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セピアの街  作者: ling-mei
2/12

第1話

 カシーン…カシーン…

 どこか遠くで、鉄の触れ合う音がする。私はその音で目が覚めた。天井は灰色の冷たい色をして、無表情に私を見つめている。窓のカーテンの隙間から漏れる朝日が、ベッドのしわくちゃのシーツの上に光の線を伸ばしている。

 私はゆっくりと起き上がった。すると、枕元のスピーカーから声が響いてきた。

「リン、起きたか?」

「うん。今起きたところ」

 寝起きのかすれた声で返答する。ザーザーという雑音に混じり、スピーカーからまた同じ声が聞こえてきた。

「すぐ着替えて下に降りてきなさい」

 それだけ言うと、スピーカーは音を切った。私は一つ大あくびをすると、ジーパンと白いシャツに着替えた。髪の毛に簡単にくしを入れ、ぼろぼろのスニーカーをはいた。始めは綺麗な白い色をしていたスニーカーだったが、いつの間にか油や埃で真っ黒になっていた。

 部屋の扉を開けると、すぐそこには螺旋状の階段がうねっていた。慣れないうちは、足を踏み外しやすいのでかなり危ない。寝起きのしゃっきりしない頭には、ちょうど良い刺激になるのかもしれないが。

「この階段、建て直せばいいのに」

 私は一人愚痴をこぼしながら、螺旋階段を注意深く降りていった。一歩一歩踏み出すたびに、階段はカンカンと冷たい音を立てる。


 下の階は工場になっている。降りていくと、褐色の汚い作業服を着た白髪のじいさんが、怪しげなゴーグルを着けて私を待っていた。

「遅いぞ。1分20秒の遅刻だ」

 じいさんはゴーグルを外しながら言った。

「ねぇ、じいさん……」

万治まんじさんと呼べ」

 じいさん……いや、万次さんは、私の言葉を遮るように言った。

「万次さん、だって私昨日遅くまで起きてたのに」

「跡継ぎのおまえがそんな気持ちじゃいかん」

 万次さんはしわがれ声で私に怒鳴りつけた。いつもこんな調子で、彼は私を叱り付ける。

「いいから早く手伝え」

 そう言って、いきなり私に重たいダンボール箱を押し付けた。きょとんとする私を見るなり、万次さんはまた私に怒鳴りつけた。

「それを向こうのスクラップ場に運べと言っているんだ」

 私は焦って工場から飛び出した。ダンボール箱の中には、何やら鉄の塊のようなものがたくさん入っていた。それらはガチャガチャと音を立て、一歩踏み出すたび、より重みを増すように感じられた。


 私の名前はリン。万次さんに小さい頃から育てられている。苗字はない。苗字を聞かれると、私はいつも「苗字はありません」とだけ答える。戸籍上は、とりあえず育ての親である万次さんの苗字と同じものになってはいるが。万次さん(本名は柏木かしわぎ万次という)に育てられたといっても、血が繋がっているわけじゃない。私には血の繋がっている人がいない。私は捨て子だったのだ。


 スクラップ場は歩いて5分くらいのところにある。私は箱を持ち直し、工場があるところまで歩いていった。工場の前まで来ると、知り合いの作業員のお兄さんがやって来た。

「リンちゃん、どうしたの?その箱は」

「万次さんが持って行けって」

「そんなのロボットにやらせればいいのにね」

 作業員の人は笑いながら言った。確かにそうだ。この世にはロボットというものがいる。彼らは人間の言うことを文句一ついわずにこなしてくれるはずだ。ロボット三原則の第二条にもこうある。『ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない』と。

「あのじいさんはケチなだけなのよ」

 箱を作業員の人に押し付けると、私はそう言った。本当のことだった。

「ロボットを動かすのに電気が必要でしょう。万次さんには、その充電する費用がもったいないのよ」

 箱を抱えた作業員は苦笑いした。万次さんは、今の時代に生きているにしてはあまりにケチな人だったから、きっと彼には信じられないんだろう。けれど、万次さんに『もったいない精神』を植えつけられた私には、それほど信じられない現実でもなかった。昔から彼にはそういう教育をされてきたのだ。

「じゃあ、急がないとまたあのじいさんが怒るから」

 私は早口にそう言って、工場を後にした。


 壊れたロボットが山積みにされたスクラップ場は、よく眺めていると面白いものがごろごろしている。私は小さいころ、暇さえあれば、このスクラップ場に遊びに来ていた。一昔前に流行ったようなペット用ロボットがころがっていたり、まだ真新しいロボットが捨てられていたりすることだってあった。

 私はいつものように、山積みのロボットを眺めながら、万次さんの待つ工場への道を歩いていた。すると、何かいつもと違った気配が感じ取れた。

 私にとって壊れたロボットは、たとえ人型のロボットでも、ただの金属の塊のようなものにすぎなかった。つまり、命の抜けたロボットは、私にはもうロボットとしては見られなかったのだ。しかし、そんな命の抜けたロボットしかあるはずのないスクラップ場で、こんな気持ちを抱いたのは生まれて初めてだった。まるで、小さな生命がそこに息づいているような、そんな生生しい感覚――。

 思わず周りをくるりと見渡した。すぐそばで何かが息をしている気配がしたのだ。確かに何かがいる。

 すると、すぐ近くのロボットの山に、人間が一人横たわっているのが見えた。私は背中を細かな虫の大群が駆け巡るような、そんな寒気に襲われた。その人間は、体中傷だらけだった。

 ぴくりともしないその人間に、恐る恐る近づいた。腕も、顔も、首筋も、無数の傷が引っ張られていた。鞭で打たれたかのような、みみずばれの跡も見られた。浅い傷から深い傷まで、それはあまりに無残だった。深い傷の間からは、金属のような鈍い光沢が、気味の悪い輝きを放っていた。これはどうやらロボットらしい。ふと気付くと、ぼろぼろのシャツからのぞいた胸元に、何か文字が刻まれているのが見えた。


 COMBAT-A00109


「……シー、オー、エム……? ……コンバット?」

 COMBAT。英語で『戦闘』――。私は後ずさりをした。戦闘…戦闘用ロボット?

 私がそのまま固まっていると、その、ロボットと思われるものは、ゆっくりと閉じていた目を開けた。オリーブグリーンの瞳。次に、ゆっくりと身体を起こした。

「にんげん」

 腰を下ろしたまま、彼は低い声でつぶやいた。目はこれ以上ないくらいに開かれていた。私はその場に座り込んでしまった。殺されるのだろうか。相手は、胸元のあの文字から察して、戦闘用に造り出されたロボットだろう。人間の私にどうにかできるものなんかじゃない。足はまったく言うことを聞かなかった。小刻みに震えているだけだった。

 ロボットはゆっくりと立ち上がり、その大きなゴツゴツした手で、座り込んでいる私の頬に触れた。泥だらけのその手には、かすかな温もりがあった。私は殺されると思った。強く目をつむった。

「こわくない」

 ロボットは、ゆっくりと言った。私は目を開いた。まず驚いたのは、その表情だった。ロボットと言うにはあまりに人間らしすぎて、人間と言うにはあまりに美しすぎた。これが本当に戦闘用のロボットなのだろうか。私は、おそるおそる尋ねてみた。

「あなたは、誰?」

 ロボットは首を横にふった。どうやら自分が何なのかもよく分からないようだ。

 ふと気付くと、ロボットの足元から、何か液体が滴り落ちてきた。オイルだった。身体の深い傷から、オイルが漏れ出している。このままでは、このロボットは動けなくなる。私は何とか立ち上がると、ロボットにゆっくりと言い聞かせた。

「私と、一緒に、行こう」

 ロボットは静かにうなずいた。そして、よろめくロボットの手を引き、私は万次さんの待つ工場へ足を急がせた。

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