに頭を下げた。そして、私はロボットに駆け寄った。
「あなたの名前、決まったよ」
そして、紙の上の文字を見せた。私は大きな声で読み上げた。
「カオス」
「かおす?」
「あなたの、名前は、『カオス』」
ゆっくりそう言うと、ロボットは小さく何度も『カオス』という名前を繰り返した。
「カオスってね、ギリシャ神話に出てくる、一番初めの秩序のない状態のことなの」
ロボットは首をかしげる。そりゃそうだ。私だって初め、『カオス』の意味を調べたときはこんな感じだった。
「つまりね…決まりも何もない、そんな空っぽの状態のことよ」
少しロボットはうなずく。
「あなたも今は、この『カオス』って状態でしょ」
またロボットはうなずく。
「だから、これからその空っぽな状態に、いろんなものを詰め込むの。楽しいことや嬉しいこと」
「カオス?」
「そう。ギリシャ神話ではね、カオスからは、たくさんの神様たちが生まれたんだって」
「かみさま?」
やはり何も分からないというように、ロボットはただ私の言葉をそのまま返すだけだった。私は続けて彼に言った。
「あなたは今日から『カオス』よ。あなたの名前は、『カオス』」
「カオス」
そう言うと、ロボットはとても嬉しそうに微笑んだ。やはりどこかロボットではなく、人間のような印象を受ける。ロボットなのに、人間臭い。そんなロボット――カオス。
カオスは、オリーブグリーンの瞳で、また私を見つめた。どうもこの瞳は苦手だった。嫌というわけではないけれど、なぜかドキドキさせられる。ロボットに見つめられているという感覚が持てない。思わず目をそらした私の頭を、カオスはその大きな手で撫でた。きっと彼なりのお礼のつもりなのだろうか。心がびくんと飛び跳ねた気がした。
「じゃあ、改めまして。私の名前は、リン。あなたは?」
「カオス」
そう言うと、カオスはまるで小さな子どものように笑った。私よりも頭ひとつ分以上大きい身体で、彼は無邪気な笑顔を見せた。まさに『カオス』と同じように、今の彼は真っ白な状態なのだ。生まれたての赤ちゃんのように、途方もなく無垢なのだ。